なか2656のblog

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タグ:全国民の代表

河野太郎Twitterトップ画面
(河野太郎氏のTwitterより)

1.河野太郎大臣がTwitter上で批判的な国民にブロックを多用していることが話題
河野太郎行政改革担当相はTwitterで237万人を超えるフォロワー数がおり、熱狂的な支持層がいる一方で、Twitterブロック機能を多用することでも知られています。河野大臣がTwitterのブロックを多用することについては9月7日に記者会見で記者から質問が出され、河野大臣は「Twitter上でも礼節を求めることは当然」で問題ないとの回答をしたとのことです。(なお、安倍前首相や立憲民主党の蓮舫議員なども、Twitterでブロックを多用することで有名です。)

しかし、アメリカにおいては2019年にトランプ氏Twitter上で批判的なユーザーをブロックすることが争われた裁判において、トランプ氏のブロックは米合衆国憲法の規定する「言論の自由」の侵害であり違憲との興味深い判決が出されているところです。このブログ記事では、政治家がTwitter上でユーザーをブロックすることについて、主に憲法から考えてみたいと思います。
・河野大臣、ツイッターのブロック「問題ない」SNS上でも礼節求める|朝日新聞

2.表現の自由
日本の憲法21条1項は国民の基本的人権として「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」表現の自由を規定しています。この表現の自由は、意見や表現などを表明するだけでなく、情報をコミュニケーションする自由ですので、意見などの情報を受け取る自由、議論をする自由、国民の「知る権利」なども含まれます。

日本国憲法
第21条
第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

この表現の自由は、国民個人が表現活動を通じて自己実現や自己の人格を発展させるという個人的な価値(自己実現の価値があるだけでなく、表現活動によって国民が政治的意思決定に関与するという民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値の二つの価値があり、とりわけ後者の、国民が議論により民主政治に参加するために不可欠な基本的人権であるという、民主主義国家の前提をなす基本的人権として極めて重要な人権です(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』180頁)。

3.プライバシー権・自己決定権・自己情報コントロール権
その一方で、国民個人には、例えば①子どもをもうけるかどうかなど家族のあり方を決める自由、②服装・髪型など身じまいなどのライフスタイルを決める権利、③尊厳死・医療拒否なぞ自分の生命のあり方を決める自由など、個人の人格的な生存にかかわる重要な私的事項を個人が公権力や他人から干渉されずに自律的に決定する自己決定権という基本的人権が存在します。この自己決定権はもともとアメリカの判例で形成された「一人でほっておいてもらう権利」として発展してきたプライバシー権(古典的プライバシー権・狭義のプライバシー権、東京地裁昭和39年9月28日判決・「宴のあと」事件)と並んで形成された、「広義のプライバシー権」とされ、個人の尊重幸福追求権を規定する憲法13条の保障のもとにあるとされています。

この「個人の人格的な生存にかかわる重要な私的事項を個人が公権力や他人から干渉されずに自律的に決定する権利・自由」としての自己決定権には、国民個人が誰と友人・知人や会話や議論の相手となるか/ならないかという他社との私的な関係性を自己決定する権利も含まれるといえるのではないでしょうか。つまり、河野大臣がTwitter上で批判的なユーザーをブロックすることは、自己決定権から一応説明が可能とも考えられます。

4.基本的人権の限界
とはいえ国民の基本的人権も無制限ではありません。憲法12条、13条、22条、29条は、国民の基本的人権は「公共の福祉」により制約を受けることがあると規定していますが、この「公共の福祉」とは、ある個人の基本的人権が他の個人の基本的人権と衝突した際に、その基本的人権を制約し衝突を抑えるものであり(内在的制約)、現代ではこの基本的人権に内在する制約は、上でみた憲法の4つの条文に関する基本的人権だけでなく、すべての基本的人権に該当すると考えられています(芦部・高橋・前掲111頁)。

