1.はじめに
2026年7月10日、このブログでも取り上げていた改正個人情報保護法が国会で可決・成立しました。国会審議で大きな争点となったのは、「統計特例」です。すなわち、AI開発や統計作成に利用する限り、本人の同意なしに、個人データ、病歴・思想信条などの要配慮個人情報および個人関連情報を事業者や国が取得・利用・第三者提供できるようになります。
政府は、「統計情報やAI学習等は匿名化されるから問題ない」「日本のAI開発を推進するための規制緩和である」等と説明しました。しかしこの統計特例は本当に問題がないのでしょうか。「統計特例」の本当の危うさは、「自分の要配慮個人情報や個人データ等がどう利用されるか」という自分だけの自己決定の問題にとどまらないところにあります。
2.統計特例の「ねじれ」
統計特例における情報のAIによる取扱いを分解すると、つぎのようになります。

すなわち、まず、①入力段階では、本人の病歴・思想信条などの要配慮個人情報等が、統計特例により本人同意なしに事業者・国に収集されます。つぎに、②分析段階では、本人同意のない要配慮個人情報等が、AI学習やAIプロファイリング分析に利用され、「こういう病歴・属性の人は、こういう病気に罹りやすい」「こういう属性の人は、こういう思想信条を持っている」等の統計モデルが生成されます。さらに③運用段階では、上記で作成された統計モデルが、進学・就職・生命保険加入・与信・結婚・行政サービス審査などの人生の重要な各場面で、個人の選別・評価に利用されることになります。

この①から③までの流れのなかに、「ねじれ」の問題があります。つまり、③の運用段階でAIに選別・評価される「本人」は、①の入力段階で情報を取得された本人と同一人物とは限らないという問題です。
例えば、Aさんの病歴データ等がAIにより統計処理され、「ある属性の集団はある病気に罹患するリスクが高い」という統計的知見(モデル)が生成されたとして、このモデルがAさんとはまったく関係のないBさんの就職活動の採用選考や、婚活のマッチング、生命保険の引受審査などに、Bさんの本人同意なしにそのまま利用されてしまうおそれがあります。
つまり、統計特例がもたらす社会は、「自分のデータをどう使われるか」という自己決定・情報自己決定の問題を超えて、「自分と似た属性を持つ他人の集団のデータから作られた「ものさし」によって、自分が同意なしに、一方的にAIに分類・選別されるディストピアのような社会となるのです。
3.プロファイリング・セグメント主義(新集団主義)
この問題は、憲法学・情報法学の山本龍彦教授のプロファイリングやセグメント主義(新集団主義)の議論とも合致するものです。
すなわちAI社会においては、自分が開示していない病歴や思想信条などの情報が、自分自身のデータではなく、他人の集団(セグメント)的なデータにより形成されるモデルにより「推知」(類推)され、それに基づいて自分本人へのさまざまな決定・処理、選別・差別が行われるおそれがあるのです(山本龍彦『AIと憲法』67頁)。
政府は国会で「「統計情報やAI学習等は匿名化されるから問題ない」と説明してきましたが、この説明はこの「ねじれ」の問題をまったく解消していません。むしろ個人が特定されないからこそ、国民本人は、いつどのモデルによって、どんな「ものさし」で選別・差別されるのかを知ることもできないまま、進学・就職・結婚・与信・生命保険加入などの人生の重要なそれぞれの場面で選別・差別され続けることになります。
(2019年には、人材紹介会社が本人同意なしに就活生のネット閲覧履歴などから「内定辞退率予測データ」を作成し企業に販売していたリクナビ事件が大きな社会問題となりました。)
4.自己情報コントロール権・情報自己決定権からの反論
この「ねじれ」の問題は、憲法学・情報法学で長年議論されてきている「自己情報コントロール権」からも問題です。
憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しています。
この「個人の尊重」と「幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)に基づいて、個人情報が公権力や大企業等により集中的に管理されている現代社会においては、個人が個人情報を自らコントロールし、自己の情報について開示・訂正・削除請求、利用停止請求などの権利行使が認められるべきであるとする権利と自己情報コントロール権は理解されています(渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ基本権 第2版』125頁、芦部信喜・高橋和之『憲法 第8版』127頁)。
