なか2656のblog

とある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

タグ:個人情報

タイムズカー

1.はじめに
2026年9月25日、パーク24グループが運営するカーシェアリング「タイムズカー」のWebシステムへの不正アクセスが発覚しました。同社の発表(第2報)によると、約660万件の個人情報が漏えいしたとされています。同社の第3報では、運転免許証画像などの本人確認書類が漏えいしたアカウントは約160万件とされています。

大規模な事案で報道も多いため、事実関係の詳細は報道や公式発表に譲り、本ブログ記事では、「退会した人も含め、被害者は運転免許証画像の消去をタイムズカーに求められるのか?」という点を、現行の個人情報保護法に沿って検討したいと思います。

2.漏えいした情報と対象者
本個人情報漏えい事故の対象は、タイムズカー会員とタイムズビジネスサービス会員の現会員と退会済みの人であり、入会を申し込んだものの完了しなかった人も含まれるとされています。

漏えいした情報は、「氏名 ・法人会員様の所属部署名 ・住所 ・生年月日 ・電話番号 ・メールアドレス ・運転免許情報 ・本人確認書類情報 ・パスワード ・連携サービスID」となっています。なお、パスワードは復元できない形式で保管されていたとされ、クレジットカード情報は同社が保有していないため対象外とされています。

3.なぜ退会後も運転免許証の画像データ等を7年間も保管しているのか?
運転免許証画像には、氏名、住所、生年月日、顔写真が一枚に載っています。これらの情報については、悪意の第三者によって、本人になりすまして、例えば銀行口座の開設、クレジットカードの作成、消費者金融の借入などがなされてしまう「なりすまし」のリスクがあるため、タイムズカーが、なぜいつまで保管していたのかが問題となっています。

この点、タイムズカーの公式FAQ(「タイムズカーWebサイトへの不正アクセスに関し よくあるご質問」10月1日付)のQ8は、退会後も情報を保管している理由を次のように説明しています。

・氏名・住所・生年月日:税法に基づき7年間
・運転免許情報および画像:なりすまし対策やお問い合わせ対応のため7年間
つまり、タイムズカー自身が、運転免許証画像の保管理由を税法とは説明していません。税法上の保存義務は一般に取引に関する帳簿や書類が対象であり(法人税法施行規則59条・所得税法施行規則63条等)、免許証画像そのものの保存を義務づけているとは考えにくいところです。

Twitter(X)上では、タイムズカーを退会したユーザーの方が同社に運転免許証の画像データ等の消去を求めたところ「税法で7年間保持が必要」と案内されたという投稿もみられますが、同社の一般的な対応かどうかは確認できません。

この点、個人情報保護法22条は、事業者は「個人データを…利用する必要がなくなったときは、当該個人データを遅滞なく消去するよう努めなければならない。」と規定しています。

しかしこれはあくまでも努力義務なので、これだけでタイムズカーの取扱いが直ちに違法とはいえません。論点となるのは、同社における運転免許証等の画像データの保存期間が7年とやや長いことが、「利用する必要」がある期間として合理的といえるかどうかといえます。この点、例えば民法166条1項1号は債権の消滅時効を5年としていること等から、7年という保存期間はやや長すぎるように思われます。

4.被害者は利用停止・消去は請求できるか?
個人情報保護法35条5項・6項は、次のように定めています。
5 本人は、個人情報取扱事業者に対し、当該本人が識別される保有個人データを当該個人情報取扱事業者が利用する必要がなくなった場合、当該本人が識別される保有個人データに係る第二十六条第一項本文に規定する事態が生じた場合その他当該本人が識別される保有個人データの取扱いにより当該本人の権利又は正当な利益が害されるおそれがある場合には、当該保有個人データの利用停止等又は第三者への提供の停止を請求することができる。
6 個人情報取扱事業者は、前項の規定による請求を受けた場合であって、その請求に理由があることが判明したときは、本人の権利利益の侵害を防止するために必要な限度で、遅滞なく、当該保有個人データの利用停止等又は第三者への提供の停止を行わなければならない。ただし、当該保有個人データの利用停止等又は第三者への提供の停止に多額の費用を要する場合その他の利用停止等又は第三者への提供の停止を行うことが困難な場合であって、本人の権利利益を保護するため必要なこれに代わるべき措置をとるときは、この限りでない。
(1) 請求できる3つの場合 35条5項が定める請求の入口は3つです。それぞれについて、「法令・ガイドライン(通則編3-8-5-1)はどう定めているか」→「タイムズカーのユーザーはどうなるか」の順に整理します。
① 利用する必要がなくなった場合
【法令・ガイドライン】
22条と同様、利用目的が達成され、保有する合理的な理由が存在しなくなった場合などをいいます。ガイドラインは、不採用になった応募者の情報について、再応募への対応等のための合理的な期間が経過した後に請求した場合を例に挙げています。複数の利用目的があるときは、全ての目的について判断されます。
【タイムズカーでは】
主に退会者が対象です。同社は、免許証画像を「なりすまし対策やお問い合わせ対応のため」退会後も7年間保管するとしています(FAQ Q8)。この7年が「利用する必要がある」期間として合理的かどうかが争点です。この入口は、漏えい対象かどうかにかかわらず使えます。

② 26条1項本文の事態が生じた場合(大規模な個人情報漏えい事故の場合)
【法令・ガイドライン】
本人のデータについて、漏えい等の報告対象事態(=大規模な個人情報漏えい事故)が生じたことをいいます。
【タイムズカーでは】
不正アクセスによる約660万件の漏えいは、報告対象事態に当たり得ます(同社も個人情報保護委員会に報告したとしています)。したがって、漏えい対象に含まれるユーザーは、現会員・退会者を問わず、この入口から請求できる可能性があります。対象に含まれない人は使えません。対象かどうかは、個別通知や、退会者向けの問い合わせフォームで確認します。

