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とある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

カテゴリ: 保険法

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1.はじめに
遺産分割の裁判において、被相続人を保険契約者兼被保険者、被相続人の妻を保険金受取人とする生命保険契約(定期保険特約付き終身保険およびがん保険)の死亡保険金について民法903条の類推適用による特別受益の持戻しを否定した裁判例(広島高決令和4・2・25(棄却・確定))が判例時報2536号(2023年1月1日号)59頁に掲載されていました。

2.事案の概要
(1)経緯など
抗告人Xは被相続人(訴外A)の母(80代)であり、相手方Yは被相続人の妻(50代)である。XはAの遺産の相続について遺産分割の調停を申し立て、当該遺産分割調停事件は審判に移行した。

本件の争点は、Aを保険契約者兼被保険者、Yを保険金受取人として締結していた定期保険特約付き終身保険(死亡保険金額2000万円、保険料月額1万2000円、本件保険1)およびがん保険(死亡保険金額100万円、保険料月額2000円、本件保険2)に基づく死亡保険金合計2100万円を民法903条の類推適用による特別受益に準じて持戻しの対象とすべきか否かであった。

本件で遺産分割の対象となった財産は預貯金等合計約459万円であるが、それ以外の遺産(預貯金等合計約313万円)については預金が引き出されるなどして現存していなかった。

(2)家族関係など
XはAとは長らく別居し生計も別にしており、夫(Aの父)の死亡後は同夫の自宅不動産をXと長女(Aの姉)が相続して同不動産にX、同長女および次女(Aの妹)の3人で暮らしていた。一方、Y(Aの妻)はAと約10年間同居した後結婚し、Aが死亡するまでの約20年間専業主婦であり、専らAの収入により生計を維持してきた。AとYは子がなく借家住まいであった。

(3)原審判の概要
原審判(広島家審令和3・12・17)は、保険死亡保険金の遺産総額に対する割合は大きいものの、AとYの婚姻期間および同居期間、AとYの生計の状況などを検討し、YとXとの間に不公平が民法903条の趣旨に照らして到底是認することができないほどに著しいものであると評価すべき特段の事情があるとは認められないとして、本件死亡保険金について民法903条の類推適用による特別受益の持戻しを否定した。これに対してXが抗告。

3.広島高裁令和4年2月25日決定(棄却・確定)の判旨
被相続人を保険契約者及び被保険者とし、共同相続人の1人又は一部の者を保険金受取人とする保険契約に基づき保険金受取人とされた相続人が取得する死亡保険金請求権は、民法903条1項に規定する遺贈又は贈与に係る財産には当たらないが、保険金の額、この額の遺産の総額に対する比率、保険金受取人である相続人及び他の共同相続人と被相続人との関係、各相続人の生活実態等の諸般の事情を総合考慮して、保険金受取人である相続人とその他の共同相続人との間に生ずる不公平が民法903条の趣旨に照らし到底是認することができないほどに著しいものであると評価すべき特段の事情が存する場合には、同条の類推適用により、特別受益に準じて持戻しの対象となると解される(平成16年最決参照)。

『これを本決定についてみると、まず、本件死亡保険金の合計額は2100万円であり、Aの相続開始時の遺産の評価額(772万3699円)の約2.7倍、本件遺産分割の対象財産(遺産目録記載の財産)の評価額(459万0665円)の約4.6倍に達しており、その遺産総額に対する割合は非常に大きいと言わざるを得ない。

しかしながら、まず、本件死亡保険金の額は、一般的な夫婦における夫を被保険者とする生命保険の額と比較して、さほど高額なものとはいえない。次に、前記の本件死亡保険金の額のほか、AとYは、婚姻期間約20年、婚姻前を含めた同居期間約30年の夫婦であり、その間、Yは一貫して専業主婦で、子がなく、Aの収入以外に収入を得る手段を得ていなかったことや、本件死亡保険金の大部分を占める本件保険1について、Yとの婚姻を機に死亡保険金の受取人がYに変更されるとともに死亡保険金の金額を減額変更し、Aの手取り月額20万円ないし40万円の給与収入から保険料として過大でない額(本件保険1及び本件保険2の合計で約1万4000円)を毎月払い込んでいったことからすると、本件死亡保険金は、Aの死後、妻であるYの生活を保障する趣旨のものであったと認められるところ、Yは現在54歳の借家住まいであり、本件死亡保険金による生活を保障すべき期間が相当長期間にわたることが見込まれる。これに対し、Xは、Aと長年別居し、生計を別にする母親であり、Aの父(Xの夫)の遺産であった不動産に長女及び二女と共に暮らしていることなどの事情を併せ考慮すると、本件において、前記特段の事情が存するとは認められない。

4.検討
(1)保険金請求権の固有権性
保険金受取人が保険契約者兼被保険者と別人である場合、その契約は第三者のためにする生命保険契約となり、保険金受取人はその契約の効果として当然に保険金請求権を取得します。この保険金請求権は、保険金受取人が「自己の固有の権利」として原始的に取得するものであり、保険金受取人が相続人であっても、当該保険金請求権は相続財産には属さないとするのが判例・通説です(大判昭和11・5・13、最判昭和40・2・2民集19巻1号1頁、山下友信・竹濱修・洲崎博史・山本哲生『有斐閣アルマ保険法 第4版』284頁)。

(2)保険金請求権と特別受益の持戻しに関する判例・学説
学説の多数説は、保険金受取人として死亡保険金請求権を得た相続人に対する特別受益の持戻しを肯定しています。これは、保険金受取人の指定変更ないし保険金請求権の取得は遺贈・贈与と同視できる実質的な財産の無償処分と認められるからとされています(山下・竹濱・洲崎・山本・前掲285頁)。