しかし今回の改正個人情報保護法で導入された統計特例では、個人情報の利用・第三者提供などの各場面の大原則である「本人の同意」という手続きが廃止されます。つまり、統計特例は、国民個人の自己の情報に関する決定権を丸ごと事業者や国に譲り渡すものです。
例えるならば、私たちの思想信条や病歴などのデリケートなデータ、行動履歴・購買履歴・位置情報など個人データは、この国の主権者としての国民個人の「私」のものではなく、IT事業者や国のAIモデルを太らせ成長させるための「餌」となり、私たち国民個人はAIモデルに餌を供給するための「家畜」になるのです。
(なお近年、憲法学・情報法学の曽我部真裕教授などから自己情報コントロール権説を批判する形で、「自己の情報を適切に取扱われる権利説」が有力に主張されています。すなわち同説は、情報プライバシーにおいては本人の同意や自己決定は本質的な要素ではなく、むしろ自己の情報がプラットフォーム事業者などの事業者に適切に取扱われることが重要であると主張します(曽我部真裕「自己情報コントロール権は基本権か?」憲法研究3号71頁)。しかし、本人同意は本質的な問題ではないとする同説に立つと、上記であげた統計特例の「ねじれ」の問題をうまく批判できないように思われます。)
5.統計特例賛成派からの反論への再反論
(1)AI開発の国際競争
上記のような統計特例反対論に対しては、統計賛成派からは、「AI開発の国際競争のためにはやむを得ない。EUなども同様のはずだ。」との反論があるかもしれません。
しかし、EUのGDPR(一般データ保護規則)が認めているのは、あくまでも「再識別のリスクを可能な限り低減するレベルまで匿名化した後」のデータの利用であり、匿名化・統計化された結果を使えるという仕組みです。一方日本の統計特例は、要配慮個人情報を含む「生データ」そのものを事業者が本人同意なしに取得・利用・第三者提供を認める仕組みです。
つまりEUは、匿名化した情報のやり取り等を自由にするのに対して、日本は匿名化などをする前の生データが事業者間を転々と流通することを許容してしまうのです。「AI開発の国際競争」の重要性は当然ではありますが、その運用の前提となる仕組みが日本の統計特例はあまりにも国民個人の権利利益や人格権、プライバシー権、内心の自由などの基本的人権を軽視しています(個情法1条、3条、憲法13条、19条)。
(2)事業者に対する公表義務や委託先の監督などの法的義務
また、統計特例賛成派は、改正個人情報保護法に定められた事業者に対する公表義務や、委託先の監督などの法的義務で上記のような問題は回避できると主張するかもしれません。
しかし、事業者の公表義務や委託先への監督などの安全管理措置などは現行法でもすでに存在します。しかしそのような仕組みをもってしても、名簿業者の問題や、委託先経由の情報漏えいの大規模な事故は後を絶ちません。今回の改正法で盛り込まれた公表義務や、委託先の監督なども、現行法と同様に形式的なものに留まります。課徴金制度も導入されましたが、その対象となる事象は限定的なものに留まっています。
6.まとめ
統計特例に「個人を特定しない」という建前があるとしても、要配慮個人情報等が生データの形で本人同意なしに社会を流通する以上、それらの情報による名寄せや再識別のリスクは依然として残ります。データによる差別(統計的差別)やプロファイリングの危険も存在します。「AI開発の国際競争のため」という大義名分のために、私たち国民個人は、自らの情報に対する主権・自己決定権・統治権を手放そうとしているのではないでしょうか。このような法改正は、この国の主権者のはずの国民の、「個人の尊重」や幸福追求権を大きく侵害するものなのではないでしょうか。
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・政府の検討会議で健康・医療データについて患者の本人同意なしに二次利用を認める方向で検討がなされていることに反対する
■参考文献
・「個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律案」の閣議決定について|個人情報保護委員会
・野呂悠登「令和8年改正個人情報保護法はどうなる?改正法を弁護士が解説」businesslawyers
・「個人情報保護法いわゆる3年ごと見直しの改正法案についての意見書」|日弁連
・山本龍彦『AIと憲法』67頁
・曽我部真裕「自己情報コントロール権は基本権か?」憲法研究3号71頁
・渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ基本権 第2版』125頁