③ 権利又は正当な利益が害されるおそれがある場合
【法令・ガイドライン】
「権利又は正当な利益が害されるおそれ」の「おそれ」は、一般人の認識を基準に客観的に判断されます。ガイドラインは、安全管理措置を十分に講じておらず、本人のデータが漏えい等するおそれがある場合を例に挙げています(安全管理措置義務[23条]違反そのものは請求原因ではなく、この③を通じて問題になります)。

「正当」かどうかは、事業者に本人の保護の必要性を上回る特別な事情がない限り、請求に応じる必要があるとされ、事業者側の事情として、違法・不当な行為を防止するために取り扱う事情などが考慮されます。

【タイムズカーでは】
免許証画像の漏えいは、なりすましに悪用されるおそれがあり、この入口の根拠になり得ます。一方、同社は保管理由を「なりすまし対策」としており、上記の事情として主張する可能性があります。ただし、原因が未公表で、安全管理措置が不十分だったかどうかは現時点では判断できません。

(2) どこまで応じてもらえるか(「必要な限度」と代替措置)
【法令・ガイドライン】
請求に理由があっても、事業者が応じるのは「本人の権利利益の侵害を防止するために必要な限度」です。全てのデータを求められても、一部の対応でおそれを防止できるなら、一部に限定できます(3-8-5-2)。また、利用停止等が困難な場合は代替措置が認められ(6項ただし書)、ガイドライン(3-8-5-3)は、①法令で保存が義務づけられているデータを、保存期間の終了後に消去すると約束する場合、②重大な漏えいで契約が存続しているため困難として、再発防止策を講じる場合、を例に挙げています。「困難な場合」には、事業者が正当な事業活動でそのデータを必要とする場合も含まれ得ます。

【タイムズカーでは】
次のように整理できます。
•免許証画像だけを消去し、税法上の保存が必要な氏名・住所・生年月日は残す、という切り分けが考えられます。
•氏名・住所等は、保存期間(7年)の終了後に消去するという代替措置(①)で足りる可能性があります。
•現会員は契約が続くため、再発防止策(②)で足りるとされる可能性があります。退会者は契約が存続しないため、この例は当てはまりにくいです。
•ただし、同社が画像の保管の必要性を主張する余地は残ります。

(3) ユーザー別の見通し 以上をまとめると、請求の見通しは、ユーザーのタイプによって次のように分かれます。

•漏えい対象の退会者:①②③の全てを主張できます。免許証画像の消去を求める余地が最も大きく、氏名・住所等は税法上の保存が残る可能性があります。
•漏えい対象の現会員:②③から請求できます。ただし、契約が続いているため、消去ではなく、再発防止策などの代替措置で対応される可能性があります。
•漏えい対象外の退会者:②は使えず、①(保管期間の合理性)で請求することになります。
•共通:いずれも、同社が「なりすまし対策」などを理由に保管の必要性を主張する余地があり、実際の対応は現時点では分かっていません。

5.タイムズカーの請求手続は適法か
タイムズモビリティの手続ページによると、利用停止・消去の請求方法は次のとおりです。 •郵送のみ(簡易書留または配達記録郵便)。来社での請求は不可
•同社所定の請求書に、全て自筆で記入
•本人確認書類(運転免許証、在留カード、個人番号カードのいずれか)のコピーを同封
•回答は請求書の受領後1か月以内。利用停止・消去は手数料なし

37条1項は、事業者が請求の受付方法を定めることができ、本人はその方法に従う必要があるとしています。一方、同条4項は、手続を定めるに当たっては、本人に過重な負担を課すものとならないよう配慮しなければならないとしています。

本人確認は必要であり、書留郵送にも、紛失防止や到達確認という合理性はあります。ただ、免許証画像が漏えいした人に、免許証のコピーを改めて郵送させる構造には疑問が残ります。また、請求書の住所、確認書類の住所、同社の登録住所が一致しないときは本人確認ができない場合として対応しないとされています。免許証は住所変更があれば裏面のコピーも求められていますが、退会後に転居した人の扱いなど、基準は十分明らかではありません。

このタイムズカーの取扱いは、37条4項の配慮義務に違反するとまでは言い切れません。ただ、漏えい事故の被害者が請求する場面であることを考えると、確認方法の選択肢を広げるなどの運用の工夫が望まれます。

6.請求が拒否された場合
事業者は、利用停止等を行ったとき、または行わない旨を決定したときは、遅滞なく本人に通知しなければなりません(35条7項)。措置をとらない旨を通知する場合には、理由を説明するよう努めなければなりません(36条。努力義務)。同社の手続ページも、対応できない場合は理由を付記して通知するとしています。

それでも応じてもらえず、被害者が裁判上の請求(民事訴訟)をする場合は、まず事業者に請求し、その到達から2週間を経過した後でなければ訴えを提起できません。ただし、事業者が請求を拒んだときは、この限りではありません(39条)。

7.令和8年の個人情報保護法改正との関係
2026年7月に成立した令和8年の改正個人情報保護法(7月17日公布)は、2028年7月までに段階的に施行される予定で、現時点では未施行です。そのため今回の事案に適用されるのは現行法です。

改正法では、特定生体個人情報について、違反がなくても利用停止等を請求できる規定が新設されますが、免許証画像が対象に含まれるかどうかは、今後の政省令やガイドラインを確認する必要があります。

8.まとめと今後の注目点
公式FAQによれば、免許証画像は退会後も「なりすまし対策・問い合わせ対応」を理由に7年間保管されています。税法で説明されている氏名・住所等とは、保管理由が異なります。運転免許証の画像データの保存期間が7年というのはやや長すぎると思われます。また、現行法では、法違反がなくても、35条5項により利用停止・消去を請求できます。画像だけの消去は、35条6項の「必要な限度」とも整合的です。

一方、事業者側は「なりすまし対策」などを理由に、保管の必要性を主張する余地があります。実際に請求した場合にどう対応されるかは、まだ分かっていません。手続は書留郵送が中心で、免許証のコピーの再送が必要です。37条4項の観点から、運用の改善が望まれます。

今後は、原因と再発防止策、請求への実際の対応、補償方針(FAQ Q6では、調査結果を踏まえて決定予定とされています)に注目したいと思われます。

(注)本ブログ記事は2026年10月3日時点の公表情報に基づきます。

※本ブログ記事が面白かった・参考になったという方はぜひシェア・いいねをお願いします!

