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1.京アニ放火事件の犯人を治療した医師のインタビュー記事
2019年7月18日に京都アニメーションの放火事件が起きました。これを受けて、7月17日の朝日新聞は、京アニ放火事件の犯人である青葉真司・被告人の治療を行った医師の上田敬博氏のインタビュー記事を掲載しています。
・手術12回で救った主治医 京アニ事件、被告が流した涙|朝日新聞

この記事を読むと、上田医師が朝日新聞の取材に対して、犯人の病状や手術や治療の内容、治療時の患者である犯人の発言の内容などをかなり詳しくインタビューで答えていることが気になります。刑法は医師の秘密漏示罪(刑法134条)を規定し、個人情報保護法も個人情報について、本人の同意のない目的外利用や第三者提供を禁止していますが(個人情報保護法16条、23条)、刑法や個人情報保護法などの関係で、上田医師がマスメディアの取材に回答を行っていることが妥当なのか気になります。

2.医師の守秘義務・秘密漏示罪
医師などの医療関係者には職業倫理として患者のプライバシーについて守秘義務があるだけでなく、刑法は、医師や薬剤師などに対して、「正当な理由」がないのに、その業務上知り得た人の秘密を漏らしてはならないと秘密漏示罪を規定し、刑法上の守秘義務を課しています。

刑法
(秘密漏示)
第134条 医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

対象となる「秘密」については、「一般に知られていない非公知の事実」なので、患者の病状、病歴、治療の内容、患者の氏名・住所・家族の情報、職業、処方箋の内容など、カルテや処方箋などに書かれる情報など医師が業務上取扱った患者の情報すべてが対象となります。

「正当な理由」がないのに患者の秘密を洩らしたことが秘密漏示罪となるので、①法令に規定がある場合(例えば、伝染病予防法3条により医師が保健所等に患者を届け出る場合)、②他人の利益を保護するために本人の秘密を漏示した場合は比較考量により他人の利益が上回る場合、③本人が承諾した場合などは「正当な理由」があるとされ、違法性が阻却されるので本罪は成立しないとされています(大塚仁『刑法概説(各論)第3版補訂版』128頁)。

この点、医師などの守秘義務を負う者の守秘義務(秘密漏示罪)と、医師などに取材を行い報道をするマスメディアの取材の自由、報道の自由との関係が問題となります。

「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するもの」(最高裁昭和44年11月26日・博多駅テレビフィルム提出命令事件)であるので、国民が民主主義の政治に参加するための判断の資料を提供する、つまり国民の「知る権利」に奉仕する重要な機能を持っているので、表現の自由(憲法21条1項)の保障のもとにあるとされています。

また、外務省秘密電文漏洩事件において最高裁は、「報道機関が公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといって、直ちに当該行為の違法性が推定されるものではなく、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為である。」と判示しています(最高裁昭和53年5月31日判決)。

つまり、最高裁は、「真に報道目的」であり、取材や報道の手段・方法が社会通念に照らして相当であれば、取材・報道の対象者と取材・報道をしたマスメディアについては正当業務行為(刑法35条)として違法性が阻却されるとしています(西田典之『刑法各論 第7版』118頁)。

3.医師のインタビュー記事を考える
今回の京アニ放火事件の犯人の治療にあたった医師の新聞社のインタビュー記事は、京アニ放火事件が、国内外から人気の高いアニメスタジオの建物に対して精神疾患を有する犯人がガソリンを放って放火を行い、36人もの死者・35人の負傷者が出たという、非常に社会的に注目される重大な事件であることから、日本における建物の防災・防犯や精神疾患を有する者への死刑制度のあり方などを考える上で重要な資料であり、マスメディアがこの事件を取材し報道を行うことは、「報道目的」があることは間違いないように思われます。

しかし、それが視聴率稼ぎのための、バラエティー番組やワイドショー的なイエロージャーナリズム的なものが目的であった場合にはそれが「真の報道目的」に該当するかは疑問の余地があります。

今回の朝日新聞の上田医師へのインタビュー記事を読むと、「重大な犯罪を侵した犯人に対しても治療を行う医師の姿」や、「犯人に命の大切さを知ってほしいと願う医師の姿」など、「人間の生命や健康」の重要性を報道することがこの記事の意図であると思われます。

この記事の意図は報道として一般論としては重要とは思われますが、しかし、その記事の意図を表現するために、犯人の治療を行った医師にインタビューを行い、当該犯人の火傷の状況や、手術が12回におよんだこと、患部の皮膚を再生させるための治療の内容、治療の際に犯人が発言した発言内容などを詳細に、職業倫理や刑法が守秘義務を定める医師に質問し回答を得ているこのインタビュー記事の手段・方法は社会通念に照らして相当であるといえるかは疑問が残ります。

