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タグ:憲法

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1.札幌高裁で同性婚を認めない民法等の規定に違憲判決が出される

同性婚を認めない民法や戸籍法の規定は憲法に違反するとして、北海道の同性カップル3組が国を訴えた訴訟の控訴審判決で、札幌高裁は本日(2024年3月14日)、民法等の規定は「違憲」との判決を出したとのことです。その上で、1人あたり100万円の賠償を求めた原告側の控訴は棄却したとのことです。

この札幌高裁判決が画期的な点は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」との憲法24条1項に基づいて民法等の規定を違憲としたこと、そしてこれが同性婚に関するわが国初の高裁レベルの判決であることでしょう。

2.同性婚に関する憲法学説・民法学説

(1)憲法学から
憲法24条1項は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本とし」と規定し、「両性」「夫婦」との用語を用いていることから、同性婚が現行の憲法24条において認められるかどうかが問題となります。

日本国憲法

第13条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

憲法24条1項の「両性」「夫婦」の用語および、現行憲法制定当時の婚姻制度を前提にすれば、同条1項のいう「婚姻」が民法にいう「婚姻」すなわち男女の1対1の結合(一夫一婦制)であって戸籍法上の届出を行ったもの(法律婚)を指していることは、ひとまず明らかです。しかし問題は、それ以外の異性ないし同性間の結合が憲法上の「婚姻」に含まれるかどうかです。

この点、憲法学の多数説は、憲法24条が明治憲法下の前近代的な「家」制度とは決別した、近代的家族観を採用したとの理解を前提に、憲法上の「婚姻」を現行民法上の婚姻に限定する一方で、それ以外の結合は家族の形成・維持に関する自己決定権(憲法13条)によって保障されると考えています。つまり、憲法13条が家族の維持・形成に関わる自己決定を保障すると解される支配的見解を前提とすれば、憲法24条は憲法13条の特別規定であると解されています。

他方、憲法24条の規範内容は、「近代的家族観」を超えるものであり、同性婚も憲法上認められるとの少数説も存在します(渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ基本権』455頁)。

すなわち、戦前の明治憲法下の日本には、戸主と家族から構成される「家」制度が存在しました。日本人は必ず家に属し、戸主は家族の結婚などの身分行為に対する同意権、離籍・復籍拒絶権、居所指定権等の戸主権により家族を統制していました。また家の財産は長男子だけが相続するとされるとともに、妻の財産上の無能力を定める等、男女差別的な制度でありました。これに対して現行の日本国憲法24条は、GHQの草案に含まれていた家族保護規定を削除するという制定経緯を経たことにより、明治憲法下の「家」制度の否定を核心とする規定として理解されています。そのため憲法24条1項の「婚姻の自由」とは、「第三者の同意等を要せず」に「婚姻」が成立するという意味であると解されています(渡辺・宍戸・松本・工藤・前掲453頁)。

(2)民法学から
また、民法学においても、「憲法24条1項の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」との文言は、明治民法時代、婚姻が「家」制度の下にあったことをふまえ、これをなくし、女性の権利を確立することにあったのであり、同性愛が精神医学界において精神障害とされていた当時、同性婚は想定されていなかったが、現代においては同性カップルに婚姻を認めることは憲法には違反しないと考えられています(二宮周平『新注釈民法(17)』79頁)。

3.本日の札幌高裁判決

このような学説に対して、本日の札幌高裁判決は、日経新聞の記事「同性婚認めぬ規定「違憲」、初の控訴審判決 札幌高裁」によると、
「婚姻を「両性の合意」に基づくとした24条1項について、文言上は異性間の婚姻を定めた規定だが、個人の尊重の観点から「人と人との自由な結びつきとしての婚姻」を含み同性婚も保障していると解釈した。同条2項(個人の尊厳)と14条(法の下の平等)についても違憲と判断した。」

とのことです。これは、判決本文を読んでいないので断定的なことは言えませんが、「婚姻」について「個人の尊重」の観点から「人と人との自由な結びつきとしての婚姻」を含み同性婚も保障していると解釈し、憲法24条は同性婚も「婚姻」に含まれ保障されると判示していることから、憲法24条の「婚姻の自由」を、「個人の尊重」を掲げる憲法13条の特別規定と考える上でみた憲法学の多数説に似た考えを採用しつつ、端的に同性婚を認めない現行の民法等の規定は憲法24条1項違反としていることから、少数説的な結論を導き出しています。したがって、本日の札幌高裁判決は、同性婚に関する憲法学の多数説と少数説の折衷説といえるのかもしれません。