そのため、河野大臣がTwitterで批判的なユーザーをブロックすることが表現の自由、自己決定権や自己情報コントロール権などに基づく人権であるとしても、それは無制限に許されるわけではなく、他の国民、とくに批判的な国民・ユーザーの表現の自由などとの関係で一定の制約を受けることになります。

5.憲法の私人や民間企業への適用の問題-間接適用説
ところで18世紀以降の西側自由主義諸国の近代憲法における基本的人権は、国家など公権力との関係で国民の人権などの権利・自由を保護することが重視されます(立憲主義)。Twitterは民間企業であるTwitter社が運営するサービスであるため、憲法の人権条項は適用されないのではないか?との問題があり得ます。

しかし現代社会においては大企業などの社会的権力による国民の権利自由の侵害が大きな問題となっています。そのため現代においては、憲法の基本的人権にかかわる条文は、民間企業と国家との関係や、国民の私人同士の関係においても、例えば公序良俗違反や権利の濫用は無効であるとする民法90条、同1条3項などの法律の一般条項の適用において、憲法の人権条項の趣旨を取り込んで法律の解釈・適用を行うという考え方が判例・通説となっています(間接適用説・最高裁昭和56年3月24日判決・日産自動車事件など)。そのため河野大臣のTwitter上のブロックの問題は、やはり憲法の基本的人権の問題でもあるわけです。

6.トランプ前アメリカ大統領のTwitter上のブロックに関するアメリカの裁判例
この点、アメリカでは、2019年に当時のアメリカ大統領ドナルド・トランプ氏Twitter上で批判的なユーザーをブロックすることは米合衆国憲法修正1条の定める「言論の自由」の侵害であり違憲であるとの2018年の第一審判決(ニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所)を支持した興味深い連邦巡回控訴審判決が出されています(米連邦第2巡回控訴審2019年7月9日判決)。
・Twitterでのトランプ大統領の批判ブロックは違憲--米裁判所|C-NET Japan

このC-NET Japanの報道によると、大統領にブロックされた複数のTwitterユーザーを代表してコロンビア大学のナイト憲法修正第1条研究所がトランプ大統領に対して提起したこの裁判では、同研究所は、トランプ氏がユーザーをブロックする行為について、「指定されたパブリック・フォーラム」への参加に対して、違憲状態の制限を強要するものだ」と主張したとのことです。

これに対して2019年7月9日の米連邦第2巡回区控訴裁判所は、「米憲法修正第1条は、あらゆる種類の公的目的にソーシャルメディアアカウントを利用する政治家・官僚は、開かれたオンライン上の会話となるはずの場から、政治家・官僚が同意しない意見を表明したからという理由で、ユーザーを排除することを許可しない」として、トランプ氏のTwitter上の反対派ユーザーのブロックは米合衆国憲法修正1条の言論の自由に反して違憲であるとし、第一審判決を支持する興味深い判決を出しています。

アメリカ合衆国憲法
修正第1条(信教・言論・出版・集会の自由、請願権)
連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、 ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。

7.「パブリック・フォーラム」論
ここで登場するパブリック・フォーラムとは、道路・広場・公園などのように、交通や憩いの場というだけでなく、人々が自由に交流し会話や表現などを行う場所のことです。表現のためにはこのような表現の空間の確保は不可欠であり、このような場所を、その場所・施設などの管理者の管理権などを理由に安易に国民の利用を制限することは、表現の自由への規制につながります。

この点、アメリカの判例は、政府の所有・管理する施設①道路・広場・公園などの「伝統的なパブリック・フォーラム」②表現のために特に設置された公会堂等の「指定されたパブリック・フォーラム」③上記いずれにも該当しない場所である「非パブリック・フォーラム」、の3つに分類しています。