4.リアルな報道・「実名報道」
この京アニ放火事件に関しては、新聞社・TV局などマスメディアが「実名報道」にこだわり、遺族の方の多くの反対や、多くの国民のネット上などにおける反対にもかかわらず、マスメディアが被害者の死者・負傷者の実名を報道したことも大きな社会問題となりました。

この点、マスメディア側は、「重大な事件の重みを社会に伝えるため」には被害者等の実名報道がどうしても必要であると主張しています。

しかし、やや分野は違いますが、モデル小説の作家の表現の自由とモデルとされた者の名誉権やプライバシー権との関係が問題となった「石に泳ぐ魚」事件において、最高裁は「本件小説の出版等がされれば、被上告人(=モデルとされた人物)の精神的苦痛が倍加され、被上告人が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるおそれがある。そして,本件小説を読む者が新たに加わるごとに、被上告人の精神的苦痛が増加し、被上告人の平穏な日常生活が害される可能性も増大する」として、このモデル小説の出版等の差止と慰謝料の支払いを命じています。

このようにモデル小説の「石に泳ぐ魚」事件において、「文学」という芸術に関する表現行為においても、モデルとなった人物本人を特定できるように、モデル本人の顔の腫瘍などをリアルに赤裸々に詳細な表現を行うことは違法であると日本の最高裁は判断していますが、同じ表現行為であるマスメディアの報道・取材においても、事件に巻き込まれた被害者の方々・遺族の方々に関して執拗な取材を行い、被害者の実名報道を行うことや、また、守秘義務を負っている医師に詳細なインタビューを実施し、その内容を詳細に報道することは、仮に裁判となった場合、裁判所に違法と評価される可能性があるのではないでしょうか。

マスメディアにとって、「重大な犯罪の重みを社会に伝えること」が仮に重要な使命であるとしても、マスメディアが刑法上守秘義務を負っている医師に犯人の病状などを詳細に聞き出し、れを事細かに報道することや、犯罪について被害者や遺族などに対して執拗な取材をし、実名報道やあまりにも詳細な報道を行うことは、国民の「知る権利」に奉仕するものではなく、権利の濫用ともいうべきものであって、社会的に是認されないのではないでしょうか。

5.患者の委縮
また、刑法の医師等の秘密漏示罪は、患者などの本人のプライバシー保護が保護法益とされています。しかし、医師が安易に患者の病状などをマスメディアの取材に応じて答えることは、医師や病院などの医療に対する国民・患者の信頼を大きく損ねてしまうのではないでしょうか。

つまり、病院や医師の治療が適切に行われるためには、患者が自分の病状や自分の置かれている状況などの極めてプライベートでセンシティブな事柄を正直に医師等に申告することが必要になります。 簡単な風邪などならともかく、ガンやHIV、精神疾患など、公にされれば社会的差別の対象となる傷病・疾病は現在も多く存在します。

にもかかわらず、今回の京アニ事件の医師のインタビュー記事のように、医師が安易にマスメディアに患者の病状などを詳細に話してしまい、メディアもそれを詳細に報道してしまうことは、日本社会の多くの患者に、自分の病状等を医師などに正直に申告することを躊躇させてしまうのではないでしょうか。

6.まとめ
このような点で、仮に刑法などの法的な問題を形式的にはクリアできたとしても、この京アニ事件の医師のインタビュー記事は、医師にも新聞社にもさまざまな問題があるように思われます。

■補足・個人情報保護法について
なお、個人情報保護法は、①法令に基づく場合、②人の生命・身体・財産の保護のために必要で、本人の同意を得ることが困難な場合、③公衆衛生の向上や児童の健全な発達のためで、本人の同意を得ることが困難な場合、④国などの機関の事務に協力する場合、などについては、本人の同意なしに個人情報の目的外利用や第三者提供を認めていますが、この京アニ放火事件の犯人に関する医師のインタビュー記事は、この①から④のいずれにも該当しません(法16条3項、23条1項)。

また、患者の病歴・カルテ情報・処方箋情報などの医療情報は、要配慮個人情報として、とりわけ慎重な収集・利用・提供が要求されるセンシティブな個人情報です(法2条3項、17条2項、23条2項かっこ書)。

さらに、報道機関などは報道の目的のためには個人情報取扱事業者としての義務が適用されないことになっていますが、しかし個人情報に関する安全管理措置を講じること、透明性を確保すること、苦情に対応すること等の個人情報保護法上の責務を自ら講じることが求められています(法76条)。