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タグ:オリンピック

新型コロナの8月5日付の東京都の新規感染者数が5,042人、日本全体の新規感染者数が15,259人という新型コロナの感染爆発の状況(Yahoo!Japan「新型コロナウイルス感染症まとめ」および東京都「都内の感染状況」より)のなか、東京都などのコロナ感染者が急増する地域で、コロナ患者の入院を制限する菅内閣の新しい方針に対して、自民党も撤回の要求を行っているにもかかわらず、菅義偉首相や田村憲久厚労大臣らは撤回しない考えを示しています。
・菅首相、入院制限方針を撤回せず「理解してもらいたい」|朝日新聞
20210804菅首相
(菅首相、朝日新聞サイトより)

結論を先取りすると、菅内閣のコロナ患者の入院制限というこの新しい方針は、国民の生存権(憲法25条1項)や、公衆衛生や感染症対策を国の任務とする憲法25条2項や厚労省設置法などの法律に抵触し、「法律による行政の原則」や法治主義などの西側自由主義諸国の近代憲法の大原則に反しています。菅内閣は迅速に臨時国会などを召集し、国会で説明を行うとともに、コロナ対策やオリンピック中止などについて国会審議を行うべきです。

菅政権は新型コロナの感染拡大を悪化させると批判されている東京オリンピック・パラリンピック開催の強行を続けている一方で、新型コロナへの対応は、ワクチン接種の遅れなど後手後手にまわり続けています。

このような状況下で、東京都などコロナの感染拡大が大幅に悪化している地域において、コロナ患者の重症患者以外は入院を拒否するという菅政権の新しい方針は、菅首相の政治公約である東京オリンピックは推進する一方で、東京都などのコロナの重症患者以外の患者の生命・健康を見殺しにする、つまり国家の目的のために民主主義国家における主権者の国民を見殺しにするという恐るべきものです。

菅政権がコロナ対応において多くの国民・住民を見殺しにするとことは、国民の生存権(憲法25条1項)を侵害するだけでなく、「公衆衛生」「感染症対策」などを国の任務とする憲法25条2項、厚労省設置法(3条、4条4号、19号等)にも違反していると思われます。

憲法
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

厚生労働省設置法
(任務)
第3条 厚生労働省は、国民生活の保障及び向上を図り、並びに経済の発展に寄与するため、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進並びに労働条件その他の労働者の働く環境の整備及び職業の確保を図ることを任務とする。

(所掌事務)
第4条 厚生労働省は、前条第一項及び第二項の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
 原因の明らかでない公衆衛生上重大な危害が生じ、又は生じるおそれがある緊急の事態への対処に関すること。
十九 感染症の発生及びまん延の防止並びに港及び飛行場における検疫に関すること。

また、菅内閣の新しい方針は、憲法や厚労省設置法などの法律に違反した行為を、行政権である菅内閣が行うものであるので、「法の支配」法治主義(実質的法治主義)、「法律による行政の原則」(憲法41条、65条等)などの民主主義国家の大原則に反しており、また菅首相や田村厚労大臣、西村経済担当大臣などは、「国務大臣、国会議員…その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」との憲法尊重擁護義務(99条)にも反しています。

さらに、そもそも菅内閣の新しい方針は、国民の「個人の尊重」と「基本的人権の確立」のために国・国会などの統治機構は手段として存在するという近代立憲主義憲法の基本構造(憲法11条、97条)に反しています。

つまり、菅内閣が多くの国民を見殺しにするということは、18世紀以降の西側の自由主義・民主主義諸国の近代立憲主義憲法の基本原則に反し、戦前の日本・ナチスドイツや、あるいは現代の中国のような国家主義・全体主義的なものです。

これはもはや日本の医療の危機にとどまらず、日本の議会制民主主義の危機近代立憲主義憲法の危機といえます。

菅首相は8月4日の記者会見で、国民に対して「丁寧な説明を行う」と発言しました。そうであるならば、菅内閣は迅速に国会の臨時会(臨時国会、憲法53条)または参議院の緊急集会(54条2項)を招集し開催すべきです。

国会において、感染爆発の状況にあるコロナ対策のためにロックダウンなどを可能にするための特措法改正のための法律審議と、あわせて東京オリンピック・パラリンピックの中止などの審議を実施すべきです。