そしてアメリカの判例は、①の「伝統的なパブリック・フォーラム」における表現の自由の法律などによる規制・制限は裁判所の厳格な審査が適用され、②の「指定されたパブリック・フォーラム」については設置・維持については管理者の裁量であるが、設置した場合には①の伝統的なパブリック・フォーラムと同様に裁判所の厳格な審査が適用されるとしています。また、③の「非パブリック・フォーラム」については国民の表現のために利用させるか否かは管理者の裁量であるが、しかしその「見解」や表現内容による差別を管理者はしてはならないとアメリカの判例はしています。

さらに、例えば自治体の掲示板や広報誌などのコラム欄を市民に開放する場合などは、当該場所・空間は「指定されたパブリック・フォーラム」に該当すると解されています(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第5版』252頁)。

トランプ氏のTwitterのブロックに関する本判決は、本来は政府の施設などに関するパブリック・フォーラム論を民間企業であるTwitter社に援用し、政治家・官僚などが「あらゆる種類の公的目的にソーシャルメディアアカウントを利用する」場合には、当該SNSのアカウントは「開かれたオンライン上の会話の場」(パブリック・フォーラム)となり、「政治家・官僚が同意しない意見を表明したからという理由で、ユーザーを排除すること」つまり政治家・官僚SNSにおける「ブロック」は、憲米合衆国憲法修正1条の「言論の自由」を侵害する違憲なものであると判断したものであり、非常に画期的な判決であるといえます。

(なお、このアメリカのトランプ氏の裁判は、米合衆国最高裁判所において、トランプ氏が2021年に大統領でなくなったことを受けて訴えの利益が失われたとして却下されています。)

この表現の自由に関するパブリック・フォーラム論は、日本でも京王電鉄の吉祥寺駅構内において、京王電鉄の許可なしに市民がビラ配布などを行った表現行為が鉄道営業法35条(無許可の演説)、刑法130条(不退去罪)に該当するか否かが争われた事件において、1984年の最高裁判決は憲法21条1項の表現の自由も無制約ではないとして当該市民への鉄道営業法、刑法の適用を認めたものの、伊藤正己裁判官補足意見においてパブリック・フォーラム論に言及したことが大いに社会的注目を集めました(最高裁昭和59年12月18日判決)。

すなわち、伊藤裁判官の補足意見はつぎのように述べています。

「道路、公園、広場などの「一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくなく…これを「パブリック・フォーラム」と呼ぶことができよう。このパブリック・フォーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるを得ないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要がある。」

もとより、道路のような公共用物と…(私鉄の鉄道会社の敷地などの)私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあっても、パブリック・フォーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、…前述の考量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうる。

このように、アメリカの判例のパブリック・フォーラム論は、政府・公的機関の所有・管理する場所での表現の自由に関するものであるのに対して、日本の伊藤裁判官の補足意見のパブリック・フォーラム論は、国・自治体や公的機関の所有・管理する場所であるかどうかではなく、表現が行われる場所・空間が「公開された場所・空間」かどうかという性質に着目し、表現の自由や集会の自由の制約に関する比較衡量を行おうとしている点に大きな意義があるといえます(平地秀哉「駅構内でのビラ配布と表現の自由」『憲法判例百選Ⅰ 第7版』126頁)。

·この伊藤裁判官のパブリック・フォーラム論は、京都府の勤労会館における集会の自由が争われた京都地裁平成2年2月20日判決(京都府勤労会館事件)でも採用され、その後、同じく公民館における集会の自由に関する泉佐野市民会館事件(最高裁平成7年3月7日判決)上尾市福祉会館事件(最高裁平成8年3月15日判決)や、公共施設だけでなく民間企業のホテルにおける集会の自由に関するプリンスホテル日教組会場使用拒否事件(東京高裁平成22年11月25日判決)など、公的施設だけでなく民間の私的な開かれた場所・空間における集会の自由・表現の自由をできるだけ保障しようとする日本の判例のスタンスに受け継がれています(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』365頁、367頁)。

