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カテゴリ: 行政法

リヴァイアサン
1. コロナ禍で緊急事態宣言がでても国民の私権を制限できないのは憲法に緊急事態条項がないからか?
新型コロナの感染拡大が続くなか、最近、一部の論者から、「日本が欧米のようなロックダウンを実施できないのは憲法にその根拠となる緊急事態条項がないからである。だから日本も早急に憲法改正を行い、緊急事態条項を設置すべきだ」という意見が主張されているのをみかけます。例えば、菅内閣の元内閣官房参与で経済学者の高橋洋一・嘉悦大学教授は、5月のインタビューでつぎのようにコメントしています。

緊急事態宣言をして私権制限できないのは日本くらいです。」「憲法上の戒厳令や非常事態宣言などという規定がないから、私権制限ができないのです。」(「コロナ禍で痛感した「憲法改正の必要性」」2021年5月12日ニッポン放送)
・コロナ禍で痛感した「憲法改正の必要性」|ニッポン放送

しかし、結論を先取りしてしまうと、高橋教授などのこの主張は憲法や法律的に正しくありません。

2.憲法上の基本的人権の制約根拠としての「公共の福祉」
日本を含む西側自由主義諸国の18世紀以降の近代憲法は、国民の個人の尊重と基本的人権の確立を国家の目的としています(日本国憲法11条、97条)。

そのため国民の基本的人権は極めて重要なものです。とはいえ国民の基本的人権も無制限なものではありません。国民・人間は社会で生活するものであるので、ある国民の人権と他の国民の人権がぶつかりあうときに、それぞれの人権の調整が必要となります。この、ぶつかりあう人権を制限して調整するための根拠が「公共の福祉」です。

この点、国民の基本的人権が制約される根拠としての「公共の福祉」を、わが国の憲法は、基本的人権に関する条文に置いています。具体的には、憲法12条、13条、22条1項、29条2項に、人権の制約の根拠である「公共の福祉」の文言が置かれています。
日本国憲法
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

このように、わが国の憲法には、ある国民と別の国民との人権がぶつかりあい、矛盾・衝突することを調整するために、国民の人権(私権)を制限する根拠として「公共の福祉」が置かれています。さらに今日の憲法学の通説では、この「公共の福祉」は、憲法12条、13条、22条、29条だけでなく、すべての人権に内在していると考えられています(一元的内在制約説、最高裁41年10月26日判決など)。

そのため、コロナ対応のためにロックダウン(外出禁止令)などを実施して、国・自治体が飲食店やホテル、鉄道などの営業の自由(憲法22条1項、29条1項)を制限することや、同じく国・自治体が一般の国民の移動の自由(22条1項)などを制限するための「公共の福祉」の制度は、日本の現行憲法にすでに存在し、憲法上の問題はクリアされています。

なお、欧米などの世界の主要国も、コロナ対応に関して、自国の憲法に緊急事態条項があればそれを自動的に発動しているかというとそうではありません。憲法に緊急事態条項が存在し、かつコロナ対策に発動している国としては、イタリア、スイス、スペインなどがある一方で、憲法に緊急事態条項があるが、コロナ対策には発動せず法律で対応している国としては、アメリカ、フランス、ドイツ、韓国、中国、インドなどがあげられます。憲法に緊急事態条項の規定が存在せず、法律の規定でコロナ対応を行っている国はイギリス、カナダ、日本などがあげられています(国立国会図書館「COVID-19と緊急事態宣言・行動規制措置―各国の法制を中心に―」『調査と情報』1100号(2020年6月)より)。

したがって、「憲法に戒厳令や非常事態宣言などの規定がないから、私権制限ができない」、「憲法に緊急事態条項がないのは日本くらい」という高橋教授らの主張は正しくありません。

(なお、憲法25条2項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定し、「公衆衛生」を国の任務に明記し、それを受けて厚生労働省設置法3条1項、4条4号、19号などが「公衆衛生」「感染症の発生及びまん延の防止」を厚労省の任務に掲げています。そのため、公衆衛生やコロナ対策を国の任務に加える目的での憲法改正も不要です。)

3.災害対策基本法、国民保護法、警察法などの法律
そしてこのように憲法上は人権制約の問題はクリアされているのですから、あとは国会でコロナ対策のための法改正や立法などを迅速に行い、政府・自治体などはそれらの法律に基づいて行政を実施すればよいのです。

この点、例えば伊勢湾台風の災害を受けて1961年に制定された災害対策基本法は、災害時や災害のおそれがあるときは、市町村長は住民に対して「避難のための立退きを指示」することや、住民に「屋内での待避」を指示することができるとされています(法60条1項、3項)。また災害時や災害のおそれがあるときには、自治体の長は、消防機関や警察などに出動を要請し(法58条)、「犯罪の予防、交通の規制その他災害地における社会秩序の維持に関する事項」や、「緊急輸送の確保に関する事項」などを行わせることができると規定されています。

また、戦争やテロが発生した場合に備えて2004年に制定された国民保護法(武力攻撃国民保護法)や、警察法の第6章の「緊急事態の特別措置」の部分も、戦争やテロなどが発生した際に、自治体の長や警察などは、国民に避難の指示を出したり、治安維持のための活動を行うことができると規定しています(国民保護法11条1項、警察法71条1項など)。

もし「憲法に戒厳令や非常事態宣言などの規定がないから、私権制限ができない」という高橋教授らの主張が正しいのであれば、この災害時や戦争・テロなどの緊急事態の際に、国民のさまざまな人権を制限する規定が設けられている災害対策基本法、国民保護法、警察法などは憲法違反であるとして無効となってしまうのではないでしょうか?