■参考資料(いずれも2026年10月3日閲覧)
•タイムズカー「不正アクセスに関する調査結果および今後の対応について(第2報)」
•同(第3報)
•タイムズカー「よくあるご質問」(2026年10月1日)
•タイムズモビリティ「保有個人データ開示等の請求等に関する手続きについて」

人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

警察官ウェアラブルカメラ
1.はじめに
2026年8月28日、警察庁は、警察官がハンズフリーで撮影できるウェアラブルカメラを2027年度から全国で導入する方針を固めたと発表しました。2027年度予算の概算要求には、約2,000台分・約1億7,000万円が計上されています。すでに2025年9月以降、地域・交通・警備の3部門で試験運用が実施されており、福岡県警では公務執行妨害事件で映像が証拠として活用された例や、任意同行が強制的であったとする容疑者の主張を映像で否定した例等も報告されています。

この施策の趣旨・目的は、警察官の公務執行の適正性確保や警察官・市民双方の保護であるとのことです。しかし、この制度は現時点では法律の根拠を欠いたまま、警察庁および都道府県警察の内規・要綱のみによって全国展開されようとしています。本ブログ記事では、この点を憲法・警察法・個人情報保護法の観点から検討したいと思います。結論を先取りすると、警察のウェアラブルカメラは、警察の内規ではなく国会の法律による統制が必要であると考えられます。

2.現状の運用実態
警察庁が2026年8月13日付で公表した広報資料「警察活動におけるウェアラブルカメラ活用の試行結果について」によれば、モデル事業では、職務質問を行う地域部門に39台、交通取締りを行う部門に18台、雑踏警備を行う部門に19台のカメラが配備されたとのことです。撮影中であることが周囲にわかるよう腕章を着用し、被害者から相談を受ける場面や、住宅内に入る際は撮影を中断するなど、一定のプライバシー配慮も講じられているようです。

問題は、こうした運用の中身(閲覧権限、目的外利用の制限、保存期間など)が、法律ではなく警察庁・都道府県警察の内規レベルで定められている点にあります。たとえば香川県警や広島県警が公開している「ウェアラブルカメラ運用規程」では、撮影データは撮影日から1週間後に自動消去されること、目的外利用は個人情報保護法上の目的外利用に当たるため制限されることなどが定められています。

しかし、これらはあくまで警察内部の規律であって、国会審議を経た法律ではありません。すなわち、警察のウェアラブルカメラによる活動により国民のプライバシーの侵害等の問題が発生するのに、そのことについて国会で審議が行われていません。そのため、国会においてプライバシー権など国民の基本的人権と警察の権限行使とのバランスや統制が議論されておらず、「法律による行政の原則」(法律による行政の民主的コントロールの原則)が達成されていないのです。

3.憲法上の論点①―そもそも撮影は許されるのか
警察官による無断撮影の限界については、京都府学連事件・最高裁大法廷昭和44年12月24日判決が基本的な判断枠組みを示しています。同判決は、憲法13条を根拠として「個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有する」とし、「警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されない」と判示しました。

また、犯罪予防目的でのカメラ監視の適法性が争われた釜ヶ崎(西成)監視カメラ事件判決・大阪地判平成6年4月27日は、①目的の正当性、②客観的かつ具体的な必要性、③設置状況の妥当性、④設置及び使用による効果、⑤使用方法の相当性という5要件を示し、これらの要件に基づいて個別に適法性を判断すべきとしています。

今回、警察が導入しようとしているウェアラブルカメラは、 (a)職務質問時の録画、(b)交通取締り時の録画、(c)雑踏警備時の録画、であり、これらはいずれも特定の犯罪の嫌疑を前提としない「犯罪予防目的」の撮影であり、京都府学連事件の「犯罪捜査目的」の撮影とは性質を異にしており、釜ヶ崎(西成)監視カメラ事件の判断枠組みが該当すると思われます。

そこで、釜ヶ崎(西成)監視カメラ事件の判断枠組みに照らすと、たとえば、もし仮に警察官が警ら中にウェアラブルカメラを作動中のままにしておいたような場合は、少なくとも②③⑤の要件が満たされず違法と評価される可能性があります。

また、たとえば、交通違反が多発する地域以外での録画や、花火大会などの規模との関係で必要性・相当性を欠く録画は、②や⑤の要件を満たさず違法と評価される余地があります。

このように、警察庁の運用は、腕章の着用や一定の場面での撮影中断など相当性に配慮した部分があるものの、法律上の根拠がないまま、釜ヶ崎(西成)監視カメラ事件の判断枠組みの5要件の充足を警察内部の自己判断のみに委ねている点は、なお検討を要すると思われます。

4.憲法上の論点②―継続的・網羅的監視という論点
もう一つ、警察官のウェアラブルカメラを考える上で重要と思われるのが、GPS捜査事件・最高裁大法廷平成29年3月15日判決です。同判決は、令状なしに捜査対象車両にGPS発信機を取り付けて位置情報を継続的に取得する捜査手法について、「個人の意思を抑圧して憲法の保障する重要な法的利益を侵害するもの」であり、刑事訴訟法上の「強制の処分」に当たると判断しました。

すなわち、GPS捜査が対象車両の所在と移動状況を「継続的、網羅的に把握することを必然的に伴う」ものであり、現行の令状制度が想定する対象・態様とは性質を異にするため、「立法的な措置が講じられることが望ましい」と述べ、国会に立法をうながしたものです。

今回の警察官のウェアラブルカメラも、もし仮に警ら中に「屋外活動の開始から終了まで」撮影を継続する運用であれば、個別の職務執行の記録という目的を超えて、たまたますれ違った不特定多数の国民個人の容貌・行動を機械的に記録し続ける「面的な監視」に接近する可能性があります。この点で、GPS判決が問題視した「継続的・網羅的な把握」という考え方は、警察官のウェアラブルカメラについても検討に値するものと思われます。

