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2021年08月

面接
1.朝日新聞の「ウェブ面接で「部屋着見せて」 就活セクハラ、対策は」
2021年8月22日付の朝日新聞の「ウェブ面接で「部屋着見せて」 就活セクハラ、対策は」という記事がネット上で注目されています。
・ウェブ面接で「部屋着見せて」就活セクハラ、対策は|朝日新聞

この記事によると、コロナ禍における就活のウェブ面接において、採用選考を行う企業の人事部やリクルーターなどが、就活生に対して「部屋着を見せて」「部屋の様子も見せて」などとセクハラ・パワハラ的な要求を行う事例が発生しているとのことです。

またツイッター上では、この問題に関連して、ウェブ面接において本棚の本などに関して企業の面接担当より「そのような本は当社にあなたが入社した際に何の役にたつの?」などと、採用選考と関係のない嫌がらせのような質問をされたなどの事例も投稿されています。

このような企業の人事部やリクルーターなどのウェブ面接での行為は、セクハラ・パワハラに該当するおそれがあり、また企業による就活生・求職者などに対するプライバシー権侵害として、そのような行為を行った企業は不法行為に基づく損害賠償責任を負う可能性もあります(民法709条、憲法13条)。

2.職業安定法5条の4・労働省告示平成11年第141号が禁止する個人情報の収集
昔の最高裁の判決には、求人を行う企業側が求職者等の思想・信条に関する情報を収集することは違法ではないとする判決も存在します(最高裁昭和48年12月12日判決・三菱樹脂事件)。しかしこの判決は当時においても社会的批判を受け、就活生や求職者の採用選考に関する職業安定法は立法により求人を行う企業などの情報収集に法規制を設けています。

つまり、職業安定法5条の4(求職者等の個人情報の保護)は、求人を行う企業、人材紹介会社、ハローワークなどは、就活生・求職者等の個人情報に関して、「個人情報を収集し、保管し、又は使用するに当たつては、その業務の目的の達成に必要な範囲内で求職者等の個人情報を収集し、並びに当該収集の目的の範囲内でこれを保管し、及び使用しなければならない。」と規定しています。

つまり、求人を行う企業や人材紹介会社などは、就活生・求職者などから無制限に個人情報を収集することは許されず、当該求人を行う企業の「業務の目的の達成に必要な範囲内」でのみ求職者等の個人情報を収集し保存・利用することが許されています。

そして求人を行う企業や人材紹介会社などは、個人情報保護法15条に基づき、就活生などから個人情報を収集する際の個人情報の利用目的を特定し、同法18条に基づきその利用目的などをあらかじめ就活生などに対して通知・公表しなければなりません。

また、この職業安定法5条の4に関連して厚労省は、労働省告示平成11年第141号(以下「労働省告示」という)という通達を出しています。
・職業紹介事業者、労働者の募集を行う者、募集受託者、労働者供給事業者等が均等待遇、労働条件等の明示、求職者等の個人情報の取扱い、職業紹介事業者の責務、募集内容の的確な表示等に関して適切に対処するための指針(平成11年労働省告示第141号)|厚労省

この労働省告示は「第4 法第5条の4に関する事項(求職者等の個人情報の取扱い)」において、つぎのように、①人種、民族、社会的身分、門地、本籍、出身地その他社会的差別の原因のおそれのある事実②思想および信条③労働組合への加入状況などの個人情報の収集を禁止しています。

そして厚労省の「公正な採用選考の基本」は、求職者等の個人情報の収集に関して「(3)採用選考時に配慮すべき事項」においてさらに詳しい説明を行っています。
・公正な採用選考の基本|厚労省

厚労省「公正な採用選考の基本」
(3)採用選考時に配慮すべき事項
次のaやbのような適性と能力に関係がない事項を応募用紙等に記載させたり面接で尋ねて把握することや、cを実施することは、就職差別につながるおそれがあります。

<a.本人に責任のない事項の把握>
本籍・出生地に関すること (注:「戸籍謄(抄)本」や本籍が記載された「住民票(写し)」を提出させることはこれに該当します)
家族に関すること(職業、続柄、健康、病歴、地位、学歴、収入、資産など)(注:家族の仕事の有無・職種・勤務先などや家族構成はこれに該当します)
住宅状況に関すること(間取り、部屋数、住宅の種類、近郊の施設など
生活環境・家庭環境などに関すること

<b.本来自由であるべき事項(思想信条にかかわること)の把握>
宗教に関すること
支持政党に関すること
人生観、生活信条に関すること
尊敬する人物に関すること
思想に関すること
労働組合に関する情報(加入状況や活動歴など)、学生運動など社会運動に関すること
購読新聞・雑誌・愛読書などに関すること

<c.採用選考の方法>
身元調査などの実施 (注:「現住所の略図」は生活環境などを把握したり身元調査につながる可能性があります)
・合理的・客観的に必要性が認められない採用選考時の健康診断の実施


したがって、朝日の記事にあった、「部屋着を見せて」などの企業側の要求は、この「採用選考の基本」が禁止する「生活環境・家庭環境に関する情報の収集」に抵触する違法な要求と思われますし、「部屋のなかをよくみせて」などの要求も「住宅状況に関する情報の収集」や「生活信条に関すること」などの規定に抵触する違法なものと思われます。また、冒頭であげた、部屋のなかの本・雑誌・CDなどに関する企業側の質問なども、「採用選考の基本」が禁止する「購読新聞・雑誌・愛読書など」、「人生観、生活信条」、「思想」、「尊敬する人物」などに関する情報収集に該当し違法です。

