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1.はじめに

金融・法務事情1676号(2023年10月15日号)51頁で、胃GISTはがん保険の保険金支払いの対象にあたらないとした興味深い裁判例(東京地判令5.3.14、請求棄却・確定)を見かけました。

2.事案の概要

(1)事案の経緯・保険契約の概要
本件は、原告X(保険金受取人)が被告Y生命保険株式会社に対して、Xの妻A(保険契約者・被保険者)がY社と締結していたがん保険契約に基づき、Aが胃GISTと診断されたため、診断給付金200万円等の支払いを請求した事案である。

保険契約者・被保険者のAはY生命保険会社と平成9年9月1日にがん保険契約を締結した。保険金受取人はAの夫X、入院給付金日額は3万円、診断給付金は200万円であった。

Aは平成30年5月29日から同月31日までB病院に入院し、超音波内視鏡検査等を受け、同年6月5日に胃GISTとの診断を受けた。Aは同年7月26日から合計9日間入院し、腹腔鏡下胃局所切除術の手術を受けた。Xは同年10月6日、Y社に対して給付金請求書を送付して保険金請求を行ったところ、Y社は同月31日、12日分の入院給付金36万円を支払ったが、胃GISTは本件保険契約上の「がん」には該当しないとして診断給付金の支払いは拒絶した。そこでXが診断給付金の支払いを求めて提起したのが本件訴訟である。

(2)本件がん保険契約の保険約款の概要
本件保険契約に適用される保険約款では、被保険者が責任開始日移行に初めてがんと診断確定され入院した場合に入院給付金および診断給付金を支払う旨を規定していた。がんの診断確定は、日本の医師または歯科医師の資格を持つ者によって病理組織学所見または細胞学的所見によりされねばならないとされていた。

本件保険約款における「がん」の定義については、厚生省大臣官房統計局編『疾病、傷害および死因統計分類提要』(以下「ICD-10」という)において、悪性新生物に分類される疾患をいうとされ、また「悪性」とは、厚生省大臣官房統計情報部編『国際疾病分類-腫瘍学(第2版)』(以下「ICD-O2」という)において、新生物の形態の形状コードが悪性と明示されているものであり(新生物を示すコードの5桁目が/3、/6、/9のもの)、さらにICDの改定等により、新たな分類が施行された場合、その施行日以降に締結される保険契約に対しては新たに施行された分類を適用することとされており、後にICDの改定があっても遡及適用はしないことが明記されていた。そのため、本件保険契約に適用されるのは、本件保険契約締結時のICDの基準であるICD-10およびICD-O2であった。

(3)胃GISTについて
GIST(ジスト:Gastrointestinal Stromal Tumor)は、胃や腸の筋肉層から発生する悪性腫瘍であり、消化管のペースメーカー細胞が異常増殖し腫瘍化するものである。がんは一般的には粘膜から発生するものであるのとは異なる。

胃GISTの図
(がんとGISTの違いのイメージ図、杏林大学病院サイト「「GIST」って、なに?」より)

GISTという概念が広く知られるようになったのは2000年以降のことであり、ICD-10やICD-O2には、胃の非上皮性腫瘍は掲載されているもののGISTの掲載はなかった。

ICD、ICD-Oのあてはめにおいて解釈を要する場面で参照される文献が「ブルーブック」であり、これは局部別の疾病、傷害の分類が解説されたWHOが刊行する教科書シリーズのうち腫瘍に関する分類がまとめられたものである。このブルーブックの第4版(本件診断時の最新のもの)には胃GISTの記載があったが、第2版(本件保険契約締結時点での最新のもの)には胃GISTの記載はなかった。

3.判旨

『前提事実によれば、本件病院の医師は、平成30年8月7日、手術で切除したAの腫瘍の病理組織を診断した結果、同腫瘍が胃GISTであると診断しているところ、前提事実(略)によれば、原発性のものと考えられる本件GISTが本件保険契約上「がん」に当たるといえるためには、ICD-10において胃の悪性新生物に分類されるものであるといえることが必要であり、悪性であるといえるためには、ICD-O2上、新生物の形態の形状コードが/3に当たることが必要である。