4.感染症法、新型インフルエンザ特別措置法など
現在のコロナ対策のための緊急事態宣言などは、新型コロナに対応した新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)などに基づいて実施されています。具体的には、特措法32条1項に基づき国が緊急事態宣言を発出し、それを受けて都道府県の長は、同法24条9号に基づいて民間企業や公的機関、個人などに要請を行うことができると規定されています。

しかしこの特措法24条9項の条文はつぎのようになっており、非常におおざっぱです。

新型インフルエンザ等対策特別措置法
第24条
第9項 都道府県対策本部長は、当該都道府県の区域に係る新型インフルエンザ等対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る新型インフルエンザ等対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。
この条文には、自治体の長は、新型インフルエンザ等対策のために「公私の団体又は個人に対し」、「必要な協力の要請をすることができる」と非常にばくぜんとしたことしか規定されていません。

7月上旬には、西村大臣らが、酒類販売事業者や金融機関に対して、休業要請に応じない飲食店に酒を提供するなとか、金融機関から国・自治体の要請に従わない飲食店に対して融資をストップするなどして国・自治体の要請に従えと指導せよ、等の法治主義から乖離した無茶苦茶な要請の方針が出され、大きな社会的非難を受けて西村大臣らはこの方針をあっという間に撤回しました。

7月の西村大臣らのこの無茶苦茶な要請は、特措法などの根拠となる法律の規定が非常に漠然としていることに原因の一つがあります。つまり、法治主義や「法律による行政の原則」(憲法41条、65条など)は、主権者である国民の選挙で選ばれた国会議員により国会で法律が作成され、政府・国などの行政は法律にしたがって行政を行うことにより、行政を民主的に国民がコントロールし、もって国民の人権保障を行おうという原則です。しかし行政の行為の根拠となる法律があいまいでは、法治主義や「法律による行政の原則」は達成されません。

そのため、国会は特措法などを、コロナ対策のために国・自治体が何をすべきなのか等を個別具体的に明示するように法改正を行うべきです。そして国・自治体などは法治主義や法律による行政の原則の観点から、それらの法律を順守した行政を行うべきです。

5.まとめ
このように見てみると、日本の国・自治体のコロナ対応に必要なのは憲法改正を実施して緊急事態条項を新設することではなく、国会でコロナ対策を必要十分に実施できるように特措法や感染症法などの法律を改正したり新たな立法を行ったり、必要な予算を準備することです。

したがって、「日本の憲法には緊急事態条項などの規定がないから、私権制限ができない」「コロナ対策のために憲法改正が必要」という高橋教授らの主張は、憲法や法律的に正しくありません。

緊急事態条項とは、非常に強大な力を持つ国家権力の暴走を抑えるための憲法や法律などの制限を、災害などの緊急事態の場合に一時的にはずすものであり、国家権力の暴走を許してしまう危険性があります。憲法に緊急事態条項を新設するかどうかは、慎重に慎重な議論が必要です。

今回のコロナ禍においては、政府与党は、国民の生命・健康のためのコロナ対応ではなく、国策である東京オリンピック・パラリンピック開催を優先して暴走しました。

このことは、国民の人権保障のために国・自治体などはサービス機関として存在するという、18世紀以降の西側自由主義諸国の近代立憲主義憲法の基本理念が、日本の政府与党にはまったく根付いていないことをまざまざと示しています。

このような日本においては、憲法改正を行い緊急事態条項を設置した場合、それが政府与党によって「国家の暴走」のために利用されてしまう危険が非常に大きいのではないでしょうか。そのため、憲法改正により緊急事態条項を新設することは慎重に考えるべきと思われます。


(このブログ記事の冒頭の図は16世紀の思想家ホッブスの『リヴァイアサン』より。リヴァイアサンは旧約聖書に登場する海の怪物です。ホッブスは、国家が存在しない「自然状態」は、「万人の万人に対する闘争」の状態にあるとして、この闘争を終わらせるために市民各人の契約(社会契約)に基づく、統治のための強い権力を持つ国家(リヴァイアサン)が必要であるとしました。これに対して18世紀の思想家ルソーの『社会契約論』は、人間社会はほっておくと強者が弱者を支配する弱肉強食の社会になってしまうとし、人間各人が「一般意思」(=利己的な意思でなく、市民の共通の利益を求める意思)に基づき、市民が等しく権利・自由を享受できる民主主義の「共和国」を社会契約に基づき設立すべきであるとしました。そしてルソーは、市民はこの共和国が利己的な意思に陥り暴走しないようにチェックを怠ってはならないとしました。)

■関連する記事
・赤羽一嘉国交大臣の「内閣には臨時国会を開く権限はない」ツイートとその後の釈明ツイートがひどい件
・西村大臣の酒類販売事業者や金融機関に酒類提供を続ける飲食店との取引停止を求める方針を憲法・法律的に考えた
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■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』99頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』256頁
・樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』101頁
・国立国会図書館「COVID-19と緊急事態宣言・行動規制措置―各国の法制を中心に―」『調査と情報』1100号(2020年6月)















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政府は、デジタル庁事務方トップの「デジタル監」に実業家の伊藤穣一氏をすえる方針というニュースが大きな話題となっています。

伊藤穣一氏
(ANNニュースより)
・デジタル庁事務方トップに伊藤穰一氏 政府最終調整|ANNニュース

伊藤氏は、2019年に買春・未成年性的虐待で有罪判決を受けた米の富豪ジェフリー・エプスタイン氏などから8億円を超える寄付を受け取っていたことが発覚し、MITメディアラボ所長を辞任したばかりのいわくつきの人物です。
・人身売買容疑の大富豪との関係は…伊藤穰一氏がMITメディアラボの所長を辞任

公務員については、「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」憲法15条2項に明記され、また「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。」国家公務員法96条1項に規定されるように、公務員や国・行政には、公平・中立性、公益性などが憲法や法律上、要求されます。

憲法
第15条2項
すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない

国家公務員法
第96条1項
すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。

それを受けて、国家公務員倫理法および人事院の国家公務員倫理程は、「利害関係者から金銭、物品又は不動産の贈与を受けること」、「利害関係者から供応接待を受けること」などを禁止しています(規程3条1号、6号、法6条)。

国家公務員倫理規程
(禁止行為)
第3条 職員は、次に掲げる行為を行ってはならない。
 利害関係者から金銭、物品又は不動産の贈与(せん別、祝儀、香典又は供花その他これらに類するものとしてされるものを含む。)を受けること。
 利害関係者から供応接待を受けること。