一方、最高裁はこの論点について、保険金請求権の固有権性を理由として、保険金請求権は特別受益の持戻しの対象に原則としてならないが、共同相続人に不公平が著しい特段の事情がある場合には、民法903条の類推適用により特別受益の持戻しが認められるとする立場を取っています。そしてこの共同相続人に不公平が著しい特段の事情がある場合につい同判決は、保険金の額、その額の遺産総額に対する比率、同居の有無、被相続人の介護等に対する貢献の度合いなどの保険金受取人である相続人および他の相続人と被相続人との関係、各相続人の生活実態等の諸般の事情を総合考慮して判断されるべきとしています(最高裁平成16年10月29日決定、出口正義・福田弥夫・矢作健太郎・平澤宗夫『生命保険の法律相談』290頁)。

この平成16年の最高裁判決の後、民法903条の類推適用により特別受益の持戻しが認めた裁判例として①東京高決平成17・10・27、②名古屋高決平成18・3・27があり、一方、認められなかった裁判例としては③大阪家堺支審平成18・3・22などがあるようです。相続財産に対する死亡保険金の割合は、①は約99%、②は61%、③は約6%となっているようです(本判決に関する判例時報2536号59頁のコメントより)。

(3)本判決について
このように裁判例は、特別受益の持戻しが認められるか否かについて、「共同相続人に不公平が著しい特段の事情がある場合」の判断について、とくに保険金の額とその額の遺産相続に対する比率を重視しているように思われます。

しかし本判決は、その比率が約2.7倍ないし約4.6倍と非常に高いものであるものの、XとYの同居の有無、Xがまだ50代であること、専業主婦であり借家住まいであること等、各相続人の生活実態を詳しく検討し、「共同相続人に不公平が著しい特段の事情がある場合」には該当しないとして、特別受益の持戻しを否定しています。生命保険契約とくに定期保険特約付き終身保険の趣旨・目的が家庭の生計を支える者に万一があった場合の残された遺族の生活保障であることを考えると本判決は妥当であると思われます。死亡保険金は保険金受取人の固有の財産であるとの判例・通説の考え方にも合致するものといえます。

■参考文献
・『判例時報』2536号59頁
・山下友信『保険法(下)』341頁
・山下友信・竹濱修・洲崎博史・山本哲生『有斐閣アルマ保険法 第4版』284頁
・出口正義・福田弥夫・矢作健太郎・平澤宗夫『生命保険の法律相談』290頁



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1.はじめに
2023年1月号のジュリストに、自動車保険契約などのモラルリスク事案に関する遠山聡先生の判例評釈が掲載されていました。

2.事案の概要
平成26年9月18日、Y損害保険会社(被告)と訴外Aは、保険契約者を訴外B代表A、被保険者および死亡保険金以外の保険金の受取人をX(原告)とする団体保険契約(団体総合生活補償保険契約)を締結した。また、Xは平成27年7月16日にYとの間で、Xが所有する自家用軽貨物自動車(本件車両)につき、記名被保険者をX、人身傷害保険を無制限とする個人総合自動車保険契約を締結した。さらにXは同年同月22日、車両保険金額を30万円とする車両保険を追加して契約した。

Yの個人総合自動車保険普通保険約款には、①保険契約者、被保険者または保険金を受け取るべき者が、Yに保険金を支払わせる目的で損害または傷害を発生させ、または発生させようとしたこと、②被保険者または保険金を受け取るべき者が保険金の請求について詐欺を行い、または行おうとしたこと等を、Yにおいて保険契約を解除しうる重大事由としていた。また、本件団体保険契約の普通保険約款には、被保険者の故意または重大な過失により生じた損害についてはYは保険金を支払わない旨の規定があった。

平成27年7月24日、Xは、本件車両がAが所有しXが居住する建物に接触し、本件車両および本件建物が損傷したとして、Yに対して保険金請求を行った(本件先行事故)。

また平成27年8月30日、X運転の本件車両が対向車線を走行中であった普通自動車と正面衝突する交通事故により、Xは頚椎症性脊髄炎、右膝骸骨骨折などと診断され入院したとしてYに保険金請求を行った(本件事故)。

平成28年10月7日、YはXに対して、Xに重大事由があるとして本件普通保険約款に基づいて本件保険契約を解除する旨の意思表示を行い、保険金の支払いを拒んだ。これに対してXが訴訟を提起したのが本件訴訟である。

原審の広島地裁令和2年10月8日判決(金判1618号28頁)は、Yの主張を認めXの請求を退けた。これに対してXが控訴。

3.本件高裁判決の判旨
控訴棄却(確定)
(1)Xが主張する先行事故に至る経緯や様態に関するXの供述ないし陳述は信用することができず、他に先行事故が発生したことを認めるに足る証拠はないこと、本件保険契約が締結された時期と先行事故の時期が近接していること等は、不自然という他ない。「以上認定の事情を総合すると、Xは、本件先行事故が発生していないにもかかわらず、これが発生したかのように装って、Yに対し…本件先行事故に係る保険金の支払を請求したというべきであり、これは、重大事由(被保険者が保険金の請求について詐欺を行い、又は行おうとしたこと)に当たるというほかない。
 したがって、Yは本件保険契約を重大事由により有効に解除したといえる(。)」

(2)「本件事故は、Xが幹線道路に準じ、自動車の進行方向には2車線が設けられ、見通しのよい直線道路において、自車を対向車線上に進出させて対向車と衝突させたものであるところ、そのような危険な運転をした事情に関するXの弁解が不自然であること、警察官は事故様態から飲酒運転を疑ったものの、Xの呼気からのアルコールも検知されていないこと、そのほかにも、保険金目的でなければ上記のような危険な運転をする理由がうかがわれないこと、Xの経済事情等に照らし、Xの故意によって発生したものと推認するのが相当である。」