3.調査会社による就活生などのSNSの「裏アカウント」の書き込み等の調査
さらに労働省告示は、求人を行う企業や人材紹介会社などは、就活生・求職者から個人情報を収集する場合には、本人から直接収集するか、または本人の同意の下で本人以外の者から収集しなければならないなど、個人情報の収集の方法も適切かつ公平な手段で行われなければならないと規定しています。

加えて厚労省の「公正な採用選考の基本」は、「身元調査」も望ましくないとしています。

そのため、求人企業の人事部が安易に調査会社・探偵会社等に委託して、TwitterなどSNSのアカウントや裏アカウント(「裏アカ」)を割り出してその書き込みの調査を行うなどのネット上の身元調査・素行調査を行う調査会社・探偵会社(「KCC 企業調査センター」(東京都千代田区飯田橋)や「ソルナ」(東京都中央区)など)の違法・不当なサービスを利用するであるとか、GithubやSNSなどネット上の個人情報を勝手に収集して違法・不当な人材紹介ビジネスを行っている、HackerBase JobsLAPRASなどのネット系・AI系人材紹介会社などを利用することは望ましくないと考えられます。

企業調査センター
(KCC企業調査センターのサイトより)

ソルナネットの履歴書
(ソルナのサイトより)

LAPRAS
(LAPRASのサイトより)

(2019年には就活生内定辞退予測データの売買を行っていたことが発覚した「リクナビ事件」が大きな社会的非難を受けました。この事件においては、個人情報保護委員会は、リクルートキャリアだけでなく、リクナビを利用していた求人企業のトヨタなどに対しても、「新しい事業を行うにあたって、社内で組織的に個人情報保護法などの法令を十分に検討していなかった」ことを理由の一つとして行政指導を行っています(個人情報保護委員会「株式会社リクルートキャリアに対する勧告等について」(令和元年12月4日))。)
・「株式会社リクルートキャリアに対する勧告等について」(令和元年12月4日)|個人情報保護委員会
・リクルートなどの就活生の内定辞退予測データの販売を個人情報保護法・職安法的に考える

なお、労働省告示は、上であげた個人情報の収集の制限に関して、「ただし、特別な職業上の必要性が存在することその他業務の目的の達成に必要不可欠であって、収集目的を示して本人から収集する場合はこの限りでない」とのただし書きを置いています。しかし労働法の実務書は、一般企業においてこのただし書きが適用される場合は少ないとしています(大矢息生・岩出誠・外井浩志『会社と社員の法律相談』53頁)。

加えて、求人を行う企業や人材紹介会社などは、収集した個人情報については滅失・毀損・漏えいなどが発生しないように安全管理措置を講じることが要求されます。加えて求人を行う企業や人材紹介会社などが就活生等の秘密に係る個人情報を知った場合はこれを厳重に管理しなければならないと規定されています。(そのため、2019年の就活生の内定辞退予測データの授受を行っていたリクナビ事件の、リクルートキャリアやトヨタなどはこの点にも違反しています。)

4.職業安定法5条の4・労働省告示平成11年第141号に違反があった場合
求人を行う企業や人材紹介会社等が、上でみたような職業安定法5条の4や労働省告示に違反があった場合、当該企業などは厚労省から改善命令を受ける場合があります(職業安定法48条の3)。また、当該企業が改善命令に違反した場合は、6か月以下の懲役または30万円以下の罰金の罰則を科せられる場合があり、これは両罰規定となっています(法65条7号、法67条)。

さらに、求人を行う企業や人材紹介会社などから上のような行為を行われた就活生や求職者などは、ハローワークや都道府県労働局、労基署などを通じて厚生労働大臣に申告を行い、厚生労働大臣に必要な調査や措置を行わせることができます(法48条の4)。

加えて、このような企業などによる違法な個人情報の収集などが行われた場合は、当該企業は不法行為に基づく損害賠償責任を負う法的リスクがあります(東京地裁平成15年5月28日判決・東京都警察学校・警察病院HIV検査事件など)。

5.まとめ
いずれにせよ、就活生や求職者に対して採用選考の場面で上のようなセクハラ・パワハラ的な行為、プライバシー侵害やSNSにおける「裏アカ」の調査など、違法な個人情報の収集、調査などを行うような企業は、もし就活生などが採用されたとしても、職場でセクハラ・パワハラや労働法違反、各種の法令違反などが横行しているコンプライアンス意識が欠けたブラック企業である可能性が高いのではないでしょうか。就活生や求職者の方々は、ウェブ面接などやSNS上の書き込みなどに関して上のような違法・不当な被害を受けた場合は、その企業への就職は辞退したほうがよいかもしれません。

■追記(9月25日)
朝日新聞が9月に企業の就活生のSNSの「裏アカ」の調査の問題を特集して取り上げていました。そのなかの、「「取り違えないといえるか」「社会の萎縮心配」 裏アカ調査に識者は」との記事は、個人情報保護法や知的財産権法などの専門家の岡村久道先生などのコメントが大変参考になります。
・「就活生の裏アカ特定、企業に報告…ネットから見える「ホントの姿」」|朝日新聞
・「取り違えないといえるか」「社会の萎縮心配」 裏アカ調査に識者は|朝日新聞

