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とある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

カテゴリ: 金融機関

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1.はじめに
最近、2007年10月の郵政民営化前の郵便局の郵便貯金のうち定期性の定額郵便貯金、定期郵便貯金、積立郵便貯金、住宅積立郵便貯金、教育積立郵便貯金等(以下、「定額郵便貯金等」)が満期(定額郵便貯金の場合10年)経過後から20年2か月経過すると権利消滅してしまうことが新聞報道などで大きく取り上げられています。

・【独自】「消えた郵便貯金」21年度に457億円消滅 復活承認は2億円だけ|朝日新聞

この点、郵政管理・支援機構(独立行政法人 郵便貯金 簡易生命保険管理・ 郵便局ネットワーク支援機構)サイトの令和2年10月1日付の「満期を経過した郵便貯金の払戻しに関するお知らせ」にはたしかにそのように説明されています。

お知らせ
(令和2年10月1日郵政管理・支援機構「満期を経過した郵便貯金の払戻しに関するお知らせ」より)

しかし、民間の一般銀行等にはこのように預金が消滅時効的に消えてしまうような制度はありません。(近年、休眠預金法の制定により、いわゆる休眠預金がNPO等に渡る制度ができましたが、この休眠預金になった場合でも、預金者は銀行等に申し出れば預金を引き出すことができます。)こんなすごい(ひどい)制度が郵便貯金にはあったのでしょうか?

2.郵便貯金法29条
そこでこの郵政管理・支援機構などの資料を元に少し調べてみると、郵政民営化後も有効である旧・郵便貯金法29条(改正前)が次のように規定していることが分かりました。

郵便貯金法

第29条(貯金及び保管証券に関する権利の消滅)(改正前) 十年間貯金の預入及び払もどし並びに証券の購入、保管、売却又は返付の請求がなく、且つ、利子の記入又は貯金若しくは保管証券の確認のためにする通帳、貯金証書又は証券保管証の提出がない場合において、逓信官署がその預金者に対し通帳、貯金証書若しくは証券保管証を提出し、又は貯金の処分をすべき旨を催告し、その催告を発した日から二箇月以内に、なお通帳、貯金証書若しくは証券保管証の提出又は貯金の処分の請求がないときは、その貯金及び保管証券に関する預金者の権利は、消滅し、保管証券は、国庫に帰属する。
つまり、定額郵便貯金等は、貯金の返還などの請求がなく通帳の記帳等がない場合、ゆうちょ銀行が貯金の処分等をすべき旨を催告し、その催告を発した日から二箇月以内に利用者の処分等がない場合は消滅し、国庫に帰属すると規定されているのです。

3.権利消滅規定の趣旨・目的は?
たしかに国会で審議された法律である郵便貯金法の29条に権利消滅の根拠規定があることは分かりましたが、しかしこの29条の権利消滅規定の趣旨・目的は何なのでしょうか?

そこで調べてみると、郵便貯金法令研究会『解説郵便貯金法』(ぎょうせい, 1982)155頁以下はつぎのように法29条の趣旨・目的を解説しています。

『本条の規定が設けられている趣旨は、長期間利用のない、いわゆる権利の上に眠っている郵便貯金について、一定の行為をすることを促すことによって権利関係が不明確になることを防止するとともに、催告してもなおかつ利用されない貯金を整理することによって事業の経済的、合理的な運用を図るものであるといえよう。貯金原簿管理庁からの催告を特に権利消滅の要件としているのは、この趣旨に基づくものであり、長期間利用のない貯金については預金者が失念している場合もあるので、中期を喚起し、権利行使を促すこととしているのである。』
(郵便貯金法令研究会『解説郵便貯金法』(ぎょうせい, 1982)155頁~156頁より)
すなわち、長期間利用のない郵便貯金について、①権利関係が不明確になることを防止することと、②催告してもなおかつ利用されない貯金を整理することによって事業の経済的、合理的な運用を図ること、の2点がこの29条の権利消滅規定の趣旨・目的であるようです。

