なか2656のblog

とある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

2020年12月

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2020年12月22日のメディア各社の報道によると、営業職員の顧客の金銭の詐欺・横領などに関連し、第一生命保険の稲垣精二社長は謝罪の記者会見を行ったそうです。報道や同社サイト上で公表された報告書によると、新たに3件の営業職員による不祥事とともに、本社の保険事務部門(契約サービス部)の不祥事も1件発覚したとのことです。

・「元社員による金銭の不正取得」事案に関するご報告 (PDF)|第一生命保険

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(第一生命保険サイトより)

報告書によると、山口県の特別調査役については、高い営業成績をもつ特別調査役が社内で”女帝”扱いされ、本来、指揮監督する立場にあったはずの西日本マーケット統括部が監督を行っていなかったなどの、組織的な、ガバナンス上の問題が多かったように感じられます。

多くの保険会社は、社内に法務部門・コンプライアンス部門があり、また業務監査部や検査部門が社内の不正のチェックを多重的に行っています。そのような法務・コンプラ部門や監査・検査部門も有効に機能していなかったのでしょうか。コンプライアンスだけでなくガバナンスが機能不全であったということは、取締役ら経営幹部の法的責任が厳しく問われる問題であると思われます。

たしか第一生命は、生保業界では最初に法務部門を設置した会社であり、法務・コンプライアンスを重視しようという社風があったような気がするのですが、それも株式会社化などの時代の流れとともに変容してしまったのでしょうか。

ところで、この報告書をみると、営業部門だけでなく本社の保険事務部門(契約サービス部)でも不祥事があったようで、これも深刻な問題です。年金保険の取扱について、契約サービス部の社員が不正を行って数千万円の金銭を横領したとのことですが、事務手続き上も、情報システム上も、そのような不正が簡単にできたとは考えにくく、大いに気になるところです。

報道などによると、数年前より、第一生命は保険契約の保全に関する業務の大半を情報システム会社(NTTデータ)に外部委託していたそうです。この外部委託により何らかの不正のつけいる隙が生まれていたのだとしたら、由々しきことです。保険の引受業務や資産運用業務、保険金の支払い業務と並んで、保険契約の保全業務も、保険会社のコア業務なのですから。

稲垣社長は代替わりしたばかりですが、今回の一連の不祥事の再発防止策の実施が一区切りしたら、引責辞任は待ったなしの状況と思われます。今回の不祥事を受け、企業ブランドは大きく傷つき、この一年、大手生保の中で第一生命だけ営業成績が大きく低迷している状況です。金融庁だけでなく、"物言う株主"を含め多くの株主が黙っていないものと思われます。

なお、生命保険業界にとっては、この1年は第一生命やかんぽ生命の不祥事が大きく報道される一年だったように思われます。しかし、顧客の金銭の詐欺・横領でここ数年、毎年のように不祥事を起こしているソニー生命保険については、マスコミがほとんど報道を行わなかったのは不思議なことに思われます。

・当社の社員や代理店・グループ企業等を名乗る者が金員を詐取する事案にご注意ください。|ソニー生命

■関連するブログ記事
・第一生命保険が保険契約の保全業務をNTTデータに外注したことを保険業法から考える
・ソニー生命の個人年金保険契約を装う詐欺事件に対して金融庁が立入検査
・かんぽ生命・日本郵便の不正な乗換契約・「乗換潜脱」を保険業法的に考える









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1.はじめに
2020年12月16日に、フジテレビ系のFNNなどが、文科省が小中学生の学校の成績や学習履歴などの教育データ・個人データをマイナンバーカード(個人番号カード)で紐付けして一元管理することを検討中であり、早ければ2023年にもその一部が実施の方針であると報道し、大きな反響を呼んでいます。

・マイナカードに学校の「成績」対象小中学生 2023年度にも|FNN

FNNの記事によると、文科省は、教育データの利活用(EduTech)を進めていて、児童・生徒の個人の学習意欲の変化や理解度などの教育に関するビッグデータを収集・分析し、生徒1人ひとりに合った効果的な学習や指導の実現(「教育の個別最適化」)が目的であるとのことです。