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小林解任
(TBSニュースより)
1.東京オリンピック開会式・閉会式のトップのディレクター・小林賢太郎氏が解任
東京オリンピックの開会式が明日にせまるなか、7月22日午前11時頃に、開会式のディレクターで開会式の演出のトップの元お笑い芸人の小林賢太郎氏が、お笑い芸人時代にナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を笑いの対象としたコントをしていたことに対し、ユダヤ人人権団体のサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が同氏を非難する声明を公表したことを受け、組織委員会は本日、小林賢太郎氏を解任したとのことです。
・小林賢太郎氏を解任 五輪開会式演出担当、ホロコーストをやゆ|毎日新聞

・SWC Condemns Anti-Semitic Remarks by Director of Opening Ceremony of Tokyo Olympics|SWC

SWCサイト
(SWCサイトより)

たしかに、SWCサイトをみると7月21日付で、「SWC Condemns Anti-Semitic Remarks by Director of Opening Ceremony of Tokyo Olympics」(SWCは東京オリンピックの開会式のディレクターによる反ユダヤ主義の発言を非難する)との抗議声明が出されています。

同声明はつぎのように、小林賢太郎氏を強く非難しています。

“Any person, no matter how creative, does not have the right to mock the victims of the Nazi genocide. The Nazi regime also gassed Germans with disabilities. Any association of this person to the Tokyo Olympics would insult the memory of six million Jews and make a cruel mockery of the Paralympics,”
(どんなに創造的であっても、ナチスの虐殺の犠牲者をあざける権利は誰にもありません。ナチス政権はまた、障害を持つドイツ人をガス処刑した。この人物(=小林賢太郎氏)と東京オリンピックとの関係は、600万人のユダヤ人の記憶を侮辱するものであり、パラリンピックへの残酷な嘲笑を引き起こすでしょう。)

「どんなに創造的であっても、ナチスの虐殺の犠牲者をあざける権利は誰にもありません。」との批判は正当であり、もはや東京オリンピックは開会を前に、完全にレイムダック、「死に体」の状況に陥っているように思われます。

障害者のパラリンピックを含む東京五輪の開会式・閉会式の音楽担当の小山田圭吾氏が、学校時代の障害者へのいじめ加害で辞任となったばかりですが、今度は開会式の演出トップが、ナチスドイツのユダヤ人大虐殺を笑いの対象としていたことでSWCから非難され解任というのは非常に深刻な状況です。(SWCはアメリカに本部を置く、日本を含む西側自由主義諸国の政治に大きな影響力のある団体です。)

ナチスドイツによる600万人を超えるユダヤ人虐殺は、第二次世界大戦における重大な戦争犯罪の一つであり、ナチスドイツと同盟を結び軍国主義・全体主義国家として第二次世界大戦を行ってしまった日本も、このユダヤ人虐殺を軍国主義・全体主義国家の重大な間違いとして深く反省しなければならない立場のはずです。

世界の国々が参加する、オリンピックという準国家的なイベントの開会式・閉会式の演出のトップのディレクターの人選にあたり、組織委員会や国は、十分な身元調査などを実施していなかったのでしょうか?

また身元調査以前の問題として、そもそも、オリンピックという準国家的なイベントの演出ディレクターや楽曲担当などの要職は、いわば日本の広告塔となるわけですから、イベントの演出や音楽などの実務能力だけでなく、学識経験や高潔な人格など高い水準が要求されるように思われますが、なぜ東京オリンピック開会式・閉会式のスタッフ達は、お笑い芸人であるとか、露悪趣味を売り物にしているサブカル系のミュージシャン等ばかりが幹部に選抜されているのでしょうか?

武藤組織員会事務総長は、小山田氏の辞任劇に際し「我々は開会式・閉会式のスタッフは一人一人選んでいない」と自分達に責任がないと強調していましたが、電通などに重要な人事を丸投げにして放置していた点にこそ、重大な責任があるのではないでしょうか。武藤事務総長や橋本組織委員長ら幹部達は、重要な人事すら丸投げして放置しておいて、自分達はこれまで一体何の仕事をしていたのでしょうか?電通やテレビ局、政治家などへの中抜きのカネ勘定しかやっていなかったのでしょうか。

このように、五輪組織委員会の幹部達の経営責任や、監督する立場の菅首相や丸川大臣らの国の責任は重大であると思われます。

2.中山泰秀・防衛副大臣がサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)に通報?
また、この解任劇は、Twitter等によると、ネット上で小林賢太郎氏の過去のコントが問題であると話題になり、7月22日午前1時頃にあるネット上の人物からTwitter上で申告を受けた防衛省副大臣の中山泰秀氏が同日午前2時前にSWCに通報を行い、22日午前11時頃に組織委員会が小林氏を解任したという経緯があるようです。