また、本書160頁は、法29条が「逓信官署が…貯金の処分をすべき旨を催告し、その催告を発した日から二箇月以内に、権利が消滅」と規定していることから、この催告はいわゆる到達主義ではなく発信主義であると解説しつつも、「しかしながら本条の運用にあたっては、本条が設けられている趣旨にかんがみ慎重を期さなければならないといえよう。」と実務担当者に釘をさしています。

ところでわが国では1970年代から金融機関のIT化が推進され、従来は紙の契約書や帳簿等で管理されていた預金・貯金などの大量の契約の保全業務に大型コンピュータが導入されています。そのため、法29条の趣旨・目的のとくに2つめである「事業の経済的、合理的な運用」については、紙で契約の保全がなされていた時代ではない現代においては、その重要性は薄れているのではないでしょうか。

一般の民間金融機関には定期預金の権利消失制度などは存在せず、また多くの国民も郵政民営化前の定額郵便貯金等に権利消滅制度が存在することを知らないであろうことを考えると、国は郵便貯金法を改正する等して、多くの定額郵便貯金が権利者である国民ではなく国庫に帰属してしまう現状を何とかすべきではないかと思われます。現状のままでは、まるで国が「埋蔵金」欲しさに高齢の国民の金銭をかすめ取っているように思えます。

あるいは、冒頭の新聞記事などによると、貯金の権利者の転居などにより催告状などの8割が貯金者本人に届いていない、催告状が普通郵便であり受け取った本人がその重要性に気付かないなど、制度の運用にも多くの問題があるように思えます。国は『解説郵便貯金法』の「しかしながら本条の運用にあたっては、本条が設けられている趣旨にかんがみ慎重を期さなければならないといえよう。」との本法の立案担当者が書いた(と思われる)説明をも重視すべきではないでしょうか。

4.なぜ20年後に催告するのか?
ところで、上でも見たように、郵政民営化前に契約された定額郵便貯金等について満期から20年経過後に郵便局から催告がなされ、その2か月後に権利消滅がなされることに関して、催告から2か月後に権利が消滅することは郵便貯金法29条に基づくことは分かりました。しかし満期から20年後に(まるで利用者が忘れたころを見計らうように)催告がなされることについては根拠規定などはどうなっているのでしょうか?

この点については、総務省情報流通行政局郵政行政部貯金保険課と郵政管理・支援機構に電話にて問い合わせ、さらに衆議院サイトで調べる等したところ、つぎのようなことが分かりました。

まず、郵便貯金法は1947年に制定されてから何度も一部改正が行われているところ、1994年(平成6年)の「郵便貯金法の一部を改正する法律」(法律第七十二号(平六・六・二九))により一部改正が行われ、法29条などが次のように規定されています。

郵便貯金法

第二十九条(貯金に関する権利の消滅) 第四十条の二第一項の規定により貯金の預入又は一部払戻しの取扱いをしないこととされた通常郵便貯金について、その後十年間その貯金の全部払戻しの請求(同条第二項の規定により貯金の全部払戻しの請求とみなされるものを含む。)がない場合において、貯金原簿所管庁がその預金者に対し貯金の処分をすべき旨を催告し、その催告を発した日から二月以内になお貯金の処分の請求がないときは、その貯金に関する預金者の権利は、消滅する。

第四十条の二(十年間預入、払戻し等のない通常郵便貯金の取扱い) 十年間貯金の預入及び払戻しがなく、かつ、通帳の再交付に係る請求、印章の変更に係る届出その他省令で定める請求若しくは届出又は第二十二条の規定による通帳若しくは貯金番証書の提出がない通常郵便貯金については、第七条第一項第一号の規定にかかわらず、貯金の預入又は一部払戻しの取扱いをしない。

 前項に規定する通常郵便貯金について、通帳の再交付に係る請求、印章の変更に係る届出その他省令で定める請求又は届出があつたときは、貯金の全部払戻しの請求があつたものとみなして、省令で定めるところにより貯金を払い渡す。