「また、…Xは、本件事故の直前、時速40~54㎞で、減速することなく、約2~3秒という長い時間、補助席足元の床に落ちていたライターを拾おうと、全く前を見ず、右手で握ったハンドルの動きについて全く意に介さないまま、身体を大きく左に傾けたというのであって、ほとんど故意に等しい注意欠如の状態であったといえ、その過失の態様及び程度に照らせば、Xには、本件事故の発生につき、重大な過失があったというべきである。」

「したがって、本件事故によるXの損害は、被保険者であるXの故意又は重大な過失によって生じたものといえるから、Yは、Xに対し、本件保険契約および本件団体保険契約に基づく保険金の支払義務を免れるものというべきである。」

4.検討
(1)本判決は、原審と同様に、本件先行事故および本件事故が不自然であること等からYの重大事由解除および重過失免責を認めています。

(2)保険法30条2号は、被保険者が当該損害保険契約に基づく保険給付について詐欺を行い、または行おうとしたことを保険者の重大事由解除の要件の一つとしています。Yの普通保険約款の規定もこれに従うものです。この規定は、保険者と保険契約者等との信頼関係破綻を理由に保険者による保険契約の解除を認めるものです(山下友信『保険法(下)』515頁、萩本修『一問一答保険法』97頁)。

また、重過失の意義については裁判例および学説において対立があるところですが、本判決は、「ほとんど故意に近い著しい注意の欠如した状態」とし、近時の下級審判決と同様の見解を採用しています(東京高裁平成19年12月26日判決・判タ1269号273頁、大阪高裁平成元年12月26日金判839号18頁など)。

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■参考文献
・遠山聡「保険契約の重大事由解除と故意・重過失免責」『ジュリスト』1579号(2023年1月号)130頁
・『金融・商事判例』1618号21頁
・山下友信『保険法(下)』515頁
・萩本修『一問一答保険法』97頁



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1.はじめに
片側二車線道路の中央分離帯付近を歩いていた被保険者の交通事故が、生命保険会社の災害入院給付金等の約款条項の重過失免責に該当しないとした興味深い裁判例(福岡高裁令和2年8月27日判決(確定))が判例時報2505号(2022年3月1日号)56頁に掲載されていました。

2.事案の概要
(1)保険契約
A(本件交通事故当時33歳)はY生命保険会社(住友生命保険)との間で、平成27年4月1日付でAを保険契約者兼被保険者、Yを保険者とする最低保証利率付3年ごと利差変動積立保険契約(本件保険契約)を締結した。本件保険契約には、総合医療特約(180日型・災害入院給付金日額6000円)、入院保障充実特約および障害損傷特約が付加されていた。Aの指定代理請求人はAの母Xが指定されていた(本件訴訟の原告・控訴人)。

(2)交通事故の概要
福岡県に在住するAは、平成28年12月13日午後7時から午後11時まで職場の忘年会に出席して飲酒し、その後同僚とカラオケ店で翌14日午前3時半頃まで滞在して飲酒した。さらにAは同僚とラーメン店でラーメンを食べ、同日午前4時半頃、自宅まで徒歩で帰宅をはじめた。Aは紺のスーツに黒いコートを着て12月14日午前5時頃、まだ冬の夜の暗い時間帯、福岡県春日市の方々二車線の県道の第二車線(制限速度50キロメートル)の中央付近(中央分離帯寄り)を東側の歩道から西側の歩道に向けて県道に沿って歩行していたところ、同県道の第二車線を約50キロメートルで運転していたBの自動車に追突され、頭蓋骨骨折、硬膜下血腫などの傷害を負ったものである。事故当時、Aの血中アルコール濃度は1.25ミリグラム/1ミリリットルであり、これは酩酊度としては第一度(発揚期・微酔)に分類される濃度であり、「へべれけ」に酔っている状態ではなかった。

20220315現場見取り図
(本件訴訟の交通事故現場見取図。判例時報2505号67頁より)

(3)保険金・給付金の請求と保険会社の対応
Aの指定代理人XはY生命保険に対して本件保険契約に基づき、災害入院給付金、手術給付金、入院保障充実特約給付金および障害損傷特約給付金の合計160万円の保険金等を請求したところ、Yは本件交通事故はAの重過失に該当するとして約款所定の重過失免責条項に基づいて保険金の支払いを拒んだ。この点、住友生命保険の最低保証利率付3年ごと利率変動型積立保険普通保険約款の総合医療特約12条1号は「被保険者または保険契約者の故意または重大な過失」の場合には給付金を支払わないと免責条項を置いており、入院保障充実特約、障害損傷特約にも同様の免責規定が置かれている。

住友生命約款
(住友生命保険・総合医療特約12条。住友生命保険サイトより)

これに対してXが保険金・給付金の支払いを求めて訴訟を提起。第一審(福岡地裁令和2年1月16日判決)はYに対して重過失免責を認めたのでXが控訴したところ、第二審(福岡高裁令和2年8月27日判決(確定))はAの重過失を認めず、Yに対して保険金の支払いを命じたのが本件訴訟である。本件訴訟の争点は、Aが二車線道路の中央分離帯寄りを歩行していたことが保険約款の定める重過失に該当するか否かである。

3.判旨
(1)第二審・福岡高裁令和2年8月27日判決(確定)の判旨 (ア)「重大な過失」の意義
『本件免責条項にいう「重大な過失」とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見過ごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すものと解すべきである(最高裁昭和27年(オ)第884号同32年7月9日第三小法廷判決・民集11巻7号1203頁、同昭和56年(オ)第111号同57年7月15日第一小法廷・民集36巻6号1188頁参照)。そうであるならば、「重大な過失」を基礎づけるに足りる被保険者等の行為(作為又は不作為)は、故意に保険事故を招致した疑いのあるものである必要はないが、保険事故発生の認識又は認容があれば故意に保険事故を招致したともいえるようなものである必要があるというべきであり、被保険者等の行為がそのようなものであることの立証責任は、保険者にあるというべきである。』