防衛省副大臣中山氏のツイート2
(中山泰秀氏のTwitterより)
https://twitter.com/iloveyatchan/status/1417896461262483457

Twitter等によると、中山泰秀・防衛副大臣は菅総理や丸川五輪担当大臣、橋本聖子組織委員長などに連絡することなしに、直接、SWCに通報を行ったようですが、これは少し大げさにいえば、防衛省幹部による、政府に対する一種の電子的なクーデターなのではないでしょうか。

新型コロナの第5波が日本を襲うなか、世論調査によると国民の5割~8割が東京オリンピックに反対しているにもかかわらず、菅首相は東京五輪の開催を強行しています。昨日は、経団連など経済界の3団体のトップが東京五輪の開会式を欠席することを明らかにしただけでなく、東京オリンピック開催を推進してきた安倍前総理も開会式を欠席することが明らかになりました。もはや政府与党の中では、菅首相に幹部達が公然と従わない空気となっているのかもしれません。

東京オリンピックとともに、菅政権も「死に体」、レイムダックの状況となっているのかもしれません。これまでの東京五輪のごたごたをみると、不祥事は小林氏の件で終わりになるとは思えません。オリンピック関係者や選手、スポーツ関係者達だけならまだよいですが、一般国民に対してもトラブルや政治的混乱の悪影響が及ばないことを願うばかりです。

今からでも菅政権は東京オリンピックを中止し、コロナ対応に全力を尽くすべきです。

■関連する記事
・菅義偉首相の「東京五輪をやめるのは簡単」「挑戦するのが政府の役割」発言を考える
・西村大臣の酒類販売事業者や金融機関に酒類提供を続ける飲食店との取引停止を求める方針を憲法・法律的に考えた
・西村大臣の金融機関や酒類販売事業者への要請を行政法から考えた-行政指導の限界
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・自民党憲法改正草案の緊急事態条項について考える
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西村大臣金融機関
(ABEMAより)

産経新聞などの報道によると、西村康稔大臣は、7月8日、新型コロナウイルスの基本的対処方針分科会で、酒類提供を続ける飲食店との取引停止酒類販売事業者に要請する意向を明らかにしたとのことです。
・政府、酒類提供店との取引停止を要請 販売事業者に|産経新聞

また、日経新聞の報道によると、西村大臣は、同日、休業要請拒否をしている店舗などの情報を金融機関に情報提供する方針も明らかにしたとのことです。
・休業要請拒否店、金融機関に情報提供 経財相|日経新聞

さらに、同日、加藤官房長官は記者会見で、東京オリンピックについて「国民の協力」を求めたとのことです。
・加藤官房長官、緊急事態宣言下の東京五輪「成功のためには国民の協力も必要」|ABEMA TIMES

加藤官房長官の発言は、まるで戦時中の「一億総火の玉」などの軍国主義・全体主義の日本政府・軍部の主張のようです。

また、とくに金融機関に対して、西村大臣は、「金融機関は飲食店などと日常的に取引があるから、国・自治体に従うよう指導してほしい」という意向のようですが、それはつまり、銀行などの金融機関に対して、飲食店などに「国・自治体に従わないと融資をストップするぞ」等と脅迫・強要をすることを要求しているわけですが、そのようなヤクザ暴力団のような真似を政府がやるよう命じていいのでしょうか? 日本はこれでも一応、法治国家のはずですが。

西村大臣は中国や北朝鮮、あるいはナチス時代のドイツのような全体主義・国家主義の国の大臣にでもなったつもりなのでしょうか?

しかし、西村大臣の酒類販売事業者や金融機関への方針は、今後、飲食店等から国が取消訴訟であるとか、国賠法上の損害賠償請求などが裁判所に提起されたら国は負けてしまうおそれがあるのではないでしょうか?