8.まとめ
このような日本やアメリカの憲法、とくにアメリカのトランプ氏のTwitterのブロックに関する控訴審判決などを見てみると、もし日本でも河野太郎大臣などに対してブロックされたユーザー・国民から同様の訴訟が裁判所に提起された場合に、日本の裁判所がどのような判断を行うのか多いに気になるところです。

従来、パブリック・フォーラム論については政府・公的機関の施設・場所などを対象にしてきたアメリカの裁判所ですら、Twitter社などの民間企業のSNSにおける政治家・官僚のアカウントについてはパブリック・フォーラムに該当するとして、政治家・官僚が反対派のユーザーのブロックを表現の自由の侵害で違憲との判断をしたのであり、パブリック・フォーラム論について政府・公的機関の施設・場所なのか民間の施設・場所なのかの違いを重視せず、公開された場所における表現の自由などを保障しようとする日本の裁判所では、より河野大臣などに不利な判決がでる可能性も無きにしもあらずなのではないでしょうか。

上でも見たように、表現の自由、言論の自由は憲法が保障する基本権人権のなかでも、国民が政治に参画するための前提の人権という点で、民主主義国家において特に重要な人権です。そして、河野太郎氏は行政のトップの内閣の大臣であり、河野氏のTwitterアカウントは国民に開かれた議論の場であるだけでなく、行政や政治に関する国民の「知る権利」からも極めて重要な場所・空間であるからです。

日本の憲法や情報法などに関する法律学の学者や法律家の先生方や、SNSの運営などを行うIT企業の実務家の方々、政治家・官僚などの方々などの、今後のこの問題に関するご見解・コメントなどにも大いに注目したいと思います。

■追記(9月9日)
このブログ記事に対しては、情報法、知的財産権法やITがご専門の弁護士の足立昌聰先生(@MasatoshiAdachi)などから、民間企業であるTwitterなどSNSにおける表現の自由の問題の難しさなどに関して、8日夜に貴重なご教示・ご感想をいただきました。足立先生、誠にありがとうございました。

トランプ氏とSNSの問題に関しては、2021年1月の米議会襲撃事件を受けて、TwitterやFacebookなどは相次いでトランプ氏のアカウントをBANして永久追放としました。このようなSNS各社の動きに対しては、ドイツのメルケル首相が「表現の自由はとても重要で、それを規制できるのは議会の立法だ。」と述べたことが社会的に注目されました。

・メルケル独首相のツイッター社等のトランプ氏追放への「苦言」を考える-表現の自由・憲法の構造

Twitterなど民間企業であるSNSにおける表現の自由、情報社会におけるSNSと政治の問題などは、今日的な非常に難しい問題であると思われます。

■追記(9月15日・河野大臣のTwitter上のブロックを憲法の統治の部分から考える)
ネット上で、この私のブログについて、ある方より、「憲法43条1項など、憲法の統治の部分からもこの問題を論じてみては」との貴重なご指摘をいただきました。

憲法の統治の部分から考えても、河野大臣は衆議院議員でもありますが、国会議員は「全国民の代表」です(憲法43条1項)。つまり選挙で当選して一度国会議員になったのであれば、支持者達の意見ばかりでなく、反対派や批判的な国民の意見にも十分耳を傾け、国会議員として少数意見にも配慮した熟議を行い、全国民のためになるような国会議員としての活動を行わなければなりません。そのため、河野大臣が大臣としてTwitter社から公認マークを受けているTwitterアカウントにおいて、自分に批判的な意見の国民を大量にブロックすることは憲法43条1項の「全国民の代表」にも違反しています。

また、河野大臣は大臣ですので公務員ですが、「すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」憲法15条2項、国家公務員法96条1項)と規定されているとおり、その公務には公平性・中立性が憲法レベルで要求されるので、河野大臣が大臣としてのTwitterアカウントにおいて批判的意見の国民を大量にブロックすることは、これも大臣としての公務に要求される公平性・中立性を遵守しておらず、自身の支持者の国民に対してのみ「一部の奉仕者」として職務を行っているものであり、これも憲法15条2項、国家公務員法96条1項に違反しているものと思われます。

