なか2656のblog

とある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

タグ:全体主義

法務省1
法務省が最近、「Myじんけん宣言」という政策(?)を実施しているようです。
・Myじんけん宣言|法務省

この「Myじんけん宣言」ページの説明を読むと、つぎのようになっています。

「人権は、誰にとっても身近で大切なものです。「人権」を難しく考えずに、「Myじんけん宣言」をして、誰もが人権を尊重し合う社会を、一緒に実現していきましょう。」

「「人権」を難しく考えずに」という、まるで怪しい金融商品の薄っぺらい営業トークのような言い回しがいきなり気になりますが、とにかくこの法務省の「Myじんけん宣言」とは、法人・団体・個人が「難しいことを考えずに」、「自らが取り組む人権課題を宣言」するもののようです。

ところで、この「Myじんけん宣言」ページの法人向けのページをみると、「宣言の内容は自由ですが、世界人権宣言や、「ビジネスと人権に関する国内行動計画」を参考に、宣言を行ってください。」と説明がされており、なぜか日本国憲法については言及されていないことが謎です。

法務省2
そして、この法人向けページの下のほうには世界人権宣言、「ビジネスと人権に関する国内行動計画」、「心のバリアフリー」の3つのページへのリンクが貼られていますが、ここにも日本国憲法へのリンクが貼られていません。法務省としては、「Myじんけん宣言」政策において、日本の法人・団体・個人に日本の最高法規たる日本国憲法の存在を何とか忘れてほしいのでしょうか?

法務省3

さらに、「Myじんけん宣言」ページをみると、上川陽子法務大臣のつぎの「Myじんけん宣言」も掲載されています。

「誰もが人権を尊重し合い、SDGsが掲げる「誰一人取り残さない」社会を実現するためには、 一人一人が人権尊重の意識を持ち、行動する必要があります。」

「多様性を認め、包摂性のある「誰一人取り残さない社会」を目指し、力を合わせて取り組んでまいりましょう。法務大臣 上川陽子」

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この上川大臣の「Myじんけん宣言」も、人権宣言をするはずなのに、日本国憲法は登場せず、そのかわりに「SDGsの掲げる「誰一人取り残さない」社会の実現」というまるで経産省、金融庁、デジタル庁かのような言い回しが登場しています。

法務省が「Myじんけん宣言」政策にあたり、国民の基本的人権を定めた日本国憲法を無視して、SDGsや世界人権宣言、「ビジネスと人権に関する国内行動計画」などを全面に押し出しているのは何故なのでしょうか。

フランス革命・アメリカ独立戦争などの18世紀以降の西側自由主義諸国の「近代」における近代憲法は、国民の基本的人権の条項、国家(統治機構)のしくみに関する条項、そして「国家権力を憲法・法律によって歯止めをかけることにより国民の人権や権利利益を守る」という立憲主義の考え方が取り入れられていることに特色があります。わが国の日本国憲法もこの近代憲法の一つです。

しかし、法務省や政府与党は、このような憲法の基本的人権や立憲主義などの「難しいこと」を国民・法人に忘れてもらって、SDGsなどの経済政策の一環として、ふんわりとした耳触りの良い「じんけん」を、「人間はお互いゆずりあって幸せに生きましょう」的な、マナー道徳的なものにすり替えて日本社会に普及させようとしているのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、日本の現行憲法を含む西側自由主義諸国の近代憲法(あるいはポスト近代憲法)は、「国家権力の暴走を法で防止し、もって国民の権利利益を守る」という立憲主義を原則としています。

つまり近代憲法における基本的人権とは、例えば表現の自由などの精神的自由がそうであるように、まずは国家権力の検閲などの規制により国民の表現の自由・権利が違法・不当に制限されないこと、つまり「国家からの自由」が最も重要です。そして、生存権、教育を受ける権利などの社会権も、国家により国民の社会権がきちんと守られることが重要です。

つまり憲法とは「国家」を名宛人とした法であり、国家に国民の人権を守れと命令する法です。日本国憲法99条は、大臣、国会議員などの公務員に対して憲法尊重擁護義務を課していますが、国民に対してはこの義務を課していないことは、端的にこのことを表しています。
日本国憲法
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