(イ)本件へのあてはめ
『確かに、車道は、車両の通行の用に供するためのものであり(道路交通法2条1項3号)、本件事故現場付近のように両側に歩道がある道路においては、歩行者は、横断等をする場合を除き、歩道を通行することを求められており(道路交通法10条2項)、車道を歩行することは予定されていない上、本件事故が発生したのは、本件事故現場周辺がまだ暗い時間帯であり、そのような中、暗い着衣で本件車道を歩行したAに過失があったこと自体は、否定することができない。

しかし、前記認定事実によれば、本件事故現場は、見通しの良い片側2車線の一般道路上の地点であり、本件事故発生当時の交通は、その直後に行われた実況見分と同様に、閑散としていた可能性が高いと考えられる。

そして、本件防護柵は全長130mほどであって、仮にAが本件防護柵のc3丁目側の端に近い地点で本件車道を横断したとしても、中央分離帯に沿って2分程度も歩けば、本件防護柵のd1丁目の端に到達することが可能であったことになる。

これに加えて、前記認定のとおり、Aが本件車道の第2車線の中央分離帯寄りを歩行していた可能性が高いと推認されることをも併せて考えると、Aにおいて、前記のような道路状況の下でAの後方から接近して来る車両の運転者が、前方を注視して走行することにより、Aの存在を認識し、僅かのハンドル操作により容易にAを回避して、その側方を通過するものときたいすることにも、一定の客観的合理性があったものということができる。

(略)

そうすると、Aには、本件事故の発生について、重大な過失があったということはでき(ない)。

4.検討
(1)旧商法下における被保険者の重過失
保険に関しては従来、商法第2編第10章に保険に関する規定が置かれていたところ、それを元に平成20年(2008年)に独立の法律として保険法が制定され、平成22年(2010年)4月から施行されています。なお、海上保険については現在も商法の第3編第6章に条文が置かれています。

旧商法下においては、損害保険について、旧商法641条に「保険契約者若クハ被保険者ノ悪意若クハ重大ナル過失ニ因リテ生シタル損害ハ保険者之ヲ塡補スル責ニ任セス」と保険契約者または被保険者の故意・重過失を免責とする規定が置かれており、同様に海上保険に関する旧商法829条(現商法826条2号)も同様の規定を置いています。

それに対して生命保険の保険者(=保険会社)の免責事由について定める旧商法680条は被保険者の自殺、犯罪行為など(同1号)や保険契約者の被保険者の故意による殺人(同3号)などを規定していましたが、保険契約者または被保険者の重過失については規定していないものの、生命保険会社の傷害保険特約や災害割増保険特約などの約款条項には保険契約者または被保険者の重過失を免責とする条項が置かれているのが一般的でした。

そのようななか、生命共済に加入していた被保険者が5、6合の酒を飲酒したあとに制限速度40キロメートルの屈曲した道路を時速70キロメートル以上の速度で自動車を運転し、レッカー車と衝突して死亡した事案について、最高裁昭和57年7月15日判決は「本件共済約款における災害給付金…の免責事由である「重大な過失」とは、…商法641条及び829条にいう「重大な過失」と同趣旨のものと解すべき」と判示し、生命共済、生命保険についても重過失免責を認める判断をしています。

この旧商法641条等の保険契約者・被保険者の故意・重過失を免責とする規定の趣旨は信義則または公序良俗を守るためであるとするのが判例・多数説です(大森忠夫『保険法 増補版』148頁)。

(2)保険法17条、80条の制定
2008年に成立した保険法の第17条は、損害保険について旧商法641条を原則として引き継ぐ内容となっています。また、傷害疾病定額保険について同80条1号は「被保険者が故意又は重大な過失により給付事由を発生させたとき」を免責事由としており、災害関係特約の被保険者の重過失の解釈問題は立法的に解決されています。この点、保険法制定のための平成19年8月8日法制審保険法部会「保険法の見直しに関する中間試案」第2-3(9)注3、別冊商事法務321号「保険法立案関係資料」)155頁において、保険法の立案担当者は、上の最高裁昭和57年7月15日判決を引用し、旧商法641条と同趣旨で傷害疾病定額保険についても被保険者の重過失を法定したと説明しています。

(3)保険法17条、80条の重過失免責の判断基準
保険法17条、80条の重過失免責の判断基準は解釈にゆだねられていますが、大審院大正2年12月20日判決は、積荷保険契約に関して、重過失を「容易ニ違法有害ノ結果ヲ予見シ回避スルコトヲ得ヘカリシ場合ニ於テ漫然意ハス之ヲ看過シテ回避防止セサリシガ如キ殆ト故意ニ近似スル注意欠如ノ状態」と判示しています。

つぎに、明治32年に制定された失火責任法は失火の場合は民法709条は適用しないと規定しつつ、但し書で「重大ナル過失」の場合はそれを否定しています。そして失火責任法但し書の「重大な過失」が争われた最高裁昭和32年7月9日判決は「重大な過失」について上の大審院大正2年12月20日判決を承継することを明らかにしています。また、上の最高裁昭和57年7月15日判決の調査官解説は、同判決はこの最高裁昭和32年7月9日判決を承継しているとしています(伊藤瑩子「最高裁判例解説民事編昭和57年度」639頁)。

(4)被保険者の重過失に関する裁判例
しかし被保険者の重過失について判例・学説の争いは決着したとは言い難い状況のようです。裁判例においては、①「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」(大阪高裁平成18年11月29日判決など)や、①-2「わずかに注意さえ払えば、違法有害な結果を予見することができたのにそうしなったもの」(東京地裁平成17年10月17日判決など)等、昭和32年の最高裁判決、昭和57年の最高裁判決の立場に立つものがある一方で、②注意義務の程度のみならず、信義則・公序良俗の趣旨、行為の社会的非難可能性等についても総合考慮するものが存在します(秋田地裁昭和31年5月22日判決、仙台地裁平成5年5月11日判決など)。