■参考文献
・菅野和夫『労働法 第12版』69頁
・浜辺陽一郎『労働法実務相談シリーズ10 個人情報・営業秘密・公益通報』98頁、100頁
・大矢息生・岩出誠・外井浩志『会社と社員の法律相談』53頁
・労務行政研究所『新・労働法実務相談 第2版』45頁
・公正な採用選考の基本|厚労省

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法務省1
法務省が最近、「Myじんけん宣言」という政策(?)を実施しているようです。
・Myじんけん宣言|法務省

この「Myじんけん宣言」ページの説明を読むと、つぎのようになっています。

「人権は、誰にとっても身近で大切なものです。「人権」を難しく考えずに、「Myじんけん宣言」をして、誰もが人権を尊重し合う社会を、一緒に実現していきましょう。」

「「人権」を難しく考えずに」という、まるで怪しい金融商品の薄っぺらい営業トークのような言い回しがいきなり気になりますが、とにかくこの法務省の「Myじんけん宣言」とは、法人・団体・個人が「難しいことを考えずに」、「自らが取り組む人権課題を宣言」するもののようです。

ところで、この「Myじんけん宣言」ページの法人向けのページをみると、「宣言の内容は自由ですが、世界人権宣言や、「ビジネスと人権に関する国内行動計画」を参考に、宣言を行ってください。」と説明がされており、なぜか日本国憲法については言及されていないことが謎です。

法務省2
そして、この法人向けページの下のほうには世界人権宣言、「ビジネスと人権に関する国内行動計画」、「心のバリアフリー」の3つのページへのリンクが貼られていますが、ここにも日本国憲法へのリンクが貼られていません。法務省としては、「Myじんけん宣言」政策において、日本の法人・団体・個人に日本の最高法規たる日本国憲法の存在を何とか忘れてほしいのでしょうか?

法務省3

さらに、「Myじんけん宣言」ページをみると、上川陽子法務大臣のつぎの「Myじんけん宣言」も掲載されています。

「誰もが人権を尊重し合い、SDGsが掲げる「誰一人取り残さない」社会を実現するためには、 一人一人が人権尊重の意識を持ち、行動する必要があります。」

「多様性を認め、包摂性のある「誰一人取り残さない社会」を目指し、力を合わせて取り組んでまいりましょう。法務大臣 上川陽子」

法務省4
法務省5

この上川大臣の「Myじんけん宣言」も、人権宣言をするはずなのに、日本国憲法は登場せず、そのかわりに「SDGsの掲げる「誰一人取り残さない」社会の実現」というまるで経産省、金融庁、デジタル庁かのような言い回しが登場しています。

法務省が「Myじんけん宣言」政策にあたり、国民の基本的人権を定めた日本国憲法を無視して、SDGsや世界人権宣言、「ビジネスと人権に関する国内行動計画」などを全面に押し出しているのは何故なのでしょうか。

フランス革命・アメリカ独立戦争などの18世紀以降の西側自由主義諸国の「近代」における近代憲法は、国民の基本的人権の条項、国家(統治機構)のしくみに関する条項、そして「国家権力を憲法・法律によって歯止めをかけることにより国民の人権や権利利益を守る」という立憲主義の考え方が取り入れられていることに特色があります。わが国の日本国憲法もこの近代憲法の一つです。

しかし、法務省や政府与党は、このような憲法の基本的人権や立憲主義などの「難しいこと」を国民・法人に忘れてもらって、SDGsなどの経済政策の一環として、ふんわりとした耳触りの良い「じんけん」を、「人間はお互いゆずりあって幸せに生きましょう」的な、マナー道徳的なものにすり替えて日本社会に普及させようとしているのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、日本の現行憲法を含む西側自由主義諸国の近代憲法(あるいはポスト近代憲法)は、「国家権力の暴走を法で防止し、もって国民の権利利益を守る」という立憲主義を原則としています。

つまり近代憲法における基本的人権とは、例えば表現の自由などの精神的自由がそうであるように、まずは国家権力の検閲などの規制により国民の表現の自由・権利が違法・不当に制限されないこと、つまり「国家からの自由」が最も重要です。そして、生存権、教育を受ける権利などの社会権も、国家により国民の社会権がきちんと守られることが重要です。

つまり憲法とは「国家」を名宛人とした法であり、国家に国民の人権を守れと命令する法です。日本国憲法99条は、大臣、国会議員などの公務員に対して憲法尊重擁護義務を課していますが、国民に対してはこの義務を課していないことは、端的にこのことを表しています。
日本国憲法
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

にもかかわらず、法務省の「Myじんけん宣言」は、政府・国会・自治体などが守るべき人権の宣言ではなく、個人・法人に対して「自らが取り組むべき人権の課題」を宣言させる仕組みとなっているのは、国家が国民の人権を守るべきところを、人権の問題を国民同士の問題にすり替えており、これは近代憲法や立憲主義、基本的人権などの基本的な理解を完全に間違っています。

つまり、法務省など政府は、このような国民の憲法や基本的人権の理解を間違った方向にミスリードする「Myじんけん宣言」政策を実施するのではなく、まずは中央官庁が、例えば法務省ならば、「法務省は憲法や法律を遵守し、入管行政や人権擁護行政において、国民や外国人の生命・身体の安全などの基本的人権を守ることを誓います」等と「自省の人権宣言」を制定し公表すべきではないでしょうか。