この点、文科省は、平成30年6月に「Society 5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~」との諮問会議による報告書を公表しています。

・Society 5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~|文科省

同報告書の第3章「新たな時代に向けた学びの変革、取り組むべき施策」では、「(1)「公正に個別最適化された学び」を実現する多様な学習の機会と場の提供」のなかで、「①学習の個別最適化や異年齢・異学年など多様な協働学習のためのパイロット事業の展開 【全国の小中高等学校○校程度で実施(学校数は今後検討)】」との方針が示されています。

そして、「公正に個別最適化された学び」について、「児童生徒一人一人の能力や適性に応じて個別最適化された学びの実現に向けて、スタディ・ログ等を蓄積した学びのポートフォリオ(後述)を活用しながら、個々人の学習傾向や活動状況(スポーツ、文化、特別活動、部活動、ボランティア等を含む)、各教科・単元の特質等を踏まえた実践的な研究・開発を行う(例:基礎的読解力、数学的思考力の確実な習得のための個別最適化された学習)。」「ICT 環境の整備、ビッグデータ活用に係る個人情報保護の在り方についての整理等の条件整備や、強みと限界を踏まえた効果的な導入方法など、EdTech の一層の活用に向けた課題の整理及び対応策について官民を挙げた総合的な検討を行った上で、一定の方針を示す。また、データの収集、共有、活用のためのプラットフォームの構築に関する検討を行う。」などの説明がなされています。

教育の個別化の図
(文科省「Society 5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~(概要)」より)

ITやAIの発達による「教育の個別化」など、一見、バラ色の未来のようにも読めますが、我われ国民はこれをどう受け止めるべきなのでしょうか。憲法26条は「国民の教育を受ける権利」「教育の機会均等」などについて規定していますので、これらの点から見てみたいと思います。

2.教育の機会均等(公平性・公正性)
憲法26条1項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と規定しています。

それを受けて、教育基本法4条1項は、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」と規定しています。また、同16条1項は、「教育は、不当な支配に服することなく、(略)公平かつ適正に行われなければならない。」と教育行政の原則を定めています。つまり、教育そして教育行政には、公平性と公正性が憲法および法令上要請されています。

ところで、文科省は、小中学生の「公正に個別最適化された学び」「教育の個別化」を行うために、小中学生の成績や学習履歴などの学習データ・個人データを収集したビッグデータをAIで分析し、個々の生徒に「公正に個別最適化された教育」を提供する方針のようです。

しかし、AIによるこのようなデータ処理が「公正」あるいは「適正」である保障はあるのでしょうか。AIはビッグデータを自律的に機械学習することにより、統計的にさまざまな事実の相関関係を発見するなどして、自らのアルゴリズムを高度化させてゆきます。

ところが、このビッグデータ解析を通して、AIは、人間なら避けられるような差別的な選考を行ってしまうリスクがあります。ビッグデータの元となる過去のデータに過去の社会的状況や差別などに基づく「偏り」があれば、AIはその過去の偏ったデータを元に機械学習を進めてしまいます。しかも、AIは自律的に機械学習を行ってゆくため、そのアルゴリズムは開発者ですら理解のできないブラックボックスとなってしまいます。

この点、2018年には、アマゾンがAIによる採用活動を打ち切ったと報道されました。アマゾンは、ソフトウェア開発の技術職に関する過去10年間の履歴書・職務経歴書をAIに機械学習させたところ、これらの過去のデータの多くが男性のものであったことから、女性の求職者を差別するアルゴリズムを生成してしまったとのことです。

・アマゾンがAI採用打ち切り、「女性差別」の欠陥露呈で|ロイター

このようなビッグデータやAIなどの先端技術の負の側面を見ると、教育データ・個人データなどのビッグデータをAIに分析させて、生徒・児童の「教育の個別化」を推進するという文科省の方針には疑問が残ります。このような文科省の施策は、学校教育や教育行政に求められる「公平性」「公正性」「適正性」が保障されておらず、憲法26条1項、教育基本法4条などに抵触する違法なものであるおそれがあります。

