なか2656のblog

とある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

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リヴァイアサン
1. コロナ禍で緊急事態宣言がでても国民の私権を制限できないのは憲法に緊急事態条項がないからか?
新型コロナの感染拡大が続くなか、最近、一部の論者から、「日本が欧米のようなロックダウンを実施できないのは憲法にその根拠となる緊急事態条項がないからである。だから日本も早急に憲法改正を行い、緊急事態条項を設置すべきだ」という意見が主張されているのをみかけます。例えば、菅内閣の元内閣官房参与で経済学者の高橋洋一・嘉悦大学教授は、5月のインタビューでつぎのようにコメントしています。

緊急事態宣言をして私権制限できないのは日本くらいです。」「憲法上の戒厳令や非常事態宣言などという規定がないから、私権制限ができないのです。」(「コロナ禍で痛感した「憲法改正の必要性」」2021年5月12日ニッポン放送)
・コロナ禍で痛感した「憲法改正の必要性」|ニッポン放送

しかし、結論を先取りしてしまうと、高橋教授などのこの主張は憲法や法律的に正しくありません。

2.憲法上の基本的人権の制約根拠としての「公共の福祉」
日本を含む西側自由主義諸国の18世紀以降の近代憲法は、国民の個人の尊重と基本的人権の確立を国家の目的としています(日本国憲法11条、97条)。

そのため国民の基本的人権は極めて重要なものです。とはいえ国民の基本的人権も無制限なものではありません。国民・人間は社会で生活するものであるので、ある国民の人権と他の国民の人権がぶつかりあうときに、それぞれの人権の調整が必要となります。この、ぶつかりあう人権を制限して調整するための根拠が「公共の福祉」です。

この点、国民の基本的人権が制約される根拠としての「公共の福祉」を、わが国の憲法は、基本的人権に関する条文に置いています。具体的には、憲法12条、13条、22条1項、29条2項に、人権の制約の根拠である「公共の福祉」の文言が置かれています。
日本国憲法
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

このように、わが国の憲法には、ある国民と別の国民との人権がぶつかりあい、矛盾・衝突することを調整するために、国民の人権(私権)を制限する根拠として「公共の福祉」が置かれています。さらに今日の憲法学の通説では、この「公共の福祉」は、憲法12条、13条、22条、29条だけでなく、すべての人権に内在していると考えられています(一元的内在制約説、最高裁41年10月26日判決など)。

そのため、コロナ対応のためにロックダウン(外出禁止令)などを実施して、国・自治体が飲食店やホテル、鉄道などの営業の自由(憲法22条1項、29条1項)を制限することや、同じく国・自治体が一般の国民の移動の自由(22条1項)などを制限するための「公共の福祉」の制度は、日本の現行憲法にすでに存在し、憲法上の問題はクリアされています。

なお、欧米などの世界の主要国も、コロナ対応に関して、自国の憲法に緊急事態条項があればそれを自動的に発動しているかというとそうではありません。憲法に緊急事態条項が存在し、かつコロナ対策に発動している国としては、イタリア、スイス、スペインなどがある一方で、憲法に緊急事態条項があるが、コロナ対策には発動せず法律で対応している国としては、アメリカ、フランス、ドイツ、韓国、中国、インドなどがあげられます。憲法に緊急事態条項の規定が存在せず、法律の規定でコロナ対応を行っている国はイギリス、カナダ、日本などがあげられています(国立国会図書館「COVID-19と緊急事態宣言・行動規制措置―各国の法制を中心に―」『調査と情報』1100号(2020年6月)より)。

したがって、「憲法に戒厳令や非常事態宣言などの規定がないから、私権制限ができない」、「憲法に緊急事態条項がないのは日本くらい」という高橋教授らの主張は正しくありません。

(なお、憲法25条2項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定し、「公衆衛生」を国の任務に明記し、それを受けて厚生労働省設置法3条1項、4条4号、19号などが「公衆衛生」「感染症の発生及びまん延の防止」を厚労省の任務に掲げています。そのため、公衆衛生やコロナ対策を国の任務に加える目的での憲法改正も不要です。)

3.災害対策基本法、国民保護法、警察法などの法律
そしてこのように憲法上は人権制約の問題はクリアされているのですから、あとは国会でコロナ対策のための法改正や立法などを迅速に行い、政府・自治体などはそれらの法律に基づいて行政を実施すればよいのです。