最近の法務省は入管行政において、収監している外国人の人々を非人道的に扱い、死者も出ていることが国内外からの大きな社会的批判を招いています。上川大臣をはじめとする法務省の役職員達は、「Myじんけん宣言」の前に、まずは日本国憲法の初歩を勉強するべきなのではないでしょうか。

なお最後に、上川大臣の「「多様性を認め、包摂性のある「誰一人取り残さない社会」を目指し、力を合わせて取り組んでまいりましょう。」との「Myじんけん宣言」は、国家が国民の人権を守るのではなく、人権の問題を国民同士の問題にすり替えていることが大問題であるだけでなく、「「誰一人取り残さない社会」へ力を合わせて取り組んでいきましょう」と、日本をはじめとする西側自由主義諸国の近代憲法の原則の一つである「個人主義」でなく、まるで「国家の基礎単位は家族である」とする2012年に公表された自民党憲法改正草案のような集団主義・全体主義・国家主義のような国家観を前提にしているようなことも大いに気になるところです。

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リヴァイアサン
1. コロナ禍で緊急事態宣言がでても国民の私権を制限できないのは憲法に緊急事態条項がないからか?
新型コロナの感染拡大が続くなか、最近、一部の論者から、「日本が欧米のようなロックダウンを実施できないのは憲法にその根拠となる緊急事態条項がないからである。だから日本も早急に憲法改正を行い、緊急事態条項を設置すべきだ」という意見が主張されているのをみかけます。例えば、菅内閣の元内閣官房参与で経済学者の高橋洋一・嘉悦大学教授は、5月のインタビューでつぎのようにコメントしています。

緊急事態宣言をして私権制限できないのは日本くらいです。」「憲法上の戒厳令や非常事態宣言などという規定がないから、私権制限ができないのです。」(「コロナ禍で痛感した「憲法改正の必要性」」2021年5月12日ニッポン放送)
・コロナ禍で痛感した「憲法改正の必要性」|ニッポン放送

しかし、結論を先取りしてしまうと、高橋教授などのこの主張は憲法や法律的に正しくありません。

2.憲法上の基本的人権の制約根拠としての「公共の福祉」
日本を含む西側自由主義諸国の18世紀以降の近代憲法は、国民の個人の尊重と基本的人権の確立を国家の目的としています(日本国憲法11条、97条)。

そのため国民の基本的人権は極めて重要なものです。とはいえ国民の基本的人権も無制限なものではありません。国民・人間は社会で生活するものであるので、ある国民の人権と他の国民の人権がぶつかりあうときに、それぞれの人権の調整が必要となります。この、ぶつかりあう人権を制限して調整するための根拠が「公共の福祉」です。

この点、国民の基本的人権が制約される根拠としての「公共の福祉」を、わが国の憲法は、基本的人権に関する条文に置いています。具体的には、憲法12条、13条、22条1項、29条2項に、人権の制約の根拠である「公共の福祉」の文言が置かれています。
日本国憲法
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

このように、わが国の憲法には、ある国民と別の国民との人権がぶつかりあい、矛盾・衝突することを調整するために、国民の人権(私権)を制限する根拠として「公共の福祉」が置かれています。さらに今日の憲法学の通説では、この「公共の福祉」は、憲法12条、13条、22条、29条だけでなく、すべての人権に内在していると考えられています(一元的内在制約説、最高裁41年10月26日判決など)。

そのため、コロナ対応のためにロックダウン(外出禁止令)などを実施して、国・自治体が飲食店やホテル、鉄道などの営業の自由(憲法22条1項、29条1項)を制限することや、同じく国・自治体が一般の国民の移動の自由(22条1項)などを制限するための「公共の福祉」の制度は、日本の現行憲法にすでに存在し、憲法上の問題はクリアされています。

なお、欧米などの世界の主要国も、コロナ対応に関して、自国の憲法に緊急事態条項があればそれを自動的に発動しているかというとそうではありません。憲法に緊急事態条項が存在し、かつコロナ対策に発動している国としては、イタリア、スイス、スペインなどがある一方で、憲法に緊急事態条項があるが、コロナ対策には発動せず法律で対応している国としては、アメリカ、フランス、ドイツ、韓国、中国、インドなどがあげられます。憲法に緊急事態条項の規定が存在せず、法律の規定でコロナ対応を行っている国はイギリス、カナダ、日本などがあげられています(国立国会図書館「COVID-19と緊急事態宣言・行動規制措置―各国の法制を中心に―」『調査と情報』1100号(2020年6月)より)。

したがって、「憲法に戒厳令や非常事態宣言などの規定がないから、私権制限ができない」、「憲法に緊急事態条項がないのは日本くらい」という高橋教授らの主張は正しくありません。

(なお、憲法25条2項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定し、「公衆衛生」を国の任務に明記し、それを受けて厚生労働省設置法3条1項、4条4号、19号などが「公衆衛生」「感染症の発生及びまん延の防止」を厚労省の任務に掲げています。そのため、公衆衛生やコロナ対策を国の任務に加える目的での憲法改正も不要です。)

3.災害対策基本法、国民保護法、警察法などの法律
そしてこのように憲法上は人権制約の問題はクリアされているのですから、あとは国会でコロナ対策のための法改正や立法などを迅速に行い、政府・自治体などはそれらの法律に基づいて行政を実施すればよいのです。

