
1.はじめに
NHKなどの報道によると、本日の国会で、石破首相が「企業献金禁止は企業の表現の自由を保障した憲法21条に抵触する」旨を発言したとのことです。首相の念頭にあるのは企業献金は違法ではないとした八幡製鉄事件判決(最高裁昭和45年6月24日判決)だと思うのですが、あの最高裁判決は憲法学界から批判が大きいところのはずだよなあと思い、憲法の教科書を開いてみました。
2.法人の「人」権?
そもそも企業・団体などの法人に政治活動の自由や政治的表現の自由(憲法21条1項)が認められるかが問題となりますが、人権は「個人の権利」であるからその主体は本来人間でなければならないものの、経済社会の発展にともない、法人その他の団体の活動の重要性が増大し、法人もまた人権を有する主体であると理解されるようになっています。そのため、人権の規定が「性質上可能な限り」法人にも適用されることは判例・通説の認めるところとなっています(結社の自由、信教の自由、プライバシー権など)。冒頭であげた八幡製鉄事件判決は、法人が人権を有することを正面から認めた初期の判決ですが、この点は正当であると思われます。
3.企業の政治活動の自由、企業献金への憲法学説の見解
しかし、人権は個人の権利として生成・発展してきたものですから、それを法人にも認めるとしても限定的に認めることが必要であると憲法学説はしています。つまり、法人の精神的な自由権、たとえば政治的行為の自由については、「法人の持つ巨大な経済的・社会的な実力を考慮に入れると、一般国民の政治的自由を不当に制限する効果をともなったりする等の場合がありうるので、自然人と異なる特別の規制に服すると解すべきである」と学説はしています(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第8版』92頁)。
このように学説の通説的見解は考えているため、八幡製鉄事件判決が「(企業による)政治資金の寄付もまさにその自由(=政治行為の自由)の一環であり、…政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄付と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない」と判示して特別の制約を認めず、無制限の政治活動の自由、無制限の企業献金の自由を認めたことについては「この点で、この判決は行きすぎであり妥当ではない。」と批判しています(芦部・高橋・前掲94頁)
4.まとめ
このように、石破首相や自民党が(おそらく)八幡製鉄事件判決を念頭にして、企業献金は企業の政治活動・政治的表現の自由(憲法21条1項)の観点から許されると主張することは正当であると思われますが、しかし同判決については憲法学説から強い批判がなされていることをスルーしている点についてはややズルい、一見、憲法を持ち出して法令を重視しているように見せて、その実は憲法や法律学に誠実ではないように思われます。
法人の献金などについては、やはり「法人の持つ巨大な経済的・社会的な実力を考慮に入れると、一般国民の政治的自由を不当に制限する効果をともなったりする等の場合がありうるので、自然人と異なる特別の規制に服すると解すべきである」と考えることが妥当であるように思われます。
企業・団体献金を企業の政治的な自由・政治的表現の自由(憲法21条1項)と考えること自体は正しいとしても、それは無制限の権利ではないのであり、「公共の福祉」の観点からも何らかの法律的な規制が必要なのではないでしょうか。
■追記(2024年12月11日)
このブログ記事を書いた後に、石村修・専修大学名誉教授(憲法学)の「会社による政党への寄附-八幡製鉄事件最高裁判決・再読-」『法と民主主義』2024年5月号に接しました。同論文も「政治活動は、本質的には自然人の判断で決定されるものであり、会社が関与すればそこに利権が絡むことは必至である。」と、八幡製鉄事件判決を批判しています。

