
1.富士通のAI人事システム
2026年5月21日、富士通がAIと数理最適化モデルを活用した人事異動支援システムをトラスコ中山に導入し、人事担当者の工数を約98%削減したと報道されました。システムは所属年数・職種・スキル、人事考査歴、取得資格などのデータをもとに異動候補案を自動生成し、人事担当者がAIと対話しながら最終判断を行う設計とのことです。

(富士通のプレスリリースより)
・富士通、AIが人事異動案を作成 工数を約98%削減|日経新聞
・トラスコ中山と富士通、データとAIを活用し、人事異動の意思決定プロセスを高速化|富士通
「効率化」の文脈で報道されているこの取り組みですが、視点を変えれば、個人のキャリア、生活、人生に直結する意思決定の一部がアルゴリズムに委ねられる事態でもあります。では、こうしたAI人事システムに対して、日本の法制度はどのような規律を及ぼしているのでしょうか。
2.AIに人事を任せると何が問題か
まず問題の所在を確認します。AI人事システムがはらむリスクは、大きく三つに整理できます。 第一は「ブラックボックス問題」です。AIの数理最適化モデルがどのような重みづけで異動案を生成したか、従業員には知る術がありません。なぜ自分がこの部署に配属されたのか、人事部門に説明を求めても「AIの提案です」という回答で終わる可能性があります。
第二は「統計的差別」のリスクです。AIは過去のデータから学習するため、これまでの組織の人事慣行に潜む偏り(たとえば育休取得者や特定の部署出身者が昇進しにくいというパターンや偏り)を無意識に再現・強化してしまうおそれがあります。性別・年齢・国籍を直接変数に使わなくても、代理変数を通じた間接差別が生じうるおそれがあります。
第三は「自動化バイアス」の問題です。自動化バイアスとは、人間が機械やコンピュータ等が提示した情報や提案を過剰に信頼してしまう心理的な偏りのことです。人事担当者がAIの提案を自動化バイアスにより妄信し、実質的に追認するだけになれば、「最終判断は人間が行う」という建付けは形式に過ぎなくなってしまいます。
これらのリスクに対して、日本の法制度はどのような備えを設けているのでしょうか。
3.個人情報保護法と限界
まず個人情報保護法について見てみます。同法19条は不適正利用の禁止を定めており、違法または不当な行為を助長・誘発するおそれがある方法で個人情報を利用することを禁じています。
AI人事システムの問題に引きつけていえば、差別的・恣意的な人事判断を助長するようなかたちでデータをAIに学習・処理させることが、この禁止規定に抵触しうることになります。
この点、例えば、「採用選考を通じて個人情報を取得した事業者が、性別、国籍等の特定の属性のみにより、正当な理由なく本人に対する違法な差別的取扱いを行うために、個人情報を利用する場合」は同19条の不適正利用の禁止に抵触します(個情法ガイドライン(通則編)3-2、事例5)。
また、個人情報の利用目的の特定・通知については同法16条・21条が規律しており、「AIモデルによる異動案生成」といった処理内容を利用目的として特定・明示することが求められます。
さらに、個人情報保護委員会の個情法ガイドラインQA5-7は、従業員の監視・モニタリング(PCやスマートフォン端末の利用状況の監視等)に関して、あらかじめ運用基準や運用責任者を作成・選任すること、あらかじめ社内規則を規定し従業員に周知すること等を求めています。そのため、AI人事システムが業務ログや行動データを人事上の判断に活用する場面では、そのような利用を想定した運用基準の事前策定と周知がこのQAの要請として導かれます。
加えて、モニタリングで収集したデータを当初の目的を超えて人事評価・異動判断に流用することは、QA5-7とは別に、目的外利用の原則禁止を定める18条の問題として整理され、従業員の本人の同意が必要なことにもなり得ます。
しかし、これらの規律には構造的な限界があります。社内の人事データは元々個人情報として適法に保有しているものであり、利用目的さえ就業規則等に記載しておけば、実質的に同意取得は観念的・形式的に処理されやすくなってしまいます。さらに、なぜその異動案になったかという「判断ロジックの説明」まで従業員側が求める権利は、現行法には明文化されていません。
なお、現在、国会では2026年個人情報保護法改正が審議されていますが、その方向性は個人データのさらなる利活用・AI利活用の推進が主眼であり、AIプロファイリング規制の強化などの導入は見送られる見通しとなっています。個情法の改正は、必ずしも個人の権利利益の保護や、労働者保護を強化する方向には向かっていないのです。
4.労働法の限界—均等法の間接差別と自動化差別
AIによる統計的差別は、雇用機会均等法の間接差別(7条)で対応できないか問題となります。しかし、現行法の射程は極めて狭くなっています。厚労省令で限定列挙された三類型(転居転勤要件・身長体重体力要件・転勤経験要件)しか対象にならず、アルゴリズムが生み出す統計的差別はそもそも射程外というのが現在の状況です。
より根本的な問題は、日本の労働法制全体が「人間」が判断して差別することを前提に設計されており、AIのアルゴリズムが中立的な外観で統計的差別を行う場面を想定していない点にあります。均等法も含め、現行法でAI人事の差別的帰結を正面から問える労働法の条文は存在しないのが現状です。