この点、例えば伊勢湾台風の災害を受けて1961年に制定された災害対策基本法は、災害時や災害のおそれがあるときは、市町村長は住民に対して「避難のための立退きを指示」することや、住民に「屋内での待避」を指示することができるとされています(法60条1項、3項)。また災害時や災害のおそれがあるときには、自治体の長は、消防機関や警察などに出動を要請し(法58条)、「犯罪の予防、交通の規制その他災害地における社会秩序の維持に関する事項」や、「緊急輸送の確保に関する事項」などを行わせることができると規定されています。

また、戦争やテロが発生した場合に備えて2004年に制定された国民保護法(武力攻撃国民保護法)や、警察法の第6章の「緊急事態の特別措置」の部分も、戦争やテロなどが発生した際に、自治体の長や警察などは、国民に避難の指示を出したり、治安維持のための活動を行うことができると規定しています(国民保護法11条1項、警察法71条1項など)。

もし「憲法に戒厳令や非常事態宣言などの規定がないから、私権制限ができない」という高橋教授らの主張が正しいのであれば、この災害時や戦争・テロなどの緊急事態の際に、国民のさまざまな人権を制限する規定が設けられている災害対策基本法、国民保護法、警察法などは憲法違反であるとして無効となってしまうのではないでしょうか?

4.感染症法、新型インフルエンザ特別措置法など
現在のコロナ対策のための緊急事態宣言などは、新型コロナに対応した新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)などに基づいて実施されています。具体的には、特措法32条1項に基づき国が緊急事態宣言を発出し、それを受けて都道府県の長は、同法24条9号に基づいて民間企業や公的機関、個人などに要請を行うことができると規定されています。

しかしこの特措法24条9項の条文はつぎのようになっており、非常におおざっぱです。

新型インフルエンザ等対策特別措置法
第24条
第9項 都道府県対策本部長は、当該都道府県の区域に係る新型インフルエンザ等対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る新型インフルエンザ等対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。
この条文には、自治体の長は、新型インフルエンザ等対策のために「公私の団体又は個人に対し」、「必要な協力の要請をすることができる」と非常にばくぜんとしたことしか規定されていません。

7月上旬には、西村大臣らが、酒類販売事業者や金融機関に対して、休業要請に応じない飲食店に酒を提供するなとか、金融機関から国・自治体の要請に従わない飲食店に対して融資をストップするなどして国・自治体の要請に従えと指導せよ、等の法治主義から乖離した無茶苦茶な要請の方針が出され、大きな社会的非難を受けて西村大臣らはこの方針をあっという間に撤回しました。

7月の西村大臣らのこの無茶苦茶な要請は、特措法などの根拠となる法律の規定が非常に漠然としていることに原因の一つがあります。つまり、法治主義や「法律による行政の原則」(憲法41条、65条など)は、主権者である国民の選挙で選ばれた国会議員により国会で法律が作成され、政府・国などの行政は法律にしたがって行政を行うことにより、行政を民主的に国民がコントロールし、もって国民の人権保障を行おうという原則です。しかし行政の行為の根拠となる法律があいまいでは、法治主義や「法律による行政の原則」は達成されません。

そのため、国会は特措法などを、コロナ対策のために国・自治体が何をすべきなのか等を個別具体的に明示するように法改正を行うべきです。そして国・自治体などは法治主義や法律による行政の原則の観点から、それらの法律を順守した行政を行うべきです。

5.まとめ
このように見てみると、日本の国・自治体のコロナ対応に必要なのは憲法改正を実施して緊急事態条項を新設することではなく、国会でコロナ対策を必要十分に実施できるように特措法や感染症法などの法律を改正したり新たな立法を行ったり、必要な予算を準備することです。

したがって、「日本の憲法には緊急事態条項などの規定がないから、私権制限ができない」「コロナ対策のために憲法改正が必要」という高橋教授らの主張は、憲法や法律的に正しくありません。

緊急事態条項とは、非常に強大な力を持つ国家権力の暴走を抑えるための憲法や法律などの制限を、災害などの緊急事態の場合に一時的にはずすものであり、国家権力の暴走を許してしまう危険性があります。憲法に緊急事態条項を新設するかどうかは、慎重に慎重な議論が必要です。

今回のコロナ禍においては、政府与党は、国民の生命・健康のためのコロナ対応ではなく、国策である東京オリンピック・パラリンピック開催を優先して暴走しました。

このことは、国民の人権保障のために国・自治体などはサービス機関として存在するという、18世紀以降の西側自由主義諸国の近代立憲主義憲法の基本理念が、日本の政府与党にはまったく根付いていないことをまざまざと示しています。

このような日本においては、憲法改正を行い緊急事態条項を設置した場合、それが政府与党によって「国家の暴走」のために利用されてしまう危険が非常に大きいのではないでしょうか。そのため、憲法改正により緊急事態条項を新設することは慎重に考えるべきと思われます。