国のコロナに対する緊急事態宣言や、それを受けた自治体の企業や住民・国民などに対する指示や要請などは、新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)に基づいています。つまり、特措法32条に基づき国は緊急事態宣言を発出し、特措法24条9項に基づき自治体は企業や住民・国民などに対する具体的な指示や要請などを出せるとされています。しかし、特措法24条9号の条文はつぎのようになっています。

新型インフルエンザ等対策特別措置法
(都道府県対策本部長の権限)
第24条
9項 都道府県対策本部長は、当該都道府県の区域に係る新型インフルエンザ等対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る新型インフルエンザ等対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。

すなわち、国の緊急事態宣言を受けた都道府県は、コロナ対策の実施に関し「必要な協力の要請」を、「公私の団体または個人」に対して行うことができるとされているだけです。

このような法律の条文からは、例えば自治体が飲食店やホテル、百貨店などに対して休業や酒類の提供の停止などを要請することは読み取れるとしても、自治体が飲食店等に酒類の提供の停止を求めることに対して、さらに酒類販売事業者や金融機関などに対してまるで、あるいは戦時中の陰湿な「隣組」の相互監視の奨励のような「必要な協力の要請」を行うことができると読み取ることは、通常の判断能力を有する一般人の理解(最高裁昭和50年9月10日判決・徳島市公安条例事件)からはさすがにちょっと無理なのではないでしょうか?

政府・自治体の行政は、国民が国会を通して行政を民主的にコントロールするために、「法律による行政の原則」適正手続きの原則(憲法31条)が要求されますが、特措法24条9項の条文自体が漠然としており、都道府県などに対して実施できることを白地委任に近い形で認めてしてしまっています。

そしてさらに、今回の西村大臣の金融機関や酒類販売事業者への要請は、この白地委任的な特措法24条9項をさらに幅広に解釈し、飲食店など以外の事業者に対しても、酒を販売するな、融資を停止して飲食店に国・自治体に従うよう指導しろなどと、戦時中の隣組のような相互監視や密告を推奨するかのような「必要な協力の要請」を行うわけですが、これはあまりにも法律の解釈や適用があまりにも大雑把であり、適正手続きの原則法律による行政の原則(憲法31条)に照らして違法・違憲なのではないでしょうか。

しかも、相互監視や密告のようなことを国が国民や企業に法令に基づいて命令したり奨励することは、中国のような国家主義・全体主義国家ならともかく、個人の尊重基本的人権の確立という目的のために国・自治体などの統治機構が手段として存在する(憲法11条、97条)という自由主義・民主主義の国である日本では、この憲法が定める国家の自由主義・民主主義という基本構造そのものに抵触していると思われます。憲法99条は、国務大臣や国会議員、公務員などに憲法尊重擁護義務を課していますが、西村大臣の主張はこの憲法尊重擁護義務に反していると思われます。

加えて、たしかに銀行・保険などの金融機関は、銀行法保険業法などの監督業法(監督法)により、金融庁の監督下にありますが、しかしこれは、国が頭で銀行、保険会社など金融機関が手足の関係にあるというわけではまったくありません。

西村大臣などが「銀行は融資を盾に飲食店に国・自治体に従えと命令しろ」「国に逆らっている飲食店などに対しては融資をストップし資金を引き揚げろ」等と命令し、銀行や保険会社などの金融機関がそれに手足のように従う関係ではありません。中国などの社会主義国家とは違い、日本では、国と民間企業とは別の法人格なのですから。銀行や保険会社は警察署やハローワークなどの国の出先機関とはまったく違います。

それに、銀行法や保険業法などの監督法も、一言でいえば、「顧客である個人・法人に迷惑をかけないように業務を行え」「顧客を公平・中立に公正に扱うこと」「金融機関が倒産したら多くの顧客に迷惑をかけるのだから、倒産しないように健全な会社運営を行え」等などの事柄が規定されているのであって(例えば保険業法300条や100条の2など)、「銀行、保険会社から融資などを条件に、取引先の企業などに対して国に従うよう指導・助言する」などの権限は銀行法・保険業法などの監督法には規定されていません。

それにもし銀行・保険会社などがそのような「国へ従え」という指導・助言などの行為を行ったら、逆に「融資をする金融機関としての優越的な地位を濫用し、取引先・顧客に対して不当な要求をしている」として、銀行法、保険業法などに基づき金融庁や財務局などからの行政指導・行政処分の対象になるであるとか、最悪、公正取引委員会独禁法に基づき銀行・保険会社などに行政指導・行政処分などを実施する展開になってしまうような気がします。

このような社会の仕組みは、社会生活を送っている高校生や大学生、若手の社会人などであればごく自然に身についている社会常識・一般常識であると思うのですが、西村大臣加藤官房長官など政府の幹部達は、このような社会常識が欠けたまま、政府の運営を行っているのでしょうか?非常に疑問です。

