1.はじめに
5月28日の読売新聞の報道(「生成AI悪用しウイルス作成、警視庁が25歳の男を容疑で逮捕…設計情報を回答させたか」)などによると、生成AIを悪用してランサムウェア(身代金ウイルス)のコンピューターウイルスを作成したとして、警視庁は27日、川崎市、無職の男(25)を不正指令電磁的記録作成罪(ウイルス作成罪)容疑で逮捕したというニュースが非常に話題となっています。しかしこれが不正指令電磁的記録作成罪が成立するといえるのでしょうか?記事によると、男性は「複数の対話型生成AIに指示を出してウイルスのソースコード(設計情報)を回答させ、組み合わせて作成した」とのことです。また、「攻撃対象のデータを暗号化したり暗号資産を要求したりする機能が組み込まれていた」とのことです。
ところで読売新聞の別の記事等によると、逮捕された男性は元工場作業員でIT会社への勤務歴やIT技術を学んだ経歴はなく、これまでの捜査では協力者の存在も浮上していないとのことです。いくら生成AIをうまく利用したとしても、IT技術の素人(失礼)が作成したものが刑法が定める不正指令電磁的記録作成罪が成立するといえるのでしょうか?
2.不正指令電磁的記録作成罪の客体に該当するか
刑法不正指令電磁的記録作成罪の客体は、刑法の専門書である鎮目往樹・西貝吉晃・北條孝佳『情報刑法Ⅰ』160頁によれば、「電磁的記録」つまり「人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録」(刑法168条の2第1項1号)と、「前号に掲げるもののほか、同号の不正な指令を記述した電磁的記録その他の記録」(同条同項2号)の2つです。
(不正指令電磁的記録作成等)
第百六十八条の二 正当な理由がないのに、人の電子計算機における実行の用に供する目的で、次に掲げる電磁的記録その他の記録を作成し、又は提供した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
一 人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録
二 前号に掲げるもののほか、同号の不正な指令を記述した電磁的記録その他の記録
2 正当な理由がないのに、前項第一号に掲げる電磁的記録を人の電子計算機における実行の用に供した者も、同項と同様とする。
3 前項の罪の未遂は、罰する。
ここで電磁的記録とは、刑法7条の2で「電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう」と定義されていることから、コンピュータによる情報処理の用に供されるものであり、つまり客体の要件として、そのままの状態でコンピュータ上で実行動作可能であること、要するに、通常はソースコードをコンパイルした実行ファイル(バイナリコード)であることが必要であるとされています(「指令を与える記録」(1号))。一方、コンパイルすればそのままウイルスとして実行可能なソースコードは「指令を記述した記録」(2号)に該当するとされています。(またソースコードを印刷したもの等も2号の「指令を記述した記録」に該当します。)(鎮目・西貝・北條・前掲162頁)
つまり、刑法の専門書によると、不正指令電磁的記録作成罪の構成要件としての「指令を与える記録」(1号)および「指令を記述した記録」(2号)は、「そのままの状態でコンピュータ上で実行動作可能」な実行ファイルであるか、または「コンパイルすればそのままウイルスとして実行可能なソースコード」(またはそれを印刷等したもの)である必要があります。
新聞などの報道によると、男性は目的を伏して複数の生成AIに質問をしてソースコードを作成したとのことですが、IT技術のない男性が、そのような「つぎはぎ」の状態で「コンパイルすればそのままウイルスとして実行可能なソースコード」等を作成することができたのでしょうか。
新聞報道からは詳しいことはよくわかりませんが、もしそうでないとしたら、客体の観点から不正指令電磁的記録作成罪の構成要件には該当しておらず、犯罪は不成立ということになりそうです。
3.まとめ・専門家のコメント
このように見てみると、本事件は詳しいことはまだわかりませんが、逮捕された男性はランサムウェア的なウイルスのようなものを作成したことは確かだとしても、それが刑法の定める不正指令電磁的記録作成罪が成立するかは慎重な検討が必要なのではないかと思われます。なお、本事件を取り上げた朝日新聞記事のネット版(「「AIなら何でもできる」「楽して稼ごうと」 ウイルス作成容疑の男」)には、鳥海不二夫・東大教授(計算社会科学)の「(本事件の警察やマスメディアは、)「生成AIとウイルス」というキャッチーな内容に飛びついているだけの可能性が否定できません。少なくとも、知識のない人が「悪用対策が不十分な生成AI」にアクセスして簡単にウイルスを作って広められる時代になった、ということを意味するのかどうかは、続報を慎重に見極める必要があるニュースではないでしょうか。」とのコメントが付されておりますが、まさにそのとおりだと思われます。
また同様に須藤龍也・朝日新聞記者(情報セキュリティ)の「サイバーセキュリティ分野の専門記者として私が懸念しているのは、「不正指令電磁的記録に関する罪」の乱用です。今回の事件報道、「生成AI」というキーワードで先行している印象が否めません。」とのコメントが付されていますが、これは非常に正論であると思われます。
2019年に発生・発覚したCoinhive事件(コインハイブ事件)においては不正指令電磁的記録の罪により神奈川県警等が容疑者を逮捕しましたが、2022年には最高裁は同事件について無罪判決を出しました(最高裁令和4年1月20日判決)。警察・検察当局はCoinhive事件の反省に立ち、不正指令電磁的記録の罪の濫用を厳に慎まねばならないはずです。
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■参考文献
・鎮目往樹・西貝吉晃・北條孝佳『情報刑法Ⅰ』160頁、162頁
・いわゆるコンピュータ・ウイルスに関する罪について|法務省
■関連するブログ記事
・コインハイブ事件高裁判決がいろいろとひどい件―東京高裁令和2・2・7 coinhive事件
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