この点、例えば伊勢湾台風の災害を受けて1961年に制定された災害対策基本法は、災害時や災害のおそれがあるときは、市町村長は住民に対して「避難のための立退きを指示」することや、住民に「屋内での待避」を指示することができるとされています(法60条1項、3項)。また災害時や災害のおそれがあるときには、自治体の長は、消防機関や警察などに出動を要請し(法58条)、「犯罪の予防、交通の規制その他災害地における社会秩序の維持に関する事項」や、「緊急輸送の確保に関する事項」などを行わせることができると規定されています。

また、戦争やテロが発生した場合に備えて2004年に制定された国民保護法(武力攻撃国民保護法)や、警察法の第6章の「緊急事態の特別措置」の部分も、戦争やテロなどが発生した際に、自治体の長や警察などは、国民に避難の指示を出したり、治安維持のための活動を行うことができると規定しています(国民保護法11条1項、警察法71条1項など)。

もし「憲法に戒厳令や非常事態宣言などの規定がないから、私権制限ができない」という高橋教授らの主張が正しいのであれば、この災害時や戦争・テロなどの緊急事態の際に、国民のさまざまな人権を制限する規定が設けられている災害対策基本法、国民保護法、警察法などは憲法違反であるとして無効となってしまうのではないでしょうか?

4.感染症法、新型インフルエンザ特別措置法など
現在のコロナ対策のための緊急事態宣言などは、新型コロナに対応した新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)などに基づいて実施されています。具体的には、特措法32条1項に基づき国が緊急事態宣言を発出し、それを受けて都道府県の長は、同法24条9号に基づいて民間企業や公的機関、個人などに要請を行うことができると規定されています。

しかしこの特措法24条9項の条文はつぎのようになっており、非常におおざっぱです。

新型インフルエンザ等対策特別措置法
第24条
第9項 都道府県対策本部長は、当該都道府県の区域に係る新型インフルエンザ等対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る新型インフルエンザ等対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。
この条文には、自治体の長は、新型インフルエンザ等対策のために「公私の団体又は個人に対し」、「必要な協力の要請をすることができる」と非常にばくぜんとしたことしか規定されていません。

7月上旬には、西村大臣らが、酒類販売事業者や金融機関に対して、休業要請に応じない飲食店に酒を提供するなとか、金融機関から国・自治体の要請に従わない飲食店に対して融資をストップするなどして国・自治体の要請に従えと指導せよ、等の法治主義から乖離した無茶苦茶な要請の方針が出され、大きな社会的非難を受けて西村大臣らはこの方針をあっという間に撤回しました。

7月の西村大臣らのこの無茶苦茶な要請は、特措法などの根拠となる法律の規定が非常に漠然としていることに原因の一つがあります。つまり、法治主義や「法律による行政の原則」(憲法41条、65条など)は、主権者である国民の選挙で選ばれた国会議員により国会で法律が作成され、政府・国などの行政は法律にしたがって行政を行うことにより、行政を民主的に国民がコントロールし、もって国民の人権保障を行おうという原則です。しかし行政の行為の根拠となる法律があいまいでは、法治主義や「法律による行政の原則」は達成されません。

そのため、国会は特措法などを、コロナ対策のために国・自治体が何をすべきなのか等を個別具体的に明示するように法改正を行うべきです。そして国・自治体などは法治主義や法律による行政の原則の観点から、それらの法律を順守した行政を行うべきです。

5.まとめ
このように見てみると、日本の国・自治体のコロナ対応に必要なのは憲法改正を実施して緊急事態条項を新設することではなく、国会でコロナ対策を必要十分に実施できるように特措法や感染症法などの法律を改正したり新たな立法を行ったり、必要な予算を準備することです。

したがって、「日本の憲法には緊急事態条項などの規定がないから、私権制限ができない」「コロナ対策のために憲法改正が必要」という高橋教授らの主張は、憲法や法律的に正しくありません。

緊急事態条項とは、非常に強大な力を持つ国家権力の暴走を抑えるための憲法や法律などの制限を、災害などの緊急事態の場合に一時的にはずすものであり、国家権力の暴走を許してしまう危険性があります。憲法に緊急事態条項を新設するかどうかは、慎重に慎重な議論が必要です。

今回のコロナ禍においては、政府与党は、国民の生命・健康のためのコロナ対応ではなく、国策である東京オリンピック・パラリンピック開催を優先して暴走しました。

このことは、国民の人権保障のために国・自治体などはサービス機関として存在するという、18世紀以降の西側自由主義諸国の近代立憲主義憲法の基本理念が、日本の政府与党にはまったく根付いていないことをまざまざと示しています。

このような日本においては、憲法改正を行い緊急事態条項を設置した場合、それが政府与党によって「国家の暴走」のために利用されてしまう危険が非常に大きいのではないでしょうか。そのため、憲法改正により緊急事態条項を新設することは慎重に考えるべきと思われます。