また、国などの行政機関の行為に関する行政訴訟では、行政庁の裁量権の逸脱・濫用があったかどうかが争点となることが多いわけですが、コロナの感染拡大を防ぐ目的で、国・自治体が飲食店などに対して酒の顧客への提供の禁止を命じることは、仮に目的は正当と評価されるとしても、規制の手段として社会的相当性があるといえるのでしょうか。

スーパーやコンビニ、自動販売機などでは酒・アルコールは普通に販売されているのに、飲食店だけ全面一律に酒の提供を禁止するというのは、飲食店営業の自由(憲法22条、29条)に対して、狙い撃ち的であり平等原則に反し、比例原則にも反しているように思われます。つまり、国・自治体が飲食店だけ全面一律に酒の提供を禁止するというのは、行政の裁量権の逸脱濫用があるとされる可能性があるのではないでしょうか。

また、そもそも国や東京都は、コロナの感染拡大に最も悪影響であろう東京オリンピック・パラリンピックについては開催を強行する方針です。6月下旬から、コロナワクチンの不足により、職域接種や自治体の接種が中断や予約のキャンセル、新規予約の停止などにより、国民の不安が高まっているにも関わらずです。

東京オリンピックの開催を強行して、「国民をコロナの感染拡大から守る」という国の公衆衛生上の任務(厚労省設置法3条1項、4条4号、19号、憲法25条など)を国・東京都などが事実上放棄しているのに、その国や東京都などが民間企業の飲食店に対しては「コロナ感染拡大防止のため」と酒の提供を規制するのは大きな矛盾であり、信義則禁反言の原則などの法律上の一般原則に反しており、やはり国・自治体の飲食店に対する規制は、行政の裁量権の逸脱濫用となるのではないでしょうか。

さらに、7月8日に西村大臣が公表した、酒類販売事業者に国の要請を守らない飲食店との取引停止を命じることや、金融機関に対してこれも国の要請を守らない飲食店に融資などを行わないように命じることは、あまりにも幅広に、飲食店以外の他業界に対しても営業の自由に対して規制を行うものですが、これはあまりにも幅広で、あいまい漠然としたものであり、国が「なんとなく有効そうだから」となんとなく民間企業の酒類販売事業者や銀行などの金融機関の営業の自由などを規制するものであって、これは手段としてあまりにも不適正であり、つまり行政の裁量権の逸脱濫用があると裁判所に評価される可能性が高いのではないでしょうか。

憲法から考えても、二重の基準論であると、コロナ対策は公衆衛生の目的ですので、警察目的・消極目的なので、厳格な審査基準によることになるわけですが、上でみたように、飲食店の営業の自由そのものに対する酒提供規制も厳格な審査基準をクリアできているか疑問ですし、さらに、酒類販売事業者や金融機関の営業の自由に対する規制は、あまりにも幅広漠然としたものであって、厳格な審査基準をクリアできず、国・自治体の酒類販売事業者や金融機関に対する規制は違法・違憲と裁判所に判断される可能性があるのではないでしょうか。

また、最近有力に主張されている三段階審査論からも、酒類販売事業者や金融機関などへの取引禁止との営業の自由の規制は、これもあまりにも幅広でばくぜんとしたものなので、比例原則などの観点からアウトであり、違法・違憲と裁判所に評価される可能性があるのではないでしょうか。

さらに、このように西村大臣ら国・自治体の言動がここまで法的にぐだぐだであると、それを受けた酒類販売事業者や金融機関がそれに仮に素直に従った場合、逆に酒類販売事業者や銀行・金融機関などは、飲食店などから損害賠償責任を追及されるリスクや、株主総会などで不当あるいは違法な行為であると株主から追及されるリスクがあるのではないでしょうか。

加えて、最近の世論調査でも、国民の5割から8割は東京オリンピックに反対であり、オリンピック開催を強行しながら飲食店の営業の自由を大きく規制している国・東京都などに無批判に従うことは、酒類販売事業者や銀行・金融機関などにとって、国民やマスメディアからの批判不買運動などの風評リスク、レピュテーション・リスクなどが発生してしまうのでしょうか。しかも酒類販売事業者や金融機関などにこうした風評リスクなどが発生しても、国・自治体がその尻ぬぐいをすることはおそらくないでしょう。