(なおそのため、本判決によれば、同性婚を認めるためには別に憲法24条1項の改正は不要であり、民法・戸籍法などの法律を改正すれば足ることになります。)

本判決に対しては国側は上告するものと思われ、最高裁がどのような判断を示すかが注目されます。

4.まとめ

このように本日の札幌高裁判決は、同性婚と憲法24条1項との関係において、民法学の学説の立場を踏襲し、また憲法学の学説については「個人の尊重」の考え方を重視して、多数説と少数説の折衷説的な考え方をとり、同性婚を認めていない現行の民法・戸籍法等の規定を違憲としている点が画期的であり注目されます。また、そのような踏み込んだ判決が高裁レベルで出されたことも非常に画期的であると思われます。国会や、法律学界において同性婚に関する議論が進むことが期待されます。

■追記(2024年3月14日21時)
「「結婚の自由をすべての人に」訴訟 訴訟進捗・資料のCALL4掲載情報お知らせ用」のTwitter(現X)アカウント(@CALL404169270)が、本札幌高裁判決の全文を公表しています。



判決文の次の部分は、たしかに憲法24条を憲法13条の特別規定とした上で、同性婚も憲法24条の「婚姻」の範囲に含まれると判示しています。

『その上で、性的指向及び同性間の婚姻の自由は、現在に至っては、憲法13条によっても、人格権の一内容を構成する可能性があり、十分に尊重されるべき重要な法的利益であると解されることは上記のとおりである憲法24条1項は、婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻するかについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられているべきであるという趣旨を明らかにしたものと解され、このような婚姻をするについての自由は、同項の規定に照らし、十分尊重に値するものと解することができる(再婚禁止期間制度訴訟大法廷判決参照)。そして憲法24条2項は、婚姻及び家族に関する事項についての立法に当たっては、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきと定めている。

そうすると、性的指向及び同性間の婚姻の自由は、個人の尊重及びこれに係る重要な法的利益であるのだから、憲法24条1項は、人と人との間の自由な結びつきとしての婚姻をも定める趣旨を含み、両性つまり異性間の婚姻のみならず、同性間の婚姻についても、異性間の場合と同じ程度に保障していると考えるのが相当である。

判決文2

■追記(2024年3月19日)
衆議院法制局の橘幸信(@yukitachi729)様がつぎのようなツイートをされているのを見かけました。
橘先生ツイート
https://twitter.com/yukitachi729/status/1768431414922695150

そこで、千葉勝美先生(元最高裁裁判官)の『同性婚と司法』(岩波新書、2024年2月)130頁以下を読むと、確かに札幌高裁判決と非常に似ているように思えました。

すなわち、千葉先生の同書130頁以下は、憲法24条は戦前の「家」制度を否定し、現行憲法の個人の尊重の価値を宣言した13条、14条の特別規定であること、憲法学の「憲法の変遷」の考え方から「夫婦」「両性」の文言は「双方」に読み替えが可能であること等から、24条の保障は同性婚を含むものであり、それを認めない民法等は違憲としています。とくに今回の札幌高裁判決が憲法の変遷的な考え方について詳しく論じている点で、本判決は千葉先生説に非常に近いのではないかと思いました。改めて最高裁の判断が注目されます。

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■参考文献
・渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ基本権』453頁、455頁
・二宮周平『新注釈民法(17)』79頁
・千葉勝美『同性婚と司法』130頁

■関連するブログ記事
・渋谷区、世田谷区でパートナーシップ証明条例等が成立

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1.はじめに
反戦デモに許可なく参加したなどとして愛知大学が学生自治会の委員長ら学生3人に退学の懲戒処分を通知し、学生側が現在、審査請求を行っているとの中日新聞のニュースがネット上で大きく注目されています。ネット上では愛知大学を批判する意見が多いようですが、事件の概要や、類似する事件の判例をみると、問題はそう簡単ではないように思われます。