5.AI事業者ガイドライン—ソフトローの可能性と限界
2024年4月に経済産業省・総務省が公表し、2026年3月に第1.2版へ改定されたAI事業者ガイドラインは、今回の事案に最も直接的に関連するガイドライン(ソフトロー)です。
同ガイドラインは、AI開発者・提供者・利用者の三主体を対象とし、公平性・透明性・人間関与の確保などを求めています。人事AIに関係して特に重要な点を挙げると、
①公平性・バイアス対策
②透明性・説明可能性
③第1.2版で明示されたHuman-in-the-Loop(=人間の判断の介在)要請
といった項目が挙げられます。
ただし、このガイドラインはあくまでも法令ではなくソフトロー、すなわち法的拘束力のない指針にすぎません。違反しても直接の制裁はなく、従業員個人が「説明を求める権利がある」等とも明記されていません。
しかし、本年4月6日に公表された経産省の「AI利活用における民事責任の解釈適用に関する手引き」は、事業者が、AI事業者ガイドラインの考え方も踏まえながらリスクの調査・分析やそのための体制構築等を行っていたことは、不法行為(民法709条)の過失と評価される可能性を低める事情として斟酌され得る旨を指摘しています(森濱田松本法律事務所「AI事業者ガイドライン第1.2版」)。
そのため、事業者側は、AI事業者ガイドラインに書かれた内容を「ただのガイドラインにすぎない」と軽視すべきではなく、業務において遵守する必要性が高まりつつあると言えます。
6.日本IBMの事案—労組法という迂回路
実際にAI人事システムをめぐる法的争いが日本で起きた事例があります。日本IBMのAI査定事案です。
・AIを使った人事評価は「ブラックボックス」 日本IBMの労組が反発、学習データなど開示求める|IT media NEWS
・日本IBMと労組がAI賃金査定で和解、人事評価の在り方に一石投じる「4つの合意」|日経クロステック
2019年、日本IBMはAI「Watson」を活用した賃金査定ツールを社内に導入すると告知しました。これを受けJMITU(日本金属製造情報通信労働組合)日本アイビーエム支部は、AIに学習させた元データの説明等を求めて2020年に東京都労働委員会へ救済申立を行いました。
その背景には、人種・性別・国籍といった社会的属性をAIが学習してバイアスを再現するリスクや、判断過程のブラックボックス化への懸念があったのです。日本IBMは回答を拒み続けましたが、約4年の労使協議を経て2024年8月に和解が成立しました。
和解の内容は、
①賃金査定でAIに考慮させる項目全部の標題を開示
②これらの項目と賃金規程上の評価項目との関連性の説明、等
というものでした。
この事案が示す重要な点は二つあります。一つは、個情法でもAI規制法でもなく、団体交渉を拒否したことを不当労働行為(労働組合法7条)として申し立てるという古典的な法的構成が機能したことです。もう一つは、組合の存在と団交権が前提であり、組合がない・弱い企業では同じ手が使えないという限界です。
7.EUと比較すると見えてくること
仮に今回の富士通事案がEU域内で起きていたとすれば、どうなっていたでしょうか。
EUのGDPR22条は、本人(データ主体)に、法的な決定や重大な影響を与える専ら自動化された処理に基づく決定に服さない権利(完全自動処理拒否権)を保障しています。日本IBM事案で組合が4年かけて交渉して得た内容の多くが、EUでは最初から個人の権利として存在しているのです。
2024年発効のEUのAI法は、採用・昇進・解雇・業務配分・業績監視等に使う人事AIを「高リスク」AIとして明示し、導入前の適合性評価・リスク管理システム構築・学習データのバイアス管理・人間による監督の確保等を事業者に義務づけています。富士通の人事AIシステムがEU域内で稼働していれば、導入前にこれらの要件をクリアすることが求められます。
8.法の空白と憲法
以上を整理すると、日本においてAI人事システムに対して従業員が頼りうる法的手段は、現時点では極めて限られており、日本には法の空白が存在します。個情法は不適正利用禁止(19条)等を通じて一定の歯止めをかけようとしていますが、判断ロジックの説明義務等までは対象外です。雇用機会均等法は間接差別の射程が狭く、アルゴリズム差別に対応できません。AI事業者ガイドラインはソフトローにとどまり、従業員の権利を直接保障していません。
日本IBMの事案のように、労働組合があれば労組法7条を使えますが、労働組合のない職場では実質的に無防備に近い状態です。この状況は、憲法13条が保障するとされるプライバシー権や、情報プライバシー権の問題とも関連します。キャリアという自己の生き方、人生に直結する決定がAIやアルゴリズムによって形成される過程に、個人はいかなる関与と異議申立の機会を持つべきかという問いに対して、現行法制は有効な回答を持っていないのが現状です。
2026年個情法改正は個人情報やAIの利活用推進が主眼であり、AI基本法も罰則を持たない基本法的枠組みにとどまります。現在の日本は、立法的手当てのないまま、AI人事システム等の人事労務上のAIシステムの普及だけが先行している状況と言わざるを得ません。労働者保護の観点から、個情法あるいは労働法の改正を真剣に議論する時期に来ているのではないでしょうか。
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