(このブログ記事の冒頭の図は16世紀の思想家ホッブスの『リヴァイアサン』より。リヴァイアサンは旧約聖書に登場する海の怪物です。ホッブスは、国家が存在しない「自然状態」は、「万人の万人に対する闘争」の状態にあるとして、この闘争を終わらせるために市民各人の契約(社会契約)に基づく、統治のための強い権力を持つ国家(リヴァイアサン)が必要であるとしました。これに対して18世紀の思想家ルソーの『社会契約論』は、人間社会はほっておくと強者が弱者を支配する弱肉強食の社会になってしまうとし、人間各人が「一般意思」(=利己的な意思でなく、市民の共通の利益を求める意思)に基づき、市民が等しく権利・自由を享受できる民主主義の「共和国」を社会契約に基づき設立すべきであるとしました。そしてルソーは、市民はこの共和国が利己的な意思に陥り暴走しないようにチェックを怠ってはならないとしました。)

■関連する記事
・赤羽一嘉国交大臣の「内閣には臨時国会を開く権限はない」ツイートとその後の釈明ツイートがひどい件
・西村大臣の酒類販売事業者や金融機関に酒類提供を続ける飲食店との取引停止を求める方針を憲法・法律的に考えた
・自民党憲法改正草案の緊急事態条項について考える
・広島大学の進化政治学の伊藤隆太特任助教の外国人差別や優生思想のツイートがひどい件
・令和2年改正個人情報保護法ガイドラインのパブコメ結果を読んでみた(追記あり)-貸出履歴・閲覧履歴・プロファイリング・内閣府の意見
・欧州の情報自己決定権と日米の自己情報コントロール権
・コロナ下のテレワーク等におけるPCなどを利用した従業員のモニタリング・監視を考えた(追記あり)-個人情報・プライバシー・労働法・GDPR・プロファイリング

■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』99頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』256頁
・樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』101頁
・国立国会図書館「COVID-19と緊急事態宣言・行動規制措置―各国の法制を中心に―」『調査と情報』1100号(2020年6月)















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1.赤羽一嘉国交大臣の「内閣には臨時国会を開く権限はない」ツイートが炎上
8月16日午前9時の公明党赤羽一嘉国交大臣(@AKBhyogo2ku)のつぎのツイートがTwitter上で炎上しました。

『臨時国会の開催については、国会が決めることでして、内閣には何の権限もございません。但し、閉会中の今も、毎週、委員会は開催しており、今週も、(水)(木)に内閣委員会が開かれます!』
赤羽ツイート1
(赤羽大臣のTwitterより)
https://twitter.com/AKBhyogo2ku/status/1427064920818917376

炎上したのは、憲法53条には臨時国会(臨時会)を召集し開催することは内閣の権限であることが規定されているにもかかわらず、現職の大臣の赤羽氏が、まるで憲法53条の条文を読んだことすらないようなツイートをしているからです。(なお、赤羽氏がツイートしている、「国会閉会中の委員会」は閉会中審査(衆議院)、継続審査(参議院)と呼ばれる国会法47条2項に基づく会議であり、国会ではありません。)

憲法
第53条

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

2.赤羽大臣の釈明ツイートがさらにひどい
このツイートに対しては大きな批判が寄せられ、16日夜にはTwitter上でもトレンド欄「憲法53条」「臨時国会」が表示される事態となりました。

これを受けて、赤羽大臣は同日23時につぎの釈明ツイートを行っていますが、これも非常にひどい内容です。

私のツイートでお騒がせし、スミマセン
私の申上げたかったことは、「内閣は、臨時国会の召集を決定することができる」のは憲法53条にある通りですが、実際は、臨時国会の開催時期やその期間などについては、与野党の国対委員長間で話し合いが行われ、実施されてきたのが慣例でしたということです。


赤羽ツイート2
(赤羽大臣のTwitterより)
https://twitter.com/AKBhyogo2ku/status/1427282139901427714

赤羽大臣はこの釈明ツイートで、「臨時国会の開催時期などについては与野党の国対委員の話し合いで決定し実施される」という国会の実務を紹介し、同日9時頃の「臨時国会を開催する権限は内閣にはない」という自身のツイートは間違いではないと主張しています。

3.憲法53条後段に基づく少数議員の要求による内閣の臨時国会の召集
しかし、現在の日本政治で大問題となっているのは、赤羽大臣のツイートにある「内閣は、臨時国会の召集を決定することができる」との憲法53条前段の話ではなく、同53条後段の「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」の話です。