・反戦デモに参加し退学処分、元愛知大生3人が再審査請求 不当な処分と主張|中日新聞

2.今回の愛知大学の事件の概要
冒頭の中日新聞の記事によると、退学処分となった学生3人は愛知大学豊橋校舎学生自治会の委員長らであり、9月15日付の退学処分通知書は「反戦デモに参加し、無断で「愛知大学学生自治会」の旗を掲げて…本学公認の活動であるかのような外観を作出したこと」「学長が学生を監視している等虚偽の内容のビラを配布していること」など6~7項目の不適切な行為が列挙されていたとのことです。

また愛知大学に関するウィキペディアなどによると、愛知大学学生自治会は革マル系の団体であり、1月に自治会館の管理権をめぐって同自治会は大学を相手取って訴訟を提起しているとのことです。今回愛知大学が同自治会の3人を退学処分としたことは、このような様々な原因を総合考慮して、同大学学則55条3項3号の「大学の秩序を乱し、その他学生の本分に反したと認められる者」に該当すると判断されたものと思われます。

愛知大学学則55条
(愛知大学学則55条 愛知大学サイトより)

3.昭和女子大事件
(1)このような大学生の政治活動への退学処分が争点となった判例として昭和女子大事件(最高裁昭和49年7月19日判決)があります。学則の細則である生徒要録に反して学内で政治活動を行ったり政治団体に加入等した学生が私立大学の昭和女子大から退学処分となった事案について、学生側が生徒要録は憲法19条(内心の自由)、21条(表現の自由、結社の自由)などに違反するとして訴訟を提起したものです。

(2)この事件の最高裁は、①憲法19条、21条などの自由権規定は国又は公共団体の統治行為に対して個人の基本的人権を保障することを目的とした規定であり、私人相互間の関係については適用されない、②大学は国公立を問わず学則等の制定によって学生を規律する包括的権能を有する、③とくに私立大学は建学の精神に基づく独自の伝統・校風と教育方針を学則等において具現化することが認められる、④本件退学処分は社会通念上合理性を欠くものとはいえず、懲戒権者の裁量権の範囲内にある、等として学生側の主張を退けました。

(3)この最高裁判決に対しては、憲法の私人相互間への適用を大学について否定していること(間接適用説の否定)、法令に明文規定のない大学の学生への包括的権能を十分な論証もなしに安易に認めていることなど、憲法学の学説からは批判が大きいところです(木下智史「私立大学における学生の自由」『憲法判例百選Ⅰ第7版』24頁、芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第8版』116頁) 。

4.まとめ
とはいえ判例としてこのような事件が存在する以上は、今回の愛知大学の事件においても、もし訴訟となった場合においても、この昭和女子大事件判決に準拠して学生側が敗訴する判決が出される可能性はあると思われます。

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■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第8版』116頁
・木下智史「私立大学における学生の自由」『憲法判例百選Ⅰ第7版』24頁
・高橋和之『新・判例ハンドブック【憲法】第2版』42頁

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toshokan_benkyou
1.マイナンバーカード取得者専用の電子図書館?
岐阜新聞の9月1日付の記事「マイナカード取得者専用の電子図書館、10月導入 岐阜・美濃市、普及促進図る」によると、美濃市は8月31日、マイナンバーカード取得者専用の電子図書館サービスを10月に導入すると発表したとのことです。マイナンバーカードの普及促進を図るのが狙いで、雑誌や小説など幅広いジャンルの電子図書5千冊を用意するとのことです。しかし自治体の公共図書館がマイナンバーカードを所持している国民だけを特別扱いすることは法的に許されるのか?とネット上がざわついています。

2.地方自治法・マイナンバー法から考える
自治体の公立図書館は行政法上の「公の施設」(公共施設)です。そして公の施設について地方自治法244条3項は、「不当な差別的取扱」を禁止しています。また同法同条2項は「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。」と規定しています。

地方自治法
(公の施設)
第二百四十四条 普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。
 普通地方公共団体(次条第三項に規定する指定管理者を含む。次項において同じ。)は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。
 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。