もっとも、GPS判決の事案は特定の被疑者を対象とする秘密裏の捜査であり、他方で今回の警察官のウェアラブルカメラは個別の職務執行の場面ごとにオン・オフされる行政警察活動の記録という性格が強いものです。両者を同列に論じることには慎重さも必要であり、GPS判決の射程がそのまま及ぶか否かには慎重な検討が必要です。しかし、実際の運用がどこまで「継続的・網羅的」であるかは、今後の検討の課題として残るものと思われます。

5.立法によるべきではないか
警察官による録画の法律上の根拠としては、職務質問(警察官職務執行法2条1項)に付随する行為として、あるいは警察法2条1項の責務規定を参照して許容されるという説明が可能ではあります。しかし、警察法2条1項のような「責務」規定を、市民の自由を制限する根拠として十分なものと評価できるかについては検討の余地があります。

また、この問題に関連して注目すべき先例として、通信傍受法があります。同法は、対象犯罪の限定、立会人制度、傍受期間の制限など、捜査機関による通信の傍受という強力な権限行使について、法律レベルで詳細な歯止めを設けています。これに対し警察官のウェアラブルカメラは、運用や保存期間、閲覧権限等も内規任せであり、民主的統制(国会審議)を経ていない点で対照的です。

さらに、警察による個人情報の収集それ自体の違法性を認めた裁判例として、大垣警察市民監視国家賠償・個人情報抹消請求控訴事件(名古屋高判令和6年9月13日、令和4年(ネ)第287号)があります。同判決は、風力発電事業に反対する市民運動を行っていた住民らの個人情報を岐阜県警察が長年にわたり収集・保有し、その一部を電力会社に提供していた事案について、国家賠償法上の違法を認定しました。

同判決は、警察法2条1項の責務規定のみを援用して、公共の安全と秩序の維持を名目にフリーハンドで情報収集活動を行うことは許されないとした上で、明文の法律上の根拠がない情報収集活動である以上、当該個人について一般国民とは異なる取扱いをすることを正当化するだけの目的及び必要性を、捜査機関の側が個別的・具体的に主張立証しなければならないという判断枠組みを示しました。

すなわち、内規・要綱レベルの自主的な運用に委ねられている場面では、適法性を基礎づける主張・立証責任は警察側が負うべきだ、という考え方です。また、市民運動等について、犯罪性や公共の安全・秩序への危険性が認められないにもかかわらず、際限なく危険視して情報収集し監視を続けることは、憲法が保障する集会・結社・表現の自由(21条1項)に反すると判示したことも注目されます。

この大垣警察事件の判断枠組みは、警察官のウェアラブルカメラの議論にも応用できます。すなわち、警察庁の内規のみに基づいて撮影・保存・利用が行われている以上、ある録画行為の適法性が争われた場合には、警察の側が、当該録画についての目的の正当性と個別具体的な必要性(前記の釜ヶ崎(西成)監視カメラ事件の5要件のうちの①②)を主張立証しなければならないと解すべきと思われます。

こうした一連の事件・裁判例は、警察による情報収集・録画のあり方について、内規による自己統制だけでは限界があることを示しているように思われます。

6.令和8年改正個人情報保護法との関係
2026年7月に成立した令和8年改正個人情報保護法は、防犯カメラの顔認証データ等を念頭に置いた「特定生体個人情報」という新しい概念を創設しました(改正法16条5項)。これに該当する場合、事業者には、取扱いに際しての事前周知義務(改正法21条の2)、オプトアウトによる第三者提供の禁止(改正法27条2項)、そして違反の有無を問わない利用停止等請求権(改正法35条7項・8項)という3本柱の規律が課されることになります。

もっとも、これらの規定はいずれも個人情報保護法第4章(個人情報取扱事業者等の義務等)に置かれたものであり、その適用対象は民間の個人情報取扱事業者である。警察をはじめとする行政機関等は、別途第5章(行政機関等の義務等)の規律に服するのであって、今回新設された特定生体個人情報の規律は、警察が自ら保有するウェアラブルカメラ映像には直接及びません。すなわち、今回のカメラに関する個情法改正は、警察が収集する映像の規律強化にはつながっていません。

(なお、私人が保有するカメラ映像の警察への提供についても、司法は緩やかな基準しか示しておらず、事業者の自主ガイドラインに委ねられてきた経緯がある(名古屋高判平成17年3月30日。評釈として石村修「コンビニ店舗内で撮影されたビデオ記録の警察への提供とプライバシー」専修大学ロージャーナル3号26頁)。)

7.まとめ
警察官のウェアラブルカメラの導入は、公務執行の適正性確保や警察官・市民双方の保護という点で一定の合理性を有する施策です。しかし、その運用の核心部分(保存期間、閲覧権限、目的外利用の制限、釜ヶ崎(西成)監視カメラ事件の5要件の達成など)が、法律ではなく警察内部の内規・要綱のみに委ねられている現状は、憲法13条の趣旨や警察比例原則との適合性の観点から、なお検討を要するものと考えられます。

警察のウェアラブルカメラは、国民のプライバシー侵害等の問題が発生するのに、そのことについて国会で十分な審議が行われていません。そのため、国会においてプライバシー権など国民の基本的人権と警察の権限行使とのバランスや統制が議論されておらず、「法律による行政の原則」(法律による行政の民主的コントロールの原則)が達成されていません。したがって、警察のウェアラブルカメラについては、国会での審議を経た立法が必要であると考えられます。

今後の政令・委員会規則の整備動向とあわせて、この論点についての立法的対応の動向が注目されます。

このブログ記事が参考になった・面白かったという方は、ぜひSNSでシェアや「いいね」をお願いいたします!!

