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1.外国人を対象に含む武蔵野市住民投票条例案が市議会で否決
3か月以上滞在の外国人を対象に含む武蔵野市住民投票条例案が同市議会で12月21日に否決されました。本ブログ記事では、この武蔵野市住民投票条例案が憲法・行政法との関係で問題がなかったのか考えてみたいと思います。
・武蔵野市の住民投票条例案、なぜ否決されたのか?市長がこだわる「先進性」|東京新聞

2.住民投票制度
(1)住民投票制度
住民投票制度は、日本の法制度においてはおおむね4つの制度が存在します。すなわち、①憲法95条の国会が特定の自治体だけに適用される地方特別法を制定する場合に必要となる住民投票、②市町村合併特例法による市町村合併に関する住民投票、③条例に基づく住民投票、④意識調査としての法律に基づかない住民投票、の4つです。

そして武蔵野市で問題になったのは、③の条例に基づく住民投票であり、そのの条例による住民投票の対象に日本にきて3か月経過した短期滞在の外国人を含めることができるかという問題です。

(2)条例による住民投票の概要
1982年に制定された高知県窪川町の「窪川町原子力発電所設置についての町民投票に関する条例」がわが国に最初に制定された住民投票条例ですが、このような個別の問題に関する住民投票条例が制定される一方で、一般的な住民投票条例(「常設型」と呼ばれる)も1997年に大阪府箕面市市民参加条例が制定されており、武蔵野市の住民投票条例はこの常設型に該当します。

これらの住民投票条例は、投票結果が議会や行政に対して法的拘束力を持つものではない「諮問型」ですが、そもそも住民投票条例の結果が法的拘束力を持つことが許されるかという問題については、憲法92条以下が採用する地方自治体の長(行政)と地方議会による二元的代表システムを前提とした地方自治法の趣旨に反して許されないとするのが多数説とされています(宇賀克也『地方自治法概説 第7版』367頁)。

(3)参政権と住民投票
住民投票制度の趣旨・目的は、地方自治体の行政や政治について、住民参加の機会を拡大するためのものであるとされています。現在の日本の地方自治制度を、地方議会による代表制民主主義が原則であるとする学説は、それを補完する住民投票は、直接民主主義として例外的に正当化されるとし、住民投票は直接民主主義の一つであると解しています(宇賀・前掲365頁)。

なお、国・自治体の行政や議会等に関して国民が平穏に請願を行う権利である請願権(憲法16条)参政権の一つであると解されていることを考えると(渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達郎『憲法Ⅰ 基本権』432頁)、広く住民の意見を募るという自治体の条例に基づく住民投票は、直接民主主義の一つであり、参政権の一つであると考えられます。

この点、武蔵野市の住民投票条例案の成立を推進していた同市の松下玲子市長らは、「住民投票は参政権ではないので、憲法15条1項が参政権を認めているのは日本国民だけであるとの批判はあたらない」と主張していたとのことですが、住民投票は参政権の一つなので、松下氏らの主張はこの点、正しくありません。

3.憲法からみた外国人の参政権
(1)外国人の参政権
外国人の人権は、「権利の性質上」適用できるものは外国人にも認められるとするのが判例と憲法学の通説です(最高裁昭和53年10月4日判決・マクリーン事件、芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7反』92頁)。

この点、参政権や入国の自由などの基本的人権は原則として「権利の性質上」、外国人には認められないとするのが判例・通説です(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』225頁、最高裁平成7年2月28日判決)。

(2)最高裁平成7年2月28日判決
すなわち、外国人の参政権が争われた事件で最高裁平成7年2月28日判決はつぎのように判示しています。

『憲法一五条一項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。』

『前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五条一項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。

『(しかし、)憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であ(る)。(ただし国会がそのような立法を行わないとしてもそれは憲法違反とはならない)。

つまり本判決は、国民主権の観点から、国政レベルの選挙権・参政権は日本国民のみを対象としており、地方レベルの選挙権・参政権についてもそれは同様である。ただし、憲法における92条以下の地方自治の「その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨」(=住民自治)の観点から、地方自治体の長など地方レベルの選挙について永住外国人であって自治体と特段の密接な関係を持つに至った者について「国会の立法」で地方選挙権を付与することは「国の立法政策」として許容されるとしています。

