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香川県ネット・ゲーム規制条例に関する訴訟の第3回目の口頭弁論が6月15日に高松地裁で行われたとのことです。

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ところで、この第3回目の口頭弁論の毎日新聞の記事における、原告の住民側と被告の香川県との主張の争点に関する図がネット上で話題となっています。つまり、香川県側は何と、「幸福追求権は基本的人権ではない」と主張しているとのことです。
・ゲーム条例訴訟 「依存症は予防が必要」 原告主張に県反論 地裁口答弁論 /香川|毎日新聞

毎日新聞香川県ゲーム規制条例訴訟の図
(毎日新聞より)

この点、弁護士の足立昌聰先生(@MasatoshiAdachi)が、この訴訟の原告である、香川県の大学生のわたるさん(@n1U5E6Gw119ZjGI)経由で原告代理人の作花知志弁護士に照会したところ、わたるさんより「この毎日新聞の要約であってます。被告側第一準備書面82項に書いてあります。」との回答がTwitterであったとのことです。これには非常に驚いてしまいました。香川県や香川県側の弁護士は憲法13条の条文をみたことがないのでしょうか?

わたるさんのツイート
(わたる氏のTwitterより)
https://twitter.com/n1U5E6Gw119ZjGI/status/1405413264364687363


そもそも日本の憲法13条の条文はつぎのようになっています。

日本国憲法

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法13条の条文

この憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」「幸福追求権」です。

わが国の憲法は、14条以下に詳細な人権規定を置いていますが、これは歴史的に国家権力により侵害されることの多かった重要な権利・自由を列挙したものであって、すべての人権を網羅的に掲げるものではないとされています。

そして、社会の変化に伴い、人権として保護に値すると考えられるものは、「新しい人権」として憲法上保障される人権の一つであると考えられるようになっています。そしてこの「新しい人権」の根拠となる条文が憲法13条の幸福追求権です。

すなわち、幸福追求権とは、憲法に個別・具体的に列挙されていない「新しい人権」の根拠となる一般的かつ包括的な権利であり、この幸福追求権で基礎づけられる個々の「新しい人権」は、裁判上の救済を受けることができる具体的権利であると憲法の通説は解しています(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』120頁)

この憲法13条の幸福追求権により基礎づけられる「新しい人権」について、裁判例や学説が認める具体例は、プライバシー権や肖像権(東京地裁昭和39年9月28日判決・「宴のあと」事件、最高裁昭和44年12月24日・京都府学連事件など)、自らの家族のあり方や身じまい・身だしなみ等や自らの医療に関する自己決定権(最高裁平成12年2月29日・輸血拒否事件)などがあります。

また、個人の趣味・嗜好に関するものとしては、喫煙をする自由酒を造る自由を憲法13条の幸福追求権から認めた裁判例が存在します( 高松高裁昭和45年9月16日・監獄未決拘禁者喫煙訴訟、最高裁平成元年12月24日・どぶろく裁判事件)。

喫煙権やどぶろくなどのような酒を造る権利・自由すら幸福追求権(憲法13条)から裁判例・学説上、「新しい人権」として認められているのに、スマホやネット・ゲームをすることについて、「人権でない」という香川県側の弁護士の主張は法的に正しくないのではないでしょうか?

このように幸福追求権や「新しい人権」に関する裁判例や学説をみてみると、「幸福追求権は人権ではない」という、香川県および香川県側の弁護士の主張はさすがにちょっと法律論として無理があると思われます。

裁判における攻撃・防御のやり方、つまり裁判上の主張やそれに対する反論のやり方として、「「スマホやネット・ゲームをする権利は幸福追及権(憲法13条)から導き出される「新しい人権 」である余地があるとしても、いまだ憲法上保障される具体的な人権とはいえない」という主張・反論ならありだと思います。

しかし、「幸福追求権は基本的人権ではない」という主張はいろいろと端折りすぎであるというか、香川県のゲーム規制条例の代理人となっている弁護士の方は、本当に司法試験に合格しているのでしょうか?そのあたりからして心配になってきてしまいます。(あるいは「新しい人権」が憲法の教科書に載る前の、1960年代、70年代より前に司法試験に合格した弁護士の先生なのでしょうか・・・?)

(なお、西側の自由主義・民主主義諸国の「近代」は、18世紀のフランス革命やアメリカ独立戦争から始まったものですが、1776年のアメリカ独立宣言も国民の「生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利」を明記しており、日本の憲法もこの西側の近代立憲主義憲法の一つです。そのため、「幸福追求権は基本的人権ではない」という主張はやはりちょっと無理ではないでしょうか。)

そもそも、スマホやPCにより、ネット上に情報を発信し情報を受け取ることは、表現の自由(憲法21条1項)の保障の対象です。また、ゲームをする権利も上でみたように幸福追求権(13条)により保障される権利であると思われます。この点、日本も批准している「子どもの権利条約」(児童の権利条約)13条1項は、「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由」として、表現の自由・情報の授受の自由を子どもは有していることを規定しています(荒牧重人『新基本法コンメンタール教育関係法』408頁)。

また子ども本人が、一日どのくらいスマホやゲームなどをするかどうか等は、これもライフスタイルに関する自己決定権(13条)に含まれるといえるのではないでしょうか。さらに、には子どもを教育したりしつけたりする権利としての自己決定権教育権があります(13条、26条)。香川県ゲーム条例はこれらの子どもおよび親の人権を侵害しているように思われます。

さらに、この「ゲームをする権利」「スマホやネットをする権利」や子供などの自己決定権に対して、例えば酒やタバコを未成年者に対して法律で禁止するなど、国などが子どもの心身の健全な成長のため必要最低限の制約を法律等で課すことは、「限定的なパターナリスティックな制約」(パターナリズム)として認められるものですが、香川県ゲーム規制条例のように「ゲームは1日1時間」との制限は、許容される必要最低限の限度を大きく超えており、やはり違法であると思われます(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第4版』122頁)。

(さらに最近のいわゆるヘイトスピーチに関する訴訟においては、裁判所はもともとは刑事手続きに関する憲法35条の「住居の不可侵」から、「住居における平穏な生活」の権利を導きだし、この権利に対する侵害を認めており、香川県ゲーム条例の公権力による家庭への介入は、この「住居の不可侵」(憲法35条)をも侵害しているのではないでしょうか(横浜地裁平成28年6月2日判決)。)

このように幸福追求権や「新しい人権」に関する裁判例や学説をみてみると、「幸福追求権は人権ではない」という、香川県および香川県側の弁護士の主張はさまざまな面で法的に正しくないといえます。

憲法や法律学、医学・科学、教育などに関する誤った知識や不正確な知識に基づいて、香川県の偉い人々がゲーム規制条例などの条例の制定や行政を行っていることは、国民・住民にとっては恐ろしいものがあります。香川県は、憲法・法令や医学・科学、教育などに関して正しい知識や理解に基づいて条例制定や行政を実施すべきです。

■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』120頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』270頁
・高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第4版』122頁
・荒牧重人など『新基本法コンメンタール教育関係法』408頁

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