つまり、7月16日には野党各党が憲法53条後段に基づき、議員の四分の一以上の議員の要求として、臨時国会(臨時会)の招集を内閣に求めているにもかかわらず、菅内閣が1か月を経過しても臨時国会を召集していないことが憲法違反だと社会的非難を受けているのに、赤羽大臣がまるでこれを理解できていない釈明ツイートをしているのは、ひどいとしか言いようがありません。

そもそも内閣が憲法53条後段に基づくいずれかの議院の四分の一以上の議員からの臨時国会を召集せよとの要求があったにもかかわらず、内閣がこれを拒否することは、2015年の安倍晋三内閣にはじまり、その後も漫然と行われて、憲法違反であると社会的批判を受けています。

この点、憲法の解説書によると、憲法53条後段の「法定要件を満たす招集の要求があった場合、内閣は相当の期間内に臨時会を招集する義務を負う。とされています(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅱ 第5版』115頁)。

この憲法53条後段の趣旨・目的は、議院内閣制においては国会の多数派の意思は内閣により実現されやすいが、国会の少数派の意思は実現されにくいため、この少数派の意思を守るためであるとされています(芹沢斉・市川正人・坂口正二郎『別冊法学セミナーNo210 新基本法コンメンタール憲法』334頁)。

つまり、内閣が少数議員からの臨時国会の召集要求を拒むことは、少数議員に付託している日本国民の少数意見を内閣(行政)が無視することであって、これは少数意見にも配慮した熟議を行わななければならないという議会制民主主義の否定です。

なお、臨時国会を召集せよと要求する議員が招集期日の指定をすることが通常ですが、この招集期日の指定に内閣が拘束されるかは憲法上の論点とされています。

この点、2015年の安倍政権より前の政府の公式見解は、「諸般の状況を勘案して合理的に判断して最も適当と認める招集時期を決定する」として議員側の招集期日の指定に拘束されないとの見解をとっています(芹沢ら前掲334頁)。しかしこの従来の政府の公式見解も、「臨時国会の召集の要求が議員から内閣にあったのに、内閣は臨時国会を召集する義務を負わない」とはしていないのです。

つまり、2015年の安倍内閣以来、ずるずると議員からの臨時国会の召集の要求があったにもかかわらず臨時国会の召集を拒否している安倍内閣・菅内閣の対応は、憲法53条の文言に違反している憲法違反なだけでなく、従来の政府の公式見解にも違背しています。

4.まとめ
このような最近の内閣の憲法違反の行為を、現職大臣の赤羽氏がまったく理解できていないかのツイートを繰り返していることは大問題であるといえます。内閣の憲法違反の大問題や、憲法53条の条文上の知識すら理解していない赤羽大臣は、国務大臣としての資質に重大な問題があるのではないでしょうか。

■関連する記事
・コロナ対策のために患者の入院制限を行う菅内閣の新方針について考えた
・自民の横浜市議の山本たかし氏が住民に「他に引っ越せ」とツイートして炎上してる件
・西村大臣の酒類販売事業者や金融機関に酒類提供を続ける飲食店との取引停止を求める方針を憲法・法律的に考えた
・デジタル庁の事務方トップに伊藤穣一氏との人事を考えた(追記あり)
・「法の支配」と「法治主義」-ぱうぜ先生と池田信夫先生の論争(?)について考えた

■参考文献
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅱ 第5版』115頁
・芹沢斉・市川正人・坂口正二郎『別冊法学セミナーNo210 新基本法コンメンタール憲法』334頁
・安倍政権が臨時国会を開かないのは憲法違反である|南野森













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新型コロナの8月5日付の東京都の新規感染者数が5,042人、日本全体の新規感染者数が15,259人という新型コロナの感染爆発の状況(Yahoo!Japan「新型コロナウイルス感染症まとめ」および東京都「都内の感染状況」より)のなか、東京都などのコロナ感染者が急増する地域で、コロナ患者の入院を制限する菅内閣の新しい方針に対して、自民党も撤回の要求を行っているにもかかわらず、菅義偉首相や田村憲久厚労大臣らは撤回しない考えを示しています。
・菅首相、入院制限方針を撤回せず「理解してもらいたい」|朝日新聞
20210804菅首相
(菅首相、朝日新聞サイトより)

結論を先取りすると、菅内閣のコロナ患者の入院制限というこの新しい方針は、国民の生存権(憲法25条1項)や、公衆衛生や感染症対策を国の任務とする憲法25条2項や厚労省設置法などの法律に抵触し、「法律による行政の原則」や法治主義などの西側自由主義諸国の近代憲法の大原則に反しています。菅内閣は迅速に臨時国会などを召集し、国会で説明を行うとともに、コロナ対策やオリンピック中止などについて国会審議を行うべきです。