なお保険法の立案担当者は被保険者の重過失について、旧商法641条と同趣旨であり、重過失の判断基準は大審院大正2年12月20日判決のものであると考えています(萩本修『別冊商事法務321号 保険法立案関係資料』155頁、115頁、斉藤真紀「傷害保険契約における免責事由としての「被保険者の重大な過失」の意義」『保険法判例百選』210頁)。

まとめ3

(5)被保険者の重過失に関する学説
学説においては、重過失の解釈基準について、最高裁の昭和32年判決、昭和57年判決などのように「ほとんど故意に近い注意義務違反」と厳格に解釈する多数説と「著しい注意義務違反」とする少数説に分かれています。

厳格に解釈する多数説は、訴訟の攻撃防御において、保険会社側が故意を立証するのが困難であるため、故意の立証の困難を救済するために故意と重過失を並べて主張することに注目して、重過失を故意の代替概念ととらえているとされています(石田満『商法Ⅳ保険法 改訂版』194頁、江頭憲治郎『商取引法 第5版』450頁、竹濱修「生命保険契約および傷害疾病保険契約特有の事項」『ジュリスト』1364号48頁、潘阿憲『保険法解説』(山下友信・米山高生編)438頁)。

これに対して、訴訟上の実務を認めつつも、「一般人を基準とすれば甚だしい不注意で足り、故意が高度に疑われる場合に限るべきではない」とする有力説も存在します(山下友信『保険法』(2005年)368頁)。

山下教授のこの学説は、保険約款による保険契約などの符合契約においては、多数の契約を画一的に規律するために、個々の顧客の理解を基準に解釈するのではなく、画一的な解釈つまり客観的解釈をすべきであり、それはつまり平均的あるいは合理的な保険契約者の理解、あるいは保険契約者の合理的な利益を考慮した合理的な意思により約款は解釈されるべきであるとの符合契約における原則的な考え方に基づくものであると思われます(山下・前掲117頁)。

まとめ4

(6)本件高裁判決について
本件高裁判決は保険法80条および保険約款の「被保険者の重過失」の解釈について、最高裁昭和32年7月9日判決、最高裁昭和57年7月15日判決などと同様に「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」であるとして、被保険者の保険事故時の状況を検討し、「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」の状態ではなかったとして保険会社側の免責を認めず、給付金の支払いを命じています。

しかし、本件訴訟の第一審判決(福岡地裁令和2年1月16日判決・判例時報2505号62頁以下)は、重過失の解釈基準を「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」であるとしつつも、Aが相応の飲酒をした上で午前5時という周囲がまだ暗い時間帯に、片道2車線の県道の第2車線の中央付近を歩行または佇立していたこと、そのときの服装は紺のスーツに黒のコートであり自動車の運転者から発見が困難なものであったこと等から、被保険者には「ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態」であったと認定し、保険会社側の免責を認めています。

生命保険の元支払査定担当者として考えると、少なくとも本件訴訟のような事案は支払いあるいは不払いがあっさりと決まるものではなく、事実の確認(事項の確認、調査)を実施し、報告書などを基に慎重な判断を行うものであると思われます。

保険契約の締結時期から保険事故発生まで約1年しか経過していない早期の保険事故であることを考えると、自殺免責の可能性、あるいはいわゆる「当たり屋」などのモラルリスク(不正な保険金詐取)の危険を念頭に、管理職あるいはさらにその上が慎重な判断や決済を行うべき事案であると思われます。

一般論としては、冬のまだ夜の明けていない午前5時頃に片側2車線の県道において、飲酒をした上で黒色系の服装で第2車線の中央部分を歩行する行為は、一般人の合理的な理解としても非常に危険な行為であり、「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」との判例の重過失の判断基準に立つとしても被保険者の重過失に該当すると考える余地があるように思われます。個人的には、保険会社は給付金支払いを免責されるとの第一審判決のほうが妥当であったように思われます。

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■参考文献
・判例時報2505号(2022年3月1日号)56頁
・山下友信・米山高生編『保険法解説』(潘阿憲執筆)427頁、437頁
・山下友信『保険法』(2005年)117頁、367頁
・斉藤真紀「傷害保険契約における免責事由としての「被保険者の重大な過失」の意義」『保険法判例百選』210頁
・萩本修『別冊商事法務321号 保険法立案関係資料』155頁、115頁
・長谷川仁彦・竹内拓・岡田洋介『生命・傷害疾病保険法の基礎知識』269頁
・塩崎勤・山下丈・山野嘉朗『専門訴訟講座3 保険関係訴訟』432頁
・塩崎勤・山下丈編『新・裁判実務体系19 保険関係訴訟法』(福田弥夫執筆)394頁















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■追記(2022年8月31日)
生命保険協会は、自宅療養・自主療養等について、入院給付金等の支払い対象を限定する方針を固めたとのことです。詳しくはこのブログ記事の下の追記をご参照ください。

■追記(2022年2月4日)
PCR検査などなしで「みなし陽性」として自主療養・自宅療養を行う制度を神奈川県などが開始しました。この制度と民間の保険会社の医療保険の入院給付金などの支払いに関してはこのブログ記事下部の「追記(2022年2月4日)」をご参照ください。

1.新型コロナにより自宅療養をした場合、生損保の医療保険の入院給付金は支払われないのか?
2022年1月24日夜、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、後藤厚生労働大臣は、自治体が判断すれば、感染者の濃厚接触者に発熱などの症状が出た場合、PCR検査等を患者が受けなくても、医師が感染したと診断できるようにする方針を明らかにしたとのことです。

・濃厚接触者 検査なしでも医師が感染と診断可能に 厚労相|NHKニュース

これに対しては、ネット上で、「自宅療養(自主療養)では生損保の医療保険の入院給付金が支払われなくなってしまうのではないか?支払いをめぐって保険会社ともめ事が発生するのでは?」との心配の声があがっています。