■関連するブログ記事
・2026年個人情報保護法改正と顔識別機能付き防犯カメラー「万引き犯ブラックリスト」の利用停止等請求問題はどうなるのか
・自衛隊が国民の「愛国心」や「性的嗜好」まで情報収集?-自衛隊情報保全隊事件訴訟と第三者機関の必要性
・JR東日本が防犯カメラ・顔認証技術により駅構内等の出所者や不審者等を監視することを個人情報保護法などから考えた(追記あり)

■参考文献
・共同通信「警察官の装着カメラを全国導入へ 27年度から、有効性を確認」(2026年8月28日)
・警察庁「警察活動におけるウェアラブルカメラ活用の試行結果について」
・弁護士ドットコムニュース「警察官のカメラ着用、試験導入…「撮られたくない人」置き去りでいいのか? 弁護士「かなり課題ある」と懸念」
・渡邉雅之「特定生体個人情報とは?定義や具体例、企業に求められる対応など」BUSINESS LAWYERS(2026年9月9日)
・石村修「コンビニ店舗内で撮影されたビデオ記録の警察への提供とプライバシー」専修大学ロージャーナル3号(2008年)26頁

人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

AIのイメージ
内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局 人工知能政策推進室が、「人工知能基本計画(素案)に関する御意見の募集について」とのパブコメを実施しています(締切6月23日)。

・人工知能基本計画(素案)に関する御意見の募集について|e-GOVパブリック・コメント

「人工知能基本計画(素案)」ですが、ざっと読んだ感じでは、国民個人の権利利益の保護よりも、ますますAIの利活用を推進しようという、いかにも経済界・政官が喜びそうな内容でした。

とりいそぎ、入力フォームからごく簡単な意見を送ってみました。先日のブログ記事でも取り上げた、AIに関する個人情報改正法案の統計利用特例についても書きました。

ところでこのパブコメ、開始が6月19日19時30分で、締切が6月23日23時59分とたった約5日間しかパブコメ期間がないのは、ちょっとあまりにも「広く一般の意見を求める」(行政手続法39条1項)というパブコメの趣旨に反しているのではないでしょうか・・・。政府のAI政策は、あまりにも一般国民のほうを向いていないように思われます。

私の意見はつぎのとおりです。

・クロード・ミュトスなどのようなAIの危険性が増加していることから、日本のAI推進法を抜本的に改め、EUのAI法のようにリスクベースでAIを規制する法律に改正すべきである。

・「法律による行政の原則」の観点からは、AI規制については、AI事業者ガイドラインなどのようにソフトロー中心で規制をおよぼす建付けを抜本的に改め、法律によるハードローにより規制をおよぼすことにより、国民の基本的人権をしっかりと保護する方向に政府の方針を改正すべきである。

・AI規制にあたっては、個人の尊厳、プライバシー権、内心の自由・精神活動の自由などの基本的人権、民主主義などを保護するため、AIを利用した個人のプロファイリングや、AIを利用した個人の内心や精神活動への介入・働きかけを法規制すべきである(個情法1条、3条、憲法13条、19条)。

・現在国会で審議中の個人情報保護法改正案については、AIの開発のための統計利用特例のために本人同意なく要配慮個人情報の収集・利用・第三者提供を可能とする改正の部分について、個人の人格権、個人の尊厳、プライバシー権、内心の自由、自己情報コントロール権、「自己の情報を適切に取扱われる権利」などの個人の権利利益を大きく侵害するものであり違法・違憲なものであるから(個情法1条、3条、憲法13条、19条)、これを撤回すべきである。
■関連するブログ記事
・あなたの病歴が外国企業に渡る?-「統計特例」に関する個人情報保護法改正案の問題点
・あなたのLINEの情報が保険営業に?ー2026年個人情報保護法改正の「AI学習目的」という抜け穴

人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

LINEロゴ
1.LINEが「子の有無・学歴・職業」等のプロファイリング情報をターゲティング広告に利用していた問題
2026年5月28日、ITmedia NEWSは、LINEアプリの広告機能において、ユーザーの子どもの有無・最終学歴・職業等といった機微な個人情報がターゲティング広告に利用されていることが発覚し、SNS上で炎上したと報じました(「子の有無や学歴、年収まで……LINEの広告設定が「怖い」と物議 LINEヤフーに意図を聞いた」ITmedia NEWS)。

私も自分のLINEの属性情報の画面を確認しましたが、設定が「オン」になっているとともに、それぞれの属性情報はほとんどが当たっていました。
LINE属性情報

特に問題とされたのは、当該設定がデフォルトで「オン」になっていた点です。多くのユーザーは自覚のないまま、LINE上あるいはウェブサイト上などの行動履歴、購入履歴、登録情報(年齢・性別・地域等)を組み合わせた形でターゲティング広告に自己の情報を活用されていたことになります。SNS上では「知らないうちにオンになっていた」「友人とのトークを見られているのでは」などの不安の声が多数寄せられたとのことです。

LINEヤフー社は「トークの内容は広告に使っていない」と説明し、2025年8月より設定画面を改善してオプトアウトを可能にしたとしていますが、それ以前の長期間にわたりユーザーへの十分な告知なくこうした取扱いが行われていたことは事実のようです。

2.LINEヤフーの日本生命への「結婚予兆セグメント」販売ビジネス
筆者は2025年1月、LINEヤフー社が保有するユーザーの個人データをプロファイリングし、「結婚予兆セグメント」「転職活動の検討セグメント」といった分類結果を日本生命等のパートナー企業に第三者提供(販売)していることを紹介しました。(なか2656のblog「LINEヤフーが「LINE公式アカウント」の企業に「結婚予兆」等のプロファイリング結果を第三者提供していることを個情法から考えた-プロファイリング結果の第三者提供」2025年1月19日)

日本生命はこのプロファイリング結果を活用し、同社のLINE公式アカウントの「友達」ユーザーのうち、「結婚予兆セグメント」に分類された層に保険を提案したところ、保険契約の成約率がLINEを使わない提案手法に比べ10倍以上になったと報告されたとのことです。また、日本生命は「転職活動の検討セグメント」データも採用活動に利用しており、第一生命・T&Dグループも同様の手法を活用しているとされています。