菅政権は新型コロナの感染拡大を悪化させると批判されている東京オリンピック・パラリンピック開催の強行を続けている一方で、新型コロナへの対応は、ワクチン接種の遅れなど後手後手にまわり続けています。

このような状況下で、東京都などコロナの感染拡大が大幅に悪化している地域において、コロナ患者の重症患者以外は入院を拒否するという菅政権の新しい方針は、菅首相の政治公約である東京オリンピックは推進する一方で、東京都などのコロナの重症患者以外の患者の生命・健康を見殺しにする、つまり国家の目的のために民主主義国家における主権者の国民を見殺しにするという恐るべきものです。

菅政権がコロナ対応において多くの国民・住民を見殺しにするとことは、国民の生存権(憲法25条1項)を侵害するだけでなく、「公衆衛生」「感染症対策」などを国の任務とする憲法25条2項、厚労省設置法(3条、4条4号、19号等)にも違反していると思われます。

憲法
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

厚生労働省設置法
(任務)
第3条 厚生労働省は、国民生活の保障及び向上を図り、並びに経済の発展に寄与するため、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進並びに労働条件その他の労働者の働く環境の整備及び職業の確保を図ることを任務とする。

(所掌事務)
第4条 厚生労働省は、前条第一項及び第二項の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
 原因の明らかでない公衆衛生上重大な危害が生じ、又は生じるおそれがある緊急の事態への対処に関すること。
十九 感染症の発生及びまん延の防止並びに港及び飛行場における検疫に関すること。

また、菅内閣の新しい方針は、憲法や厚労省設置法などの法律に違反した行為を、行政権である菅内閣が行うものであるので、「法の支配」法治主義(実質的法治主義)、「法律による行政の原則」(憲法41条、65条等)などの民主主義国家の大原則に反しており、また菅首相や田村厚労大臣、西村経済担当大臣などは、「国務大臣、国会議員…その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」との憲法尊重擁護義務(99条)にも反しています。

さらに、そもそも菅内閣の新しい方針は、国民の「個人の尊重」と「基本的人権の確立」のために国・国会などの統治機構は手段として存在するという近代立憲主義憲法の基本構造(憲法11条、97条)に反しています。

つまり、菅内閣が多くの国民を見殺しにするということは、18世紀以降の西側の自由主義・民主主義諸国の近代立憲主義憲法の基本原則に反し、戦前の日本・ナチスドイツや、あるいは現代の中国のような国家主義・全体主義的なものです。

これはもはや日本の医療の危機にとどまらず、日本の議会制民主主義の危機近代立憲主義憲法の危機といえます。

菅首相は8月4日の記者会見で、国民に対して「丁寧な説明を行う」と発言しました。そうであるならば、菅内閣は迅速に国会の臨時会(臨時国会、憲法53条)または参議院の緊急集会(54条2項)を招集し開催すべきです。

国会において、感染爆発の状況にあるコロナ対策のためにロックダウンなどを可能にするための特措法改正のための法律審議と、あわせて東京オリンピック・パラリンピックの中止などの審議を実施すべきです。











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西村大臣金融機関
(ABEMAより)

産経新聞などの報道によると、西村康稔大臣は、7月8日、新型コロナウイルスの基本的対処方針分科会で、酒類提供を続ける飲食店との取引停止酒類販売事業者に要請する意向を明らかにしたとのことです。
・政府、酒類提供店との取引停止を要請 販売事業者に|産経新聞

また、日経新聞の報道によると、西村大臣は、同日、休業要請拒否をしている店舗などの情報を金融機関に情報提供する方針も明らかにしたとのことです。
・休業要請拒否店、金融機関に情報提供 経財相|日経新聞

さらに、同日、加藤官房長官は記者会見で、東京オリンピックについて「国民の協力」を求めたとのことです。
・加藤官房長官、緊急事態宣言下の東京五輪「成功のためには国民の協力も必要」|ABEMA TIMES

加藤官房長官の発言は、まるで戦時中の「一億総火の玉」などの軍国主義・全体主義の日本政府・軍部の主張のようです。

また、とくに金融機関に対して、西村大臣は、「金融機関は飲食店などと日常的に取引があるから、国・自治体に従うよう指導してほしい」という意向のようですが、それはつまり、銀行などの金融機関に対して、飲食店などに「国・自治体に従わないと融資をストップするぞ」等と脅迫・強要をすることを要求しているわけですが、そのようなヤクザ暴力団のような真似を政府がやるよう命じていいのでしょうか? 日本はこれでも一応、法治国家のはずですが。

西村大臣は中国や北朝鮮、あるいはナチス時代のドイツのような全体主義・国家主義の国の大臣にでもなったつもりなのでしょうか?