第五十七条(十年が経過した定額郵便貯金) 定額郵便貯金は、預入の日から起算して十年が経過したときは、通常郵便貯金となる。
(以下略)
すなわち、①まず法57条1項で定額郵便貯金は預入(=満期)の日から10年経過すると通常郵便貯金となり(「案内」が送付される)、②つぎに法40条の2第1項により10年間貯金の払戻しや通帳の再交付等のない通常郵便貯金は「貯金の預入又は一部払戻しの取扱いをしない」貯金となる(いわゆる「睡眠貯金」)(「お知らせ」が送付される)。このようにして10年+10年で合計20年となった後に、③ゆうちょ銀行から催告がなされ「催告書」が送付され、法29条に基づいてその後2か月後に郵便貯金の権利消滅が成立してしまうということのようです。

20年2か月のイメージ図

このように、定額郵便貯金等が満期後20年2か月後に権利消滅してしまう2か月の部分だけでなく、20年の部分についても郵便貯金法に根拠規定があることが分かりました。ご教示くださった総務省の貯金保険課および郵政管理・支援機構のご担当者の方々どうもありがとうございました。

(なおこの件は、ゆうちょ銀行のコールセンターにも電話で質問してみたのですが、ゆうちょ銀行の回答は、「2か月で消滅の部分は郵便貯金法29条に根拠規定があるが、20年の部分に関しては法的な根拠規定は存在せず、当社が独自の判断で20年の期間としている」との驚くべき内容でした。日本郵政グループは2019年に発覚した郵便局・かんぽ生命による組織ぐるみの不正な生命保険の乗換で大きな社会的非難を受け、社内のコンプライアンスとガバナンスを再建中のはずですが、本当に大丈夫なのでしょうか?)

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■関連するブログ記事
・かんぽ生命・日本郵便の不正な乗換契約・「乗換潜脱」を保険業法的に考える
・かんぽ生命・日本郵便の3000件の個人情報漏洩事故



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1.はじめに
2023年4月5日付の週刊金曜日の「特別永住者証提示断った在日韓国人の口座開設を銀行拒否 「外国人差別」と救済申し立て」との記事がネット上で話題を呼んでいます。

・特別永住者証提示断った在日韓国人の口座開設を銀行拒否 「外国人差別」と救済申し立て|週間金曜日

この記事によると、2021年12月に韓国籍の在日3世の男性が、大阪市内のりそな銀行支店窓口で預金口座の口座開設を申し込んだ際に、本人確認のために運転免許証を提示したが特別永住者証明書を提示しなかったとして口座開設を拒否されたとのことです。男性は2023年3月に日弁連に対して、りそな銀行と金融庁に対してこれは「外国人差別」であるとして、差別的取扱をやめるよう警告することを求める人権救済申立を行ったとのことです。すなわち、犯罪収受移転法などによると外国人であっても運転免許証を提示した場合には特別永住者証明書の提示は不要なはずであり、それを求めるのは不当な差別だというのがこの男性の主張であるそうです。しかし、結論を先取りすると、りそな銀行支店窓口の対応は「外国人差別」ではありません。

2.マネロン・テロ資金供与対策の国際的な流れ
2001年のアメリカ同時多発テロなどの事件を受けて、マネーロンダリング対策・テロ資金供与対策などの機運が国際的に高まっています。そして2007年には銀行や保険会社など金融機関等にマネロン対策などのために顧客の本人確認や、疑わしい取引があった場合に当局に報告などを求める犯罪収受移転防止法が制定されました。さらに2018年には金融庁は「マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策に関するガイドライン」などを制定しています。

そして、金融庁サイトの「金融機関におけるマネロン・テロ資金供与・拡散金融対策について」は金融機関の利用者に対してつぎのように説明しています。

「こうしたマネロン等対策の一環として、皆様が金融機関を利用する際に、従来よりも詳しい説明を求められたり、取引目的の確認、資産及び収入の状況等について従来は求められなかった資料の提出や質問への回答を求められたりする場合があります。
(略)
こうした確認は、年々複雑化・高度化するマネロン等の手口に対抗できるよう、金融機関が行っているマネロン等対策の一環です。利用者の皆様におかれましては、マネー・ローンダリングや、テロ資金供与等の防止のために、また、皆様の預金や資産を守るために必要な取り組みであることにつき、ご理解・ご協力をお願いいたします。」