さらに、デジタル庁サイトをみると、「デジタル社会形成の10原則」として、「1.オープン・透明」「2.公平・倫理」などの大変立派な原則が掲げられています。

デジタル庁の10原則
デジタル庁サイトより)

このように、公務員国・自治体などの行政には、公平性・中立性・公益性高度な職業倫理が憲法や法令上要求されます。

この点、8億円を超える巨額の寄付を性犯罪などで悪名高い富豪から受け取り、アメリカのMITの要職を辞任したという不祥事の経歴のある伊藤氏は、公平性・中立性・公益性や高度な職業倫理が憲法や法令上要求される行政官庁であるデジタル庁の要職には、あまりにもふさわしくないのではないでしょうか。

また、デジタル庁の事務方トップに伊藤氏を据えようとしている、平井大臣菅首相ら政府与党の幹部達は、同様に憲法や法令が要求する公平性・中立性・公益性の意識や、公務を行うための高い職業倫理が欠落しているのではないでしょうか。

平井大臣はNECについて「徹底的に干せ」「脅しておけ」などと部下の官僚に発言していたことが発覚した問題や、東京大学工学系研究科の松尾豊教授の関連企業との癒着や脱税の問題などが報道され、最近、税務申告の修正を行うなど、疑惑の渦中にあります。

・平井デジタル相に資産公開法違反の疑い “五輪アプリ受注”の親密ITグループの株を不記載|文春オンライン

また、デジタル庁幹部の向井治紀室長代理も、NTTから違法な接待を何回も受けていたことが発覚したばかりです。

9月から発足するデジタル庁そのものも、民間IT企業から数百人規模の人材を職員として受け入れる等、特定の民間企業との癒着のおそれなど、中央官庁の公平性・中立性・透明性が大いに疑問視されています。

今年春に国会でデジタル関連法とセットで成立した、官民の個人情報保護法制の一元化のための法改正も、例えば全国の自治体のこれまでの個人情報保護条例を廃止させ、国の定めるモデルに一元化するなど、権力分立により国民・住民の人権保障を行うという地方自治・団体自治(憲法92条、94条)に抵触するなど、憲法レベルの問題をはらんでいます。

同時にデジタル関連法とセットで成立した改正マイナンバー法も、看護師などの国家資格保有者の個人情報をマイナンバーで国が一元管理することを可能にするなど、政府による国民の個人情報やプライバシーの管理・監視がますます推進される内容となっています。

・【デジタル関連法案】自治体の個人情報保護条例の国の個人情報保護法への統一化・看護師など国家資格保有者の個人情報の国の管理について考えた

あるいは最近も、東京オリンピック・パラリンピックに関連して、森喜朗氏小山田圭吾氏小林賢太郎氏など幹部達が、相次いで差別問題・人権問題などで辞任・解任されており、国や国周辺の公務の公平性・中立性や倫理感、コンプライアンス意識の欠如が大きな問題となっています。

そのようななか、不祥事の経歴のある伊藤穣一氏を、疑惑をもたれているデジタル庁の事務方トップにすえようという菅政権の人事は、疑念の上に疑念を重ねるものなのではないでしょうか。デジタル庁や国のデジタル行政に対する国民の信頼さらに低下するのではないでしょうか。政府与党はこの人事の再検討や、デジタル庁のあり方の再検討を行うべきではないでしょうか。

■追記(8月11日)
伊藤穣一氏は2003年には住基ネットに関する長野県の侵入実験を実施するなど、当時、インターネットの専門家として住基ネットの反対運動を主導する有識者の一人であったそうです。
・長野県の住基ネット侵入実験、結果はクロ!|日経
・長野県が住基ネットへの侵入実験の結果を公表|INTERNET Watch

住基ネットはマイナンバー制度の前身ともいうべきものであり、マイナンバー制度の推進などを任務とするデジタル庁の事務方トップに、かつて住基ネットの反対運動を主導していた人物をあてるというのは、非常に矛盾しています。このような人物を幹部にすえて大丈夫なのでしょうか。

9月からの正式な設置の前に問題点や不祥事が次々と明らかになっているデジタル庁ですが、国の中央官庁として本当に大丈夫なのだろうかと、国民の一人としては心配な思いです。

ネット上のニュースなどをみていると、政府の要職の人間を採用する際には身元調査などが行われるそうですが、伊藤穣一氏のアメリカでの不祥事については内閣調査室などが承知していなかったとのことであり、日本の政府やデジタル庁などの情報収集能力リスク管理能力の低さが大いに気になります。

■追記(8月18日・8月29日)
報道によると、8月18日、政府は伊藤譲一氏をデジタル庁のデジタル監とする人事を撤回したとのことです。
・デジタル監、伊藤穣一氏見送り 政府|時事通信

また、8月26日のマスメディアの報道によると、政府はデジタル庁のデジタル監に一橋大学名誉教授の石倉洋子氏をあてる方針とのことです。しかし石倉氏はITや情報法、行政法などの専門家ではなく、経営学の学者であるそうです。この人事も伊藤氏同様に、よくわかりません。デジタル庁は民間ITスタートアップの起業の指南でもするつもりなのでしょうか?

さらに最近、デジタル庁はnoteのドメインも急に変更しましたが、旧ドメインから新ドメインへのリダイレクトがなされないこと等にもネット上で批判が殺到しています。また、デジタル庁のプライバシーポリシーが個人情報保護法制的に素人レベルであることは、このブログでも取り上げた通りです。

デジタル庁は国・自治体のデジタル行政の企画立案を担う官庁であり、民間IT企業から数百人規模の優秀な人材を中途採用したはずですが、個人情報保護法制など法律の知識や、ITや情報セキュリティなどの技術面についても素人レベルなのでしょうか?