(このブログ記事の冒頭の図は16世紀の思想家ホッブスの『リヴァイアサン』より。リヴァイアサンは旧約聖書に登場する海の怪物です。ホッブスは、国家が存在しない「自然状態」は、「万人の万人に対する闘争」の状態にあるとして、この闘争を終わらせるために市民各人の契約(社会契約)に基づく、統治のための強い権力を持つ国家(リヴァイアサン)が必要であるとしました。これに対して18世紀の思想家ルソーの『社会契約論』は、人間社会はほっておくと強者が弱者を支配する弱肉強食の社会になってしまうとし、人間各人が「一般意思」(=利己的な意思でなく、市民の共通の利益を求める意思)に基づき、市民が等しく権利・自由を享受できる民主主義の「共和国」を社会契約に基づき設立すべきであるとしました。そしてルソーは、市民はこの共和国が利己的な意思に陥り暴走しないようにチェックを怠ってはならないとしました。)

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・コロナ下のテレワーク等におけるPCなどを利用した従業員のモニタリング・監視を考えた(追記あり)-個人情報・プライバシー・労働法・GDPR・プロファイリング

■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』99頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』256頁
・樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』101頁
・国立国会図書館「COVID-19と緊急事態宣言・行動規制措置―各国の法制を中心に―」『調査と情報』1100号(2020年6月)















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1.赤羽一嘉国交大臣の「内閣には臨時国会を開く権限はない」ツイートが炎上
8月16日午前9時の公明党赤羽一嘉国交大臣(@AKBhyogo2ku)のつぎのツイートがTwitter上で炎上しました。

『臨時国会の開催については、国会が決めることでして、内閣には何の権限もございません。但し、閉会中の今も、毎週、委員会は開催しており、今週も、(水)(木)に内閣委員会が開かれます!』
赤羽ツイート1
(赤羽大臣のTwitterより)
https://twitter.com/AKBhyogo2ku/status/1427064920818917376

炎上したのは、憲法53条には臨時国会(臨時会)を召集し開催することは内閣の権限であることが規定されているにもかかわらず、現職の大臣の赤羽氏が、まるで憲法53条の条文を読んだことすらないようなツイートをしているからです。(なお、赤羽氏がツイートしている、「国会閉会中の委員会」は閉会中審査(衆議院)、継続審査(参議院)と呼ばれる国会法47条2項に基づく会議であり、国会ではありません。)

憲法
第53条

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

2.赤羽大臣の釈明ツイートがさらにひどい
このツイートに対しては大きな批判が寄せられ、16日夜にはTwitter上でもトレンド欄「憲法53条」「臨時国会」が表示される事態となりました。

これを受けて、赤羽大臣は同日23時につぎの釈明ツイートを行っていますが、これも非常にひどい内容です。

私のツイートでお騒がせし、スミマセン
私の申上げたかったことは、「内閣は、臨時国会の召集を決定することができる」のは憲法53条にある通りですが、実際は、臨時国会の開催時期やその期間などについては、与野党の国対委員長間で話し合いが行われ、実施されてきたのが慣例でしたということです。


赤羽ツイート2
(赤羽大臣のTwitterより)
https://twitter.com/AKBhyogo2ku/status/1427282139901427714

赤羽大臣はこの釈明ツイートで、「臨時国会の開催時期などについては与野党の国対委員の話し合いで決定し実施される」という国会の実務を紹介し、同日9時頃の「臨時国会を開催する権限は内閣にはない」という自身のツイートは間違いではないと主張しています。

3.憲法53条後段に基づく少数議員の要求による内閣の臨時国会の召集
しかし、現在の日本政治で大問題となっているのは、赤羽大臣のツイートにある「内閣は、臨時国会の召集を決定することができる」との憲法53条前段の話ではなく、同53条後段の「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」の話です。

つまり、7月16日には野党各党が憲法53条後段に基づき、議員の四分の一以上の議員の要求として、臨時国会(臨時会)の招集を内閣に求めているにもかかわらず、菅内閣が1か月を経過しても臨時国会を召集していないことが憲法違反だと社会的非難を受けているのに、赤羽大臣がまるでこれを理解できていない釈明ツイートをしているのは、ひどいとしか言いようがありません。

そもそも内閣が憲法53条後段に基づくいずれかの議院の四分の一以上の議員からの臨時国会を召集せよとの要求があったにもかかわらず、内閣がこれを拒否することは、2015年の安倍晋三内閣にはじまり、その後も漫然と行われて、憲法違反であると社会的批判を受けています。

この点、憲法の解説書によると、憲法53条後段の「法定要件を満たす招集の要求があった場合、内閣は相当の期間内に臨時会を招集する義務を負う。とされています(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅱ 第5版』115頁)。

この憲法53条後段の趣旨・目的は、議院内閣制においては国会の多数派の意思は内閣により実現されやすいが、国会の少数派の意思は実現されにくいため、この少数派の意思を守るためであるとされています(芹沢斉・市川正人・坂口正二郎『別冊法学セミナーNo210 新基本法コンメンタール憲法』334頁)。

つまり、内閣が少数議員からの臨時国会の召集要求を拒むことは、少数議員に付託している日本国民の少数意見を内閣(行政)が無視することであって、これは少数意見にも配慮した熟議を行わななければならないという議会制民主主義の否定です。

なお、臨時国会を召集せよと要求する議員が招集期日の指定をすることが通常ですが、この招集期日の指定に内閣が拘束されるかは憲法上の論点とされています。

この点、2015年の安倍政権より前の政府の公式見解は、「諸般の状況を勘案して合理的に判断して最も適当と認める招集時期を決定する」として議員側の招集期日の指定に拘束されないとの見解をとっています(芹沢ら前掲334頁)。しかしこの従来の政府の公式見解も、「臨時国会の召集の要求が議員から内閣にあったのに、内閣は臨時国会を召集する義務を負わない」とはしていないのです。