このように、国の酒類販売事業者や金融機関などへの国に従わない飲食店への取引停止などの要請は、法的にいろいろと無理筋であると思われます。

そもそも論として、国や東京都などは、国民主権の国家として、国民の生命・健康をコロナから守るために、日本のコロナの感染拡大に一番悪影響であると思われる東京オリンピックを中止すべきであると思われます。国が経済政策などによる金銭でコロナによる国民・法人の損害などを事後的に回復することはできても、コロナで亡くなった国民の命を金銭でよみがえらせたり、失われた国民の健康を金銭で回復させることをはできないのですから。

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東京オリンピック
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の医師の尾身茂会長が、6月2日に国会で、「普通はオリンピック開催はない。このパンデミックで。」、「そもそもオリンピックをこういう状況のなかで何のためにやるのか。それがないと、一般の人は協力しようと思わない」と発言したことが大きな社会的注目を集めています。

・尾身氏「普通はない」発言、自民幹部反発「言葉過ぎる」|朝日

ところが、この尾身会長の発言に対して、丸川珠代・五輪担当大臣は6月4日に「我々はスポーツの力を信じて今までやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言っても(我々、政府・五輪関係者には)なかなか通じづらい」と記者会見で発言したとのことです。

・丸川五輪担当大臣 開催意義「スポーツの持つ力を」|テレ朝News

また、同じく4日には、菅首相は記者団からの質問に対して「夢と希望を届ける」と東京オリンピックの今夏開催の意義を書面で回答したそうです。

政府の首脳陣達のこのようなお花畑というかポエムのような回答にはさすがに呆れてしまいました。

(さらに、田村厚労大臣は、尾見会長の発言について、「自主研究にすぎない」と記者会見で発言したとのことです。菅首相らはコロナに関しては二言目には「専門家に相談する」と発言するのに、自分達に都合の悪い専門家の見解については「自主研究」とは呆れてしまいます。反知性主義もいいところです。)

朝日新聞が5月15日、16日に実施した東京オリンピック・パラリンピックに関する世論調査では、「今夏に開催」は14%、「中止すべき」が43%、「再び延期すべき」が40%と、東京オリンピックの中止・延期を求める国民の世論が実に83%となっているところです。

・五輪「中止」43%、「再延期」40% 朝日世論調査|朝日

Yahoo!Japanの新型コロナ特集サイトにおいても、6月4日現在の新型コロナの日本の新規感染者数は2593人、死者は13470人、世界の新規感染者数は約47万人、死者は約369万人と現在も大変な数字となっています。

コロナ世界の感染状況

このような状況下での丸川大臣の発言を意訳すると、「私達、政府や五輪関係者や選手達は皆、スポーツや金儲けしか関心のない脳ミソ筋肉のアホなので、医者の医学的・科学的な意見は理解できないので受け付けません」ということなのでしょうか?

あるいは、丸川大臣や菅首相は、日本全国の病院やホテル、自宅などで病気と闘っているコロナ患者や、1万3千人を超えるコロナの死者の遺族の前でも「スポーツの力」とか「夢や希望」などの薄っぺらい発言ができるのでしょうか?

しかし「別の地平から見てきた言葉をそのまま言っても、なかなか通じづらい」という発言はすさまじいものがあります。

丸川氏は東京五輪担当の国務大臣のはずであり、内閣の一人です。政府つまり行政は、国民の「全体の奉仕者であつて一部の奉仕者ではない」(憲法15条2項)のであり、「内閣は行政権の行使について、国会に対し連帯して責任」(66条3項)を負うのですから、丸川大臣や菅首相ら内閣は、政府与党側の意見だけを考えるのではなく、国民の反対派の意見や専門家の意見を十分考慮して国会(国民)に対して責任を持って国政(行政)を実施しなければならない立場です。

にもかかわらず、丸川大臣らは、「別の地平から見てきた言葉をそのまま言っても、なかなか通じづらい」として、専門家の意見や反対派の意見を受け止め検討することを拒否していますが、これは国務大臣任務の放棄であり、内閣の東京オリンピックに関する国政の、国会・国民への責任放棄です。

このような今夏の東京オリンピック開催に拘泥し、医師などの専門家や8割を超える国民の反対意見をシャットダウンする政府・与党の態度は、わが国の近代立憲主義憲法に基づく民主主義制の観点からも言語道断なのではないでしょうか。