しかし、西村大臣の酒類販売事業者や金融機関への方針は、今後、飲食店等から国が取消訴訟であるとか、国賠法上の損害賠償請求などが裁判所に提起されたら国は負けてしまうおそれがあるのではないでしょうか?

国のコロナに対する緊急事態宣言や、それを受けた自治体の企業や住民・国民などに対する指示や要請などは、新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)に基づいています。つまり、特措法32条に基づき国は緊急事態宣言を発出し、特措法24条9項に基づき自治体は企業や住民・国民などに対する具体的な指示や要請などを出せるとされています。しかし、特措法24条9号の条文はつぎのようになっています。

新型インフルエンザ等対策特別措置法
(都道府県対策本部長の権限)
第24条
9項 都道府県対策本部長は、当該都道府県の区域に係る新型インフルエンザ等対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る新型インフルエンザ等対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。

すなわち、国の緊急事態宣言を受けた都道府県は、コロナ対策の実施に関し「必要な協力の要請」を、「公私の団体または個人」に対して行うことができるとされているだけです。

このような法律の条文からは、例えば自治体が飲食店やホテル、百貨店などに対して休業や酒類の提供の停止などを要請することは読み取れるとしても、自治体が飲食店等に酒類の提供の停止を求めることに対して、さらに酒類販売事業者や金融機関などに対してまるで、あるいは戦時中の陰湿な「隣組」の相互監視の奨励のような「必要な協力の要請」を行うことができると読み取ることは、通常の判断能力を有する一般人の理解(最高裁昭和50年9月10日判決・徳島市公安条例事件)からはさすがにちょっと無理なのではないでしょうか?

政府・自治体の行政は、国民が国会を通して行政を民主的にコントロールするために、「法律による行政の原則」適正手続きの原則(憲法31条)が要求されますが、特措法24条9項の条文自体が漠然としており、都道府県などに対して実施できることを白地委任に近い形で認めてしてしまっています。

そしてさらに、今回の西村大臣の金融機関や酒類販売事業者への要請は、この白地委任的な特措法24条9項をさらに幅広に解釈し、飲食店など以外の事業者に対しても、酒を販売するな、融資を停止して飲食店に国・自治体に従うよう指導しろなどと、戦時中の隣組のような相互監視や密告を推奨するかのような「必要な協力の要請」を行うわけですが、これはあまりにも法律の解釈や適用があまりにも大雑把であり、適正手続きの原則法律による行政の原則(憲法31条)に照らして違法・違憲なのではないでしょうか。

しかも、相互監視や密告のようなことを国が国民や企業に法令に基づいて命令したり奨励することは、中国のような国家主義・全体主義国家ならともかく、個人の尊重基本的人権の確立という目的のために国・自治体などの統治機構が手段として存在する(憲法11条、97条)という自由主義・民主主義の国である日本では、この憲法が定める国家の自由主義・民主主義という基本構造そのものに抵触していると思われます。憲法99条は、国務大臣や国会議員、公務員などに憲法尊重擁護義務を課していますが、西村大臣の主張はこの憲法尊重擁護義務に反していると思われます。

加えて、たしかに銀行・保険などの金融機関は、銀行法保険業法などの監督業法(監督法)により、金融庁の監督下にありますが、しかしこれは、国が頭で銀行、保険会社など金融機関が手足の関係にあるというわけではまったくありません。

西村大臣などが「銀行は融資を盾に飲食店に国・自治体に従えと命令しろ」「国に逆らっている飲食店などに対しては融資をストップし資金を引き揚げろ」等と命令し、銀行や保険会社などの金融機関がそれに手足のように従う関係ではありません。中国などの社会主義国家とは違い、日本では、国と民間企業とは別の法人格なのですから。銀行や保険会社は警察署やハローワークなどの国の出先機関とはまったく違います。

それに、銀行法や保険業法などの監督法も、一言でいえば、「顧客である個人・法人に迷惑をかけないように業務を行え」「顧客を公平・中立に公正に扱うこと」「金融機関が倒産したら多くの顧客に迷惑をかけるのだから、倒産しないように健全な会社運営を行え」等などの事柄が規定されているのであって(例えば保険業法300条や100条の2など)、「銀行、保険会社から融資などを条件に、取引先の企業などに対して国に従うよう指導・助言する」などの権限は銀行法・保険業法などの監督法には規定されていません。