このように、河野大臣がTwitterで自身に批判的な国民を大量にブロックしていることは、憲法43条1項、15条2項に違反しているなど、日本国憲法の統治に関する部分からも大きな問題をはらんでいるといえます。

■追記(2024年3月18日)
この問題に関連して興味深い記事に接しました。
・「政治家がソーシャルメディアで一般人をブロックすると違憲になる可能性がある」と合衆国最高裁判所が認める|Gigazin
・公務員のSNSブロック「違憲可能性」 コメント制限巡り、米最高裁|毎日新聞

この記事によると、アメリカの連邦最高裁が、公務員による市民に対するSNS上のブロックについて違憲となる可能性があることを認めたとのことです。

アカウントが「特定の問題について国家を代表して発言する実際の権限」を有しており、「ソーシャルメディアに投稿する際にその権限を行使すると主張している場合」に、一般ユーザーのブロックが違憲になる可能性があるとされています。これらの権限やその行使が明文化されていなくても、「ソーシャルメディアアカウントが自治体や省庁のオフィスによって管理されている場合」「政府職員が代理として政治家個人のアカウントに投稿している場合」「任期が終了した時にアカウントが別の役人に引き継がれている場合」など、国家の代表としての実態があれば公的なアカウントとして認められる可能性があるそうです。
(「「政治家がソーシャルメディアで一般人をブロックすると違憲になる可能性がある」と合衆国最高裁判所が認める」Gigazinより)

もし河野太郎氏がアメリカの政治家であったら、この連邦最高裁判決に照らすと、河野氏のSNS上の一般人のブロックはやはり憲法違反の可能性があるのかもしれません。

■関連する記事
・「幸福追求権は基本的人権ではない」/香川県ゲーム規制条例訴訟の香川県側の主張が憲法的にひどいことを考えた
・東京医科大学の一般入試で不正な女性差別が発覚-憲法14条、26条、日産自動車事件
・懐風館高校の頭髪黒染め訴訟についてー校則と憲法13条・自己決定権
・コロナ下のテレワーク等におけるPCなどを利用した従業員のモニタリング・監視を考えた(追記あり)-個人情報・プライバシー・労働法・GDPR・プロファイリング
・欧州の情報自己決定権・コンピュータ基本権と日米の自己情報コントロール権

■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』111頁、180頁
・高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第5版』252頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』365頁、367頁
・山本龍彦・横大道聡『憲法学の現在地』139頁
・安西文雄・巻美矢紀・宍戸常寿『憲法学読本』93頁
・平地秀哉「駅構内でのビラ配布と表現の自由」『憲法判例百選Ⅰ 第7版』126頁



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(「ゲリマンダー」Wikipediaより)

1.「合区解消」のための公選法改正が成立
参院の“合区問題”解消のための公選法改正法が本年7月18日に衆議院で成立しました。この改正は、比例代表の定員を96から100にして、比例代表には拘束名簿式の「特定枠」を新設するものです。特定枠は政党が決めた順位に従って当選者が決まる拘束名簿式を一部に導入できるようにしたものであり、自民党は特定枠の新設で、隣接県を1つの選挙区にした「合区」の対象県から出馬できない候補者を救済することを目的としています。 (「参院6増法が成立 来夏から適用 比例代表に「特定枠」」日経新聞2018年7月19日付)

今回の制度改正については、「あまりに党利党略」という批判が野党だけでなく与党の一部や有識者から出されています。このように選挙制度を与党が自党に有利に設定することは、歴史的・政治学的にも「ゲリマンダー」との呼称で批判されているところでありますが、憲法学的にはどのように考えるべきでしょうか。