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については…立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と憲法13条に明記されているとおり、近代憲法の自由主義・民主主義の国家においては、国民の生命や健康は、国民の基本的人権のなかでも一番守られなければならないものです。そして近代憲法の国家においては、政府などの国の統治機構は国民の個人の尊重や基本的人権の確立のために存在します(11条、97条)。

日本国憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


したがって、日本政府は世界的な新型コロナの大流行という状況を鑑み、今一度、医師など専門家の意見や主権者たる国民の声を十分に検討し、日本国民および世界の人々の生命・健康を守るために東京オリンピックの中止あるいは延期を決定すべきです。

また、わが国の憲法の前文第2段落は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従圧迫と偏狭地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と国際協調主義を規定しています。

日本国憲法
前文・第二段落後段
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

新型コロナの蔓延という世界的な災厄を地上から永遠に除去しようと努力している国際社会において、日本が「名誉ある地位」のためにまず実施すべきことは、カネの亡者のバッハ・IOC会長やオリンピック選手達、スポンサー企業、テレビ局などのカネ儲けや名声のために東京五輪を開催するのではなく、東京オリンピックの中止または延期を決断することより他にないと思われます。世界の人々の生命と健康をコロナの感染拡大から守るという、これ以上の国際貢献は他にないと思われます。


■追記
弁護士で政治家の宇都宮健児氏が、東京オリンピック中止のネット署名を行っています。
・東京五輪の開催中止を求める署名はこちら | 宇都宮けんじ公式サイト

■関連する記事
・東京オリンピックの主催はIOCなので日本政府は開催に関係ないのか?









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東京オリンピックスポンサー車
東京オリンピック・パラリンピック選手村村長で、日本サッカー協会相談役などを務める川渕三郎氏の5月4日の東京オリンピックに関する医師・看護師の募集についての次のようなツイートが炎上しています。

『東京オリパラ開催に向けて組織委員会はじめ多くの関係者が毎日ベストを尽くしている。中止が決定しない限り最大の努力をするのは日本を代表して世界に対応しているのだから当然の話。スポーツドクターや看護師にボランティアの呼びかけをするのもその延長戦上での事。何故この事が批判の対象になるの?』(川渕三郎氏のTwitter( @jtl_President )より)

https://twitter.com/jtl_President/status/1389505969856540673

E0jL7RMVkAE9nYd
(川渕三郎氏のTwitter(@jtl_President)より)

組織やその人間が、目的に向かって一生懸命努力さえしていれば、その目的や努力は常に正当化されると川渕氏は考えているようです。

たしかにスポーツにおいてはそうかもしれません。しかし、世界で今なおコロナが大流行するなかでの東京オリンピック開催の是非は、日本や世界の多くの国民・市民の生命や健康に関わる、重大な公衆衛生上の問題あるいは政治問題です。

スポーツでは判断を誤っても負けるだけで済みますが、東京オリンピックに関して公衆衛生的にあるいは政治的に誤った判断がなされた場合、日本あるいは世界の多くの国民・市民の生命や健康が侵害される危険があります。

世界コロナ感染者の累計は約1億5700万人を超え、世界のコロナによる死者約320万人を超え、国内コロナ感染者の累計は約64万人を超え、国内のコロナによる死者1万人を超えています(2021年5月10日現在。Yahoo!Japanサイトより)。

コロナの世界の発生状況(2021年5月10日現在。Yahoo!Japanサイトより)
コロナ世界の発生状況

コロナの国内の発生状況(2021年5月10日現在。Yahoo!Japanサイトより)
コロナ国内の発生状況

にもかかわらず、川渕氏は、東京オリンピックの問題を、根性論や精神論の問題に矮小化しようとしているようです。また、日本でコロナの第4波が拡大しつつあるにもかかわらず、東京オリンピック開催を強行しようとしている政府・与党も、川渕氏と同様に、思考停止の根性論で物事を進めているように見えます。

しかしそれでは、原爆を2発投下されるまで自分で暴走を止められなかった戦時中全体主義・軍国主義日本政府の思考停止の精神論と、今の日本の政府や五輪組織委員会、IOC・JOC等は思考方法がまったく同じということになります。まさに「オリンピック・ファシズム」と言わざるを得ません。