にもかかわらず、法務省の「Myじんけん宣言」は、政府・国会・自治体などが守るべき人権の宣言ではなく、個人・法人に対して「自らが取り組むべき人権の課題」を宣言させる仕組みとなっているのは、国家が国民の人権を守るべきところを、人権の問題を国民同士の問題にすり替えており、これは近代憲法や立憲主義、基本的人権などの基本的な理解を完全に間違っています。

つまり、法務省など政府は、このような国民の憲法や基本的人権の理解を間違った方向にミスリードする「Myじんけん宣言」政策を実施するのではなく、まずは中央官庁が、例えば法務省ならば、「法務省は憲法や法律を遵守し、入管行政や人権擁護行政において、国民や外国人の生命・身体の安全などの基本的人権を守ることを誓います」等と「自省の人権宣言」を制定し公表すべきではないでしょうか。

最近の法務省は入管行政において、収監している外国人の人々を非人道的に扱い、死者も出ていることが国内外からの大きな社会的批判を招いています。上川大臣をはじめとする法務省の役職員達は、「Myじんけん宣言」の前に、まずは日本国憲法の初歩を勉強するべきなのではないでしょうか。

なお最後に、上川大臣の「「多様性を認め、包摂性のある「誰一人取り残さない社会」を目指し、力を合わせて取り組んでまいりましょう。」との「Myじんけん宣言」は、国家が国民の人権を守るのではなく、人権の問題を国民同士の問題にすり替えていることが大問題であるだけでなく、「「誰一人取り残さない社会」へ力を合わせて取り組んでいきましょう」と、日本をはじめとする西側自由主義諸国の近代憲法の原則の一つである「個人主義」でなく、まるで「国家の基礎単位は家族である」とする2012年に公表された自民党憲法改正草案のような集団主義・全体主義・国家主義のような国家観を前提にしているようなことも大いに気になるところです。

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7月23日の東京オリンピック開催まであと3日の20日、菅義偉首相はウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のインタビューで、「東京オリンピックをやめるのは簡単」だが、「挑戦するのが政府の役割だ」と語ったとのことです。
・菅首相「五輪やめるのは簡単」「挑戦するのが政府の役割だ」、WSJに語る|WSJ・Yahoo!ニュース

これまで国会で、「新型コロナの感染拡大のなかの東京オリンピック開催は危険だから中止や延期すべきだ」と何度問われてても、「安心・安全な東京オリンピックを開催する」と主張していた菅首相ですが、開催まで数日ということで、とうとう本音が出たようです。
菅義偉首相はやはりヒトラーと同じ国家主義者・全体主義者・ファシストです。

ヒトラー

「挑戦するのが国家の役割」などと一見かっこいいことを言っていますが、その「国家の挑戦」のために犠牲となるのは、菅首相など政府与党の幹部達の生命や健康ではなく、一般の日本世界国民生命や健康です。

一般の国民の生命・健康を犠牲にして自分の独りよがりな「国家の挑戦」という目的を追求しようとしていますが、これはナチスドイツや現在の中国のような国家主義・全体主義・ファシズムであって、国民の生命・健康や基本的人権の確立が一番重要であるとする、日本の憲法が定める自由主義・民主主義に明確に反しています。

日本は中国・北朝鮮や旧ソ連などの国家主義国・全体主義国と違って、菅首相などの政府与党の幹部が主権者なのではなく、国民が主権者の自由主義・民主主義の国家です(憲法1条)。そして近代民主主義国家においては、国民の命と健康は一番大事なものであり(13条)、国民の命や健康などの基本的人権を守るために国・自治体などの機関は存在します(11条、97条)。

菅首相など政府与党が国民の命や健康を犠牲にして自分達の野心を実現するために権力を行使することは許されません。「日本のコロナの死者が他の国に比べて多い少ない」はこの場合、関係がない問題です。国民はたとえたった一人であっても、個人として尊く、国から個人として尊重される存在なのですから(憲法13条)。国にはたった一人の国民に対しても、生命や健康を守る責務があります(13条、25条など)。

もはや「国家のために国民は犠牲となれ」との本音をさらした菅首相は、日本や世界の国民と、自由主義・民主主義、個人の尊重を掲げる近代立憲主義憲法の敵です。

日本や西側世界の個人・法人は、敵である菅首相ら政府与党から、国民・法人の個人の尊重や基本的人権を守るために、「不断の努力」を行わなければなりません(憲法12条)。