つまり、2015年の安倍内閣以来、ずるずると議員からの臨時国会の召集の要求があったにもかかわらず臨時国会の召集を拒否している安倍内閣・菅内閣の対応は、憲法53条の文言に違反している憲法違反なだけでなく、従来の政府の公式見解にも違背しています。

4.まとめ
このような最近の内閣の憲法違反の行為を、現職大臣の赤羽氏がまったく理解できていないかのツイートを繰り返していることは大問題であるといえます。内閣の憲法違反の大問題や、憲法53条の条文上の知識すら理解していない赤羽大臣は、国務大臣としての資質に重大な問題があるのではないでしょうか。

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■参考文献
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅱ 第5版』115頁
・芹沢斉・市川正人・坂口正二郎『別冊法学セミナーNo210 新基本法コンメンタール憲法』334頁
・安倍政権が臨時国会を開かないのは憲法違反である|南野森













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1.広島大学の伊藤隆太特任助教がTwitter上で差別ツイート
2021年8月11日付の朝日新聞などの報道によると、広島大学大学院人間社会科学研究科の政治学者の伊藤隆太特任助教(@RyutaIto4)が、7月30日にTwitter上で「道徳的に劣っている中国人をまともに相手にする必要はない」などと差別的なツイートを行い、ネット上では反差別団体が伊藤氏の解雇を求めるネット署名活動などを行っています。
・広島大助教が差別的投稿 大学は問題視「許されない」|朝日新聞

伊藤隆太ツイート01
(伊藤隆太氏のツイート、Cange.orgより)
・「道徳的に劣っている中国人をまともに相手にする必要はない」と発言した大学教員の解雇と再発防止を求めます。|Cange.org

また、ネット上では、7月26日の伊藤氏の「生まれと育ち」に関する、「良い遺伝子を持つ人は良い家柄である可能性が統計学的に高いし、これが世代を経て強化されていくので、「生まれ」と「育ち」は正の相関をすることになる。」とのツイートも注目され、多くの批判が寄せられています。

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つまり、伊藤氏の主張は「統計学」を援用していますが、そのような統計学的あるいは科学的なエビデンスが本当に存在するのか、また、伊藤氏の主張は「アーリア人の優越」を主張しユダヤ人や障害者などを収容所に送り込んだ、ナチスドイツの優生思想と同じなのではないか、などの批判が寄せられています。

このような社会的批判を受けて、伊藤隆太氏は上の外国人への差別ツイートを削除するとともに8月10日付で謝罪のツイートをしているようです。そして、広島大学は8月11日付でプレスリリースを大学サイト上で公表しています。このリリースによると、広島大学は8月11日に臨時役員会を開催し、学外有識者も加えた調査会を設置することを決定したとのことです。この調査会の調査や報告を受けて、今後、伊藤氏への懲戒処分などを決定するものと思われます。

広島大学プレスリリース
(広島大学サイトより)
・【お詫び】本学教員による不適切なツイッター投稿について|広島大学

2.進化論など自然科学や心理学を重視した「進化政治学」
researchmapの伊藤隆太氏のページをみると、伊藤氏は2009年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年、同大学大学院の法学研究科政治学選考に進学し、2017年に法学博士の学位を取得しているようです。
IMG_20210812_172451
(researchmapの伊藤隆太氏のページより)
・伊藤 隆太|researchmap

また同サイトをみると、伊藤氏は広島大学だけでなく、慶應義塾大学海上自衛隊幹部学校跡見学園女子大学東洋英和女学院大学東京都市大学などでも非常勤講師として教鞭をとっているようです。

ところで、同サイトの基本情報の伊藤氏のプロフィールをみると「思想・哲学(科学哲学、道徳哲学等)自然科学(進化論、心理学、脳科学、生物学等も研究し、学際的研究に従事。自然科学をベースにした社会科学理論研究思想研究を行っている。」と記載されていることが目につきます。

広島大学サイトの研究者紹介の伊藤氏のページの教育内容・研究内容の部分にはこの点がより詳しく説明されています。

伊藤隆太教育研究内容
(広島大学サイトより)
・助教 伊藤 隆太(ITO Ryuta)|広島大学

つまり、この広島大学の教員紹介ページによると、伊藤隆太氏の研究する「進化政治学」とは、従来の政治学と異なり、「人の心のあり方の分析」自然科学とくに進化論を重視するものであるそうです。

そして、伊藤氏によると、戦争人間本来の悲惨さに由来するもので、平和とはそれが環境的要因(教育、リテラシー等)により相殺されることで起きる現象」であるとされています。

さらに、伊藤氏が研究する新しい国際政治学とは、「人間の心理、感情、バイアスなど」を重視し、「科学的実在論」に基づき、「シニカルな相対主義」を否定し、「理論とは近似的真理に漸進的に接近するもの」であるという「リベラル啓蒙主義」の立場をとるものであるそうです。

もちろん、「人の心のあり方」や「人間の真理、感情、バイアス」や、進化論、脳科学などの自然科学や心理学などを重視した政治学の研究を行うこと大いに結構なことだと思われますが、しかし伊藤氏の、進化論、脳科学などの自然科学の知識や理解が本当に正しいものなのか疑問です。