3.教育を受ける権利-自分で選択した道を歩む権利
また、文科省が推進しようとしている、「公正に個別最適化された学び」「教育の個別化」は、たとえば平均的な学力から大きく劣った学力の生徒・児童が現在よりもより自分の学力に応じた教育を受けられるかもしれないという点はメリットであるように思われます。

しかし、学校において生徒・児童が学ぶ場面において、生徒・児童は教育を受ける権利として、自分も他の生徒達と同じベースで同じ教育を受ける権利(ないし自由)、つまり、たとえ自分にとって厳しい教育・環境であったとしても、それに奮闘して自分自身を成長させる権利、すなわち「不自由を選ぶ自由」「自分自身で選んだ道を歩む権利」を有しています(堀口悟郎「AIと教育制度」『AIと憲法』(山本龍彦)264頁)。

この問題が法律学の分野で深刻な形で顕在化しているのは、障害者・障害児の進学や教育が裁判所で争われた場面です。障害者・障害児も養護学校などではなく、できるだけ一般の学校で教育が行われるべきであるとの「インクルーシブ教育」の理念が、日本社会においても2000年頃より社会に広まるようになっています。

このようななか、筋ジストロフィー症の生徒が一般の公立高校に進学を希望したところ、市当局が「当該生徒は養護学校に通うべきである」と拒否した事件について、裁判所はつぎのように判示し、市当局の主張を斥け、生徒側の主張を認容しています(神戸地裁平成4年3月13日判決・市立尼崎高校事件)。

『障害を有する児童、生徒も、国民として、社会生活上あらゆる場面で一人の人格の主体として尊重され、健常児となんら異なることなく学習し発達する権利を保障されている。』『たとえ施設、設備の面で、原告にとって養護学校が望ましかったとしても、少なくとも、普通高等学校において教育を望んでいる原告について、普通高等学校への入学の途が閉ざされることは許されるものではない。』(神戸地裁平成4年3月13日判決・市立尼崎高校事件)

この裁判例は、生徒の教育を受ける権利を憲法26条(教育を受ける権利)、14条(平等原則)だけでなく、国民の幸福追求権・自己決定権や「個人の尊厳」(憲法13条)の観点から捉えているように思われます。また、教育基本法2条各号は、教育の目標を規定していますが、そのなかには、「個人の価値を尊重し」「自主及び自律の精神を養う」(2号)ことが掲げられていることも見落とすわけにはゆきません。

同様に、障害をもつ児童が普通学校等へ進学を希望したにもかかわらず、行政当局に拒否された事件においては、当該拒否は違法であるとする同種の裁判例が複数現れています(徳島地裁平成17年6月7日判決、奈良地裁平成21年6月26日判決、東京地裁平成18年1月25日判決など)。

このような一連の裁判例をみると、憲法や教育基本法の定める「教育を受ける権利」には、「自分で選択した道を歩む権利」「不自由を選ぶ権利」が含まれているといえます。そのため、文科省など国が生徒・児童に対して、「AIやビッグデータによれば、あなたにふさわしい教育はこれだから、あなたはこれを学習しなくてはならない」と押し付けることは、ある程度はパターナリズムとして許容される余地があるとしても、強要することは、国民の自己決定権や教育を受ける権利、平等原則に抵触する違法なものとなるおそれがあります。

4.まとめ
以前のブログ記事で取り上げたように、わが国の旧労働省の2000年の「労働者の個人情報に関する行動指針」6(6)や、EUのGDPR(一般データ保護規則)22条1項は、「コンピュータ等による個人データの自動処理の結果のみによる法的決定を下されない権利」の原則を規定しています。

これは、言ってみれば、情報社会において国民がベルトコンベヤーに載せられたモノのように扱われるのではなく、人間として人間らしく扱われることを求める権利です(個人の尊重・基本的人権の確立、憲法11条、13条、97条)。