■追記(7月22日)
東京オリンピックの開会式が明日にせまるなか、開会式のディレクターで開会式の演出のトップの元お笑い芸人の小林賢太郎氏が、お笑い芸人時代にナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を笑いの対象としたコントをしていたことに対し、ユダヤ人団体のサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が同氏を非難する声明を公表したことを受け、組織委員会は本日、小林賢太郎氏を解任したとのことです。もはや東京オリンピックは開会を前に、完全にレイムダック、「死に体」の状況に陥っているように思われます。

障害者へのいじめ加害で小山田圭吾氏が辞任となったばかりですが、今度は開会式の演出のトップが、ナチスドイツのユダヤ人大虐殺を笑いの対象としていたことでSWCから非難され解任というのは、もはや東京オリンピックと菅政権は、五輪の開会を前に完全に「死に体」、レイムダックの状況といえます。

■関連する記事
・新型コロナ・尾見会長「五輪何のためにやるのか」発言への丸川五輪大臣の「別の地平の言葉」発言を憲法的に考えた
・障害者へのいじめ加害者の小山田圭吾氏を東京五輪スタッフに留任する五輪組織委員会について考えた-オリンピック憲章
・川渕三郎氏の東京オリンピックに関するツイートが戦時中の政府のように根性論の思考停止でひどい件
・西村大臣の金融機関や酒類販売事業者への要請を行政法から考えた-行政指導の限界

















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東京オリンピックスポンサー車
東京オリンピック・パラリンピック選手村村長で、日本サッカー協会相談役などを務める川渕三郎氏の5月4日の東京オリンピックに関する医師・看護師の募集についての次のようなツイートが炎上しています。

『東京オリパラ開催に向けて組織委員会はじめ多くの関係者が毎日ベストを尽くしている。中止が決定しない限り最大の努力をするのは日本を代表して世界に対応しているのだから当然の話。スポーツドクターや看護師にボランティアの呼びかけをするのもその延長戦上での事。何故この事が批判の対象になるの?』(川渕三郎氏のTwitter( @jtl_President )より)

https://twitter.com/jtl_President/status/1389505969856540673

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(川渕三郎氏のTwitter(@jtl_President)より)

組織やその人間が、目的に向かって一生懸命努力さえしていれば、その目的や努力は常に正当化されると川渕氏は考えているようです。

たしかにスポーツにおいてはそうかもしれません。しかし、世界で今なおコロナが大流行するなかでの東京オリンピック開催の是非は、日本や世界の多くの国民・市民の生命や健康に関わる、重大な公衆衛生上の問題あるいは政治問題です。

スポーツでは判断を誤っても負けるだけで済みますが、東京オリンピックに関して公衆衛生的にあるいは政治的に誤った判断がなされた場合、日本あるいは世界の多くの国民・市民の生命や健康が侵害される危険があります。

世界コロナ感染者の累計は約1億5700万人を超え、世界のコロナによる死者約320万人を超え、国内コロナ感染者の累計は約64万人を超え、国内のコロナによる死者1万人を超えています(2021年5月10日現在。Yahoo!Japanサイトより)。

コロナの世界の発生状況(2021年5月10日現在。Yahoo!Japanサイトより)
コロナ世界の発生状況

コロナの国内の発生状況(2021年5月10日現在。Yahoo!Japanサイトより)
コロナ国内の発生状況

にもかかわらず、川渕氏は、東京オリンピックの問題を、根性論や精神論の問題に矮小化しようとしているようです。また、日本でコロナの第4波が拡大しつつあるにもかかわらず、東京オリンピック開催を強行しようとしている政府・与党も、川渕氏と同様に、思考停止の根性論で物事を進めているように見えます。

しかしそれでは、原爆を2発投下されるまで自分で暴走を止められなかった戦時中全体主義・軍国主義日本政府の思考停止の精神論と、今の日本の政府や五輪組織委員会、IOC・JOC等は思考方法がまったく同じということになります。まさに「オリンピック・ファシズム」と言わざるを得ません。

また、川渕氏はTwitterで、「中止が決定しない限りは、日本を代表して世界を相手に対応しているのだから最大限努力するのは当然」と投稿しています。

「日本を代表して」、「世界を相手にしている」など、大きなモノを持ち出してきて国民に思考停止して賛同するよう求めていますが、日本のオリンピック関係者が「日本を代表して」、「世界を相手」に仕事をするのはその職務上当然のことであり、それと東京オリンピック開催をするか否かは別の問題です。