マイナンバー法
(個人番号カードの発行等)
第十六条の二 機構は、政令で定めるところにより、住民基本台帳に記録されている者の申請に基づき、その者に係る個人番号カードを発行するものとする。
また、マイナンバー法16条の2第1項は、「住民基本台帳に記録されている者の申請に基づき、その者に係る個人番号カードを発行するものとする。」とマイナンバーカードの発行は住民の任意であることが明記されています。

このように地方自治法とマイナンバー法をみると、マイナンバーカードの取得は住民のあくまで任意であるのに、そのマイナンバーカードを取得した住民・市民のみに専用の電子図書館サービスを実施しようとしている美濃市の対応は、公の施設たる図書館の利用について不当な差別的取扱を行うものであり、地方自治法244条2項、3項違反、マイナンバー法16条の2第1項違反のおそれがあるのではないでしょうか。(また平等原則を定める憲法14条1項にも抵触すると思われます。)

3.図書館の自由に関する宣言
また、図書館の役職員の職業倫理規範である「図書館の自由に関する宣言」の前文5条は、「すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。外国人も、その権利は保障される。」と規定しています。つまりすべての国民は「図書館利用について公平な権利を持っており」、「いかなる差別もあってはならない」のです。

そのため、美濃市の取組はこの図書館の自由に関する宣言前文5条にも抵触しているものと思われます。

4.まとめ
このように、この美濃市の新しい取組みは地方自治法244条2項、3項に抵触し、憲法14条1項に抵触し、マイナンバー法16条の2にも抵触しています。また図書館の自由に関する宣言前文5条にも抵触しています。美濃市は今一度この新しい取組みを再検討すべきです。

■追記(9月12日)
ネット上の議論をみていると、どうも内閣官房・内閣府のデジタル田園都市構想の担当が、 この美濃市のようなマイナンバーカードの普及の取組みをすると当該自治体に交付金を多く支払うという施策を 行っているようです。

・デジタル田園都市国家構想交付金|内閣官房・内閣府

デジタル田園都市構想交付金
内閣官房「デジタル田園都市構想交付金について」より)

つまりこれは内閣官房がカネで釣って自治体に違法な施策を講じるように仕向けているわけで、 大変な問題だと思います。内閣官房を含む国は、デジタル田園都市国家構想の施策に違法性がないか今一度再検討を行うべきです。

■関連するブログ記事
・備前市が学校給食無償をマイナンバーカード取得世帯のみにすることをマイナンバー法から考えたーなぜマイナンバー法16条の2は「任意」なのか?(追記あり)

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本ブログ記事の概要
憲法82条は「裁判の公開」を規定しているが、これも無制限ではなく、法廷における公正・円滑な訴訟運営の重要性、被告人や訴訟関係者の名誉・プライバシーの保護の重要性から、本事件のようなTwitter等による裁判の無断放送は許されない。

1.はじめに
岡山地裁で7月5日に行われた刑事裁判の法廷内の音声が、傍聴人の何者かによりツイッターの音声会議機能「スペース」を使って、無許可でネット中継されていたことが発覚したとのことです。一時は350人以上が中継を聴いていたとのことです。憲法は「裁判の公開」を規定していますが(82条)、この事件をどのように考えたらよいのでしょうか。
・ツイッターで刑事裁判の法廷音声を中継、被告人質問でのやりとりを350人以上聴く…岡山地裁|読売新聞

2.「裁判の公開」の趣旨
憲法82条1項は「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。」と規定しています。

日本国憲法
第82条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
この「裁判の公開」の趣旨・目的は、対審・判決を公開することにより、裁判を国民の監視の下に置き裁判の公正な運用を確保することにあるとされています。(柏崎敏義「新基本法コンメンタール憲法」438頁)

この点、裁判の傍聴席でのメモをとる自由について争われたレペタ事件(最高裁平成元年3月8日判決)で最高裁は、「裁判を一般に公開して裁判が構成に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとする」と判示しているのはこの意味であるとされています。

そのため学説は、憲法82条の「公開」は、「広く一般国民に傍聴を認める」趣旨であると解しています(傍聴の自由)(柏崎・前掲)。

3.「裁判の公開」の限界
とはいえ、この裁判の公開も無制限に認められるわけではありません。裁判所には法廷警察権があるとされており(裁判所法71条、刑訴法288条)、例えば法廷での裁判官の職務を妨げた者に対する退廷命令(裁判所法71条)などを出すことができるとされています。また、刑事訴訟規則215条は「公法廷における写真の撮影、録音又は放送は、裁判所の許可を得なければこれをすることができない」と規定しています。(民事訴訟規則77条はさらに速記、録画も裁判所の許可が必要であると規定している。)