今回報道された、小中学校の成績などのビッグデータにより「教育の個別化」を推進しようという文科省の施策は、憲法26条、14条などだけでなく、13条の観点からも今一度、慎重に再検討が行われるべきです。

また、最近、「AIと労働者(就活生)」「AIと結婚(婚活)」「AIと教育」などの目新しい科学技術による政策を国が推進しようとしていることがニュースとなることが増えていますが、このような国の政策は、上でみたように国民の個人の尊重や自己決定権など、国民の権利利益と衝突する難しい問題です。

このような問題については、内閣・中央官庁があらかじめ諮問員会に図り産業界等と意見を調整して法案を作成するだけではなく、主権者たる国民の代表による、国会における慎重な議論・討論が望まれます。

■関連するブログ記事
・人事労務分野のAIと従業員に関する厚労省の労働政策審議会の報告書を読んでみた
・リクルートなどの就活生の内定辞退予測データの販売を個人情報保護法・職安法的に考える
・調布市の障害児などの「i-ファイル」(iファイル)について-個人情報保護の観点から

■参考文献
・堀口悟郎「AIと教育制度」『AIと憲法』(山本龍彦)253頁
・植木淳「障害のある生徒の教育を受ける権利」『憲法判例百選Ⅱ 第6版』304頁
・芦部信喜『憲法 第7版』283頁
・堀部政男『プライバシー・個人情報保護の新課題』(高野一郎)163頁
・「ヤフーの信用スコアはなぜ知恵袋スコアになってしまったのか」|高木浩光@自宅の日記

















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1.AIと従業員に関する厚労省の2019年の報告書
人事労務分野の労働者とAIとのあり方に関する報告書を、2019年9月11日に厚労省の労働政策審議会が公表していました(「労働政策審議会労働政策基本部会報告書~働く人がAI等の新技術を主体的に活かし、豊かな将来を実現するために~」)。

・労働政策審議会労働政策基本部会報告書~働く人がAI等の新技術を主体的に活かし、豊かな将来を実現するために~|厚労省

人事労務分野におけるコンピュータやAIなどによる従業員のモニタリングなどについては以前から関心があったので、その観点からこの報告書を読んでみました。

2.AIなどによる従業員のモニタリングについて
すると、本報告書10頁に、つぎのような報告がまとめられていました。

(2)AI による判断に関する企業の責任・倫理
 AI の情報リソースとなるデータやアルゴリズムにはバイアスが含まれている可能性があるため、AI による判断に関して企業が果たすべき責任、倫理の在り方が課題となる。例えば、HRTech では、リソースとなるデータの偏りによって、労働者等が不当に不利益を受ける可能性が指摘されている。

 このため、AI の活用について、企業が倫理面で適切に対応できるような環境整備を行うことが求められる。特に働く人との関連では、人事労務分野等において AI をどのように活用すべきかを労使始め関係者間で協議すること、HRTech を活用した結果にバイアスや倫理的な問題点が含まれているかを判断できる能力を高めること、AI によって行われた業務の処理過程や判断理由等が倫理的に妥当であり、説明可能かどうか等を検証すること等が必要である。

 他方、AI 等を活用することにより、人間による業務判断の中にバイアスが含まれていないかを解析することもできるため、技術革新が人間のバイアスの解消に資する可能性もあるという指摘もあり、今後、こうした面からも AI 等の活用が期待される。(「労働政策審議会労働政策基本部会報告書」10頁より)』

つまり、本報告書10頁の(2)の第二段落は、人事労務分野におけるAIの活用について、

①AI をどのように活用すべきかを労使始め関係者間で協議すること
②HRTech を活用した結果にバイアスや倫理的な問題点が含まれているかを判断できる能力を高めること
③AI によって行われた業務の処理過程や判断理由等が倫理的に妥当であり、説明可能かどうか等を検証すること

の3点を提言しています。
もちろん、この3点は簡潔に的を射ており、とても重要であると思うのですが、しかし厚労省の諮問委員会の報告書が「倫理」を強調している点はやや気になります。