デジタル庁のキャッチコピーは「誰一人取り残さないデジタル庁」だそうですが、9月の設立前からこんな不祥事続きの状況では、「国民誰からも相手にされない三流官庁のデジタル庁」になってしまいそうで心配です。

■関連する記事
・デジタル庁のプライバシーポリシーが個人情報保護法的にいろいろとひどい件-個人情報・公務の民間化
・コロナ対策のために患者の入院制限を行う菅内閣の新方針について考えた
・【デジタル関連法案】自治体の個人情報保護条例の国の個人情報保護法への統一化・看護師など国家資格保有者の個人情報の国の管理について考えた
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・東京オリンピック開会式トップのディレクター・小林賢太郎氏の解任と中山泰秀氏の件を考えた
・西村大臣の酒類販売事業者や金融機関に酒類提供を続ける飲食店との取引停止を求める方針を憲法・法律的に考えた
・「法の支配」と「法治主義」-ぱうぜ先生と池田信夫氏の論争(?)について考えた

















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西村大臣金融機関
(ABEMAより)
7月8日、国・自治体の要請に従わず酒類の提供などを続けている飲食店などについて、西村康稔大臣らが銀行などの金融機関に対して「国に従うよう金融機関から飲食店に指導することを要請」し、また、酒類販売事業者に対して「国に従わない飲食店と取引停止をするよう要請」したことが、根拠となる法令が不明である上に、まるで暴力団のようなやり方であり、中国あるいは戦前の日本政府のような国家主義・全体主義的なものであると大炎上中です。

■前回の記事
・西村大臣の酒類販売事業者や金融機関に酒類提供を続ける飲食店との取引停止を求める方針を憲法・法律的に考えた

社会からの強い批判を受けて、西村大臣は7月9日には、金融機関に対する要請を撤回しました。しかし、国税庁から酒類販売事業者への要請は、書面による通達で実施されました。

これに対して、7月12日には、酒類卸販売事業者の方々が西村大臣や与党に面会して要請を撤回するよう申し入れを行ったそうです。

西村大臣の金融機関や酒類販売事業者への要請は、新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)の32条や24条9号などによるものではありますが、前回のブログ記事でみてみたように、特措法の条文は個別・具体的な規定をおいていないので、西村大臣の金融機関・酒類販売事業者への要請は、あくまでも「お願い」レベルのもの、つまり、行政法上の「行政指導」(行政手続法2条6号、32条)であると考えられます。

この国・自治体などの行政庁による行政指導の限界については、行政法(国賠法)上の有名な判例があります。

つまり、事業者などが国・自治体などの行政庁に対して、「もはや行政指導に従うことはできないと真摯かつ明確表明」したときは、原則としてそれ以後の行政指導は国家賠償法上、違法となるというものです(最高裁昭和60年7月16日判決、櫻井敬子・橋本博之『行政法 第6版』139頁)。

今回、酒類卸販売事業者の方々が12日に西村大臣らに飲食店との取引停止の要請を撤回するよう申し入れを行ったのですから、もしその後も西村大臣ら政府が、酒類販売事業者などに対して、国などに従わない飲食店と取引停止をするよう要請する行政指導を行った場合、それは国家賠償法上、違法となり、西村大臣ら国側は酒類販売事業者などに対して損害賠償責任を負うことになります(国賠法1条1項)。

なお、行政手続法は、行政指導は「いやしくも当該行政機関の任務又は所掌事務の範囲逸脱してはならない」こと(32条)行政指導はあくまでも相手方の「任意の協力」により実現ものであること(32条)許認可に係わる行政指導は行政庁が「許認可の権限があることを殊更に示して協力を強制してはならない」等と明記しています(34条)。

この点、今回の国税庁からの酒類販売事業者に対する通達による行政指導は、国税庁にはコロナ対策に関する職掌事務の権限はないことから、国税庁の権限を逸脱しており行政手続法上違法ですし、また、国税庁には酒類販売に関する許認可の権限があるところ、その許認可権限をことさらに示して酒類販売事業者に対して協力を強制していることも違法であるといえます。

このように、西村大臣ら政府の酒類販売事業者や金融機関に対する要請は行政手続法からみても二重三重に違法であり、また昭和60年の判例に照らすと、今後も西村大臣らが同様の要請・行政指導を酒類販売事業者などに対して行うと、それは国家賠償法上違法となります。

そもそも今回の西村大臣らの金融機関や酒類販売事業者などへの要請は、法律の根拠が明確でなく、しかも恫喝で民間企業や国民に国に従うよう求めるやり方は、まるで中国や戦前の日本政府・軍部の国家主義・全体主義的なものであり、戦後の現在の自由で民主主義国家である日本の政治体制と相いれないものです。一言でいえば「国家権力の暴走から国民の自由や人権を守る」という近代立憲主義憲法の精神そのものに反しています。

西村大臣や菅首相らは、このような無理筋な民間企業・国民への要請は止めるべきです。また、政府与党はコロナ感染拡大の第5波が日本を襲いつつあるにもかかわらず、コロナワクチンの供給不足などを放置したまま東京オリンピック・パラリンピックの開催を強行しようとしています。

しかし日本は西村大臣や菅首相らが主権者なのではなく、国民が主権者の民主主義国家なのですから、政府与党は主権者たる国民や企業をコロナの感染拡大から守ることに全力を尽くすべきであり、コロナの感染拡大を悪化させる東京オリンピック中止すべきです。

■追記(7月13日19時40分)
新聞報道などによると、7月13日、政府与党は、酒類販売事業者に対する酒類提供飲食店との取引停止要請を撤回することを決定したとのことです。

・酒提供の飲食店への酒販売停止要請 政府が撤回する方針固める|NHK

■関連する記事
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・コロナの緊急事態宣言をうけ、代表取締役が招集通知後に取締役会決議を経ずに株主総会の日時場所を変更したことが違法でないとされた裁判例-大阪地決令2.4.22

















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西村大臣金融機関
(ABEMAより)

産経新聞などの報道によると、西村康稔大臣は、7月8日、新型コロナウイルスの基本的対処方針分科会で、酒類提供を続ける飲食店との取引停止酒類販売事業者に要請する意向を明らかにしたとのことです。
・政府、酒類提供店との取引停止を要請 販売事業者に|産経新聞