マネロンの図
(金融庁「金融機関におけるマネロン・テロ資金供与・拡散金融対策について」より)

この金融庁の説明にあるように、銀行等は犯罪収受移転防止法などが定める規定に加え、マネロン対策・テロ資金供与対策などのために、顧客属性に応じた顧客管理を行うために、個社の判断でさらに厳格な社内ルールを定め、それを実践することが求められているのです。

3.犯罪収受移転防止法や裁判例
なお犯罪収受移転法は銀行等に取引時に本人確認を行うことを義務付け(法4条)、銀行等がそれを怠った場合には罰則が科されると規定しています(法26条)。そして、銀行等の口座開設などの取引にあたって、顧客が本人確認書類の提示などを拒んだ場合には、銀行等は銀行口座の開設などを拒否しても免責されると規定されています(法5条)。

さらに、ある銀行が外国人に対しては住宅ローンは永住資格のある外国人にしか認めないとの内規を持っていたところ、永住資格を持たない外国人が住宅ローンが自分に認められないのは不当な差別(憲法14条1項)であるとして提起された訴訟において、「金融機関の対応に合理性がある場合には、特定の類型の顧客に対して特定の取引を拒絶してもそれは不当な差別ではなく不法行為は成立しない」と判示した裁判例も存在します(東京高裁平成14年8月29日判決・金融商事判例1155号20頁・畑中龍太郎・神田秀樹など『銀行窓口の法務対策4500講Ⅰ』423頁)。

4.本事件へのあてはめ・まとめ
この点、本記事によると、りそな銀行は内規で、外国人の顧客の場合には特別永住者証明書や在留カードの提示を求めることとしていたそうであり、これは上でみた金融庁の「マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策に関するガイドライン」・「金融機関におけるマネロン・テロ資金供与・拡散金融対策について」などの考え方にも合致しています。

また上でもみたように口座開設などの場面で顧客が本人確認書類の提示を拒んだ場合には銀行等は口座開設を拒むことが認められています(犯罪収受移転防止法5条)。加えて、これも上でみたとおり、銀行が内規に基づいて外国人に銀行取引を拒絶することは不当な差別ではなく不法行為とはならないとした裁判例も存在します。

したがって、本事件の男性は日弁連に金融庁やりそな銀行への警告を求める人権救済申立を行ったそうですが、マネロン対策等に関する世界的な動向や、法令、裁判例などに照らすと不当な差別ではありませんので、本件男性の人権救済の申立ては日弁連から退けられるか、あるいは仮に警告が日弁連からなされたとしても、金融庁やりそな銀行はそれを受け入れる義務はないと思われます。

■参考文献
・畑中龍太郎・神田秀樹など『銀行窓口の法務対策4500講Ⅰ』378頁、423頁
・日本生命保険生命保険研究会『生命保険の法務と実務 第4版』676頁、678頁
・金融機関におけるマネロン・テロ資金供与・拡散金融対策について|金融庁



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1.阿武町4630万円誤振込事件の代理人弁護士が記者会見で無罪を主張
2022年5月に、山口県阿武町が国の新型コロナに関する臨時特別給付金4630万円を同町の24歳の男性の銀行口座に誤って振込み、男性が当該金銭をネットバンキングで複数のオンラインカジノの決済代行業者に振込んだ事件については、9月22日に男性が阿武町に解決金約340万円を支払うことで民事裁判上の和解が成立しました。

また、阿武町は男性を電子計算機使用詐欺罪で刑事告訴しているところ、10月に初公判が行われることを受けて、男性の弁護人の山田大輔弁護士が9月29日に記者会見を行い、「男性は無罪である」との訴訟方針を明らかにしたとのことです。

・4630万円誤振込・弁護士が会見で無罪主張「事実はあったが、違法ではない」|テレビ山口

本事件は4630万円もの金銭を町役場から誤振込で受け取った男性が、それを奇禍として当該金銭をオンラインカジノに使ってしまい、非常に大きな社会的非難を招きました。たしかにこの男性のふるまいは道徳的に問題であると思われますが、しかしこの男性の行為は電子計算機使用詐欺罪などの刑罰の適用が妥当といえるのでしょうか?