LINEヤフー社は、同社のプライバシーポリシー上「統計情報」としてパートナー企業への提供を説明しており、現行の個人情報保護法上は一応法的な条件をクリアしていると考えられます。しかし、ユーザー識別符号とセットで提供されている以上、実態は個人データの提供と評価される余地があり、また「結婚予兆」「転職検討」といった情報はLINEヤフー社自身が「機微な属性の推定・分類は行わない」と宣言していることとの矛盾も残ります。

※なお、NTTドコモなども、同様にプロファイリング情報の販売ビジネスを行っているとのことです(ドコモ、1億規模の会員データをプロファイルして広告主に提供へ 「引っ越しそうな人」「EVに興味ある人」など的確に|ITmedia NEWS)。

3.現行個人情報保護法の問題点―プロファイリング規制の欠如
EUのGDPR22条等がプロファイリングについて明確な法規制を設けているのに対し、日本の個人情報保護法はプロファイリング行為そのものを正面から規制していません。

個情法17条1項の「利用目的の特定」義務や同ガイドラインの規定により、事業者はプロファイリングを行う旨をプライバシーポリシー等に記載することが求められるが、実際には包括的なプライバシーポリシーへの同意取得で処理されており、一般ユーザーが自己の情報がどのように分析・販売されているかを正確に把握できているとは言い難い状況です。

また、個情法19条は個人情報の不適正を禁止していますが、同法の条文はあいまいであり、個情法ガイドライン(通則編)の規定や具体例も限定的であり、その実効性が問題となります。

さらに、福岡真之介ほか『AIプロファイリングの法律問題』が指摘するように、プロファイリング結果の第三者提供は、①本人がその内容を把握できないリスク、②提供先での利用目的が予測できないリスク、③プライバシー権侵害のリスク(民法709条・憲法13条)をはらんでおり、通常の個人データの第三者提供とは別次元で論じる必要があります。

こうしたプロファイリングに関する問題意識は個人情報保護委員会の法改正の検討会議などでも議論されたはずですが、2026年法改正ではプロファイリング規制は見送られました。

4.2026年個人情報保護法改正-「AI学習目的」での本人同意不要化
現在、国会で審議中の2026年個人情報保護法改正法案は、「適正なデータ利活用の推進」を掲げ、「個人データ等の第三者提供及び公開されている要配慮個人情報の取得・第三者提供について、統計情報等の作成(統計作成等であると整理できるAI開発等を含む)にのみ利用される場合は本人同意を不要とする」趣旨の改正が盛り込まれています。

注目すべきは「統計作成等であると整理できるAI開発等を含む」という点です。民間企業が行うAI開発・機械学習が広く対象になるとされています。つまり、要配慮個人情報であっても、「AI学習目的」であれば本人同意なしに取得や第三者提供が可能となります。

5.「AI学習目的」という抜け穴―法改正の深刻な問題点
この改正が現実のビジネスに与える影響を、前述のLINEヤフーと日本生命の事例に即して考えてみると、以下のようなスキームが法的に合法として成立することになります。

LINE日本生命の図

改正法は上述の「要配慮個人情報の取得・第三者提供について、統計情報等の作成にのみ利用される場合は本人同意を不要とする」改正について、「統計情報等の作成にのみ利用される場合」という限定を付しており、AI学習目的で取得したデータを直接営業に転用することは禁止されるべきではないでしょうか。しかしそのように考えるには問題があります。

最大の問題は、個人情報保護法上、「学習済みAIモデル」は原則、個人情報でないので法の規制対象ではないとされている点です(個情法ガイドラインQA1-8)。
個情法ガイドラインQA1-8

すなわち、事業者は、個人データそのものは「AI学習」にしか使っていないと整理しつつ、学習済みモデルはその後個情法に縛られずに自由に利用できるのです。学習済みモデルをマーケティングや営業ターゲティングに使うことは、現行個情法上も改正法上も個情法の規制が直接及ばない領域なのです。

一般ユーザーから見れば、普通にLINEを利用して妊娠・出産等の情報がLINEに収集され、本人同意なくAI学習目的で日本生命に提供され、日本生命がそのAIをもとに個人に保険営業を行うという一連の流れが、改正個情法の下でより合法的に成立しうることになります。しかしこれは、要配慮個人情報の保護を事実上形骸化させるものと言わざるを得ないのではないでしょうか。

※なお、LINEの事例にある「子どもの有無」「結婚予兆」などは、個情法上の要配慮個人情報(病歴、思想信条、犯罪歴など)には厳密には該当しませんが、しかし個人のプライバシーの核心に直結する非常に機微な情報です。個情法の法改正の議論がこのまま進めば、こうした機微な情報のAIによる利活用がさらに肯定されかねないという点で、問題の本質は地続きです。

6.まとめ
今回の2026年個情法改正は、AI推進・データ利活用という経済政策的要請を優先するあまり、要配慮個人情報の保護を実質的に後退させるリスクを内包しています。個人情報保護委員会は、個情法施行令・施行規則やガイドライン等において、少なくとも以下の点を明確にすべきではないでしょうか。

●「AI学習目的で取得したデータから生成したモデルを営業・マーケティング・スコアリング目的等に転用することは不適正利用(個情法19条)に当たる」旨を個情法ガイドライン・同QA等に明記し、歯止めをかける。

●「統計情報等の作成にのみ利用」の要件を形式的・技術的な解釈で潜脱できないよう、利用目的・利用態様の実態に即した厳格な運用基準を設ける。

●中長期的にはEUのGDPRやAI法のように、日本の個情法もプロファイリング規制を設け、AIによる自動意思決定を法律レベルで規制する制度の導入を検討する。
LINEのような国民的インフラを活用した大規模プロファイリング情報販売ビジネスは、今後AIの普及とともにさらに高度化・拡大していくことが予想されます。個人の権利利益の保護や人格尊重(個情法1条、3条、憲法13条)という法の基本理念が形骸化しないよう、国会・行政レベルでの対応が求められるものと思われます。