また、日経新聞の報道によると、西村大臣は、同日、休業要請拒否をしている店舗などの情報を金融機関に情報提供する方針も明らかにしたとのことです。
・休業要請拒否店、金融機関に情報提供 経財相|日経新聞

さらに、同日、加藤官房長官は記者会見で、東京オリンピックについて「国民の協力」を求めたとのことです。
・加藤官房長官、緊急事態宣言下の東京五輪「成功のためには国民の協力も必要」|ABEMA TIMES

加藤官房長官の発言は、まるで戦時中の「一億総火の玉」などの軍国主義・全体主義の日本政府・軍部の主張のようです。

また、とくに金融機関に対して、西村大臣は、「金融機関は飲食店などと日常的に取引があるから、国・自治体に従うよう指導してほしい」という意向のようですが、それはつまり、銀行などの金融機関に対して、飲食店などに「国・自治体に従わないと融資をストップするぞ」等と脅迫・強要をすることを要求しているわけですが、そのようなヤクザ暴力団のような真似を政府がやるよう命じていいのでしょうか? 日本はこれでも一応、法治国家のはずですが。

西村大臣は中国や北朝鮮、あるいはナチス時代のドイツのような全体主義・国家主義の国の大臣にでもなったつもりなのでしょうか?

しかし、西村大臣の酒類販売事業者や金融機関への方針は、今後、飲食店等から国が取消訴訟であるとか、国賠法上の損害賠償請求などが裁判所に提起されたら国は負けてしまうおそれがあるのではないでしょうか?

国のコロナに対する緊急事態宣言や、それを受けた自治体の企業や住民・国民などに対する指示や要請などは、新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)に基づいています。つまり、特措法32条に基づき国は緊急事態宣言を発出し、特措法24条9項に基づき自治体は企業や住民・国民などに対する具体的な指示や要請などを出せるとされています。しかし、特措法24条9号の条文はつぎのようになっています。

新型インフルエンザ等対策特別措置法
(都道府県対策本部長の権限)
第24条
9項 都道府県対策本部長は、当該都道府県の区域に係る新型インフルエンザ等対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る新型インフルエンザ等対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。

すなわち、国の緊急事態宣言を受けた都道府県は、コロナ対策の実施に関し「必要な協力の要請」を、「公私の団体または個人」に対して行うことができるとされているだけです。

このような法律の条文からは、例えば自治体が飲食店やホテル、百貨店などに対して休業や酒類の提供の停止などを要請することは読み取れるとしても、自治体が飲食店等に酒類の提供の停止を求めることに対して、さらに酒類販売事業者や金融機関などに対してまるで、あるいは戦時中の陰湿な「隣組」の相互監視の奨励のような「必要な協力の要請」を行うことができると読み取ることは、通常の判断能力を有する一般人の理解(最高裁昭和50年9月10日判決・徳島市公安条例事件)からはさすがにちょっと無理なのではないでしょうか?

政府・自治体の行政は、国民が国会を通して行政を民主的にコントロールするために、「法律による行政の原則」適正手続きの原則(憲法31条)が要求されますが、特措法24条9項の条文自体が漠然としており、都道府県などに対して実施できることを白地委任に近い形で認めてしてしまっています。

そしてさらに、今回の西村大臣の金融機関や酒類販売事業者への要請は、この白地委任的な特措法24条9項をさらに幅広に解釈し、飲食店など以外の事業者に対しても、酒を販売するな、融資を停止して飲食店に国・自治体に従うよう指導しろなどと、戦時中の隣組のような相互監視や密告を推奨するかのような「必要な協力の要請」を行うわけですが、これはあまりにも法律の解釈や適用があまりにも大雑把であり、適正手続きの原則法律による行政の原則(憲法31条)に照らして違法・違憲なのではないでしょうか。

しかも、相互監視や密告のようなことを国が国民や企業に法令に基づいて命令したり奨励することは、中国のような国家主義・全体主義国家ならともかく、個人の尊重基本的人権の確立という目的のために国・自治体などの統治機構が手段として存在する(憲法11条、97条)という自由主義・民主主義の国である日本では、この憲法が定める国家の自由主義・民主主義という基本構造そのものに抵触していると思われます。憲法99条は、国務大臣や国会議員、公務員などに憲法尊重擁護義務を課していますが、西村大臣の主張はこの憲法尊重擁護義務に反していると思われます。

加えて、たしかに銀行・保険などの金融機関は、銀行法保険業法などの監督業法(監督法)により、金融庁の監督下にありますが、しかしこれは、国が頭で銀行、保険会社など金融機関が手足の関係にあるというわけではまったくありません。

西村大臣などが「銀行は融資を盾に飲食店に国・自治体に従えと命令しろ」「国に逆らっている飲食店などに対しては融資をストップし資金を引き揚げろ」等と命令し、銀行や保険会社などの金融機関がそれに手足のように従う関係ではありません。中国などの社会主義国家とは違い、日本では、国と民間企業とは別の法人格なのですから。銀行や保険会社は警察署やハローワークなどの国の出先機関とはまったく違います。

それに、銀行法や保険業法などの監督法も、一言でいえば、「顧客である個人・法人に迷惑をかけないように業務を行え」「顧客を公平・中立に公正に扱うこと」「金融機関が倒産したら多くの顧客に迷惑をかけるのだから、倒産しないように健全な会社運営を行え」等などの事柄が規定されているのであって(例えば保険業法300条や100条の2など)、「銀行、保険会社から融資などを条件に、取引先の企業などに対して国に従うよう指導・助言する」などの権限は銀行法・保険業法などの監督法には規定されていません。

それにもし銀行・保険会社などがそのような「国へ従え」という指導・助言などの行為を行ったら、逆に「融資をする金融機関としての優越的な地位を濫用し、取引先・顧客に対して不当な要求をしている」として、銀行法、保険業法などに基づき金融庁や財務局などからの行政指導・行政処分の対象になるであるとか、最悪、公正取引委員会独禁法に基づき銀行・保険会社などに行政指導・行政処分などを実施する展開になってしまうような気がします。