それにもし銀行・保険会社などがそのような「国へ従え」という指導・助言などの行為を行ったら、逆に「融資をする金融機関としての優越的な地位を濫用し、取引先・顧客に対して不当な要求をしている」として、銀行法、保険業法などに基づき金融庁や財務局などからの行政指導・行政処分の対象になるであるとか、最悪、公正取引委員会独禁法に基づき銀行・保険会社などに行政指導・行政処分などを実施する展開になってしまうような気がします。

このような社会の仕組みは、社会生活を送っている高校生や大学生、若手の社会人などであればごく自然に身についている社会常識・一般常識であると思うのですが、西村大臣加藤官房長官など政府の幹部達は、このような社会常識が欠けたまま、政府の運営を行っているのでしょうか?非常に疑問です。

また、国などの行政機関の行為に関する行政訴訟では、行政庁の裁量権の逸脱・濫用があったかどうかが争点となることが多いわけですが、コロナの感染拡大を防ぐ目的で、国・自治体が飲食店などに対して酒の顧客への提供の禁止を命じることは、仮に目的は正当と評価されるとしても、規制の手段として社会的相当性があるといえるのでしょうか。

スーパーやコンビニ、自動販売機などでは酒・アルコールは普通に販売されているのに、飲食店だけ全面一律に酒の提供を禁止するというのは、飲食店営業の自由(憲法22条、29条)に対して、狙い撃ち的であり平等原則に反し、比例原則にも反しているように思われます。つまり、国・自治体が飲食店だけ全面一律に酒の提供を禁止するというのは、行政の裁量権の逸脱濫用があるとされる可能性があるのではないでしょうか。

また、そもそも国や東京都は、コロナの感染拡大に最も悪影響であろう東京オリンピック・パラリンピックについては開催を強行する方針です。6月下旬から、コロナワクチンの不足により、職域接種や自治体の接種が中断や予約のキャンセル、新規予約の停止などにより、国民の不安が高まっているにも関わらずです。

東京オリンピックの開催を強行して、「国民をコロナの感染拡大から守る」という国の公衆衛生上の任務(厚労省設置法3条1項、4条4号、19号、憲法25条など)を国・東京都などが事実上放棄しているのに、その国や東京都などが民間企業の飲食店に対しては「コロナ感染拡大防止のため」と酒の提供を規制するのは大きな矛盾であり、信義則禁反言の原則などの法律上の一般原則に反しており、やはり国・自治体の飲食店に対する規制は、行政の裁量権の逸脱濫用となるのではないでしょうか。

さらに、7月8日に西村大臣が公表した、酒類販売事業者に国の要請を守らない飲食店との取引停止を命じることや、金融機関に対してこれも国の要請を守らない飲食店に融資などを行わないように命じることは、あまりにも幅広に、飲食店以外の他業界に対しても営業の自由に対して規制を行うものですが、これはあまりにも幅広で、あいまい漠然としたものであり、国が「なんとなく有効そうだから」となんとなく民間企業の酒類販売事業者や銀行などの金融機関の営業の自由などを規制するものであって、これは手段としてあまりにも不適正であり、つまり行政の裁量権の逸脱濫用があると裁判所に評価される可能性が高いのではないでしょうか。

憲法から考えても、二重の基準論であると、コロナ対策は公衆衛生の目的ですので、警察目的・消極目的なので、厳格な審査基準によることになるわけですが、上でみたように、飲食店の営業の自由そのものに対する酒提供規制も厳格な審査基準をクリアできているか疑問ですし、さらに、酒類販売事業者や金融機関の営業の自由に対する規制は、あまりにも幅広漠然としたものであって、厳格な審査基準をクリアできず、国・自治体の酒類販売事業者や金融機関に対する規制は違法・違憲と裁判所に判断される可能性があるのではないでしょうか。

また、最近有力に主張されている三段階審査論からも、酒類販売事業者や金融機関などへの取引禁止との営業の自由の規制は、これもあまりにも幅広でばくぜんとしたものなので、比例原則などの観点からアウトであり、違法・違憲と裁判所に評価される可能性があるのではないでしょうか。

さらに、このように西村大臣ら国・自治体の言動がここまで法的にぐだぐだであると、それを受けた酒類販売事業者や金融機関がそれに仮に素直に従った場合、逆に酒類販売事業者や銀行・金融機関などは、飲食店などから損害賠償責任を追及されるリスクや、株主総会などで不当あるいは違法な行為であると株主から追及されるリスクがあるのではないでしょうか。