3.旧労働省の行動指針とGDPR22条
旧・労働省の2000年に公表された「労働者に関する個人情報の保護に関する行動指針」6(6)は、「使用者は、原則として、個人情報のコンピュータ等による自動処理又はビデオ等によるモニタリングの結果のみに基づいて労働者に対する評価又は雇用上の決定を行ってはならない。」とする規定を置いています。

・労働者の個人情報保護に関する行動指針|厚労省

また、2016年にEUが制定したGDPR(EU一般データ保護規則)22条1項も、「データ主体は、当該データ主体に関する法的効果を発生させる、又は、当該データ主体に対して同様の重大な影響を及ぼすプロファイリングを含むもっぱら自動化された取扱いに基づいた決定の対象とされない権利を有する。」と規定しています。

GDPR22条
(個人情報保護委員会サイトより)

旧労働省の行動指針やGDPR22条が示すのは、コンピュータ等による個人データの自動処理のみによる結果に基づいて労働者等が人事労務上の差別を受けない権利という平等権(憲法14条1項)だけでなく、コンピュータ等の自動処理のみによって人事労務上の決定を受けない権利という一種の人格権(憲法13条)の2点であると思われます。

人格権的観点からみると、この「コンピュータ等の自動処理のみによって人事労務上の決定を受けない権利(自動処理のみに基づき重要な決定を下されない権利)」の趣旨は、「AIの統計的・確率的な判断からの自由を保障し、個人一人ひとりの評価に原則として人間の関与を求めるなど、時間とコストをかけることを要請して、ネットワーク社会における「個人の尊重」(憲法13条)を実現しようとするものです。また、この権利は、コンピュータ・AIが確率的・統計的に導き出した個人のイメージに異議を唱え、自らが主体的に情報を「出し引き」(コントロール)することにより、そのイメージを改定することを認めている点で、「自己情報コントロール権」(憲法13条)に近いともいえます。さらに、適正な手続き保障(憲法31条)の観点からも重要な権利といえます。(山本龍彦『AIと憲法』101頁~105頁)

それに対して2019年の厚労省の労働政策審議会の報告書は、人事労務分野におけるAIによる従業員のモニタリングの問題を主に「倫理」の面から捉え「法律」の面から捉えていない点が問題であり、また、AIによる労働者のモニタリングの問題を「コンピュータによる差別」「バイアス」と平等権の問題のみから捉えている点も問題ではないかと思われます。

4.労働法-西日本鉄道事件(最高裁昭和43年8月2日判決)
この点、労働法分野においては、使用者の指揮監督権と従業員のプライバシー権が衝突する場面については、古くから使用者による従業員の所持品検査などが裁判で争われていました。

そのリーディングケースである、西日本鉄道事件(最高裁昭和43年8月2日判決)は、「使用者が従業員に対して行う所持品検査は、これは被検査者の基本的人権に関する問題であって、その性質上、常に人権侵害のおそれを伴うものであるから、たとえそれが企業の経営・維持にとって必要かつ効果的な措置(略)であったとしても、そのことをもって当然に適法視されるものではない」とした上で、所持品検査が適法となるための要件として、「①検査を必要とする合理的な理由のあること、②一般的に妥当な方法と程度であること、③職場従業員に画一的に実施されていること、④就業規則その他の規定に明示の根拠があること」の4要件をあげています。

一般論としては、人事労務分野のAIやコンピュータによる従業員のモニタリングは、この要件のなかで、とくに「②一般的に妥当な方法と程度であること」、「③職場従業員に画一的に実施されていること」が今後、より争点となるように思われます。

5.まとめ
厚労省の労働政策審議会は、人事労務分野・HRtechにおけるAIやコンピュータ等による従業員のモニタリングについてせっかく報告書を取りまとめるのであれば、倫理的問題だけでなく、労働法・個人情報保護法・憲法などに目配りをした上で、法的な問題や、それをクリアするための基準を可能な範囲で示すべきだったように思われます。

