1.はじめに
数日前のNHKニュースに大阪地裁の興味深い判決が掲載されていました。

大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)の運転士らがひげを生やして勤務していることを理由に、最低の人事評価にされたのは不当だと訴えた裁判で、大阪地方裁判所は1月16日に「ひげを生やすかどうかは個人の自由で、人格的な利益を侵害し違法だ」として、大阪市に40万円余りの賠償を命じました。
(「「ひげ生やすのは個人の自由」人事の低評価に賠償命令」NHKニュース2019年1月16日付より)


大阪市交通局は2012年に男性職員にひげをそるよう求める「身だしなみ基準」を設けており、裁判ではこの基準の妥当性などが争点となったそうです。

16日の判決は、

「清潔感を欠くとか、威圧的な印象を与えるなどの理由から地下鉄の乗務員らにひげをそった状態を理想的な身だしなみとする基準を設けることには必要性や合理性があるが、この基準はあくまで職員に任意の協力を求めるものだ」

「ひげを生やすかどうかは個人の自由で、ひげを理由にした人事評価は人格的な利益を侵害し違法」
(「「ひげ生やすのは個人の自由」人事の低評価に賠償命令」NHKニュース2019年1月16日付より)


として、大阪市に慰謝料として40万円余りを支払うよう命じたとのことです。

私はこれはごく常識的な妥当な判決だと思うのですが、維新の会の吉村洋文・大阪市長はツイッター上で、「なんだこの判決」「公務員組織だ。お客様の料金で成り立ち、トンネルには税金も入っている。」と大変お怒りのようで、大阪市は控訴する方針とのことです。

吉村市長
(吉村市長のツイート)

しかし高裁でこの事件が争われたとして、結論はくつがえるのでしょうか?

2.服務規律・企業秩序の限界
一般的な事業者においては、たとえば入退館に関する規律、遅刻・早退・欠勤・休暇などの手続き、服装規定、上司の指示・命令への服従義務、職場秩序の保持、などの服務規律が定められています。

また、事業者が経営目的を遂行する組織体として必要とし実施する、構成員に対する統制の全般を意味する企業秩序という概念も存在します。

しかし、企業秩序は労働契約に根拠づけられて存在するものであるため限界が存在するとされています。つまり、労働者は事業者および労働契約の目的上必要かつ合理的なかぎりでのみ企業秩序に服するのであり、「企業の一般的な支配に服するものではない」のです(最高裁昭和52年12月13日判決)。

具体的には、企業秩序において定立される規則や発せられる命令は、事業者の円滑な運営上必要かつ合理的なものであることが求められ、たとえば、労働者の私生活上の行為は、実質的にみて企業秩序に関連性のある限度においてのみその規制の対象となるとされています。

3.運転手の口ひげに関する裁判例
この点、今回の大阪の事例に類似するものとして、ハイヤー運転手の口ひげが、「ハイヤー乗組員勤務要領」中の身だしなみ規則の「ヒゲをそり頭髪は綺麗に櫛をかける」に違反するかどうかについて、同規定で禁止されたヒゲは、「無精ひげ」や「異様、奇異なひげ」のみを指し、格別の不快感や反発感を生じしめない口ひげはそれに該当しないと判断した裁判例があります(イースタン・エアポートモータース事件・東京地裁昭和55年12月15日判決)。

また、郵便局職員について、「労働者の服装や髪形等の身だしなみは、もともとは労働者個人が自己の外観をいかに表現するかという労働者の個人的自由に属する事柄であり、髪形やひげに関する服務中の規律は、勤務関係または労働契約の拘束を離れた私生活にも及び得るものであることから、そのような服務規律は、事業遂行上の必要性が認められ、その具体的な制限の内容が、労働者の利益や自由を過度に侵害しない合理的な内容の限度で拘束力を認められる」と判示する裁判例も存在します(郵政事業事件・神戸地裁平成22年3月26日判決)。

4.まとめ
このように、服務規律・企業秩序は事業者の運営のために重要なものではありますが、それは一般的・網羅的に労働者におよぶのではありません。髪形・服装などの身だしなみは憲法13条が定める幸福追求権から認められる自己決定権の一つをなす基本的人権です。髪形・服装・ひげなどに対する服務規律は、事業遂行上の必要性と合理性が認められるものに限定され、就業規則などの口ヒゲ禁止の規定があったとしても、それは「無精ひげ」や「異様、奇異なひげ」など業務に支障のあるものに限定されるべきです。

先例となる裁判例に照らし合わせても、今回の大阪地裁の判断は妥当なものであるといえます。高裁で争われたとしても、結論はあまり変わらないのではないかと思われます。

5.公務員とは
ところで、冒頭であげたとおり、維新の吉村市長のツイートにおける公務員へのコメントはなかなか刺激的です。「公務員組織だ。お客様の料金で成り立ち、トンネルには税金も入っている。」とのことです。

あるいは、従来より維新の政治家達は大阪の公務員を敵に仕立て上げ、バッシングを繰り広げることにより支持を伸ばしてきたようです。大阪市の職員に対する旧ソ連の秘密警察じみた「思想調査」も行われました。

維新の政治家によれば、公務員は国民の出資により成り立っているのだから、公務員は二級国民だ、国民に奉仕する奴隷だとでもいいたいようです。

しかしそのような考え方は妥当なのでしょうか。そもそも公務員も国民のひとりのはずです。基本的人権がないかのような考え方は今どきどうなのでしょうか。

たとえば国家公務員法・地方公務員法は公務員に政治的中立を求める規定を設けています。このような公務員の人権制約の問題について、大昔の判例は、憲法15条の「全体の奉仕者」の文言を根拠とし、公務員は24時間365日公務員であるとでもいうがごとき考え方をしていました(猿払事件・最高裁昭和49年11月6日判決)。

しかし近年出された同じく公務員の政治的中立の問題について、最高裁は、問題となった公務員が幹部職員であるか否かで判断を分けるなど、比較考量論をとり、できるだけ公務員の人権制約をゆるめようとしています(堀越事件・最高裁平成平成24年12月7日判決)。

日本で一番頭が固いと思われる最高裁ですら、公務員に関する考え方をこのように変更しているのに、「改革」が売り文句の維新の政治家の方が、昭和40年代の判例のような古臭い考え方を引きずっているのはいかがなものでしょうか。今回の大阪地裁の判決をもとに、「身を切る改革」の精神で意識改革をなさってはと思われます。

■参考文献
・菅野和夫『労働法 第11版補正版』649頁、653頁
・東京南部法律事務所『新労働契約Q&A』269頁
・芦部信喜『憲法 第6版』108頁、126頁

労働法 第11版補正版 (法律学講座双書)

新・労働契約Q&A 会社であなたをまもる10章

憲法 第六版