4.武蔵野市の住民投票条例案の検討
この点、上でみたように、住民投票も国民・住民の参政権の一部であると考えられます。そして本最高裁判決が外国人の地方レベルの参政権について「国の立法政策」の問題であり、「国会」「法律」を作成した場合には外国人の地方レベルの参政権も許容される余地があるとしているにもかかわらず、外国人の地方レベルの参政権を認める内容の国会の立法を待たずに「条例」で住民投票の権利を外国人にも付与しようとした武蔵野市議会および武蔵野市は、本最高裁判決に照らして違法・違憲のおそれがあると思われます(憲法15条1項、93条2項)

(なお、川崎市の住民投票条例なども、3か月以上日本に滞在する外国人に対して住民投票の権利を認めていますが、国会での外国人の地方レベルの参政権に関する立法を待たずに制定された川崎市の同条例も、上でみた判例・通説に照らして違法・違憲の可能性があると思われます。)

5.外国人の表現の自由・集会の自由とその限界
また、判例・通説は、外国人には「権利の性質上」、表現の自由・集会の自由など(憲法21条1項)の精神的自由は認められるとしていますが、上でみたように国政レベルの参政権は認められないこととの関係から、外国人の表現の自由、集会の自由などは大きな制約を受けるとしています。具体的には、日本に在留する外国人には、日本の政治に直接介入するような集会・結社の自由や、政府打倒の表現行為など許容されないとされています(芦部・高橋・前掲92頁、最高裁昭和53年10月4日判決・マクリーン事件)。

そのため、日本に在留する外国人が、武蔵野市がこのような住民投票条例を可決するように武蔵野市やネット上などで、政治的表現や集会、デモ等を行ったなどの表現行為についても、上でみたような判例・通説が外国人に許容する表現の自由の限界を超えるものとして、違法・違憲の可能性があるのではないでしょうか(憲法21条1項、12条、13条(公共の福祉・内在的制約論))。…

(なおこの点、2016年に制定されたヘイトスピーチ解消法は、立憲民主党などが主導したものですが、立憲民主党の活動を支持・応援しているいわゆる「カウンター」などの反差別活動家・人権活動家や、「しばき隊」などの立憲民主党の実力部隊の構成員は、日本に在留する外国人が多く含まれているようであり、それらの外国人達が、ヘイトスピーチ解消法などの立法活動のために社会やネット上などで政治的表現活動を行うことや、現実社会でデモやカウンター行為などの政治的な集会の自由や表現の自由に関する権利を行使することは、日本の国会の立法活動への直接的な介入であるといえるので、「日本の政治に直接介入するような集会・結社の自由」に該当し、判例・通説に照らして違法・違憲である可能性があるのではないでしょうか。そして、そのような外国人達による政治介入を経て成立したヘイトスピーチ解消法は、その立法過程に憲法上の瑕疵があると言えるのではないでしょうか。)

(関連)
・「表現の不自由展かんさい」実行委員会の会場の利用承認の取消処分の提訴とその後を憲法的に考えた-泉佐野市民会館事件・思想の自由市場論・近代立憲主義
・ヘイトスピーチ対策法案を憲法から考える

5.まとめ
以上のように、憲法15条1項、93条2項などに関する判例・通説に照らすと、武蔵野市の住民投票条例案は違法・違憲の可能性が高いといえます。日本の憲法学の通説的な見解によれば、このような結論になると思われます。

近年のマスメディアや立憲民主党・日本共産党などの野党や、リベラル派・左派の方々は社会学者やフェミニスト、人文科学系の学者、反差別活動家、人権活動家などの「多様性」「ジェンダー平等」「フェミニズム」「ポリティカル・コレクトネス」などの意見や主張を熱心に聞く一方で、憲法学者や法律学者の意見や、一般の日本国民の意見を不当に軽視・無視しているように思われます。

マスメディアや立憲民主党・日本共産党などの野党は、社会学者や人文科学系の学者、フェミニストや反差別活動家などの意見や主張だけでなく、憲法学者・法律学者などの見解も真摯に耳を傾けるべきです。日本社会は社会学やフェミニズムなどだけで回っているのではないのですから。

とくに、上でみたような憲法学・行政法などの初歩的な法的知識を無視し、社会学者や外国人などの「多様性」「ポリティカル・コレクトネス」などの意見・主張に安易に流されて今回の短期滞在の外国人をも対象に含む住民投票条例案の可決を目指して活動してきた武蔵野市議会や、武蔵野市、松下玲子市長の政治的責任・法的責任は重大です。