結論を先取りすると、本事件で電子計算機使用詐欺罪は成立しないと思われます。以下見てみたいと思います。

2.電子計算機使用詐欺罪
刑法
(電子計算機使用詐欺)
第246条の2 前条に規定するもののほか、人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作り、又は財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供して、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者は、十年以下の懲役に処する。

(1)行為
本事件が問題となる電子計算機使用罪(刑法246条の2)の前段部分は、銀行等のコンピュータに「虚偽の情報」または「不正な指令」を与えて「財産権の得喪もしくは変更に係る不実の電磁的記録」を作成し、これによって自己または第三者に財産上の利益を得せしめる行為です。

ここでいう「不実の電磁的記録」とは、銀行等の顧客元帳ファイルにおける預金残高記録などが該当するとされています。「不正な指令」とは改変されたプログラムなどを指します。

(2)「虚偽の情報」
またここでいう「虚偽の情報」とは、銀行等のコンピュータ・システムにおいて予定されている事務処理の目的に照らしその内容が真実に反する情報をいうとされています。言い換えれば、入金等の入力処理の原因となる経済的・資金的な実態を伴わないか、それに符合しない情報を指します(園田寿「誤入金4630万円を使い込み それでも罪に問うのは極めて難しい」論座・朝日新聞2022年5月26日)。例えば架空の入金データの入力等がこれに該当します。

一方、銀行等の役職員が金融機関名義で不良貸付のためにコンピュータ端末を操作して貸付先の口座へ貸付金を入金処理するなどの行為は本罪にあたりません。

なぜなら、たとえこのような行為が背任罪になりうるとしても、貸付行為自体は民事法上は有効とされる結果、電子計算機に与えられた情報も虚偽のものとはいえず、作出された電磁的記録も不実のものとはいえないからです(東京高裁平成5年6月29日・神田信金事件、西田典之・橋爪隆補訂『刑法各論第7版』235頁)。

同様に、インターネット・バンキング等を利用した架空の振替送金データの入力は「虚偽の情報」に該当し、その結果改変された銀行等の顧客元帳ファイル上の口座残高記録は「不実の電磁的記録」にあたり本罪が成立することになります。あるいはネット・バンキングの他人のID番号とパスワードを無断で利用し銀行等の顧客元帳ファイル上のデータを変化させ、自らの利用代金などの請求を免れる行為も本罪が成立します。(西田・前掲236頁)

3.本事件の検討
ここで本事件をみると、誤振込であるとはいえ、阿武町から本件の男性に4630万円は民事上有効に振込まれ、男性の銀行口座には4630万円が有効に存在します(ただし民事上の不当利得返還請求の問題が発生する(民法703条、704条)。)。

そして男性はその自らの銀行口座の4630万円の金銭に対して、ネットバンキングから複数のオンラインカジノの決済代行業者の口座に振込の入力を行っています。この男性の振込入力は原因関係として民事上有効に存在する金銭に対するものであり、また他人のIDやパスワードを入力などしているわけではなく、さらに不正なコンピュータ・プログラムをネット・バンキングのシステムに導入している等の事情もないので、2.(2)の金融機関の不良貸付の事例と同様に、電子計算機使用詐欺罪は成立しないことになると考えられます。

したがって、本事件の男性の代理人の山田弁護士の「無罪である」との訴訟方針は正しいと思われます。

4.まとめ
このように本事件では電子計算機使用詐欺罪は成立せず、男性は無罪になる可能性が高いと思われます。たしかにこの男性の行為は道徳的には問題でありますが、この問題に関しては民事上、不当利得返還請求権が阿武町には発生し、民事上解決が可能です。現に本事件は9月に裁判上の和解が成立しています。それをさらに刑法をもってこの男性を処罰するというのは、刑罰の謙抑性や「法律なくして刑罰なし」の罪刑法定主義(憲法31条、39条)の観点からも妥当でないと思われます。