 前提事実(略)によれば、GISTという用語、概念自体、ICD-10やICD-O2上も記載がない。もっとも、GISTをICD-10やICD-O2に記載のある胃の非上皮性腫瘍(略)に含めて考え得るから、本件GISTがICD-10やICD-O2上、悪性の胃の非上皮性腫瘍に当たるかを念のため検討する。』

『まず、前提事実(略)のとおり、ICD-10もICD-O2も、GISTという用語、概念自体の記載がない以上、ICD-10やICD-O2の記載から、直ちに本件GISTが悪性であるかを判断することはできない。

 もっとも、前提事実(略)によれば、ブルーブックは、WHOが刊行する教科書シリーズであり、WHOは、ICD、ICD-Oの作成に当たり、ブルーブックを参照していることが認められるから、ICD-10やICD-O2の記載内容の解釈に当たっては、ブルーブックの記載内容を参照することが合理的である。』
(略)

『そうすると、ブルーブックの基準に照らせば、GISTであるということのみでは悪性であるとは認めがたい。また、GISTには悪性のものが含まれるものの、前提事実(略)のとおり、本件GISTは、予後グループ2に該当するから、本件保険契約締結時及び本件GISTの診断時のいずれを前提としても、ブルーブックの基準に照らして悪性であると認めるに足りない。

 以上のとおりであり、GISTの悪性の判断基準がICD-10やICD-O2上明らかでなく、その解釈上参照すべきブルーブックの基準に照らしても本件GISTが悪性であると認めがたいから、本件GISTが、ICD-10やICD-O2上、悪性の胃の非上皮性腫瘍に当たるとも認めるに足りない。』
(略)

『したがって、本件GISTが本件保険契約上「がん」に当たるとは認めるに足りない。 以上のとおり、Xの請求は理由がない。』

4.検討

(1)がん保険・医療保険における疾病の定義
保険法には疾病に関する定義規定がないため、がん保険、医療保険、入院特約などにおける疾病の定義は、保険約款で定義されており、本件がん保険契約においては、ICD-10およびICD-O2により定義がなされています。この点、いつの時点のICDおよびICD-Oにより疾病を判断すべきかが本事例のように訴訟の争点となることがあります(潘阿憲「医療保険の諸問題」『ジュリスト』1522号43頁)。

(2)本判決について
本事例においては、ICD-10およびICD-O2によれば胃GISTが「がん」に該当しないことは明らかですが、裁判所は、胃GISTが保険金の支払い対象である非上皮性腫瘍に該当する可能性があるとして、検討を行っていることが本判決の特色の一つといえます。また、本判決は、ICD-10およびICD-O2だけでなくブルーブックの記述についても詳細な検討を行っていますが、この点も本判決の特色の一つです。(なお、胃GISTが争われた類似の裁判例としては、他に東京地判令2.3.27・D1-law判例体系29060066があります。)

(3)情報提供義務・約款の不当条項の問題
なお、このようながんの定義は、一般人が日常用語で理解しているがんとは食い違いがあり、医師の診断における患者への説明とも食い違うことがあり得るとの指摘がなされています。そのため、「保険技術的にはがんを厳密に定義する必要があるとしても、一般的な消費者の理解とは大きく食い違うような定義であるとすれば、契約締結時における情報提供が不十分であることにより対象外とする定義が定型約款における不当条項として評価される可能性を認めるべきである」との指摘がなされています(山下友信『保険法(下)』225頁)。

したがって、保険会社においては、法的リスクを回避する観点から、『ご契約のしおり―定款・約款』のしおり部分などにおいて、疾病の定義について一般消費者の理解と食い違うような疾病の取扱いについて説明を行う等、情報提供義務を尽くす必要があるように思われます(保険業法294条、消費者契約法10条、民法548条の2第2項)。

■参考文献
・金融・商事判例1676号(2023年10月15日号)51頁
・ 山下友信『保険法(下)』225頁
・潘阿憲「医療保険の諸問題」『ジュリスト』1522号43頁

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