■関連するブログ記事
・あなたの病歴が外国企業に渡る?-「統計特例」に関する個人情報保護法改正の問題点
・「LINEヤフーが「LINE公式アカウント」の企業に「結婚予兆」等のプロファイリング結果を第三者提供していることを個情法から考えた-プロファイリング結果の第三者提供」なか2656のblog
・あなたの人事異動をAIが決める日—富士通のAI人事システムと日本の法的空白|なか2656のblog

■参考文献
「子の有無や学歴、年収まで……LINEの広告設定が「怖い」と物議 LINEヤフーに意図を聞いた」ITmedia NEWS
・保険の成約率10倍以上に…日本生命、顧客開拓にLINE活用|ニュースイッチ
・ドコモ、1億規模の会員データをプロファイルして広告主に提供へ 「引っ越しそうな人」「EVに興味ある人」など的確に|ITmedia NEWS
・個情法改正へ 本人同意なしの統計作成とAI開発、リスク検討十分か|朝日新聞
・岡村久道『個人情報保護法 第4版』208頁
・福岡真之介・杉浦健二・田中浩之・坂田晃祐ほか『AIプロファイリングの法律問題』42頁、353頁

人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

パソコンの画像
1.富士通のAI人事システム
2026年5月21日、富士通がAIと数理最適化モデルを活用した人事異動支援システムをトラスコ中山に導入し、人事担当者の工数を約98%削減したと報道されました。システムは所属年数・職種・スキル、人事考査歴、取得資格などのデータをもとに異動候補案を自動生成し、人事担当者がAIと対話しながら最終判断を行う設計とのことです。
富士通プレスリリース
(富士通のプレスリリースより)

・富士通、AIが人事異動案を作成 工数を約98%削減|日経新聞
・トラスコ中山と富士通、データとAIを活用し、人事異動の意思決定プロセスを高速化|富士通

「効率化」の文脈で報道されているこの取り組みですが、視点を変えれば、個人のキャリア、生活、人生に直結する意思決定の一部がアルゴリズムに委ねられる事態でもあります。では、こうしたAI人事システムに対して、日本の法制度はどのような規律を及ぼしているのでしょうか。

2.AIに人事を任せると何が問題か
まず問題の所在を確認します。AI人事システムがはらむリスクは、大きく三つに整理できます。 第一は「ブラックボックス問題」です。AIの数理最適化モデルがどのような重みづけで異動案を生成したか、従業員には知る術がありません。なぜ自分がこの部署に配属されたのか、人事部門に説明を求めても「AIの提案です」という回答で終わる可能性があります。

第二は「統計的差別」のリスクです。AIは過去のデータから学習するため、これまでの組織の人事慣行に潜む偏り(たとえば育休取得者や特定の部署出身者が昇進しにくいというパターンや偏り)を無意識に再現・強化してしまうおそれがあります。性別・年齢・国籍を直接変数に使わなくても、代理変数を通じた間接差別が生じうるおそれがあります。

第三は「自動化バイアス」の問題です。自動化バイアスとは、人間が機械やコンピュータ等が提示した情報や提案を過剰に信頼してしまう心理的な偏りのことです。人事担当者がAIの提案を自動化バイアスにより妄信し、実質的に追認するだけになれば、「最終判断は人間が行う」という建付けは形式に過ぎなくなってしまいます。

これらのリスクに対して、日本の法制度はどのような備えを設けているのでしょうか。

3.個人情報保護法と限界
まず個人情報保護法について見てみます。同法19条は不適正利用の禁止を定めており、違法または不当な行為を助長・誘発するおそれがある方法で個人情報を利用することを禁じています。

AI人事システムの問題に引きつけていえば、差別的・恣意的な人事判断を助長するようなかたちでデータをAIに学習・処理させることが、この禁止規定に抵触しうることになります。

この点、例えば、「採用選考を通じて個人情報を取得した事業者が、性別、国籍等の特定の属性のみにより、正当な理由なく本人に対する違法な差別的取扱いを行うために、個人情報を利用する場合」は同19条の不適正利用の禁止に抵触します(個情法ガイドライン(通則編)3-2、事例5)。

また、個人情報の利用目的の特定・通知については同法16条・21条が規律しており、「AIモデルによる異動案生成」といった処理内容を利用目的として特定・明示することが求められます。

さらに、個人情報保護委員会の個情法ガイドラインQA5-7は、従業員の監視・モニタリング(PCやスマートフォン端末の利用状況の監視等)に関して、あらかじめ運用基準や運用責任者を作成・選任すること、あらかじめ社内規則を規定し従業員に周知すること等を求めています。そのため、AI人事システムが業務ログや行動データを人事上の判断に活用する場面では、そのような利用を想定した運用基準の事前策定と周知がこのQAの要請として導かれます。

加えて、モニタリングで収集したデータを当初の目的を超えて人事評価・異動判断に流用することは、QA5-7とは別に、目的外利用の原則禁止を定める18条の問題として整理され、従業員の本人の同意が必要なことにもなり得ます。

しかし、これらの規律には構造的な限界があります。社内の人事データは元々個人情報として適法に保有しているものであり、利用目的さえ就業規則等に記載しておけば、実質的に同意取得は観念的・形式的に処理されやすくなってしまいます。さらに、なぜその異動案になったかという「判断ロジックの説明」まで従業員側が求める権利は、現行法には明文化されていません。

なお、現在、国会では2026年個人情報保護法改正が審議されていますが、その方向性は個人データのさらなる利活用・AI利活用の推進が主眼であり、AIプロファイリング規制の強化などの導入は見送られる見通しとなっています。個情法の改正は、必ずしも個人の権利利益の保護や、労働者保護を強化する方向には向かっていないのです。

4.労働法の限界—均等法の間接差別と自動化差別
AIによる統計的差別は、雇用機会均等法の間接差別(7条)で対応できないか問題となります。しかし、現行法の射程は極めて狭くなっています。厚労省令で限定列挙された三類型(転居転勤要件・身長体重体力要件・転勤経験要件)しか対象にならず、アルゴリズムが生み出す統計的差別はそもそも射程外というのが現在の状況です。

