
最近、あちこちの政党や官庁、マスメディア等で、国民の民意を収集・分析するためにSNSをAIで分析等する動きが盛んであるように思われます。
例えば、国民民主党などが積極的にこのような取組みを推進しており、また東京都もAIを利用して都民の声を吸い上げる「ブロードリスニング」という取組みを行っているようです。

(東京都の「ブロードリスニング」、「2050東京戦略 ~東京 もっとよくなる~」|東京都 より)
7月20日に投開票が実施された参議院選挙においても、政治におけるAIやITの利活用を掲げるチームみらいが議席を獲得し、X(旧Twitter)上では、多くのAIやITの専門家や法律家の方々がポジティブな反応をされています。
もちろん、政治にAIやITを導入する方向は、時代の流れでとても良いことだと思うのですが、しかし大丈夫なのかという懸念もあるものと思われます。そもそも、AIでSNS等の情報を集約・分析すればそれが「民意」なのだろうか?という疑問が、憲法学や政治学の分野からは提起されるものと思われます。
"議会での議論なんかどうでもいい。街頭での国民の拍手喝采こそ民主主義だ"という考え方で第二次大戦前・中のドイツはナチズム・全体主義に陥ってしまいました。やはり政治分野においては、限られた人数の国民の代表を集めて一定期間自由な議論をさせるという、議会での冷静・慎重な熟議が重要なのではないかと思われます。
この点、憲法学・情報学の山本龍彦教授は、最近の「AIで民意を予測する」という動きについて、「結局、AIで国民の多様な声を可視化できても、最終的な意思決定を下すには多くの議論や価値判断が必要になる。AIよって可視化された多様な声をチューニングして「私たちの意思」へと練り上げるプロセスが不可欠というわけだ。AIを使っても、「政治」の領域を消去することはできない。」「こう考えると、私たち国民の意思とは「もともと存在するもの」ではないことがわかる。議会という場で、議員による自由な討論を通じて多様な利害(マイノリティーの利益も含めて)が調整され、高度な価値判断を経て1つのものとしてまとめあげられていくもの。それが国民意思なのである。今日では、選挙で多数派を形成した者の声がダイレクトに政策に結びつけられることが「民主主義」であると誤解されることも多く、こうした代表制の基本的な考えが意識されることが少なくなっているように感じる。」と論じておられることが、非常に示唆に富むものと思われます。
・「選挙をのみ込むアテンション、欲望の集積は民意か 慶大・山本龍彦教授 デジタルと民主主義(中)」日本経済新聞2025年7月10日
このように、最近の多くの政党や官庁、マスメディア等の"AIを使ってSNSや社会の「民意」を集約すれば、それだけで良い民主主義を実現できる"との考え方や動きには危うさを感じるものがあります。