刑事訴訟規則
第215条 公法廷における写真の撮影、録音又は放送は、裁判所の許可を得なければこれをすることができない。但し、特別の定のある場合は、この限りでない。
この点、刑事裁判において裁判所の許可なく被告人の写真をとった記者の行為が争われた北海タイムス事件(最高裁昭和33年2月17日判決)において最高裁は、「たとい公判廷の状況を一般に報道するための取材活動であっても、その活動が公判廷における審判の秩序を乱し、被告人その他訴訟関係者の正当な利益を不当に害するがごときものは、もとより許されない」と判示しています。

この判決について学説は、「裁判の公正の確保、被告人・訴訟関係者の名誉・プライバシー保護の観点から報道の自由に対する制約には合理性がある。」としています(柏崎・前掲)。

また、上述のレペタ事件について学説は、「法廷における公正かつ円滑な訴訟運営が法廷でのメモ行為よりもはるかに優越する法益であると裁判所は考えている。」と評価しています(西土彰一郎「新・判例ハンドブック憲法」132頁)。

なお、昭和57年6月には、最高裁事務総長と日本新聞協会編集委員会との懇談会が開催されていますが、最高裁側は、①写真を撮られたくないという被告人の心情や人権は裁判所としては最大限保護しなくてはならない②法廷内にカメラがあるだけで裁判官は心理的な緊張を受け、審理に影響を及ぼす恐れがある、等の点から無制限な裁判の写真撮影等には反対の立場を主張しています(堀部政男「メディア判例百選」9頁)。

とくに刑事裁判においては国(検察)から訴追を受けた被告人の防御権の確保がなにより重要であり、法廷における公正・円滑な訴訟運営が要請されますが、裁判官ですらカメラがあるだけで心理的な緊張を受けるというのに、被告人はさらに緊張や萎縮感を受けるであろうと思われ、もしカメラやスマホ等による無制限な撮影・録音があった場合、自由な弁論や真実の探求が十分に達成できない危険性があるのではないでしょうか。

この点学説は、大衆は興味本位に傾きやすく、人民裁判のおそれがあること。被告人の公判廷での惨めな姿を「恥」とする心理も否定できない。等の理由から、無制限な傍聴を戒める見解もあります(君塚正臣「メディア判例百選(第二版)」7頁)。

4.まとめ
このように、「裁判の公開」は裁判を国民の監視の下に置き裁判の公正な運用を確保するために非常に重要ですが、その一方で裁判の公開や傍聴する自由も無制限に許容されるのではなく、法廷における公正・円滑な訴訟運営がまずは重要であると考えられます。また、被告人や訴訟関係者の名誉・プライバシーの保護も重要であり、いわゆる週刊誌報道などのような興味本位の人民裁判的な傍聴や報道なども許されません。

そのため、本事件のような裁判所の許可を受けないTwitterのスペース機能による刑事裁判の「放送」は憲法82条の「裁判の公開」の限界を超えるものとして許されないものと思われます。

なお、IT技術の発展は非常に早く、個人が保有するスマホですらこのような行為が可能な時代となり、近い将来には裁判の公開がネット配信なども検討されるようになるかもしれません。しかし上述のとおり、裁判においては法廷における公正・円滑な訴訟運営や被告人や訴訟関係者の名誉・プライバシーの保護など諸般の事情を検討し、慎重な議論が必要であると思われます。

※本ブログ記事を書くにあたっては、7月9日の法律系VTuberのじゃこにゃー様と弁護士VTuberのながの先生のYouTube配信を参考にさせていただきました。じゃこにゃー様、ながの先生ありがとうございます。
・【 法律 】ツイッターで刑事裁判の法廷音声を中継!? 裁判の公開はどこまでするべきなのか?|YouTube

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■参考文献
・柏崎敏義「新基本法コンメンタール憲法」438頁
・西土彰一郎「新・判例ハンドブック憲法」132頁
・堀部政男「メディア判例百選」9頁
・君塚正臣「メディア判例百選(第二版)」7頁

