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法務省が最近、「Myじんけん宣言」という政策(?)を実施しているようです。
・Myじんけん宣言|法務省

この「Myじんけん宣言」ページの説明を読むと、つぎのようになっています。

「人権は、誰にとっても身近で大切なものです。「人権」を難しく考えずに、「Myじんけん宣言」をして、誰もが人権を尊重し合う社会を、一緒に実現していきましょう。」

「「人権」を難しく考えずに」という、まるで怪しい金融商品の薄っぺらい営業トークのような言い回しがいきなり気になりますが、とにかくこの法務省の「Myじんけん宣言」とは、法人・団体・個人が「難しいことを考えずに」、「自らが取り組む人権課題を宣言」するもののようです。

ところで、この「Myじんけん宣言」ページの法人向けのページをみると、「宣言の内容は自由ですが、世界人権宣言や、「ビジネスと人権に関する国内行動計画」を参考に、宣言を行ってください。」と説明がされており、なぜか日本国憲法については言及されていないことが謎です。

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そして、この法人向けページの下のほうには世界人権宣言、「ビジネスと人権に関する国内行動計画」、「心のバリアフリー」の3つのページへのリンクが貼られていますが、ここにも日本国憲法へのリンクが貼られていません。法務省としては、「Myじんけん宣言」政策において、日本の法人・団体・個人に日本の最高法規たる日本国憲法の存在を何とか忘れてほしいのでしょうか?

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さらに、「Myじんけん宣言」ページをみると、上川陽子法務大臣のつぎの「Myじんけん宣言」も掲載されています。

「誰もが人権を尊重し合い、SDGsが掲げる「誰一人取り残さない」社会を実現するためには、 一人一人が人権尊重の意識を持ち、行動する必要があります。」

「多様性を認め、包摂性のある「誰一人取り残さない社会」を目指し、力を合わせて取り組んでまいりましょう。法務大臣 上川陽子」

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この上川大臣の「Myじんけん宣言」も、人権宣言をするはずなのに、日本国憲法は登場せず、そのかわりに「SDGsの掲げる「誰一人取り残さない」社会の実現」というまるで経産省、金融庁、デジタル庁かのような言い回しが登場しています。

法務省が「Myじんけん宣言」政策にあたり、国民の基本的人権を定めた日本国憲法を無視して、SDGsや世界人権宣言、「ビジネスと人権に関する国内行動計画」などを全面に押し出しているのは何故なのでしょうか。

フランス革命・アメリカ独立戦争などの18世紀以降の西側自由主義諸国の「近代」における近代憲法は、国民の基本的人権の条項、国家(統治機構)のしくみに関する条項、そして「国家権力を憲法・法律によって歯止めをかけることにより国民の人権や権利利益を守る」という立憲主義の考え方が取り入れられていることに特色があります。わが国の日本国憲法もこの近代憲法の一つです。

しかし、法務省や政府与党は、このような憲法の基本的人権や立憲主義などの「難しいこと」を国民・法人に忘れてもらって、SDGsなどの経済政策の一環として、ふんわりとした耳触りの良い「じんけん」を、「人間はお互いゆずりあって幸せに生きましょう」的な、マナー道徳的なものにすり替えて日本社会に普及させようとしているのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、日本の現行憲法を含む西側自由主義諸国の近代憲法(あるいはポスト近代憲法)は、「国家権力の暴走を法で防止し、もって国民の権利利益を守る」という立憲主義を原則としています。

つまり近代憲法における基本的人権とは、例えば表現の自由などの精神的自由がそうであるように、まずは国家権力の検閲などの規制により国民の表現の自由・権利が違法・不当に制限されないこと、つまり「国家からの自由」が最も重要です。そして、生存権、教育を受ける権利などの社会権も、国家により国民の社会権がきちんと守られることが重要です。

つまり憲法とは「国家」を名宛人とした法であり、国家に国民の人権を守れと命令する法です。日本国憲法99条は、大臣、国会議員などの公務員に対して憲法尊重擁護義務を課していますが、国民に対してはこの義務を課していないことは、端的にこのことを表しています。
日本国憲法
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

にもかかわらず、法務省の「Myじんけん宣言」は、政府・国会・自治体などが守るべき人権の宣言ではなく、個人・法人に対して「自らが取り組むべき人権の課題」を宣言させる仕組みとなっているのは、国家が国民の人権を守るべきところを、人権の問題を国民同士の問題にすり替えており、これは近代憲法や立憲主義、基本的人権などの基本的な理解を完全に間違っています。

つまり、法務省など政府は、このような国民の憲法や基本的人権の理解を間違った方向にミスリードする「Myじんけん宣言」政策を実施するのではなく、まずは中央官庁が、例えば法務省ならば、「法務省は憲法や法律を遵守し、入管行政や人権擁護行政において、国民や外国人の生命・身体の安全などの基本的人権を守ることを誓います」等と「自省の人権宣言」を制定し公表すべきではないでしょうか。

最近の法務省は入管行政において、収監している外国人の人々を非人道的に扱い、死者も出ていることが国内外からの大きな社会的批判を招いています。上川大臣をはじめとする法務省の役職員達は、「Myじんけん宣言」の前に、まずは日本国憲法の初歩を勉強するべきなのではないでしょうか。

なお最後に、上川大臣の「「多様性を認め、包摂性のある「誰一人取り残さない社会」を目指し、力を合わせて取り組んでまいりましょう。」との「Myじんけん宣言」は、国家が国民の人権を守るのではなく、人権の問題を国民同士の問題にすり替えていることが大問題であるだけでなく、「「誰一人取り残さない社会」へ力を合わせて取り組んでいきましょう」と、日本をはじめとする西側自由主義諸国の近代憲法の原則の一つである「個人主義」でなく、まるで「国家の基礎単位は家族である」とする2012年に公表された自民党憲法改正草案のような集団主義・全体主義・国家主義のような国家観を前提にしているようなことも大いに気になるところです。

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