東京医科大学

1.東京医科大学の一般入試で女性差別が発覚
本日の読売新聞などによると、東京医科大学が2011年頃より医学部医学科の一般入試で、女子受験者の得点を一律に減点し、女子の合格者数を抑えていたことが関係者の話でわかったとのことです。これには「いつの時代だよ!?」と驚いてしまいました。

・東京医大、女子受験生を一律減点…合格者数抑制|読売新聞

記事によると、大学関係者は、「医師の国家試験に合格した同大出身者の大半は、系列の病院で働くことになる。」「同大出身の女性医師が結婚や出産で離職すれば、系列病院の医師が不足する恐れがあることが背景にあった」と説明しているようです。

しかしこのような東京医科大学の一般入試における男女差別は、わが国の近年の社会の各分野における女性への不平等の是正、男女雇用機会均等法の制定・数次の改正、最近は国会における「政治分野における男女共同参画推進法」の成立などの一部分野におけるアファーマティブ・アクションなどの社会の動きに真っ向から逆行しています。

2.法の下の平等
憲法14条1項は、性別による差別を明文をもって禁止しています。また、同26条1項は教育の機会均等を定めています。

憲法
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

そして、教育分野について定める教育基本法は2条3号で教育の目標の一つに「男女平等」を掲げ、同法4条1項は男女差別を禁止しています。

教育基本法
第4条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

3.平等の意味
このように憲法や法律には何重にも平等原則が規定されていますが、一般に、平等には形式的平等と実施的平等の二種類があるとされています。人の現実のさまざまな差異を一切捨象して一律平等に扱うこと、つまり機会均等を形式的平等と呼びます。一方、人の現実の差異に注目してその格差是正を行うこと、つまり配分・結果の均等を実質的平等と呼びます。

そして、近代立憲主義(自由主義)によるわが国の憲法は、自由の理念と調和する平等の理念に基づいているため、憲法14条の規定はまずは形式的平等を保障したものであり、実質的平等は憲法13条、25条などの観点により国会の立法により達成されるべきであると考えられています。

今回問題となっている東京医科大学の件は大学入試、しかも一般入試にかかわるものです。大学入試とは試験問題に対する受験生の回答により採点を行い、その結果により合否を決する、つまり人の差異を一切捨象して点数のみで一律平等に合否を決める(受験機会の平等)、形式的平等の適用されるべき典型的な場面です。

そのような大学入試の場面に、かりに将来の大学の系列病院の運営など他の要請のために、女性受験生にのみ一律に点数を減点するということは、大学入試の受験機会の平等という形式的平等の要請に明らかに反しています。

私立である東京医科大学は民間法人ですが、民間部門において判例は昭和56年(1981年)に、男子55歳、女子50歳を定年とする企業の就業規則の規定は合理性のない差別的取り扱いであり無効とする判断を出しています(日産自動車事件・最高裁昭和56年3月24日判決)。

4.まとめ
したがって、日産自動車事件判決に照らしても、今回発覚した東京医大の大学入試における女性のみ点数を一律に引き下げて合格者を減らす取扱いは、不合理な差別的取り扱いであり、憲法や教育基本法などの各法令に違反し、無効な取り扱いであると考えられます。

なお、東京医科大学の経営陣は、それでは系列病院の運営がなりたたないと主張するかもしれません。しかしそれは個々の系列病院の経営陣がそもそも人事・労務管理の問題として、女性の医師に働きやすい環境を調整する義務を負っている事柄であって(安全配慮義務、職場環境調整義務)、教育機関である大学の入試とは別の問題です。

東京医科大学の明治時代に戻ってしまったかのような時代錯誤な社会認識や実務は、男女雇用機会均等法など労働法の趣旨をも潜脱しているように思われます。少なくとも同大学の校是である「正義・友愛・奉仕」の精神に反していることは間違いありません。

■参考文献
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』282頁、295頁
・芦部信喜『憲法 第6版』127頁