■関連するブログ記事
・「リモート国会」を考えるー物理的な「出席」は必要なのか?―ガーシー議員

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本ブログ記事の概要
最高裁第一小法廷令和5年3月9日判決は住基ネット訴訟と同様に構造審査の手法をとりマイナンバー制度を合憲とした。ただし本判決はマイナンバー制度が税・社会保障・災害対策の3点に利用目的を限定していることを合憲の理由の一つとしているので、最近のデジタル庁のマイナンバー法「規制緩和」法案は違法の可能性がある。また、本判決はマイナンバーカードについては検討していないため、「マイナ保険証」等の問題や、xIDなどの民間企業によるマイナンバーカードの利用にはお墨付きを与えていない。

1.はじめに
3月9日にマイナンバー制度はプライバシー権の侵害であるとする訴訟について、マイナンバー制度は合憲とする最高裁判決が出され、同日、裁判所サイトにその判決文が掲載されたため読んでみました(最高裁第一小法廷令和5年3月9日判決)。

・最高裁第一小法廷令和5年3月9日判決・令和4(オ)39マイナンバー(個人番号)利用差止等請求事件|裁判所

2.事案の概要
本件は、マイナンバー法(令和3年の改正前のもの。以下「番号利用法」)により個人番号(マイナンバー)を付番された上告人Xらが、被上告人(国)Yが番号利用法に基づき上告人らの特定個人情報(個人番号をその内容に含む個人情報)の収集、保管、利用又は提供(以下、併せて「利用、提供等」という。)をする行為は、憲法13条の保障する上告人らのプライバシー権を違法に侵害するものであると主張して、Yに対し、プライバシー権に基づく妨害予防請求又は妨害排除請求として、Xらの個人番号の利用、提供等の差止め及び保存されているXらの個人番号の削除を求めるとともに、国家賠償法1条1項に基づき、慰謝料等の支払を求める事案である。裁判所はつぎのように判示してXらの上告を棄却した。

3.本判決の判旨
『第2 上告理由のうち憲法13条違反をいう部分について
1 憲法13条は、国民の私生活上の自由が公権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものであり、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を有するものと解される(最高裁平成19年(オ)第403号、同年(受)第454号同20年3月6日第一小法廷判決・民集62巻3号665頁)。

2 そこで、行政機関等が番号利用法に基づき特定個人情報の利用、提供等をする行為が上告人らの上記自由を侵害するものであるか否かを検討するに、前記…のとおり、同法は、個人番号等の有する対象者識別機能を活用して、情報の管理及び利用の効率化、情報連携の迅速化を実現することにより、行政運営の効率化、給付と負担の公正性の確保、国民の利便性向上を図ること等を目的とするものであり、正当な行政目的を有するものということができる。』

『3 もっとも、特定個人情報の中には、個人の所得や社会保障の受給歴等の秘匿性の高い情報が多数含まれることになるところ、理論上は、対象者識別機能を有する個人番号を利用してこれらの情報の集約や突合を行い、個人の分析をすることが可能であるため、具体的な法制度や実際に使用されるシステムの内容次第では、これらの情報が芋づる式に外部に流出することや、不当なデータマッチング、すなわち、行政機関等が番号利用法上許される範囲を超えて他の行政機関等から特定の個人に係る複数の特定個人情報の提供を受けるなどしてこれらを突合することにより、特定個人情報が法令等の根拠に基づかずに又は正当な行政目的の範囲を逸脱して第三者に開示又は公表される具体的な危険が生じ得るものである。しかし、番号利用法は、前記第1の2イ及びのとおり、個人番号の利用や特定個人情報の提供について厳格な規制を行うことに加えて、前記第1の2のとおり、特定個人情報の管理について、及び特定個人情報の漏えい等を防止し、特定個人情報を安全かつ適正に管理するための種々の規制を行うこととしており、以上の規制の実効性を担保するため、これらに違反する行為のうち悪質なものについて刑罰の対象とし、一般法における同種の罰則規定よりも法定刑を加重するなどするとともに、独立した第三者機関である委員会に種々の権限を付与した上で、特定個人情報の取扱いに関する監視、監督等を行わせることとしている。