また、今後の社会・経済はますますグローバル化が進行するように思われ、日本の人事労務分野もますますグローバルな視線が必要になると思われます。日本の人事労務やHRtechが「官民による個人情報の利活用」ばかりを重視しガラパゴス化して、欧米と断絶してしまう事態は避けるべきだと思われます。

■関連するブログ記事
・従業員をスマホでモニタリングし「幸福度」「ハピネス度」を判定する日立の新事業を労働法・個人情報保護法的に考えた
・リクルートなどの就活生の内定辞退予測データの販売を個人情報保護法・職安法的に考える

■参考文献
・菅野和夫『労働法 第12版』262頁
・高野一彦「従業員の監視とプライバシー保護」『プライバシー・個人情報保護の新課題』163頁(堀部政男)
・高木浩光「個人情報保護から個人データ保護へ ―民間部門と公的部門の規定統合に向けた検討(2)」『情報法制研究』2号91頁
・山本龍彦『AIと憲法』101頁
・小向太郎・石井夏生利『概説GDPR』93頁
・労務行政研究所『新・労働法実務相談 第2版』549頁




AIと憲法

概説GDPR

労働法 (法律学講座双書)

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smartphone
Androidのスマホの設定をみたら、「緊急位置情報サービス(ELS)」とかいう物々しい項目がいつの間にか新設(?)されていました。

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リンクされている、グーグルのヘルプ画面を読むと、"緊急事態"があった場合にグーグルからの信号を受けて、スマホ(デバイス)の位置情報が"緊急通報機関"に伝達される仕組みのようです。しかも、かりに我々ユーザーがELSをオフにしていても、緊急通報機関の指示があった場合、グーグルはELSを強制的にオンにして位置情報を緊急通報機関に送信することがあるとされています。

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スマホの位置情報をユーザー本人の意思を無視してグーグルが取得し、第三者提供するからには、具体的な法律の根拠か、あるいは裁判所の令状が必要なのでは、と思ってしまうのですが・・・。

グーグルのヘルプみても、緊急事態や緊急通報機関とは具体的に何かなどが明示されてないのはどうなのでしょう。

素人考えとしては、この緊急位置情報サービス(ELS)は、まずは新型コロナ対応のための接触確認アプリ(COCOA)対応なのでしょうか?

しかし、政府・与党の説明では、同アプリは「インストールするのはユーザー本人の自由・任意に委ねられる。また、濃厚接触が発覚した場合に処理番号を入力し保健所に通報するのもユーザー本人の自由意思。」「とにかく個人情報を勝手に取らないプライバシーに配慮したアプリ。」であるのが最大のセールスポイントというか、同アプリが合法である根拠だったはずではないでしょうか?(いうまでもなく、接触確認アプリを明確に合法たらしめている個別具体的な立法などはいまだ存在しません。)

また、「緊急事態」というふわっとしたバスケット条項的な、大雑把な用語で、位置情報を強制的に国・自治体・企業などが取得できるような仕組みになっているのも大いに気になります。

最初は「コロナ対応のため」「本人が災害にあって命を助けるため」と言っていたのに、気が付いたら警察当局が何となく見込み捜査やこっそり内偵をするためであるとか、はては某万引き防止なんとか協会などの民間団体が何となく怪しいと思った国民を監視するため…等々と安易に拡大的な運用がグーグルにより行われて、なし崩し的に法令上の根拠なしに国や企業などによる国民・市民の電子的なモニタリングや監視化が進行しかねません。

それでは法令上の根拠なく、歯止めなく国民の個人情報やプライバシー権(憲法13条、個人情報保護法1条、3条)が侵害され、国民個人が人間として私的にも社会的にもまともに生きてゆけなくなってしまいます。

また、裁判所の令状や法令上の根拠なしに、国などによって国民が電子的に捜索や検証などを強制的に行われることは、令状主義や強制処分法定主義(憲法33条、刑事訴訟法197条)などに抵触する問題に思われ、憲法や刑事法的にも由々しき事態であると思われます。

■関連するブログ記事
・【最高裁】令状なしのGPS捜査は違法で立法的措置が必要とされた判決(最大判平成29年3月15日)