また、川渕氏はTwitterで、「中止が決定しない限りは、日本を代表して世界を相手に対応しているのだから最大限努力するのは当然」と投稿しています。

「日本を代表して」、「世界を相手にしている」など、大きなモノを持ち出してきて国民に思考停止して賛同するよう求めていますが、日本のオリンピック関係者が「日本を代表して」、「世界を相手」に仕事をするのはその職務上当然のことであり、それと東京オリンピック開催をするか否かは別の問題です。

川渕氏をはじめとする日本のオリンピック関係者や政府は、「日本を代表して」、「世界を相手に」仕事をしている当事者なのですから、「中止の決定がない限りはー」などと他人事のようなことを言って思考停止するのでなく、この世界的なコロナ禍のなかで今夏に東京オリンピックを本当に開催すべきなのか、当事者として今一度検討すべきなのではないでしょうか。

世界的なスポーツの祭典であるオリンピックも、有史以前から継続されてきたわけではなく、近代オリンピックは約120年の歴史があるに過ぎません。中世のペストなど世界史レベルの疫病であるコロナ禍に対して、「昔から4年に1回開催されているから」などとお役所的な思考をするのでなく、オリンピック関係者や各国の政府関係者は現実的な判断をすべきではないでしょうか。

日本政府は、東京オリンピック開催による経済効果を狙っているものと思われますが、金銭的な問題であれば、後からさまざまな方策でリカバリー可能です。しかし、一度失われた人間の生命や健康は後から金銭で回復させることはできません。

オリンピック関係者や政府関係者は、東京オリンピックについて、精神論による思考停止に陥ることなく、今一度よく考えて中止(または延期)をしていただきたいと思います。

■追記(5月10日)
水泳のオリンピック選手の池江璃花子氏のTwitterアカウントが東京オリンピック開催の是非について炎上したことについて、5月7日に池江氏は同アカウント上で、川渕三郎氏と同様に、自分はオリンピックに向けて「努力」しているとした上で、「私個人に批判を当てられるのは苦しいです」とのツイートを行いました。この池江選手の炎上に対しては、ネット上やマスコミにおいては、池江氏に対して同情的な意見が多いようです。

池江るかこツイート
(池江璃花子氏のTwitter(@rikakoikee)より)

https://twitter.com/rikakoikee/status/1390638021943316482

しかし、この池江璃花子氏の主張も、川渕三郎氏と基本的には同じようです。つまり、「自分たちは周囲の期待もあるのでオリンピックに向けて努力をしているのだから、批判するな」という精神論・根性論による思考停止です。

「「努力」さえしていれば人間は批判されない」という子供のような甘えた主張。いつから日本は、こんな仕事のできない新入社員の弁解のような甘えた主張がまかり通る社会になってしまったのでしょうか。およそ人間社会において、「努力」していない人が存在するのでしょうか。会社員も、事業主も、家庭で働く人も、学生や生徒も、病気や障害をもち生きている人も、高齢の方々も、それぞれの自分の人生において日々、努力をしています。

「自分たち選手は周囲の期待のために努力しているのだから、オリンピックには参加だけしてメダル地位名誉を得たい。だけど私個人に批判を当てられるのは苦しいですという虫のよい自分勝手な主張は大人の社会で通用しません。

池江選手は20歳を超えた成人のはずであり、かつ大学生のはずです。20歳を超えた大の大人のであれば、オリンピック選手というオリンピックの「当事者」「主役」として、自分の自己実現だけでなく、この夏の東京オリンピック開催が日本および世界のコロナ禍、日本と世界の約78億人国民・人間の生命・健康にどのような悪影響を与えるか、当事者として自分の頭で今一度真剣に考えるべきです。

金メダル候補のオリンピック選手という当事者中の当事者主役であるならば、真剣に自分の頭で考え判断すべきです。それを「苦しいです」と言って逃げるのは、バッハや組織委員会、日本政府、広告代理店、スポンサー企業などに操られる、ただのマスコミが好みそうな病歴があり、スポーツが得意でルックスがよいだけの「お人形」のやることです。それは自らの意思を持って生きる人間・国民とはとてもいえません。もしそれがそれほど「苦しい」のなら、池江選手は器ではないのでオリンピック選手を早く辞めて、別の人生を送るべきです。

■追記(2021年5月23日)
弁護士で政治家の宇都宮健司氏が、東京オリンピック中止を求めるネット署名を行っています。私も署名しました。
・東京五輪の開催中止を求める署名はこちら | 宇都宮けんじ公式サイト

#東京五輪の開催中止を求めます
#StopTokyoOlympics

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