本事件は報道によると、阿武町の町役場では職員がコロナの臨時特別給付金の振込の事務作業をたった一人で行っていたことがこの4630万円もの巨額の誤振込につながったとのことであり、むしろ町役場の給付金支払いの事務作業を適切に行う体制整備を怠っていた阿武町役場の幹部や花田憲彦町長などの方こそ大きな社会的責任・政治的責任を負うべきなのではないでしょうか。

とはいえ、銀行や保険などの金融機関や行政機関などにおいて誤振込、誤払いは残念ながら多く発生しているところ、そのような誤振込を受けた人間がその金銭をネットバンキングなどで使用してしまったような場合に電子計算機使用詐欺罪は成立するのかという本事件の事例は先例となる裁判例がないようであり、本事件について裁判所が司法判断を示すことは、金融機関などの実務上、非常に有益であると思われます。

■参考文献
・西田典之・橋爪隆『刑法各論 第7版』233頁
・大塚裕史・十河太郎・塩谷毅・豊田兼彦『基本刑法Ⅱ各論 第2版』263頁
・畑中龍太郎・中務嗣治郎・神田秀樹・深山卓也「振込の誤入金と預金の成立」『銀行窓口の法務対策4500講Ⅰ』957頁
・園田寿「誤入金4630万円を使い込み それでも罪に問うのは極めて難しい」論座・朝日新聞2022年5月26日



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三菱銀行トップページ
(三菱UFJ銀行サイトより)

1.はじめに
2022年5月8日の読売新聞の報道によると、三菱UFJ銀行はサイバーエージェントと提携し、年度内に自社の個人・法人の顧客の金融資産などの個人データを利用した広告事業を年度内に開始するとのことです。記事によると三菱UFJ銀行はこの新しい広告事業を同銀行本体で実施するようですが、これは2021年の銀行法改正で可能になったスキームのようです。銀行の広告事業などには関心があったため、2021年の銀行法改正や個人情報保護法上の「本人の同意」について少し調べてみました。

・三菱UFJ銀、サイバーエージェントと提携し広告事業参入…同意得て匿名化の顧客情報活用|読売新聞

2.三菱UFJ銀行の広告のスキーム
まず、本記事によると、「三菱UFJ銀は約3400万人の預金口座や約120万社の取引データの活用を想定している。顧客の事前の同意を前提に、口座所有者の年齢や性別、住所に加え、預金額や運用資産・住宅ローンの有無といった金融データを匿名化した上で利用する。広告主は宣伝したい対象として、例えば「預金1000万円以上の女性」や「資産運用している40歳代男性」などに絞る。対象に合った個人や法人が、スマホやパソコンなどの端末でSNSやアプリ、検索サイトなどを利用すると、広告が表示される仕組み」とのことです。

三菱銀行の広告スキーム図
(三菱UFJ銀行の広告事業のスキーム図。読売新聞より)

3.2021年の銀行法改正
(1)2021年の銀行法改正の趣旨
令和3年の第204国会で5月19日に成立した「新型コロナウイルス感染症等の影響による社会経済情勢の変化に対応して金融の機能の強化及び安定の確保を図るための銀行法等の一部を改正する法律」は新型コロナの社会的影響を受けて、日本経済の回復・再生を力強く支える金融機能を確立するため、規制緩和や環境整備を推進するために、銀行に対してはデジタル化や地方創生への貢献を強化するための銀行法改正が行われています。

概要2
(2021年銀行法改正の概要。金融庁サイトより)

(2)銀行法改正の具体的内容
①銀行業高度化会社の他業業務の認可の要件の緩和
広告事業などの関係をみると、まず、2017年に制度が開始した銀行の子会社としての「銀行業高度化等会社」は、ITを活用した銀行業務の高度化などを認めるための制度ですが、従来「他業」とされていたFintechや地域商社業務などを金融庁の他業の認可を受けて実施するものでした。この認可には収入依存度規制などの厳格な規制が存在していました。

