1.はじめに
金融法務事情2223号(2023年12月10日号)64頁に、損害保険会社の法人向けの傷害総合保険契約に関して、入院保険金等は会社ではなく従業員に支払われるべきとされた興味深い裁判例(大阪高判令5.4.14、控訴棄却・確定)が掲載されていました。これは損保業界の実務に影響がありそうな裁判例なので見てみたいと思います。2.事案の概要
(1)Y(砕石業の会社)は平成27年5月に損害保険会社との間で全役員および従業員を被保険者とする傷害総合保険契約(本件保険契約)を締結した。本件保険契約においては入院保険金・通院保険金・手術保険金等の保険金請求権者は被保険者もしくはその父母、配偶者または子と保険約款に規定されていた。Yは入院給付金等はYが受け取る趣旨の法人契約特約が本件保険契約には付加されていたと主張しているが、この点については本件訴訟で争われている。(2)Xは従業員としてY社で働いていた。平成27年9月、YはXに80万円を貸し付けて、Xがこの貸金の分割返済を怠ったときは強制執行を行う旨の公正証書を作成した。Xは平成27年9月25日、就労中に労災事故により受傷し、入院して手術を受けるなどした。そしてYは平成28年9月に損害保険会社から本件保険契約に基づき、入院保険金19万円、休業保険金90万円、手術保険金5万円など合計114万円の保険金(本件保険金)を受取り、またXはその旨を損害保険会社から通知を受けた。
(3)その後、Xは上記貸金をYに返済しないまま他社に転職したため、Yは令和3年4月に上記公正証書に基づき、Xの転職先の会社から支払われる給与を差押えた。それに対してXは、社簡易裁判所に請求異議の訴えを提起し、本件保険金はXが取得すべきものであるにもかかわらずYが保持しているため、XはYに対して引渡請求権または不当利得返還請求権を有しており、これを自働債権として上記貸金債権と相殺したと主張して、上記公正証書に基づく強制執行は認められないとの判決を求めた。社簡易裁判所は本件訴訟を神戸地裁社支部に移送した。神戸地裁社支部(神戸地裁社支部令4.10.11)はXの主張を認めたためYが控訴したのが本件訴訟である。
3.高裁判決の判旨(控訴棄却・確定)
「そうである以上、Yが保険会社から本件保険契約に基づき本件保険金を受け取った場合、当該受取行為は、被保険者である被控訴人からの委託に基づくものでなくとも、同人のためにするものとして、事務管理に該当し、受け取った本件保険金は、特段の事情がない限り、同人に引き渡さなければならず(民法701条、646条1項)、Yがこれを引き渡さない場合には、本件保険金は不当利得になると解される。」
「Yは、当審においても、本件保険契約には法人契約特約(法人を保険契約者とし、その役員、従業員を被保険者とする保険契約において、死亡保険金受取人を保険契約者である法人とした場合に、後遺障害保険金、入院保険金、手術保険金、通院保険金についても死亡保険金受取人に支払う特約)が付されており、したがって、本件保険金の受給権者はYであるから、Yに不当利得が生じる余地はない旨主張する。 しかし、本件保険契約に係る「傷害総合保険契約更改申込書」(乙3)を子細にみても、本件保険契約について、事業者費用補償特約は付されているものの、Yが主張する、法人契約特約が付されていることを明確に示す記載は見当たらない。(略)」
「結局、本件保険契約においては、Yが主張する法人契約特約が付されていたとまでは認めることができない。なお、仮に、本件保険契約において法人契約特約が付されていたとしても、同特約は、本件保険契約の内容や、本件保険金がXの労災事故に起因して給付された入院保険金、通院保険金等であることからしても、保険法8条の規定に反する特約で被保険者であるXに不利なものとして、同法12条により無効であるというべきである。」
4.検討
(1)本判決は、とくに「なお、仮に、本件保険契約において法人契約特約が付されていたとしても、同特約は、本件保険契約の内容や、本件保険金がXの労災事故に起因して給付された入院保険金、通院保険金等であることからしても、保険法8条の規定に反する特約で被保険者であるXに不利なものとして、同法12条により無効であるというべきである。」と判示している部分が重要であると思われます。保険法すなわち、保険法8条は、損害保険契約において被保険者が保険契約者と別人である場合には、当該被保険者は保険金を受け取ると規定しており、同法12条は同法8条に反する特約で被保険者に不利なものは無効となると規定しています。これらの条文を受けて、本判決は、法人契約特約は、「本件保険契約の内容や、本件保険金がXの労災事故に起因して給付された入院保険金、通院保険金等であることからしても、保険法8条の規定に反する特約で被保険者であるXに不利なものとして、同法12条により無効である」と判示しているのです。
(第三者のためにする損害保険契約)
第8条 被保険者が損害保険契約の当事者以外の者であるときは、当該被保険者は、当然に当該損害保険契約の利益を享受する。
(強行規定)
第12条 第八条の規定に反する特約で被保険者に不利なもの及び第九条本文又は前二条の規定に反する特約で保険契約者に不利なものは、無効とする。
(2)損害保険会社各社から法人向けの傷害総合保険が販売されているところ、その保険金について、これを受け取った企業が社内の補償規程に基づいて従業員に支払えば問題は起きませんが、補償規程がないとか、企業が被った損害にこの金銭を充当するなどして従業員に保険金を支払わずトラブルとなるケースがあるとされています。
この点に関しては生命保険会社各社の団体定期保険(全員加入型のいわゆる「Aグループ」の団体定期保険)においても約30年前に同様の法的トラブルが多発し、最高裁判決(最判平18.4.11民集60巻4号1387頁)などが出され、生命保険会社各社は主契約の保険金は従業員の遺族に、ヒューマンバリュー特約の保険金は法人に支払うとする「総合福祉団体定期保険」を創設するなどの実務対応を行いました。
これに対して、本件判決は損害保険分野における法人向け傷害総合保険の入院給付金等を会社が受け取るべきなのか、従業員が受け取るべきなのかについて訴訟となり、保険法8条、12条に基づいて従業員が受け取るべきと裁判所が判示しためずらしい裁判例であると思われます(金融法務事情2223号66頁コメント部分)。
(3)この大阪高裁判決を受けて、損害保険会社各社は、とくに法人契約特約などの保険約款の保険金を受け取るべき者の規定について見直しを行うなどの対応が必要になると思われます。
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■参考文献
・金融法務事情2223号(2023年12月10日号)64頁
・山下友信『保険法(上)』345頁
・山下友信・竹濱修・洲崎博史・山本哲生『有斐閣アルマ保険法 第3版補訂版』236頁
・出口正義・平澤宗夫『生命保険の法律相談』(学陽書房)314頁
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