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12月2日の産経新聞の報道によると、自民党の下村博文政調会長は同日の記者会見で、「GoToトラベル」をめぐり菅義偉首相と小池百合子東京都知事が1日に会談したことについて、「本来は西村康稔経済再生担当相マターだと思う。首相(のところ)まで行くことかと思う」と述べたとのことです。これにはさすがにおやおやと思ってしまいました。

・自民・下村氏「首相にまで行くことか」「トラベル」対応で小池氏に苦言|産経新聞

言うまでもないことながら、GoToキャンペーンは新型コロナの感染拡大に対する景気刺激政策であり、コロナによる国民の生命・身体(健康)の安全へのリスクと裏腹の関係にあります。つまり、GoToキャンペーンの対応は国民の生命・身体の安全に関する問題です。

ところが、自民党の政調会長という要職にある下村氏は、それを「本来は西村康稔経済再生担当相マターだと思う。首相(のところ)まで行くことかと思う」と述べたわけです。

すなわち、「都民や国民の生命・身体の安全は、日本の内閣総理大臣にとってはどうでもいい問題である」とわが国の政権与党の幹部の政治家が認識していることを記者会見で述べたのです。

しかし、わが国は一応、中国や北の将軍様が治めている某国のような王朝国家ではなく、国民主権の民主主義国家のはずです(憲法1条)。

少なくとも建前上は、主人公たる国民から選挙で選ばれた国会から信任された内閣が政府の行政各部を上から下に民主的にコントロールするという政治体制であり、国・行政は国民の個人の尊重や基本的人権の確立という目的に奉仕する手段(サービス機関)です。

日本どころか世界中でコロナが猛威を振るい、莫大な感染者や死者がでている中で、その内閣のトップである総理にとって、コロナによる国民の生命・身体の安全の問題がどうでもいい問題であるはずがありません。

にもかかわらず、下村氏はまるで「総理は国家のことのみを考えていればいい。国民のことなんかどうでもいい。」というニュアンスの感じられる、まるで戦前の軍部のような、国家主義的で官僚的な発言をしているわけです。

あるいは、下村氏は「コロナ対策は西村コロナ担当大臣の職務権限であり所轄である」との点を強調したいのかもしれません。

しかし、「行政権は、内閣に属する」のであり(憲法65条)、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」のであり(66条3項)、内閣総理大臣は「内閣を代表」し「一般国務」について国会に責任を負い、「行政各部を指揮監督する」職位の大臣です(憲法68条、72条、内閣法6条)。

この総理の行政各部への指揮監督権(職務権限)について、最高裁は「内閣の明示の意思に反しない限り、行政各部に対し、随時その職掌事務について一定の方向で処理するよう指導・助言等の指示を与える権限」と極めて広く認定しています(最高裁平成7年2月22日判決・ロッキード事件丸紅ルート判決)。

したがって、西村コロナ担当大臣の職務権限や責任は当然のことながら菅総理大臣の職務権限・責任のおよぶところです。コロナ担当大臣のマターだから総理大臣のマターではない、という下村氏のお役所的な論法はやはり正しくありません。

さらに言えば、国家は「人(国民)、領土、主権」の三要素からなるとするのが19世紀あたりからの社会学・政治学上の常識です。この点、コロナの世界的な感染拡大に対して、例えばフランスなどでは政府与党が、「国民の公衆衛生の問題は国家主権の問題である」という認識のもと対応を行っています。

・(フランス)マスク、人工呼吸器の国内生産を増大、脱中国依存に向け|JETRO

にもかかわず、「国民の公衆衛生の問題なんて下々のつまらない問題は担当大臣に任せておけ」とでも言いたげな下村・自民党政調会長の発言は、国家の主権の理解という意味でも、自由主義諸国における政治としてナンセンスであると思われます。

政府・与党の幹部がこうだからこそ、GoToキャンペーン政策のように、国民の生命や健康を犠牲にしてでもカネ儲けしようという、近代民主主義国家とは思えない前時代的な政策がまかり通るわけでありますが。


憲法 第七版


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