また、番号利用法の下でも、個人情報が共通のデータベース等により一元管理されるものではなく、各行政機関等が個人情報を分散いところ、前記第1の2管理している状況に変わりはなのとおり、各行政機関等の間で情報提供ネットワークシステムによる情報連携が行われる場合には、総務大臣による同法21条2項所定の要件の充足性の確認を経ることとされており、情報の授受等に関する記録が一定期間保存されて、本人はその開示等を求めることができる。のみならず、上記の場合、システム技術上、インターネットから切り離された行政専用の閉域ネットワーク内で、個人番号を推知し得ない機関ごとに異なる情報提供用個人識別符号を用いて特定個人情報の授受がされることとなっており、その通信が暗号化され、提供される特定個人情報自体も暗号化されるものである。以上によれば、上記システムにおいて特定個人情報の漏えいや目的外利用等がされる危険性は極めて低いものということができる。
(略)

これらの諸点を総合すると、番号利用法に基づく特定個人情報の利用、提供等に関して法制度上又はシステム技術上の不備があり、そのために特定個人情報が法令等の根拠に基づかずに又は正当な行政目的の範囲を逸脱して第三者に開示又は公表される具体的な危険が生じているということもできない。

4 そうすると、行政機関等が番号利用法に基づき特定個人情報の利用、提供等をする行為は、個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表するものということはできない。したがって、上記行為は、憲法13条の保障する個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を侵害するものではないと解するのが相当である。

以上は、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年111- 12 - 2月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁)の趣旨に徴して明らかである。論旨は採用することができない。』

4.検討
(1)本判決の概要
本判決は前半の「第1」の部分でマイナンバー制度を概説した上で、後半の「第2 上告理由のうち憲法13条違反をいう部分について」のおおむね上で引用したような判旨でマイナンバー制度の合憲性を検討しています。そしてその検討をみてみると、まず「1」の部分では、住基ネット訴訟最高裁判決(最高裁平成20年3月6日判決)を引いて、「憲法13条は…個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を有するものと解される」と憲法13条に基づくいわゆる古典的プライバシー権(静的プライバシー権)が問題になっていることを明らかにしています。

つぎに本判決は「2」の部分で、マイナンバー制度がこのプライバシー権を侵害しているかを検討するためにマイナンバー制度の目的の検討が必要であるとします。そして、「同法は、個人番号等の有する対象者識別機能を活用して、情報の管理及び利用の効率化、情報連携の迅速化を実現することにより、行政運営の効率化、給付と負担の公正性の確保、国民の利便性向上を図ること等を目的とするものであり、正当な行政目的を有する」として、マイナンバー制度の目的は行政権の行使として正当であるとしています。

さらに本判決は、マイナンバー法が個人番号の利用範囲を「社会保障、税、災害対策およびこれらに類する分野の法令又は条例で定められた事務に限定」されていること、目的外利用の許容される例外事例も一般法である(旧)行政機関個人情報保護法よりも限定されていること、政令への委任も白地委任とはなっていないこと等を判示し、法的にマイナンバー制度が問題ではないとしています。

なお本判決は「3」の部分で、特定個人情報(マイナンバーを含む個人情報)は、個人の所得や社会保障の受給歴等の秘匿性の高い情報が含まれるところ、理論的には識別能力を有するマイナンバーを利用して名寄せや突合を行い、個人の分析や不当なデータマッチングなどが行われる「具体的な危険」があるとしつつも、マイナンバー法は罰則を置き、監督を行う第三者機関として個人情報保護委員会が設置されている等の理由で、そのような目的外利用や情報漏洩などがなされる危険性は「極めて低い」としてしまっています。(そのため、本判決はプライバシー権の本質論について、基本的に古典的プライバシー論と構造審査論に立っており、最近の「自己の情報を適切に取扱われる権利」論は採用していないように思われます。)

加えて本判決は、マイナンバー制度は情報連携を行う情報提供ネットワークシステムにおいてはマイナンバーそのものは利用されていないこと等を理由として情報システム上もマイナンバー制度は問題がないとしています。