このような社会の仕組みは、社会生活を送っている高校生や大学生、若手の社会人などであればごく自然に身についている社会常識・一般常識であると思うのですが、西村大臣加藤官房長官など政府の幹部達は、このような社会常識が欠けたまま、政府の運営を行っているのでしょうか?非常に疑問です。

また、国などの行政機関の行為に関する行政訴訟では、行政庁の裁量権の逸脱・濫用があったかどうかが争点となることが多いわけですが、コロナの感染拡大を防ぐ目的で、国・自治体が飲食店などに対して酒の顧客への提供の禁止を命じることは、仮に目的は正当と評価されるとしても、規制の手段として社会的相当性があるといえるのでしょうか。

スーパーやコンビニ、自動販売機などでは酒・アルコールは普通に販売されているのに、飲食店だけ全面一律に酒の提供を禁止するというのは、飲食店営業の自由(憲法22条、29条)に対して、狙い撃ち的であり平等原則に反し、比例原則にも反しているように思われます。つまり、国・自治体が飲食店だけ全面一律に酒の提供を禁止するというのは、行政の裁量権の逸脱濫用があるとされる可能性があるのではないでしょうか。

また、そもそも国や東京都は、コロナの感染拡大に最も悪影響であろう東京オリンピック・パラリンピックについては開催を強行する方針です。6月下旬から、コロナワクチンの不足により、職域接種や自治体の接種が中断や予約のキャンセル、新規予約の停止などにより、国民の不安が高まっているにも関わらずです。

東京オリンピックの開催を強行して、「国民をコロナの感染拡大から守る」という国の公衆衛生上の任務(厚労省設置法3条1項、4条4号、19号、憲法25条など)を国・東京都などが事実上放棄しているのに、その国や東京都などが民間企業の飲食店に対しては「コロナ感染拡大防止のため」と酒の提供を規制するのは大きな矛盾であり、信義則禁反言の原則などの法律上の一般原則に反しており、やはり国・自治体の飲食店に対する規制は、行政の裁量権の逸脱濫用となるのではないでしょうか。

さらに、7月8日に西村大臣が公表した、酒類販売事業者に国の要請を守らない飲食店との取引停止を命じることや、金融機関に対してこれも国の要請を守らない飲食店に融資などを行わないように命じることは、あまりにも幅広に、飲食店以外の他業界に対しても営業の自由に対して規制を行うものですが、これはあまりにも幅広で、あいまい漠然としたものであり、国が「なんとなく有効そうだから」となんとなく民間企業の酒類販売事業者や銀行などの金融機関の営業の自由などを規制するものであって、これは手段としてあまりにも不適正であり、つまり行政の裁量権の逸脱濫用があると裁判所に評価される可能性が高いのではないでしょうか。

憲法から考えても、二重の基準論であると、コロナ対策は公衆衛生の目的ですので、警察目的・消極目的なので、厳格な審査基準によることになるわけですが、上でみたように、飲食店の営業の自由そのものに対する酒提供規制も厳格な審査基準をクリアできているか疑問ですし、さらに、酒類販売事業者や金融機関の営業の自由に対する規制は、あまりにも幅広漠然としたものであって、厳格な審査基準をクリアできず、国・自治体の酒類販売事業者や金融機関に対する規制は違法・違憲と裁判所に判断される可能性があるのではないでしょうか。

また、最近有力に主張されている三段階審査論からも、酒類販売事業者や金融機関などへの取引禁止との営業の自由の規制は、これもあまりにも幅広でばくぜんとしたものなので、比例原則などの観点からアウトであり、違法・違憲と裁判所に評価される可能性があるのではないでしょうか。

さらに、このように西村大臣ら国・自治体の言動がここまで法的にぐだぐだであると、それを受けた酒類販売事業者や金融機関がそれに仮に素直に従った場合、逆に酒類販売事業者や銀行・金融機関などは、飲食店などから損害賠償責任を追及されるリスクや、株主総会などで不当あるいは違法な行為であると株主から追及されるリスクがあるのではないでしょうか。

加えて、最近の世論調査でも、国民の5割から8割は東京オリンピックに反対であり、オリンピック開催を強行しながら飲食店の営業の自由を大きく規制している国・東京都などに無批判に従うことは、酒類販売事業者や銀行・金融機関などにとって、国民やマスメディアからの批判不買運動などの風評リスク、レピュテーション・リスクなどが発生してしまうのでしょうか。しかも酒類販売事業者や金融機関などにこうした風評リスクなどが発生しても、国・自治体がその尻ぬぐいをすることはおそらくないでしょう。

このように、国の酒類販売事業者や金融機関などへの国に従わない飲食店への取引停止などの要請は、法的にいろいろと無理筋であると思われます。

そもそも論として、国や東京都などは、国民主権の国家として、国民の生命・健康をコロナから守るために、日本のコロナの感染拡大に一番悪影響であると思われる東京オリンピックを中止すべきであると思われます。国が経済政策などによる金銭でコロナによる国民・法人の損害などを事後的に回復することはできても、コロナで亡くなった国民の命を金銭でよみがえらせたり、失われた国民の健康を金銭で回復させることをはできないのですから。

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表現の不自由展かんさい
(「表現の不自由展かんさい」Facebookより)

1.はじめに
新聞報道などによると、「表現の不自由展かんさい」の実行委員会が、会場である大阪府立労働センター「エル・おおさか」の指定管理者「エル・プロジェクト」が6月25日付で会場の利用承認を取消したことを受けて、本日6月30日、同指定管理者の利用承認取消の処分の取消および同処分の執行停止を求める取消訴訟を大阪地裁に提起したとのことです。
・表現の不自由展実行委が提訴「会場使わせないのは憲法違反」大阪|毎日新聞