川渕氏をはじめとする日本のオリンピック関係者や政府は、「日本を代表して」、「世界を相手に」仕事をしている当事者なのですから、「中止の決定がない限りはー」などと他人事のようなことを言って思考停止するのでなく、この世界的なコロナ禍のなかで今夏に東京オリンピックを本当に開催すべきなのか、当事者として今一度検討すべきなのではないでしょうか。

世界的なスポーツの祭典であるオリンピックも、有史以前から継続されてきたわけではなく、近代オリンピックは約120年の歴史があるに過ぎません。中世のペストなど世界史レベルの疫病であるコロナ禍に対して、「昔から4年に1回開催されているから」などとお役所的な思考をするのでなく、オリンピック関係者や各国の政府関係者は現実的な判断をすべきではないでしょうか。

日本政府は、東京オリンピック開催による経済効果を狙っているものと思われますが、金銭的な問題であれば、後からさまざまな方策でリカバリー可能です。しかし、一度失われた人間の生命や健康は後から金銭で回復させることはできません。

オリンピック関係者や政府関係者は、東京オリンピックについて、精神論による思考停止に陥ることなく、今一度よく考えて中止(または延期)をしていただきたいと思います。

■追記(5月10日)
水泳のオリンピック選手の池江璃花子氏のTwitterアカウントが東京オリンピック開催の是非について炎上したことについて、5月7日に池江氏は同アカウント上で、川渕三郎氏と同様に、自分はオリンピックに向けて「努力」しているとした上で、「私個人に批判を当てられるのは苦しいです」とのツイートを行いました。この池江選手の炎上に対しては、ネット上やマスコミにおいては、池江氏に対して同情的な意見が多いようです。

池江るかこツイート
(池江璃花子氏のTwitter(@rikakoikee)より)

https://twitter.com/rikakoikee/status/1390638021943316482

しかし、この池江璃花子氏の主張も、川渕三郎氏と基本的には同じようです。つまり、「自分たちは周囲の期待もあるのでオリンピックに向けて努力をしているのだから、批判するな」という精神論・根性論による思考停止です。

「「努力」さえしていれば人間は批判されない」という子供のような甘えた主張。いつから日本は、こんな仕事のできない新入社員の弁解のような甘えた主張がまかり通る社会になってしまったのでしょうか。およそ人間社会において、「努力」していない人が存在するのでしょうか。会社員も、事業主も、家庭で働く人も、学生や生徒も、病気や障害をもち生きている人も、高齢の方々も、それぞれの自分の人生において日々、努力をしています。

「自分たち選手は周囲の期待のために努力しているのだから、オリンピックには参加だけしてメダル地位名誉を得たい。だけど私個人に批判を当てられるのは苦しいですという虫のよい自分勝手な主張は大人の社会で通用しません。

池江選手は20歳を超えた成人のはずであり、かつ大学生のはずです。20歳を超えた大の大人のであれば、オリンピック選手というオリンピックの「当事者」「主役」として、自分の自己実現だけでなく、この夏の東京オリンピック開催が日本および世界のコロナ禍、日本と世界の約78億人国民・人間の生命・健康にどのような悪影響を与えるか、当事者として自分の頭で今一度真剣に考えるべきです。

金メダル候補のオリンピック選手という当事者中の当事者主役であるならば、真剣に自分の頭で考え判断すべきです。それを「苦しいです」と言って逃げるのは、バッハや組織委員会、日本政府、広告代理店、スポンサー企業などに操られる、ただのマスコミが好みそうな病歴があり、スポーツが得意でルックスがよいだけの「お人形」のやることです。それは自らの意思を持って生きる人間・国民とはとてもいえません。もしそれがそれほど「苦しい」のなら、池江選手は器ではないのでオリンピック選手を早く辞めて、別の人生を送るべきです。

■追記(2021年5月23日)
弁護士で政治家の宇都宮健司氏が、東京オリンピック中止を求めるネット署名を行っています。私も署名しました。
・東京五輪の開催中止を求める署名はこちら | 宇都宮けんじ公式サイト

#東京五輪の開催中止を求めます
#StopTokyoOlympics

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