これに対して2021年の改正銀行法は、銀行高度化等会社の業務に「地域の活性化、産業の生産性の向上その他の持続可能な社会の構築に資する業務」が新たに追加されました。この業務の個別列挙は行われず、各銀行の創意工夫で幅広い業務を行うことが可能となります。具体的には、デジタル、地域創生、持続可能な社会の構築などに関する業務が想定されています。この業務は、収入依存度規制はなくなり銀行の負担を減らして金融庁の認可が取得できることになっています。(改正銀行法16条の2第1項15号など。)

②特例銀行業高度化等業務を行う銀行業高度化等会社の新設
つぎに、銀行業高度化等会社の他業認可よりも基準が緩い「特例銀行業高度化等業務」のみを行う高度化等会社というカテゴリが新設されました。この高度化等会社の業務は個別列挙されていますが、具体的には、①Fintech、②地域商社、③登録型人材派遣、④自行アプリやシステムの販売、⑤データ分析・マーケティング・広告、⑥ATM保守点検、⑦障害者雇用促進の特例子会社、⑧成年後見業務などが想定されています。そしてこれらの他業の金融庁の認可については収入度依存度規制などの厳格な規制はなくなり、銀行の負担が緩和されています。(改正銀行法52条の23の2第6項など。)

③銀行本体の付随業務
さらに、金融システムの潜在的なリスク(優越的な地位の濫用等)に配慮しつつ、銀行本体の付随業務に銀行業に係る経営資源を主として活用して営む業務であって、デジタル化や地方創生などの持続可能な社会の構築に資するものが個別列挙され認められることになりました。具体的には、①自行アプリやシステムの販売、②データ分析・マーケティング・広告、③登録型人材派遣、④コンサルティングなどが個別列挙されます。そして従来、銀行本体の付随業務には「銀行業との機能的な親近性」などの要件が課されていましたが、個別列挙された業務にはその制約がなくなります。(改正銀行法10条2項21号など。)

4.改正銀行法10条2項21号および金融分野における個人情報保護に関するガイドライン
(1)改正銀行法10条2項21号
読売新聞の本記事を読むと、三菱UFJ銀行が行おうとしているデータ分析・マーケティング・広告事業は③の銀行本体における業務であると思われます。そこで、個人情報に関する顧客の本人の同意についてはどうなっているのかと改正銀行法10条2項21号をみると、ここには特に規定がありません。

銀行法

(業務の範囲)
第十条 銀行は、次に掲げる業務を営むことができる。
 預金又は定期積金等の受入れ
 資金の貸付け又は手形の割引
 為替取引
 銀行は、前項各号に掲げる業務のほか、次に掲げる業務その他の銀行業に付随する業務を営むことができる。
(略)
二十一 当該銀行の保有する人材、情報通信技術、設備その他の当該銀行の営む銀行業に係る経営資源を主として活用して営む業務であつて、地域の活性化、産業の生産性の向上その他の持続可能な社会の構築に資する業務として内閣府令で定めるもの

(2)主要行等向けの総合的な監督指針
つぎに、金融分野個人情報保護ガイドライン(金融分野における個人情報保護に関するガイドライン)14条(個人関連情報の第三者提供の制限等(法第31条関係))1項 はつぎのように規定しています。

金融分野個人情報保護ガイドライン

第14条1項

金融分野における個人情報取扱事業者は、個人関連情報取扱事業者から法第31条第1項の規定による個人関連情報の提供を受けて個人データとして取得するに当たり、同項第1号の本人の同意を得る(提供元の個人関連情報取扱事業者に同意取得を代行させる場合を含む。)際には、原則として、書面によることとし、当該書面における記載を通じて、

① 対象となる個人関連情報の項目
② 個人関連情報の提供を受けて個人データとして取得した後の利用目的

本人に認識させた上で同意を得ることとする。

すなわち、個人情報保護法31条と同様に金融分野個人情報保護ガイドライン14条1項も、銀行が顧客の顧客番号、PCやスマートフォン等の端末ID、Cookie、閲覧履歴などの個人関連情報を広告会社などに第三者提供する際には、本人の同意を得ることが必要であるとしています。