加えて、最近の世論調査でも、国民の5割から8割は東京オリンピックに反対であり、オリンピック開催を強行しながら飲食店の営業の自由を大きく規制している国・東京都などに無批判に従うことは、酒類販売事業者や銀行・金融機関などにとって、国民やマスメディアからの批判不買運動などの風評リスク、レピュテーション・リスクなどが発生してしまうのでしょうか。しかも酒類販売事業者や金融機関などにこうした風評リスクなどが発生しても、国・自治体がその尻ぬぐいをすることはおそらくないでしょう。

このように、国の酒類販売事業者や金融機関などへの国に従わない飲食店への取引停止などの要請は、法的にいろいろと無理筋であると思われます。

そもそも論として、国や東京都などは、国民主権の国家として、国民の生命・健康をコロナから守るために、日本のコロナの感染拡大に一番悪影響であると思われる東京オリンピックを中止すべきであると思われます。国が経済政策などによる金銭でコロナによる国民・法人の損害などを事後的に回復することはできても、コロナで亡くなった国民の命を金銭でよみがえらせたり、失われた国民の健康を金銭で回復させることをはできないのですから。

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6月7日の報道によると、菅首相は国会で五輪開催について「東京オリンピックの主催は私ではない」と発言したとのことです。これを受けてネット上では、「主催者はIOCであり、全ての権限はIOCにしかない」という意見も見受けられます。しかし、これは正しいのでしょうか?

・五輪判断を問われた菅首相「私は主催者でない」|朝日デジタル

そもそも東京オリンピック・パラリンピックは、日本に大きな経済効果があるとして、菅首相の前任者である、当時の安倍首相が国をあげて誘致活動を行い、2013年に開催が決定したものです。また、2016年のリオデジャネイロ・オリンピック閉会式でマリオの恰好をして登場し、世界に東京オリンピックをPRしたのもやはり安倍さんです。にもかかわらず、日本政府は東京オリンピックに関係ないというのはちょっと無理ではないでしょうか? E3RgWxrVcAI4piV (1)
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また、スポーツ基本法は2条6項で、「オリンピック等で優秀な成績をあげること」を目標の一つに掲げ、同3条は国に対して「スポーツに関する施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する」と規定しています。また国は五輪担当大臣も設置しています。そのためやはり国は無関係というのは無理筋でないでしょうか?
https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/kihonhou/attach/1307658.htm

さらに、最近はIOC幹部のディック・パウンド氏「菅首相がNOと言っても東京オリンピックは開催される」と発言しました。
・IOC重鎮委員が独占告白「菅首相が中止を求めても、大会は開催される」|文春オンライン

しかし、東京五輪では選手・五輪関係者・メディア関係者等約9万人来日するそうですが、それに伴い新型コロナウイルスが日本に入ってくるおそれがあるのではないでしょうか。これは日本の公衆衛生上の大問題です。

この点、厚生労働省設置法4条職掌事務には、「感染症の発生、蔓延の防止、検疫」(19号)、「原因の明らかでない公衆衛生上重大な危害が生じ、又は生じるおそれがある緊急の事態への対処」(4号)等と明記されています。

厚労省設置法4条

つまり、新型コロナなどの感染症の発生の防止・検疫などはやはり国の仕事であり、公衆衛生の問題は日本という国家主権大問題です。そのため、日本という国がコロナのリスクの高い東京オリンピックの開催の判断に関与できない、「菅首相がNOと言っても東京五輪は開催される」というのは、やはり日本主権重大な侵害です。つまりこれは菅首相などが判断すべき重大な政治問題です。(もしそれが本当なら、IOCのオリンピック憲章や、IOCとJOCや組織委員会などとの契約書などの国際法的な問題はさておいて、日本は場合によっては警察や自衛隊などによって、まるでGHQマッカーサーのように振る舞うIOCやバッハ氏から、日本を防衛する必要があるのではないでしょうか?)

このように少し考えてみても、菅首相の「東京オリンピックの主催は私ではない」という発言は、まったくの責任逃れの発言といえます。

菅首相は、日本の最高責任者として、東京オリンピックについて「夢と希望」を語るのではなく、新型コロナの世界と日本における大流行などの現実をみて、日本と世界における新型コロナの蔓延防止を行い、それにより日本と世界の国民の命と健康を守るために、東京オリンピックの中止決断すべきです。

■追記
弁護士で政治家の宇都宮健児氏が、東京オリンピック中止のネット署名を行っています。
・東京五輪の開催中止を求める署名はこちら | 宇都宮けんじ公式サイト

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