・芦部信喜・高橋和之『憲法 第8版』127頁
2026年7月10日、このブログでも取り上げていた改正個人情報保護法が国会で可決・成立しました。国会審議で大きな争点となったのは、「統計特例」です。すなわち、AI開発や統計作成に利用する限り、本人の同意なしに、個人データ、病歴・思想信条などの要配慮個人情報および個人関連情報を事業者や国が取得・利用・第三者提供できるようになります。
政府は、「統計情報やAI学習等は匿名化されるから問題ない」「日本のAI開発を推進するための規制緩和である」等と説明しました。しかしこの統計特例は本当に問題がないのでしょうか。「統計特例」の本当の危うさは、「自分の要配慮個人情報や個人データ等がどう利用されるか」という自分だけの自己決定の問題にとどまらないところにあります。
2.統計特例の「ねじれ」
統計特例における情報のAIによる取扱いを分解すると、つぎのようになります。

すなわち、まず、①入力段階では、本人の病歴・思想信条などの要配慮個人情報等が、統計特例により本人同意なしに事業者・国に収集されます。つぎに、②分析段階では、本人同意のない要配慮個人情報等が、AI学習やAIプロファイリング分析に利用され、「こういう病歴・属性の人は、こういう病気に罹りやすい」「こういう属性の人は、こういう思想信条を持っている」等の統計モデルが生成されます。さらに③運用段階では、上記で作成された統計モデルが、進学・就職・生命保険加入・与信・結婚・行政サービス審査などの人生の重要な各場面で、個人の選別・評価に利用されることになります。

この①から③までの流れのなかに、「ねじれ」の問題があります。つまり、③の運用段階でAIに選別・評価される「本人」は、①の入力段階で情報を取得された本人と同一人物とは限らないという問題です。
例えば、Aさんの病歴データ等がAIにより統計処理され、「ある属性の集団はある病気に罹患するリスクが高い」という統計的知見(モデル)が生成されたとして、このモデルがAさんとはまったく関係のないBさんの就職活動の採用選考や、婚活のマッチング、生命保険の引受審査などに、Bさんの本人同意なしにそのまま利用されてしまうおそれがあります。
つまり、統計特例がもたらす社会は、「自分のデータをどう使われるか」という自己決定・情報自己決定の問題を超えて、「自分と似た属性を持つ他人の集団のデータから作られた「ものさし」によって、自分が同意なしに、一方的にAIに分類・選別されるディストピアのような社会となるのです。
3.プロファイリング・セグメント主義(新集団主義)
この問題は、憲法学・情報法学の山本龍彦教授のプロファイリングやセグメント主義(新集団主義)の議論とも合致するものです。
すなわちAI社会においては、自分が開示していない病歴や思想信条などの情報が、自分自身のデータではなく、他人の集団(セグメント)的なデータにより形成されるモデルにより「推知」(類推)され、それに基づいて自分本人へのさまざまな決定・処理、選別・差別が行われるおそれがあるのです(山本龍彦『AIと憲法』67頁)。
政府は国会で「「統計情報やAI学習等は匿名化されるから問題ない」と説明してきましたが、この説明はこの「ねじれ」の問題をまったく解消していません。むしろ個人が特定されないからこそ、国民本人は、いつどのモデルによって、どんな「ものさし」で選別・差別されるのかを知ることもできないまま、進学・就職・結婚・与信・生命保険加入などの人生の重要なそれぞれの場面で選別・差別され続けることになります。
(2019年には、人材紹介会社が本人同意なしに就活生のネット閲覧履歴などから「内定辞退率予測データ」を作成し企業に販売していたリクナビ事件が大きな社会問題となりました。)
4.自己情報コントロール権・情報自己決定権からの反論
この「ねじれ」の問題は、憲法学・情報法学で長年議論されてきている「自己情報コントロール権」からも問題です。
憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しています。
この「個人の尊重」と「幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)に基づいて、個人情報が公権力や大企業等により集中的に管理されている現代社会においては、個人が個人情報を自らコントロールし、自己の情報について開示・訂正・削除請求、利用停止請求などの権利行使が認められるべきであるとする権利と自己情報コントロール権は理解されています(渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ基本権 第2版』125頁、芦部信喜・高橋和之『憲法 第8版』127頁)。