これ保険で絶対もめる
(Twitterより)

2.保険会社の対応
この点、例えば住友生命保険の医療保険の疾病入院給付金の約款(5年ごと利差配当付医療定期保険普通保険約款)の5条1項1号(支払理由)は、「イ 疾病の治療を目的としている入院であること」、「ハ 病院または診療所等における入院であること」などを支払いの要件としています。

そしてこの「病院または診療所等」について、同約款は「「病院または診療所等」とは、次のいずれかに該当する施設とします。(1)医療法に定める日本国内にある病院または患者を入院させるための施設を有する診療所、(2)柔道整復師法に定める日本国内にある施術所(患者を入院させるための施設と同等の施設を有する施術所に限ります。)(3)前(1)および(2)と同等の日本国外にある医療施設」と補足しています。

住友生命医療保険約款
(住友生命保険「5年ごと利差配当付医療定期保険普通保険約款」より)

しかし、例えば日本生命保険のプレスリリース「新型コロナウイルス感染症に関するお知らせ」(最終更新日:2021年10月1日)「保険金・給付金のお支払いについて」の「1.入院給付金のお支払いについて」は、つぎのように説明しています。
1.入院給付金のお支払いについて
新型コロナウイルス感染症は疾病に該当しますので、新型コロナウイルス感染症の治療を目的とされた入院は、(疾病)入院給付金のお支払い対象となります。
※ご契約内容によっては、入院給付金のお支払いに、所定の入院日数が必要となる場合があります。

なお、新型コロナウイルス感染症に罹患された場合で、医療機関の事情などにより、自宅またはその他病院などと同等とみなされる施設で治療を受けられる場合も、その治療期間に関する保健所等発行の証明書入院勧告書または就業制限・解除通知等)などをご提出いただくことで、入院給付金等のお支払いの対象としてお取扱いします。

この場合、お支払いの対象となる期間は原則、PCR検査等で陽性と判明した日から厚生労働省等の定める解除基準に該当した日(保健所等から通知された解除日)となります。
※上記は2021年7月1日時点での取扱いであり、今後法令の改正等により変更する可能性があります。

日本生命コロナ入院給付金支払いについて
(日本生命保険「新型コロナウイルス感染症に関するお知らせ」より)
・新型コロナウイルス感染症に関するお知らせ|日本生命保険

このように日本生命保険は、コロナに感染したが、病院などの事情により病院への入院でなく、自宅療養ホテルなどの宿泊所療養などをした場合であっても、お客様が「その治療期間に関する保健所等発行の証明書入院勧告書または就業制限・解除通知等)など」を提出した場合は、自宅療養などであっても入院給付金の支払い対象となるとしています。

同様に、第一生命保険、住友生命保険、明治安田生命保険、損保ジャパンなどもプレスリリースで、医師診断書等「会社所定の宿泊療養・自宅療養書」「保健所の証明書」などの提出があった場合には、コロナによる自宅療養でも入院給付金・医療保険金を支払い対象になるとしています。

・新型コロナウイルス感染症に関連したご案内等について(12月30日更新)|第一生命保険
・新型コロナウイルス感染症宿泊療養・自宅療養による入院給付金のご請求について|住友生命保険
・新型コロナウイルス感染症に関する当社の対応について|明治安田生命保険
・新型コロナウイルス感染症に関する商品・特別措置等のご案内|損保ジャパン

3.まとめ
そのため、コロナで入院治療が必要となったが、自治体や病院等の都合で自宅療養やホテル療養などとなった場合であっても、保健所の証明書医師の診断書などを提出した場合は、自宅療養などであっても入院給付金の支払い対象となると思われます。

※くわしくはご加入の保険会社にお問い合わせください。

■追記(2022年2月4日)
PCR検査などなしで「みなし陽性」として自主療養・自宅療養を行う制度を神奈川県などが開始しました。この制度と民間の保険会社の医療保険の入院給付金などの支払いに関して、神奈川県サイト「新型コロナ 自主療養について」のページの「5 よくある質問」QA7はつぎのように説明しています。
Q(7)自主療養届を療養に関する民間保険金請求や傷病手当に使えますか?
A いいえ。医療機関を受診し、発生届が提出された場合、神奈川県は療養終了後に別途「療養証明書」を発行しています。自主療養届は、制度開始時点においては、各種保険金や手当の請求に使う想定はしておりません。
神奈川県QA
(神奈川県サイトより)
・自主療養について|神奈川県

神奈川県サイトの説明によると、「みなし陽性」による自主療養の場合、患者は自治体の用意している「自主療養届出システム」に届出者情報などを入力すると、「自主療養届」が同システムからダウンロードできるようになり、これを学校勤務先などに提出して欠席や欠勤の届け出に利用できるとなっていますが、この「自主療養届」は民間の保険会社の医療保険などの入院給付金などの請求には「利用を想定していない」となっています。そして保険会社の医療保険などの入院給付金などの請求には、自治体が療養終了後に別途「療養証明書」を発行するので、この「療養証明書」を利用してほしいと説明しています。

神奈川県の自主療養届
(神奈川県の自主療養届。神奈川県サイトより)

たしかに神奈川県サイトに掲載された自主療養届のひな型をみると、自主療養の開始の日などの記載はありますが、終了の日などの記載はなく、入院給付金などの請求には使えないと思われます。

したがって、検査を受けずに自主療養・自宅療養を開始する「みなし陽性」の患者の方々は、「自主療養届」ではなく、療養終了後に自治体が発行する「療養証明書」を入院給付金などの請求に利用することになると思われます。

※くわしくはご加入の保険会社にお問い合わせください。

■追記(2022年8月31日)
新聞報道によると、各生命保険会社が加入する生命保険協会は、上でみたコロナによる自宅療養等について、入院給付金等の支払対象を「65歳以上の高齢者や入院患者、コロナの治療薬投与を受けた患者、妊婦」に限定する方針とのことです。

