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1.はじめに
2020年12月16日に、フジテレビ系のFNNなどが、文科省が小中学生の学校の成績や学習履歴などの教育データ・個人データをマイナンバーカード(個人番号カード)で紐付けして一元管理することを検討中であり、早ければ2023年にもその一部が実施の方針であると報道し、大きな反響を呼んでいます。

・マイナカードに学校の「成績」対象小中学生 2023年度にも|FNN

FNNの記事によると、文科省は、教育データの利活用(EduTech)を進めていて、児童・生徒の個人の学習意欲の変化や理解度などの教育に関するビッグデータを収集・分析し、生徒1人ひとりに合った効果的な学習や指導の実現(「教育の個別最適化」)が目的であるとのことです。

この点、文科省は、平成30年6月に「Society 5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~」との諮問会議による報告書を公表しています。

・Society 5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~|文科省

同報告書の第3章「新たな時代に向けた学びの変革、取り組むべき施策」では、「(1)「公正に個別最適化された学び」を実現する多様な学習の機会と場の提供」のなかで、「①学習の個別最適化や異年齢・異学年など多様な協働学習のためのパイロット事業の展開 【全国の小中高等学校○校程度で実施(学校数は今後検討)】」との方針が示されています。

そして、「公正に個別最適化された学び」について、「児童生徒一人一人の能力や適性に応じて個別最適化された学びの実現に向けて、スタディ・ログ等を蓄積した学びのポートフォリオ(後述)を活用しながら、個々人の学習傾向や活動状況(スポーツ、文化、特別活動、部活動、ボランティア等を含む)、各教科・単元の特質等を踏まえた実践的な研究・開発を行う(例:基礎的読解力、数学的思考力の確実な習得のための個別最適化された学習)。」「ICT 環境の整備、ビッグデータ活用に係る個人情報保護の在り方についての整理等の条件整備や、強みと限界を踏まえた効果的な導入方法など、EdTech の一層の活用に向けた課題の整理及び対応策について官民を挙げた総合的な検討を行った上で、一定の方針を示す。また、データの収集、共有、活用のためのプラットフォームの構築に関する検討を行う。」などの説明がなされています。

教育の個別化の図
(文科省「Society 5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~(概要)」より)

ITやAIの発達による「教育の個別化」など、一見、バラ色の未来のようにも読めますが、我われ国民はこれをどう受け止めるべきなのでしょうか。憲法26条は「国民の教育を受ける権利」「教育の機会均等」などについて規定していますので、これらの点から見てみたいと思います。

2.教育の機会均等(公平性・公正性)
憲法26条1項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と規定しています。

それを受けて、教育基本法4条1項は、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」と規定しています。また、同16条1項は、「教育は、不当な支配に服することなく、(略)公平かつ適正に行われなければならない。」と教育行政の原則を定めています。つまり、教育そして教育行政には、公平性と公正性が憲法および法令上要請されています。

ところで、文科省は、小中学生の「公正に個別最適化された学び」「教育の個別化」を行うために、小中学生の成績や学習履歴などの学習データ・個人データを収集したビッグデータをAIで分析し、個々の生徒に「公正に個別最適化された教育」を提供する方針のようです。

しかし、AIによるこのようなデータ処理が「公正」あるいは「適正」である保障はあるのでしょうか。AIはビッグデータを自律的に機械学習することにより、統計的にさまざまな事実の相関関係を発見するなどして、自らのアルゴリズムを高度化させてゆきます。

ところが、このビッグデータ解析を通して、AIは、人間なら避けられるような差別的な選考を行ってしまうリスクがあります。ビッグデータの元となる過去のデータに過去の社会的状況や差別などに基づく「偏り」があれば、AIはその過去の偏ったデータを元に機械学習を進めてしまいます。しかも、AIは自律的に機械学習を行ってゆくため、そのアルゴリズムは開発者ですら理解のできないブラックボックスとなってしまいます。

この点、2018年には、アマゾンがAIによる採用活動を打ち切ったと報道されました。アマゾンは、ソフトウェア開発の技術職に関する過去10年間の履歴書・職務経歴書をAIに機械学習させたところ、これらの過去のデータの多くが男性のものであったことから、女性の求職者を差別するアルゴリズムを生成してしまったとのことです。

・アマゾンがAI採用打ち切り、「女性差別」の欠陥露呈で|ロイター

このようなビッグデータやAIなどの先端技術の負の側面を見ると、教育データ・個人データなどのビッグデータをAIに分析させて、生徒・児童の「教育の個別化」を推進するという文科省の方針には疑問が残ります。このような文科省の施策は、学校教育や教育行政に求められる「公平性」「公正性」「適正性」が保障されておらず、憲法26条1項、教育基本法4条などに抵触する違法なものであるおそれがあります。

3.教育を受ける権利-自分で選択した道を歩む権利
また、文科省が推進しようとしている、「公正に個別最適化された学び」「教育の個別化」は、たとえば平均的な学力から大きく劣った学力の生徒・児童が現在よりもより自分の学力に応じた教育を受けられるかもしれないという点はメリットであるように思われます。