その上で本判決は「これらの諸点を総合すると、番号利用法に基づく特定個人情報の利用、提供等に関して法制度上又はシステム技術上の不備があり、そのために特定個人情報が法令等の根拠に基づかずに又は正当な行政目的の範囲を逸脱して第三者に開示又は公表される具体的な危険が生じているということもできない。」とし、マイナンバー制度は法的にもシステム的にも問題はなく、上告人らのプライバシー侵害はないと結論付けています(いわゆる「構造審査」論)。構造審査論をとっていることから、本判決は基本的に構造審査論を採用した住基ネット訴訟判決を承継するものといえます。

加えて本判決は「以上は、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和44年2月24日大法廷判決)の趣旨に徴して明らかである」として、本判決は警察官によるデモ隊の写真撮影によるプライバシー権および肖像権の侵害が争われた京都府学連事件(最高裁昭和44年2月24日大法廷判決)に連なる判例であることを明らかにしています。

(2)本判決は令和3年改正前のマイナンバー法を対象としており、またマイナンバーカードについては検討していない
このように本判決は、国民個人のプライバシー権との関係でマイナンバー制度は違法・違憲ではないと判示しましたが、その一方で、本判決は令和3年改正前のマイナンバー法を対象としており、またマイナンバーカードについては検討していない点は注意が必要です。

すなわち、令和3年(2021年)のいわゆるデジタル社会形成法案の一つとしてマイナンバー法も一部改正がなされましたが、その際に追加された、国家資格をマイナンバーに紐付け管理する等の法改正は本判決の範囲外となります。

デジタル社会形成法案の概要
(令和3年のデジタル社会形成法案の概要。個人情報保護委員会サイトより。)

同様に、現在デジタル庁が国会に法案を提出した、マイナンバー制度の目的を税・社会保障・災害対策に限定せず「規制緩和」を行うことや、その改正を法律によらず政省令で可能にすること等も本判決の対象外であり、司法府のお墨付きを得ているわけではありません。むしろ、本判決はマイナンバー制度の合憲の根拠の一つにマイナンバー制度の目的が税・社会保障・災害対策の3つに限定されていることを挙げているのですから、「規制緩和」法案は違法・違憲の可能性があるのではないでしょうか。

また、本判決はマイナンバーカードについては司法判断を行っていないため、例えば本年大きな問題となっている、保険証をマイナンバーカードに一体化して国民にマイナンバーカードを事実上強制する等の「マイナ保険証」の問題も司法のお墨付きを得ているわけではありません。同様に、児童・子どもの教育データをマイナンバーで国が一元管理するというデジタル庁の「子どもデータ利活用ロードマップ」等も司法のお墨付きを得ているわけではありません。あるいはxIDなどのようにマイナンバーカードのICチップ部分の電子証明書等の民間企業の利用についても司法は合憲と判断しているわけではない状況です。

(3)まとめ
以上見てきたように、本判決は住基ネット訴訟と同様に構造審査の手法をとりマイナンバー制度を合憲としています。ただし本判決はマイナンバー制度が税・社会保障・災害対策の3点に利用目的を限定していることを合憲の理由の一つとしているので、最近のデジタル庁のマイナンバー法「規制緩和」法案は違法の可能性があります。また、本判決はマイナンバーカードについては検討していないため、「マイナ保険証」等の問題や、xIDなどの民間企業によるマイナンバーカードの利用にはお墨付きを与えていません。

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■参考文献
・黒澤修一郎「プライバシー権」『憲法学の現在地』(山本龍彦・横大道聡編)139頁
・成原慧「プライバシー」『Liberty2.0』(駒村圭吾編)187頁
・山本龍彦「住基ネットの合憲性」『憲法判例百選Ⅰ 第7版』42頁
・高木浩光「個人情報保護から個人データ保護へ(6)」『情報法制研究』12号49頁

■関連する記事
・マイナンバー制度はプライバシー権の侵害にあたらないとされた裁判例を考えた(仙台高判令3・5・27)
・備前市が学校給食無償をマイナンバーカード取得世帯のみにすることをマイナンバー法から考えたーなぜマイナンバー法16条の2は「任意」なのか?(追記あり)
・デジタル庁のマイナンバー法9条および別表の「規制緩和」法案を考えた
・デジタル庁「教育データ利活用ロードマップ」は個人情報保護法・憲法的に大丈夫なのか?



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