自治体の公民館などの公の施設において集会や表現行為を行おうとする住民等と、それを施設の利用規約などを理由として謝絶しようとする施設との関係については、集会の自由・表現の自由の問題として裁判所で争われてきた論点ですが、判例に照らすと本事件においては会場の指定管理者側が不利な状況に思われます。以下、本事件の事案の概要と、公の施設における集会の自由に関する判例、本裁判の後について、考えてみたいと思います。

2.事案の概要
「表現の不自由展かんさい」の実行委員会は、大阪の大阪府立労働センター「エル・おおさか」で7月16日から18日まで同展を開催するために施設の利用申請を同センターを運営する指定管理者「エル・プロジェクト」に3月に行い利用承認がおりたものの、6月中旬以降、中止を求める電話や街宣車による抗議活動が相次いだため、同指定管理者は「センターの管理上の支障がある」として、6月25日に利用承認の取消の処分を行ったとのことです。

それに対して「表現の不自由展かんさい」実行委員会は6月30日に大阪地裁で、同指定管理者の利用承認の取消処分の取消を求める取消訴訟(行政事件訴訟法3条2項)を提起するとともに、同取消処分の執行停止の申立(同法25条2項)を行ったとのことです。

3.大阪地裁の裁判はどうなるか?ー泉佐野市民会館事件
(1)泉佐野市民会館事件(最高裁平成7年3月7日判決)
自治体などの公の施設における集会の自由・表現の自由(憲法21条1項)の拒否の問題について、泉佐野市民会館事件(最高裁平成7年3月7日判決)において最高裁は、施設側が住民からの集会の申請を拒否できるのは、「集会の自由の保障の重要性よりも…集会が開かれることによって生命、身体または財産が侵害され、公共の安全損なわれる危険を回避し防止する必要性が優越する場合に限られる」とし、その危険性の程度は、「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されること」と非常に厳格な判断を行っています。(ただし判決は住民側の敗訴。)

この泉佐野市民会館事件のあと、公の施設における集会の自由については上尾市福祉会館事件(最高裁平成8年3月15日判決)においても最高裁は同様の判断を示しており、これが判例の流れとなっています。(さらにプリンスホテル事件(東京高裁平成22年11月25日判決)は、自治体などの公の施設だけでなく、民間企業であるホテルの集会場についても、泉佐野市民会館事件などの考え方が当てはまることを示しています。)

(2)「表現の不自由展かんさい」に関する大阪地裁の訴訟はどうなるか?
このように、自治体などの公の施設における集会の自由に関する判例に照らすと、「表現の不自由展かんさい」に関する大阪地裁の本訴訟は、会場である大阪府立労働センター「エル・おおさか」の指定管理者「エル・プロジェクト」側が敗訴する可能性が高いように思われます。

このように、裁判所が施設における集会の自由に関する判例が施設側の施設利用の拒否を厳格に判断し、住民側の集会の自由を非常に重視しているのは理由があります。

集会の自由などの表現の自由(憲法21条1項)は、住民などの国民・個人が表現行為をすることにより自分の人格を発展させるという、個人の「自己実現の価値」だけでなく、表現活動により国民が政治的な意思決定に参画するという「自己統治の価値」(=民主主義)があるからです(芦部信喜『憲法 第7版』180頁)。

つまり、わが国は民主主義の国(憲法1条)であり、さまざまな多様な情報や意見が社会において自由に発信され流通し、また、さまざまな情報や意見を国民・個人が自由に受取り、社会のさまざまな場面で国民が自由闊達に議論することが可能な状況において、議論によりさまざまな意見が競争することにより、真理やよりよい結論に到達することができるという「思想の自由市場論」が、判例や学説が表現の自由を重視する根底にあります(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法1 第5版』352頁 )。

(3)会場である大阪府立労働センター「エル・おおさか」の指定管理者側が敗訴する可能性
そのため、大阪地裁に提起された本事件の取消訴訟は、施設の指定管理者側が敗訴する可能性が高いといえます。

また、施設の利用承認取消処分の執行停止の申立についても、同展の開催期間がせまっており、それを過ぎると集会や表現の機会が失われてしまうため、「処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる重大な損害を避けるため緊急の必要があるとき」(行政事件訴訟法25条2項)に該当するとして、大阪地裁が執行停止も認める可能性もあるといえます。

4.本裁判のあとについて・近代立憲主義憲法
最高裁の判例や憲法の学説・通説にたつと、大阪地裁の本訴訟の今後の見通しは上でみたとおりになると思われます。しかし、このような結論には少なくない国民・住民が違和感を感じるのではないでしょうか。

近年、「表現の不自由展かんさい」などの「表現の不自由展」の活動を支持・応援するいわゆるリベラル派・左派の人々は、「表現の不自由展」などに関する自分達の表現の自由・集会の自由を最大限実現することを主張する一方で、保守派・右派の人々の表現の自由や集会の自由を規制してきています。

具体的には、いわゆるヘイトスピーチ対策法を国会で成立させ、また川崎市、大阪市などの一部の自治体では、罰則つきのヘイトスピーチ禁止条例などが制定されています。さらに川崎市などでは、リベラル派の弁護士などが自治体に指導するなどして、公の施設において上でみた泉佐野市民会館事件の最高裁の判断枠組みよりも緩い要件で保守派・右派の集会の申請を拒否できるように自治体の公の施設の規則・基準などの要件緩和の改正を行っています。
・「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の解消に向けた取組|川崎市

(また、最近はネット上の批判的な言論を規制する方向で、プロバイダ責任制限法が改正されました。しかしこれも、いわゆるインフルエンサーなどの、ネット上の有名人・芸能人などのごく一部のネット上の社会的地位の高い人々だけを保護し、一般の国民のネット上の表現を規制する、あるいは一般人の表現を委縮させる結果になっているように思われます。)

しかし、このようにリベラル派・左派の政治政党やマスメディア、その支持者達が、自分達の好む表現・集会の自由は認める一方で、自分達が好まない表現・集会は規制・禁止することは、日本社会における表現の自由の許容される範囲を恣意的に自分達側に有利に縮小していると言えるのではないでしょうか。これは国民の一部の人々による一種の焚書、あるいは言論や思想の弾圧、一部の国民による事実上の検閲なのではないでしょうか。