しかし、学校において生徒・児童が学ぶ場面において、生徒・児童は教育を受ける権利として、自分も他の生徒達と同じベースで同じ教育を受ける権利(ないし自由)、つまり、たとえ自分にとって厳しい教育・環境であったとしても、それに奮闘して自分自身を成長させる権利、すなわち「不自由を選ぶ自由」「自分自身で選んだ道を歩む権利」を有しています(堀口悟郎「AIと教育制度」『AIと憲法』(山本龍彦)264頁)。

この問題が法律学の分野で深刻な形で顕在化しているのは、障害者・障害児の進学や教育が裁判所で争われた場面です。障害者・障害児も養護学校などではなく、できるだけ一般の学校で教育が行われるべきであるとの「インクルーシブ教育」の理念が、日本社会においても2000年頃より社会に広まるようになっています。

このようななか、筋ジストロフィー症の生徒が一般の公立高校に進学を希望したところ、市当局が「当該生徒は養護学校に通うべきである」と拒否した事件について、裁判所はつぎのように判示し、市当局の主張を斥け、生徒側の主張を認容しています(神戸地裁平成4年3月13日判決・市立尼崎高校事件)。

『障害を有する児童、生徒も、国民として、社会生活上あらゆる場面で一人の人格の主体として尊重され、健常児となんら異なることなく学習し発達する権利を保障されている。』『たとえ施設、設備の面で、原告にとって養護学校が望ましかったとしても、少なくとも、普通高等学校において教育を望んでいる原告について、普通高等学校への入学の途が閉ざされることは許されるものではない。』(神戸地裁平成4年3月13日判決・市立尼崎高校事件)

この裁判例は、生徒の教育を受ける権利を憲法26条(教育を受ける権利)、14条(平等原則)だけでなく、国民の幸福追求権・自己決定権や「個人の尊厳」(憲法13条)の観点から捉えているように思われます。また、教育基本法2条各号は、教育の目標を規定していますが、そのなかには、「個人の価値を尊重し」「自主及び自律の精神を養う」(2号)ことが掲げられていることも見落とすわけにはゆきません。

同様に、障害をもつ児童が普通学校等へ進学を希望したにもかかわらず、行政当局に拒否された事件においては、当該拒否は違法であるとする同種の裁判例が複数現れています(徳島地裁平成17年6月7日判決、奈良地裁平成21年6月26日判決、東京地裁平成18年1月25日判決など)。

このような一連の裁判例をみると、憲法や教育基本法の定める「教育を受ける権利」には、「自分で選択した道を歩む権利」「不自由を選ぶ権利」が含まれているといえます。そのため、文科省など国が生徒・児童に対して、「AIやビッグデータによれば、あなたにふさわしい教育はこれだから、あなたはこれを学習しなくてはならない」と押し付けることは、ある程度はパターナリズムとして許容される余地があるとしても、強要することは、国民の自己決定権や教育を受ける権利、平等原則に抵触する違法なものとなるおそれがあります。

4.まとめ
以前のブログ記事で取り上げたように、わが国の旧労働省の2000年の「労働者の個人情報に関する行動指針」6(6)や、EUのGDPR(一般データ保護規則)22条1項は、「コンピュータ等による個人データの自動処理の結果のみによる法的決定を下されない権利」の原則を規定しています。

これは、言ってみれば、情報社会において国民がベルトコンベヤーに載せられたモノのように扱われるのではなく、人間として人間らしく扱われることを求める権利です(個人の尊重・基本的人権の確立、憲法11条、13条、97条)。

今回報道された、小中学校の成績などのビッグデータにより「教育の個別化」を推進しようという文科省の施策は、憲法26条、14条などだけでなく、13条の観点からも今一度、慎重に再検討が行われるべきです。

また、最近、「AIと労働者(就活生)」「AIと結婚(婚活)」「AIと教育」などの目新しい科学技術による政策を国が推進しようとしていることがニュースとなることが増えていますが、このような国の政策は、上でみたように国民の個人の尊重や自己決定権など、国民の権利利益と衝突する難しい問題です。

このような問題については、内閣・中央官庁があらかじめ諮問員会に図り産業界等と意見を調整して法案を作成するだけではなく、主権者たる国民の代表による、国会における慎重な議論・討論が望まれます。

■関連するブログ記事
・人事労務分野のAIと従業員に関する厚労省の労働政策審議会の報告書を読んでみた
・リクルートなどの就活生の内定辞退予測データの販売を個人情報保護法・職安法的に考える
・調布市の障害児などの「i-ファイル」(iファイル)について-個人情報保護の観点から

■参考文献
・堀口悟郎「AIと教育制度」『AIと憲法』(山本龍彦)253頁
・植木淳「障害のある生徒の教育を受ける権利」『憲法判例百選Ⅱ 第6版』304頁
・芦部信喜『憲法 第7版』283頁
・堀部政男『プライバシー・個人情報保護の新課題』(高野一郎)163頁
・「ヤフーの信用スコアはなぜ知恵袋スコアになってしまったのか」|高木浩光@自宅の日記