・医療保険、コロナ対象縮小 「みなし入院」扱い見直し 支払い7割減 生保協会方針|朝日新聞

※くわしくはご加入の保険会社にお問い合わせください。

■関連する記事
・保険会社・営業職員等に保険募集の際に公的保険制度の情報提供を求める金融庁の監督指針の一部改正を考えた
・新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は生命保険の保険金支払いの対象となるか?
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1.保険会社の営業職員等に保険募集の際に公的保険制度の情報提供を求める金融庁の監督指針の一部改正が行われる
金融庁は、保険会社の営業職員等に保険募集の際に公的保険制度の情報提供を顧客にすることを求めるための「保険会社向けの総合的な監督指針」(以下「監督指針」とする)等の一部改正のためのパブコメ手続きを2021年10月15日から同年11月16日まで実施し、その結果をまとめたパブコメ結果を同年12月28日にウェブサイトで公表しました。改正後の監督指針は12月28日より適用されるとなっています。

・「保険会社向けの総合的な監督指針」等の一部改正(案)に対するパブリックコメントの結果等について|金融庁
・コメントの概要及びコメントに対する金融庁の考え方|金融庁
・「保険会社向けの総合的な監督指針」の一部改正(新旧対照表)|金融庁
・「保険会社向けの総合的な監督指針(別冊)(少額短期保険業者向けの監督指針)」の一部改正(新旧対照表)|金融庁
・「金融サービス仲介業者向けの総合的な監督指針」の一部改正(新旧対照表)|金融庁

2.監督指針の改正の概要
(1)2014年の保険業法の改正
保険業に関する金融庁の監督法である保険業法は、近年、保険商品の複雑化・販売形態の多様化や、スーパーや百貨店などに店舗を構える「ほけんの窓口」などの保険の乗合代理店の拡大などを踏まえ、2014年(平成26年)に大きな改正が行われ2016年に施行されました。この保険業法の改正は、①意向把握義務の創設(294条の2)、②情報提供義務の創設(294条1項)、③保険の乗合代理店の保険募集の態勢整備義務(294条の3)などが含まれます。

その改正点の一つの意向把握義務とは、保険会社・乗合代理店・営業職員(保険募集人)が保険募集(保険営業)を行う際に、顧客の保険契約への意向(ニーズ)を把握しなければならず、その顧客の意向に沿った保険契約の勧誘や提案を行わなければならないとするものです(保険業法294条の2)。

(2)2021年の監督指針の一部改正
そして2021年12月28日は、さらに保険会社の営業職員等に保険募集の際に公的保険制度の情報提供を顧客にすることを求めるための監督指針の一部改正が行われました。その内容は、①保険業法294条の2の意向把握義務に関する監督指針に、営業職員等が公的保険制度の情報提供を行うことを求める改正と、②保険会社の保険募集管理態勢(100条の2)に関連する監督指針に、「保険会社が営業職員などに公的保険制度に関する適切な理解を確保するための十分な教育体制を整備すること」の2点です。そしてこの監督指針の一部改正は、少額短期保険業者への監督指針、金融サービス仲介業者への監督指針においても同様の改正が行われています。

(3)保険業法294条の2の意向把握義務に関する監督指針に、保険会社や営業職員等が公的保険制度の情報提供を行うことが追加される。
今回の改正では、監督指針Ⅱ-4-2-2(保険契約の募集上の留意点)の(3)①(意向把握・確認の方法)の部分がつぎのように改正されました。(下線部が今回追加されたもの。)

Ⅱ-4-2-2 保険契約の募集上の留意点
(3)法第294条の2関係(意向の把握・確認義務)
①意向把握・確認の方法
意向把握・確認の方法については、顧客が、自らのライフプランや公的保険制度等を踏まえ、自らの抱えるリスクやそれに応じた保障の必要性を適切に理解しつつ、その意向に保険契約の内容が対応しているかどうかを判断したうえで保険契約を締結するよう図っているか。そのために、公的年金の受取試算額などの公的保険制度についての情報提供を適切に行うなど、取り扱う商品や募集形態を踏まえ、保険会社又は保険募集人の創意工夫による方法で行っているか。
監督指針改正1
(金融庁のプレスリリースより)

(4)公的保険制度の社内教育などの適正な保険募集管理態勢の確立の改正
また、今回の改正では、監督指針Ⅱ-4-2-1(適正な保険募集管理態勢lの確立)の(4)①(特定保健募集人等の教育について)の部分がつぎのように改正されました。(下線部が今回追加されたもの。)

II-4-2保険募集管理態勢
II-4-2-1適正な保険募集管理態勢の確立
(4)特定保険募集人等(略)の教育・管理・指導
①特定保険募集人の教育について
保険商品の特性に応じて、顧客が十分に理解できるよう、多様化した保険商品に関する十分な知識や保険契約に関する知識の付与及び適切な保険募集活動のための十分な教育を行っているか。
また、公的保険を補完する民間保険の趣旨に鑑みて、公的保険制度に関する適切な理解を確保するための十分な教育を行っているか。

監督指針改正2
(金融庁サイトより)

3.パブコメ結果の概要
(1)そもそも国の公的保険制度を国民に伝えるのは政府や所轄官庁の仕事ではないのか?
今回のパブコメ結果の概要を読むと、保険会社の営業職員と思われる方からのつぎのご意見が、大なり小なり保険会社関係の人間の思いを代弁していると思われます(パブコメ結果1)。

これ保険会社向けの監督指針に入れる必要があるのでしょうか?
そもそも国の制度を国民に伝えるのは政府や所轄官庁の仕事じゃないですか?
保険会社等はあくまでも補完サービスでしかないので筋違いの様に思います。