近年、日本の隣国の中国は、覇権主義・全体主義に基づいて、国際法やモラルを無視してなりふり構わぬ膨張主義政策を展開しています。中国あるいは北朝鮮、ロシアなどが、日本に在住する中国人等を利用するなど、合法・非合法を問わずあらゆる手段を行使して日本の政治・経済・行政などに介入してくる危険は、机上の空論ではなく現実の危険です。

武蔵野市の松下市長や立憲民主党、日本共産党などのリベラル派・左派の方々は、「多様性」や在留外国人の人権の問題だけでなく、主権者たる日本国民の個人の尊重や基本的人権の確立、日本の安全保障などをも重視すべきです。外国人の参政権の問題は、日本国民の国民主権・民主主義と、国家の主権の問題です。

■参考文献
・渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達郎『憲法Ⅰ 基本権』432頁
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7反』92頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』225頁
・宇賀克也『地方自治法概説 第7版』365頁、367頁

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1.はじめに
2014年6月に、さいたま市立三橋公民館が、憲法9条のデモを詠んだ住民の俳句を公民館だよりに掲載拒否した事件は、当時の各新聞紙において大きく取り上げられました。この事件にかかわる判決(さいたま地裁平成29年10月13日判決)が『法学セミナー』757号、758号などで取り上げられていました。

■追記
2018年5月18日の新聞各紙の報道によると、この事件の二審の同日の東京高裁も、原審を支持し、住民側勝訴の判決を出したとのことです。

・「九条守れ」の俳句掲載拒否、市に賠償命令 東京高裁|朝日新聞

2.さいたま地裁平成29年10月13日判決
(1)事案の概要
原告Xが所属する句会(俳句サークル、以下「本件句会」という)は、さいたま市立三橋公民館(以下「本件公民館」という)で活動を行い、本件公民館の主幹との合意により、2010年11月から3年以上にわたり、本件句会が秀句として提出した俳句を「公民館だより」(以下「本件たより」とする)に掲載してきた。

しかし、2014年6月にXが詠んだ「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の俳句が秀句として本件公民館に提出されたところ、館長は、「世論を二分するテーマであり、中立であるべき公民館の刊行物にふさわしくない」として掲載を拒否した。

そこで、本件句会は、以後、秀句の提出を取りやめた。そして、Xは、さいたま市(Y)を被告とし、①本件俳句の本件たよりへの掲載請求、②掲載拒否による学習権・表現の自由・人格権等の侵害を理由とする国家賠償法に基づく損害賠償(慰謝料)請求の訴訟を提起した。

さいたま地裁は、①については棄却したが、②について5万円の損害賠償を認めた。

(2)争点
公民館だよりへの俳句掲載拒否が、Xの①学習権、②表現の自由、③人格権侵害を構成するか。

(3)判旨
一部認容。
① 「大人についても、憲法上、学習権が保障される」。しかし「学習成果の発表の自由は、学習権の一部として」ではなく「表現の自由として保障されるものと解するのが相当である」。

② Xには「本件たより」における俳句の掲載請求権はなく、「本件たより」がパプリック・フォーラムに該当するともいえない。「本件たより」が、句会会員らに表現の場を提供する助成であったということもできない。以上によれば、本件俳句の不掲載がXの表現の自由を侵害したとはいえない。

③ 会での秀句が継続して「本件たより」に掲載されてきたことからすると、Xの俳句も掲載されると期待するのは当然である。この「期待は、著作者の思想の自由、表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると、法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり、公務員である・・・公民館の職員らが、著作者である原告の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いをした場合、同取扱いは、国家賠償法上違法となる」(船橋市立図書館事件最一小判平成17・7・14民集59巻6号1569頁参照)。

④ 「本件たより」に掲載される俳句に句会の名称・作者名が明示されることからすれば、本件俳句の掲載が公民館の中立性、公平性・公正性を直ちに害するとはいえず、むしろ、本件不掲載により公民館が集団的自衛権許容の立場と捉えられる可能性もあるが、これについて公民館職員らは何ら検討していない。「九条守れ」の文言が直ちに世論をニ分するものといえるかにも疑問の余地があり、公民館職員らがこの点を検討した形跡はない。以上によれば、本件不掲載に正当な理由はなく、公民館職員らは、Xが「憲法9条は集団的自衛権の行使を許容するものと解釈すべきでないという思想や信条を有しているものと認識し、これを理由として不公平な取扱いをしたというべきである。」