しかし今回の改正個人情報保護法で導入された統計特例では、個人情報の利用・第三者提供などの各場面の大原則である「本人の同意」という手続きが廃止されます。つまり、統計特例は、国民個人の自己の情報に関する決定権を丸ごと事業者や国に譲り渡すものです。
例えるならば、私たちの思想信条や病歴などのデリケートなデータ、行動履歴・購買履歴・位置情報など個人データは、この国の主権者としての国民個人の「私」のものではなく、IT事業者や国のAIモデルを太らせ成長させるための「餌」となり、私たち国民個人はAIモデルに餌を供給するための「家畜」になるのです。
(なお近年、憲法学・情報法学の曽我部真裕教授などから自己情報コントロール権説を批判する形で、「自己の情報を適切に取扱われる権利説」が有力に主張されています。すなわち同説は、情報プライバシーにおいては本人の同意や自己決定は本質的な要素ではなく、むしろ自己の情報がプラットフォーム事業者などの事業者に適切に取扱われることが重要であると主張します(曽我部真裕「自己情報コントロール権は基本権か?」憲法研究3号71頁)。しかし、本人同意は本質的な問題ではないとする同説に立つと、上記であげた統計特例の「ねじれ」の問題をうまく批判できないように思われます。)
5.統計特例賛成派からの反論への再反論
(1)AI開発の国際競争
上記のような統計特例反対論に対しては、統計賛成派からは、「AI開発の国際競争のためにはやむを得ない。EUなども同様のはずだ。」との反論があるかもしれません。
しかし、EUのGDPR(一般データ保護規則)が認めているのは、あくまでも「再識別のリスクを可能な限り低減するレベルまで匿名化した後」のデータの利用であり、匿名化・統計化された結果を使えるという仕組みです。一方日本の統計特例は、要配慮個人情報を含む「生データ」そのものを事業者が本人同意なしに取得・利用・第三者提供を認める仕組みです。
つまりEUは、匿名化した情報のやり取り等を自由にするのに対して、日本は匿名化などをする前の生データが事業者間を転々と流通することを許容してしまうのです。「AI開発の国際競争」の重要性は当然ではありますが、その運用の前提となる仕組みが日本の統計特例はあまりにも国民個人の権利利益や人格権、プライバシー権、内心の自由などの基本的人権を軽視しています(個情法1条、3条、憲法13条、19条)。
(2)事業者に対する公表義務や委託先の監督などの法的義務
また、統計特例賛成派は、改正個人情報保護法に定められた事業者に対する公表義務や、委託先の監督などの法的義務で上記のような問題は回避できると主張するかもしれません。
しかし、事業者の公表義務や委託先への監督などの安全管理措置などは現行法でもすでに存在します。しかしそのような仕組みをもってしても、名簿業者の問題や、委託先経由の情報漏えいの大規模な事故は後を絶ちません。今回の改正法で盛り込まれた公表義務や、委託先の監督なども、現行法と同様に形式的なものに留まります。課徴金制度も導入されましたが、その対象となる事象は限定的なものに留まっています。
6.まとめ
統計特例に「個人を特定しない」という建前があるとしても、要配慮個人情報等が生データの形で本人同意なしに社会を流通する以上、それらの情報による名寄せや再識別のリスクは依然として残ります。データによる差別(統計的差別)やプロファイリングの危険も存在します。「AI開発の国際競争のため」という大義名分のために、私たち国民個人は、自らの情報に対する主権・自己決定権・統治権を手放そうとしているのではないでしょうか。このような法改正は、この国の主権者のはずの国民の、「個人の尊重」や幸福追求権を大きく侵害するものなのではないでしょうか。
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■参考文献
・「個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律案」の閣議決定について|個人情報保護委員会
・野呂悠登「令和8年改正個人情報保護法はどうなる?改正法を弁護士が解説」businesslawyers
・「個人情報保護法いわゆる3年ごと見直しの改正法案についての意見書」|日弁連
・山本龍彦『AIと憲法』67頁
・曽我部真裕「自己情報コントロール権は基本権か?」憲法研究3号71頁
・渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ基本権 第2版』125頁
・芦部信喜・高橋和之『憲法 第8版』127頁