この営業職員と思われる方からのご意見は正論であり、読んでいて思わず笑ってしまいました。しかし、このカジュアルな意見に対して、金融庁の担当者の方はやや押され気味ながらも、つぎのようにまじめに回答しています。

政府において、公的保険に関する広報については、厚生労働省を中心に年金ポータルの開設やパンフレットの作成、対話集会の実施等、様々な取り組みを行っています。金融庁においても、金融経済教育における動画やパンフレット等において、公的保険や民間保険についても説明しています。

また金融庁ウェブサイト上に、公的保険制度について解説するポータルサイトを作成する予定です。他方で、保険会社や保険募集人等が保険募集を行う際には、顧客の意向を把握し、意向に沿った保険契約の提案を行うことが重要です。今般の監督指針案は、公的保険を補完する民間保険の趣旨に鑑み、顧客に対して、公的保険制度等に関する適切な情報提供を行うことによって、顧客が自らの抱えるリスクやそれに応じた保障の必要性を理解したうえでその意向に沿って保険契約の締結がなされることが図られているかという点などを監督上の着眼点として明確化したものです。

また、監督指針の改正趣旨を踏まえ、保険会社や保険募集人等が取り扱う商品や募集形態に応じて適切に判断し創意工夫を発揮して対応することは、顧客本位の業務運営に資するものと考えます。

パブコメ意見1
パブコメ意見2
(金融庁サイトより)

このように、金融庁は、公的保険制度の国民への説明として、厚労省がウェブサイトに公的保険制度の解説や公的年金の試算ができる専用のページなどを準備し、また金融庁もサイトに公的保険制度に関するポータルサイトを作成する予定なので、保険会社や営業職員などはそれを利用してほしいと異例の低姿勢で要請しています。

(2)今回の公的保険の情報提供は新たな情報提供義務ではない
また、パブコメ結果2は、「そもそも義務教育や高等教育の場面で、公的保険などに関する教育を行うべきではないか」との意見に対して、金融庁は「金融経済教育については、ご指摘を踏まえ、引き続きこうした取り組みを進めていきたいと考えております」とし、さらに「今回の改正案は、監督指針として盛り込むものであり、公的保険制度につき情報提供義務を課すものではありません。と回答しています。

そのため、仮に保険会社や営業職員などが公的保険制度の顧客への説明が不十分であったような場合でも、直ちに意向把握義務(保険業法294条の2)や情報提供義務(294条1項)の違反にはならないと金融庁は考えていると思われます。

(3)共済などには公的保険制度の説明を求めないのか?
パブコメ結果5では、「認可特定保険業者や、共済事業者、事業協同組合の共済事業に対しては公的保険制度の説明をさせないのか?との意見も出されています。この点、金融庁は、「認可特定保険業者についての貴重なご意見として今後の参考とさせていただきます」としています。また、共済などについての意見は、所管官庁へ伝えさせていただきます」と回答しています。

(4)証券会社が投資信託などを販売する際には公的保険制度の説明は不要なのか?
パブコメ結果10では、「証券会社が投資信託などを販売する際には、公的保険制度の説明は不要なのか?」との質問も出されています。これに対して金融庁は「本改正は保険会社や保険募集人を対象とするものであり、投資信託の販売などには影響しない。」「他方で、金融事業者の自主的な判断で、投資信託の販売時に厚労省の公的年金資産Web等を活用することは、望ましい取り組みである」と回答しています。

この点、投資信託の積立などのNISAやiDecoなどの老後のための備えを国民に促す制度を金融庁は推進しているのであり、このNISAやiDecoなども公的年金などとのバランスをとって国民が長期間にわたって準備するうことが大事なのですから、金融庁は保険会社や営業職員などに公的保険制度の説明をさせるだけでなく、証券会社やその営業職員などに対しても、監督指針を改正するなどして、公的年金制度などの説明をすることを求めるべきなのではないかと思われます。

(5)保険会社等はどのような公的保険について説明をすべきなのか?
保険会社等はどのような公的保険について説明をすべきなのかという質問が複数出されていますが、金融庁は「各保険会社が提供する商品種類・内容等、自社の事業の特性や募集チャネルを踏まえて、相違工夫を発揮しならが判断し対応すべき」ものであり、一律の基準などを設ける予定はないようです(パブコメ結果22)。また、金融庁は公的保険制には「遺族年金や障害年金も含まれる」と回答しています。

(6)実効性の担保について
パブコメ意見には、公的保険制度の説明を実施したことの担保・証拠として、「ねんきん定期便等から公的保険の受取資産額を踏まえた説明を受けた」とのチェック項目やチェックボックスを意向確認書に設ければよいのか?という質問も複数出されています(パブコメ結果32、33)。

これに対して金融庁は「実効性を担保するためには各種手段が考えられるところ、保険会社等が自らが取り扱う保険商品や募集形態などを踏まえ、創意工夫をもって判断すべきである」とし、「金融庁としてはこうした点を含めて保険会社等と対話をしてゆく所存です」と回答しています。そのため、保険会社等が顧客に公的年金制度について説明を行い、意向確認書に「公的保険制度の説明を受けた」とのチェック項目・チェックボックスなどを設けておけば、保険募集の際には保険会社等は公的保険制度の説明をせよとの金融庁の今回の監督指針の改正には一応適合していることになると思われます。

■関連する記事
・【解説】保険業法改正に伴う保険業法施行規則および監督指針の一部の改正について
・【解説】保険業法等の一部を改正する法律について
・かんぽ生命・日本郵便の不正な乗換契約・「乗換潜脱」を保険業法的に考える
・第一生命保険が営業職員等の不祥事の報告書を公表

■参考文献
・吉田桂公『一問一答改正保険業法早わかり』19頁、48頁
・錦野裕宗・稲田行祐『保険業法の読み方 三訂版』173頁
・吉田和央『詳解保険業法』614頁、628頁













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