このように判示し、裁判所は本件俳句の「本件たより」への掲載は認めませんでしたが、Xの慰謝料請求(5万円)を認めました。

3.検討
(1)船橋市立図書館事件最高裁判決
本判決は、船橋市立図書館事件の最高裁判決(最高裁平成17年7月14日判決)を参照し、公民館だよりへの俳句掲載の期待を著作者の「人格的利益」ととらえ、本件公民館による本件俳句の掲載拒否を国賠法上の違法と判断しました。

この結論を出すにあたり、本判決は、本件公民館の判断過程において、Xの思想・信条を理由として俳句掲載の可否につき十分な検討が行われていなかったと認定し、これが不公平な取り扱いに該当するとしました(判旨③)。

しかし、船橋市立図書館事件は、すでに全国で販売され、船橋市立図書館を含む全国の公立図書館ですでに閲覧に供されていた図書を、図書館職員が自分の信条に合わないと勝手に廃棄していた事案であり、本判決のようにこれから本件たよりに掲載され、世に出ようとする表現物を公権力が掲載拒否した事案に援用してよいのかという疑問が残ります。

本事件は、端的に憲法19条(思想・信条の自由)、14条(平等原則)が公権力により侵害された事案として判断されるべきであったとも思われます(濱口晶子「公民館だよりへの俳句掲載拒否と学習権・表現の自由」『法学セミナー』757号118頁)。

あるいは、公民館などが館内での特定の集会や表現行為の使用を拒否した事案に関する泉佐野市民会館事件(最高裁平成7年3月7日判決)、上尾市福祉会館事件(最高裁平成8年3月15日判決)、プリンスホテル事件(東京高裁平成22年11月25日判決)などのような、集会の自由・表現の自由の観点から本事件を検討することも可能だったのではないかと思われます。

(2)公民館など公の施設における「政治的に中立でない」集会や表現行為
また、本判決が、「公務員である(略)公民館の職員らが、著作者である原告の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いをした場合、同取扱いは、国家賠償法上違法となる」と判示したことは非常に重要であると思われます。つまり、近年、日本の多くの自治体で「政治的に中立でない集会や表現は、公民館など自治体の公の施設の「中立性」を侵害するので、そのような集会や表現は拒否する」という実務が急速に広まっていますが、そのような自治体・公の施設の実務は国賠法上違法であり、国・自治体は損害賠償責任を負うことを本判決は明らかにしたものです。

(なおこの点、川崎市などは、ヘイトスピーチの問題に関し、ヘイトスピーチ団体による川崎市の公民館などの公の施設の使用をより拒否しやすくするため、泉佐野市民会館事件の基準より大幅にレベルを下げたガイドラインを策定しているようですが、本判決は川崎市などの一部自治体の行為に警鐘を鳴らしていると思われます。)

(3)社会教育法20条、22条、12条
また、公民館は、「住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行」う施設であり(社会教育法20条)、その事業の一環として、「討論会、講習会、講演会、実習会、展示会等を開催すること」が規定されています(同22条2号)。本件句会の活動は、「教育、学術及び文化」に関する活動であり、本件たよりが、その成果として の意味を持つなら、法令に反しない限り、本件のXの掲載請求は認められるべきだったのではないかと思われます。本判決は、本件俳句が違法ではないと判断しておりますので。

さらに、本判決ではあまり争われていないものの、本件公民館が本件俳句を掲載拒否したことは、本件句会に対する、社会教育法12条が禁止する「社会教育関係団体に対する」「不当(な)統制的支配」又は「その事業に干渉を加えてはならない」にも抵触しており、これも国賠法上違法と思われます(人見剛「憲法9条やデモに関する俳句の公民館だよりへの掲載拒否が違法とされた事例」『法学セミナー』758号95頁)。そして、公民館・自治体が本件俳句を政治的であることを理由に掲載拒否を行うことは、本件句会およびXに対する、事実上の表現の自由の侵害に該当すると思われます(濱口・前掲118頁)。

■参考文献
・濱口晶子「公民館だよりへの俳句掲載拒否と学習権・表現の自由」『法学セミナー』757号118頁
・人見剛「憲法9条やデモに関する俳句の公民館だよりへの掲載拒否が違法とされた事例」『法学セミナー』758号95頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法1 第5版』354頁
・中村暁生『憲法判例百選Ⅰ 第6版』158頁
・荒牧重人・小川正人・窪田眞二・西原博史『新基本法コンメンタール教育関係法』378頁、384頁







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