より根本的な問題は、日本の労働法制全体が「人間」が判断して差別することを前提に設計されており、AIのアルゴリズムが中立的な外観で統計的差別を行う場面を想定していない点にあります。均等法も含め、現行法でAI人事の差別的帰結を正面から問える労働法の条文は存在しないのが現状です。

5.AI事業者ガイドライン—ソフトローの可能性と限界
2024年4月に経済産業省・総務省が公表し、2026年3月に第1.2版へ改定されたAI事業者ガイドラインは、今回の事案に最も直接的に関連するガイドライン(ソフトロー)です。

同ガイドラインは、AI開発者・提供者・利用者の三主体を対象とし、公平性・透明性・人間関与の確保などを求めています。人事AIに関係して特に重要な点を挙げると、

①公平性・バイアス対策
②透明性・説明可能性
③第1.2版で明示されたHuman-in-the-Loop(=人間の判断の介在)要請

といった項目が挙げられます。

ただし、このガイドラインはあくまでも法令ではなくソフトロー、すなわち法的拘束力のない指針にすぎません。違反しても直接の制裁はなく、従業員個人が「説明を求める権利がある」等とも明記されていません。

しかし、本年4月6日に公表された経産省の「AI利活用における民事責任の解釈適用に関する手引き」は、事業者が、AI事業者ガイドラインの考え方も踏まえながらリスクの調査⁠・分析やそのための体制構築等を行⁠っていたことは⁠、不法行為(民法709条)の過失と評価される可能性を低める事情として斟酌され得る旨を指摘しています(森濱田松本法律事務所「AI事業者ガイドライン第1⁠.2版」)。

そのため、事業者側は、AI事業者ガイドラインに書かれた内容を「ただのガイドラインにすぎない」と軽視すべきではなく、業務において遵守する必要性が高まりつつあると言えます。

6.日本IBMの事案—労組法という迂回路
実際にAI人事システムをめぐる法的争いが日本で起きた事例があります。日本IBMのAI査定事案です。
・AIを使った人事評価は「ブラックボックス」 日本IBMの労組が反発、学習データなど開示求める|IT media NEWS
・日本IBMと労組がAI賃金査定で和解、人事評価の在り方に一石投じる「4つの合意」|日経クロステック

2019年、日本IBMはAI「Watson」を活用した賃金査定ツールを社内に導入すると告知しました。これを受けJMITU(日本金属製造情報通信労働組合)日本アイビーエム支部は、AIに学習させた元データの説明等を求めて2020年に東京都労働委員会へ救済申立を行いました。

その背景には、人種・性別・国籍といった社会的属性をAIが学習してバイアスを再現するリスクや、判断過程のブラックボックス化への懸念があったのです。日本IBMは回答を拒み続けましたが、約4年の労使協議を経て2024年8月に和解が成立しました。

和解の内容は、

①賃金査定でAIに考慮させる項目全部の標題を開示
②これらの項目と賃金規程上の評価項目との関連性の説明、等

というものでした。

この事案が示す重要な点は二つあります。一つは、個情法でもAI規制法でもなく、団体交渉を拒否したことを不当労働行為(労働組合法7条)として申し立てるという古典的な法的構成が機能したことです。もう一つは、組合の存在と団交権が前提であり、組合がない・弱い企業では同じ手が使えないという限界です。

7.EUと比較すると見えてくること
仮に今回の富士通事案がEU域内で起きていたとすれば、どうなっていたでしょうか。

EUのGDPR22条は、本人(データ主体)に、法的な決定や重大な影響を与える専ら自動化された処理に基づく決定に服さない権利(完全自動処理拒否権)を保障しています。日本IBM事案で組合が4年かけて交渉して得た内容の多くが、EUでは最初から個人の権利として存在しているのです。

2024年発効のEUのAI法は、採用・昇進・解雇・業務配分・業績監視等に使う人事AIを「高リスク」AIとして明示し、導入前の適合性評価・リスク管理システム構築・学習データのバイアス管理・人間による監督の確保等を事業者に義務づけています。富士通の人事AIシステムがEU域内で稼働していれば、導入前にこれらの要件をクリアすることが求められます。

8.法の空白と憲法
以上を整理すると、日本においてAI人事システムに対して従業員が頼りうる法的手段は、現時点では極めて限られており、日本には法の空白が存在します。個情法は不適正利用禁止(19条)等を通じて一定の歯止めをかけようとしていますが、判断ロジックの説明義務等までは対象外です。雇用機会均等法は間接差別の射程が狭く、アルゴリズム差別に対応できません。AI事業者ガイドラインはソフトローにとどまり、従業員の権利を直接保障していません。

日本IBMの事案のように、労働組合があれば労組法7条を使えますが、労働組合のない職場では実質的に無防備に近い状態です。この状況は、憲法13条が保障するとされるプライバシー権や、情報プライバシー権の問題とも関連します。キャリアという自己の生き方、人生に直結する決定がAIやアルゴリズムによって形成される過程に、個人はいかなる関与と異議申立の機会を持つべきかという問いに対して、現行法制は有効な回答を持っていないのが現状です。

2026年個情法改正は個人情報やAIの利活用推進が主眼であり、AI基本法も罰則を持たない基本法的枠組みにとどまります。現在の日本は、立法的手当てのないまま、AI人事システム等の人事労務上のAIシステムの普及だけが先行している状況と言わざるを得ません。労働者保護の観点から、個情法あるいは労働法の改正を真剣に議論する時期に来ているのではないでしょうか。

■関連するブログ記事
・あなたの病歴が外国企業に渡る?-「統計特例」に関する個人情報保護法改正の問題点
・コロナ下のテレワーク等におけるPCなどを利用した従業員のモニタリング・監視を考えた(追記あり)-個人情報・プライバシー・労働法・GDPR・プロファイリング

人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