また、「戦争は人間本来の悲惨さに由来するもので、平和とはそれが環境的要因により相殺されるもの」との伊藤氏の主張は、19世紀のイタリアの、人間の遺伝外見などを過度に重視し、"犯罪は遺伝によるものであり、犯罪者の遺伝子を持つ人間は社会的に排除・隔離を行うべき"と主張した、ロンブローゾ―刑法学を連想させます(大塚仁『刑法概説(総論) 第4版』24頁)。

当時は、産業革命などにより多数の貧困層が発生するなど、新しい社会問題に対して、自然科学的なアプローチをとる社会科学が非常に盛んになっていました。しかし、ロンブローゾ―の刑法学は、当時の他の刑法学者達だけでなく、科学者達からも「科学的でない」と批判されていました。

さらに、「科学的実在論」にたち、「理論は真理に漸進的に接近する」とする進歩主義の伊藤氏の「リベラル啓蒙主義」は、これも18世紀の欧米の啓蒙主義思想を連想させます。

3.18世紀の啓蒙主義思想に先祖返り?
人間の理性や良心や自然科学などを重視する18世紀の啓蒙主義思想は、フランス革命やアメリカ独立戦争などの理論的支柱となり、自由主義・平等主義・立憲主義などに基づく近代民主主義社会を生み出しました。

しかし啓蒙主義思想による、自由主義に基づく経済発展至上主義や、理性や良心、自然科学を重視し、「未開社会は西洋社会に比べて劣っている」という進歩主義の価値観は、西欧や日本などの列強諸国のアジア・アフリカの植民地支配などの帝国主義を許し、第一次世界大戦・第二次世界大戦やその後の冷戦の世界を招いてしまいました。

これに対しては、1970年代、80年代以降、レヴィ・ストロースらの構造主義などの学者達が、西洋中心的な考え方を批判し、相対主義や寛容さの重要性が世の中に広まりつつあったと思われます。最近の世界のコロナ禍や地球温暖化なども、経済発展至上主義、科学技術至上主義などの行き過ぎた西欧的な価値観の招いた問題ではないかと批判がなされているところです。

ところが、現代の日本の名門大学の慶応義塾大学で、政治学だけでなく自然科学、哲学、心理学、脳科学などの研究に打ち込んできたはずの現代日本の知識人の伊藤隆太氏が、外国人に対して差別発言を行ったり、正しいと思えない自然科学や統計学などを持ち出して「遺伝と育ち」に関する優生思想的な主張を行っていることは、まるで18世紀や19世紀ごろの科学主義的な社会科学の思想に「先祖返り」してしまっているようで、非常に奇異なものを感じます。

さらに伊藤氏はTwitterで外国人差別や優生思想的な主張をしていますが、これは自由主義平等主義民主主義、個人の尊重基本的人権の確立を掲げる近代憲法の基本原則に反しており、つまり伊藤氏の主張や学問は、18世紀の近代どころか、中世以前に逆戻りしているのではないでしょうか。

日本の現行憲法も、国民の個人の尊重と基本的人権の確立を国家の目的として掲げる近代憲法(近代立憲主義憲法)の一つです(憲法11条、97条)。国民個人はこの世に生まれただけで一人一人人間として尊いのであり、国民はそれぞれ違う個性を持った人間としてその個性を尊重されます(個人の尊重・基本的人権の確立・憲法13条)。そして、国籍や人種、肌の色などによるあらゆる差別は禁止されます(平等原則・憲法14条1項)。教育基本法4条1項も教育上の差別を禁止しています。

もちろん、学問の自由大学の自治は憲法上保障される重要なものです(憲法23条)。しかしだからこそ、学者や研究者の方々や大学関係者の方々は、自らの学問や研究、教育などが上でみたような近代憲法の基本原則に抵触していないかどうか、自律して自ら検証を行う必要があるのではないでしょうか。

なお、若手学者の差別発言に関しては、2020年1月に東京大大学院情報学環・学際情報学府のAI学者の大澤昇平特任准教授が、「私の会社では中国人は採用しない」などの差別的な発言をTwitter上で繰り返し、東京大学から懲戒解雇となったことが社会的注目を集めたばかりです。

また、一見科学的・学問的なものを盲目的に信じる幼稚な「優生思想」は、最近の日本社会で、「人工透析患者はそのまま殺せ!」と主張したアナウンサーで元日本維新の会の長谷川豊氏、「健康な人の健康保険料を優遇すべき」との「健康ゴールド免許」制度を2016年に主張した小泉進次郎・環境大臣や、2020年7月に「大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべき」とTwitterに投稿した音楽グループRADWIMPSの野田洋次郎氏など、与党側の政治家や有名人、芸能人など、社会的に大きく成功した人々などの発言にしばしば見受けられます。
RAD野田ツイート
(野田洋次郎氏のTwitterより)

経済発展や科学技術の発展、「社会の進歩」ばかりを重視する日本の学識者や与党・与党よりの政治家の方々、経済界の方々や、有名人、芸能人など社会的に成功したセレブの方々などは、今一度、自分の考え方が18世紀、19世紀の思想に先祖返りしていないか、一見科学的なものや学問的なものを信じて、反知性主義に陥っていないか等について再検討が必要なのではないでしょうか。

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