そのようなリベラル派・左派の主張・行動や立法活動などは、恣意的に自分達と違う意見の保守派・右派などの意見を法的に規制・禁止しており、つまり自分達と違う意見について「表現を不自由」にしているのであって、日本の表現の自由の前提である、上でみた、各人が自己の意見を自由に表明し、議論により意見を競争させることにより真理やよりよい結論に到達できるという「思想の自由市場論」矛盾しているのではないでしょうか。

このようなリベラル派・左派の表現の自由に関する態度や見解は、「国家の立法や政策などにより、国民の表現の自由などの人権を規制し、国民の人権保障を行うべきである」という、「国家権力への強い信頼感」に基づいた「国家による人権保障」「国家による自由」の考え方が根底にあるように思われます。

この「国家による人権保障」「国家による自由」は、憲法に「表現の自由、集会の自由などの人権を、自由で民主的な基本秩序を攻撃するために利用する者は、これらの人権を喪失する」(ドイツ基本法18条「基本権の喪失」明記し、民衆扇動罪などの特別刑法の法令を設けている、第二次世界大戦後に発展したドイツ、フランスなど欧州各国のポスト近代憲法(脱近代憲法)の諸国のいわゆる「闘う民主主義」の考え方に親和的です。

しかし、日本アメリカなどと並んで、ポスト近代憲法の国ではなく、伝統的な近代憲法の国です。つまり、憲法13条が「すべて国民は、個人として尊重される生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定するように、わが国の憲法は、人間はこの世に生まれただけで尊い存在であり、一人一人違う国民・個人のその人格や個性は最大限尊重されなければならないという「個人の尊重」「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)などの「国民の基本的人権の確立」を国家の目的として掲げる近代立憲主義憲法の国です。近代立憲主義とは、18世紀のフランス革命やアメリカ独立戦争がその端緒であるという歴史的経緯をみても、なにより国民の個人の尊重と基本的人権の確立と、国家権力の暴走から国民を守ることを重視します。

そして、日米などの憲法にはドイツ基本法18条のような「闘う民主主義」の条文は存在せず、「思想の自由市場論」に立脚し、表現の自由を最大限認める方向の憲法となっており、表現の自由などの基本的人権は原則として他人の人権と衝突した場合のみに制限が許されるとされています(「公共の福祉」・憲法11条、12条、22条、29条)

2014年の京都朝鮮学校事件の最高裁判決(最高裁第三小法廷平成26年12月10日判決)が示すように、ヘイトスピーチの問題のように、ある表現・集会などの表現行為が他人の人権や権利を侵害した場合についても、裁判所は従来どおり名誉棄損、業務妨害として不法行為による損害賠償責任(民法709条)の問題として法的な解決を行っています。


すなわち、日本の憲法の基本的な考え方は、社会権などの「国家による人権保障」「国家による自由」ではなく、自由権・精神的自由、「国家からの自由」を第一に重視する伝統的な近代立憲主義憲法のものであり、独仏などの欧州のポスト近代憲法(脱近代憲法)とはその基本構造が大きく異なるものです。

そのため、日本がドイツ・フランスなど欧州の憲法・法令の構造と日本の憲法・法令の構造との差異を十分に検討することなく、ドイツ・フランスなどのヘイトスピーチ法制などを無批判に安易に輸入することは、法的な矛盾や社会のゆがみなどを生み出してしまう危険があるため、慎重であるべきです(辻村みよ子『比較憲法 新版』126頁)。

現代の国家は、社会保障などの「国家による自由」「国家による人権保障」の社会権が重視される、いわゆる福祉国家・行政国家(行政国家現象)であり、新型コロナの世界的な大流行により、今後もますます国の福祉国家化が進行するものと思われます。

しかし、近代立憲主義憲法の国においては、社会権が重要であることはもちろんですが、国家権力の暴走の危険から国民を守るという価値、つまり「国家からの自由」表現の自由などの自由権(精神的自由)に関わる基本的人権が第一に重要であるはずです。近年、ドイツでポスト近代的な憲法論に対する批判的な連邦憲法裁判所の判決(BVerfG 93.266)などが現れ、ドイツなどの学界もポスト近代的な憲法論のゆき過ぎを認めつつあることは、その証拠ではないでしょうか(樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』90頁)。

かりに今回の「表現の不自由展かんさい」に関する訴訟において「表現の不自由展」側が勝訴するとしても、そろそろ日本の裁判所や憲法学界、政府や自治体、国会、あるいはリベラル派・左派の人々も、ヘイトスピーチ法制やプロバイダ責任制限法などの日本の表現の自由の状況を再検討すべき時期なのではないでしょうか。

「批判や差別されている人々がかわいそう」「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)」という人権活動家、反差別主義の活動家、社会学者、フェミニズムなどの人々のポスト近代的な主張や見解に、ここ10年の日本の憲法学の主流の学者の先生方は大いに耳を傾け、そのような主張や見解を非常に重視した憲法学が展開されてきたように思われます。政府や国会もそのような見解を重視した立法や政策を推進してきました。

しかし、そろそろ憲法学の主流の学者の先生方も、ポスト近代の流行りの人権活動家や社会学者などに押されるばかりでなく、伝統的な近代立憲主義や自由主義・民主主義の理念に基づいた憲法学・法律学の立て直しを行うべきなのではないでしょうか。

■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』180頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』352頁
・辻村みよ子『比較憲法 新版』126頁
・樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』90頁

■関連する記事
・メルケル独首相のツイッター社等のトランプ氏追放への「苦言」を考える-表現の自由・憲法の構造
・ヘイトスピーチ対策法案を憲法から考える
・京都朝鮮学園事件判決とヘイトスピーチ規制立法について
・「幸福追求権は基本的人権ではない」/香川県ゲーム規制条例訴訟の香川県側の主張が憲法的にひどいことを考えた
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・懐風館高校の頭髪黒染め訴訟についてー校則と憲法13条・自己決定権













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