5.まとめ
したがって、仮に三菱UFJ銀行が広告事業を行うにあたり、顧客の属性や金融資産情報などを匿名加工情報にしたとしても、顧客番号、PCやスマートフォン等の端末ID、Cookie、閲覧履歴などの個人関連情報を第三者提供する限りはやはり本人の同意の取得が必要となります。

なお、この銀行法改正に関連して、例えば野村総合研究所は銀行の広告事業を支援するサービスを開始したそうです(野村総合研究所「野村総合研究所、銀行の広告事業への進出を支援する「バンクディスプレイ」サービスを開始」)。

概要3
(野村総合研究所「野村総合研究所、銀行の広告事業への進出を支援する「バンクディスプレイ」サービスを開始」より)

このスキームは銀行と広告主の間に野村総研が入り、銀行の個人データなどの第三者提供などを媒介するスキームであるようです。この野村総研のスキームにおいては、銀行は個人関連情報だけでなく、金融資産や属性データ、閲覧履歴、行動履歴などの個人データの第三者提供のための顧客の本人の同意をあらかじめ取得することが必要であると思われます(個人情報保護法27条1項)。

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■参考文献
・荒井伴介・脇裕司・杉本陽・豊永康史「2021年銀行法等の一部を改正する法律の概要」『金融法務事情』2170号(2021年9月25日号)14頁
・家森信善「業務範囲規制の緩和を生かして顧客支援の充実を」『銀行実務』2021年8月号12頁
・松本亮孝・今拓久真・椎名沙彩・赤井啓人「金融分野における個人情報保護に関するガイドライン改正の概要」『『金融法務事情』2183号(2022年4月10日号)9頁

■関連する記事
・情報銀行ビジネス開始を発表した三菱UFJ信託銀行の個人情報保護法の理解が心配な件
・みずほ銀行のみずほマイレージクラブの改正を考える-J.Score・信用スコア・個人情報
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・スーパーシティ構想・デジタル田園都市構想はマイナンバー法・個人情報保護法や憲法から大丈夫なのか?-デジタル・ファシズム
・コロナの緊急事態宣言をうけ、代表取締役が招集通知後に取締役会決議を経ずに株主総会の日時場所を変更したことが違法でないとされた裁判例-大阪地決令2.4.22
・コロナ下のテレワーク等におけるPCなどを利用した従業員のモニタリング・監視を考えた(追記あり)-個人情報・プライバシー・労働法・GDPR・プロファイリング
・令和2年改正個人情報保護法ガイドラインのパブコメ結果を読んでみた(追記あり)-貸出履歴・閲覧履歴・プロファイリング・内閣府の意見














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生損保の保険会社の営業職員等が、保険契約者等以外の他人(家族を含む)の名義を勝手に利用したり、架空の人間の名義を利用して保険契約を勧誘・募集することは「名義借契約」・「作成契約」などと呼ばれ法令で禁止されています(保険業法307条1項3号)。

同様に、証券会社の営業職員等が、他人(家族を含む)の名義を勝手に利用したり、架空の人間の名義を利用した取引の勧誘・募集を行うことは、「借名取引」と呼ばれ、法令で禁止されています(金融商品取引法157条、犯罪収受移転防止法)。これは、マネーロンダリングや脱税などの違法な行為を防止する趣旨であるとされています。

このような法令の規定を受けて、各証券会社は、自社ウェブサイトなどにおいても解説の項目をおいています(野村証券「「ご利用ガイド 不公正取引」など」)。

また、このような他人の名義を冒用した金融取引(契約)については、その取引(契約)の効力を無効とする民事上の裁判例も現れています(静岡地浜松支判平9.3.24)。

つまり、借名取引・名義借契約などの他人の名義を勝手に利用して金融機関の営業職員等が取引・契約を募集・勧誘することは、行政法規上違法なだけでなく、民事上も無効とされるものです。

証券会社などの金融機関は、借名取引などの違法・不正な取引は、監督官庁からの行政リスクだけでなく民事上のリスクも大きいことを十分留意し、その撲滅に努める必要があります。





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