2.選挙権の要件
国民の国政選挙の選挙権については、つぎの5つの要件を満たす必要があります。すなわち、①普通選挙(憲法15条3項)、②平等選挙(同14条1項、44条)、④秘密選挙(同15条4項)、の4つです。また、衆議院・参議院の国会議員はともに「全国民の代表」(同43条1項)です。

この4つの要件のなかで、今回の「合区解消」については、とくに平等選挙(同14条1項、44条)の要件とともに、参議院議員も「全国民の代表」(同43条)であることが問題となると思われます。

3.平等原則
わが国の憲法が自由を認め、経済的自由主義と民主主義によって立つ近代憲法の一つであることは、平等をその枠のなかでとらえることを要請するものです。そのため、自由主義諸国における近代立憲主義の平等が、特権の廃止、身分による差別の禁止、市民社会への自由で平等な立場からの参加を考えるものであったことから、その基本は、まずは形式的平等(=機会の平等)であり、実質的平等(=結果の平等)ではないとされています(上野妙実子・石村修など『基本法コンメンタール憲法 第5版』92頁)。選挙における平等は、この憲法14条が要請する形式的平等の典型例であるため、選挙における平等原則は憲法上強く要請されるものです。

この点、学説からは、参議院と衆議院との二院制を採用しながら、この両院に際立った違いが憲法上設定されていないのに、参議院に対しては投票価値(=一票の価値)の平等の要請が甘いということは、国会議員選挙が唯一の国政の方向性を定めるという観点から納得しがたいとの批判がなされています(上野・前掲97頁)。

4.参議院選挙に関する最高裁判決の変遷
この点、初期の最高裁は、参議院選挙について、その半数改選制(同46条)および地域代表的性質などに「特殊性」を見出し、「投票価値の平等の要求は、人口比例主義を基本とする選挙制度の場合と比較して一定の譲歩を免れない」と判断しました(最高裁昭和58年4月27日判決)。

しかしその後、最高裁は、2010年7月に行われた参議院議員選挙(最大格差5.0)について、“違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態が生じていた”とし、また、“都道府県を単位として各選挙区の定員を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるべき”などと現行の選挙制度の立法的対応を求める判決を出すに至りました(最高裁平成24年10月17日判決、最高裁平成26年11月26日判決)。

このような最高裁判決を受けて、国会は平成27年に公職選挙法の一部改正を行い、4県の2つの選挙区の合区(島根県+鳥取県、徳島県+高知県)の改正を行いました(長谷部恭男『憲法 第7版』179頁)。

ところが本年7月に、国会は学説や最高裁判決の時代の流れに逆行する合区解消の公選法改正を行ってしまいました。

5.本年7月の合区解消のための公選法改正について考える
本年7月の合区解消のための公選法改正においては、比例代表選挙の部分において「特定枠」が設けられました。参院選挙前に各政党は特定枠に登録する候補を自由に設定できます。そして、比例選挙部分において、特定枠に登録された候補者は優先的に当選となるという仕組みです。政府・与党はこの特定枠に合区で立候補できなかった候補者を登録する方針とのことです。

しかしこのように制度改正を行ってしまうと、例えば自民党の比例区の候補者の中においても、特定枠と非特定枠の候補者との間で、当選しやすさの点で平等原則が破られています。特定枠の候補者を擁する地区の国民・住民とそうでない地区の国民・住民との間でも平等原則が破られます。また、現在のように自民党が圧倒的に優位であるわが国で、このように技巧的な選挙制度を設定することは、極めて「ゲリマンダー」なやり口であると考えられます。憲法14条、44条との関係で違憲のおそれのある法改正であると思われます。

また、憲法43条は国会議員は「全国民の代表」と定めるところ、参議院議員も地域の利益の代表者ではなく、いったん国会議員となったからには、国民全体・国全体のことを考える代表(社会学的代表)となると考えられます。平成24年・26年の最高裁判決もこの考え方に立ち、選挙制度の立法的措置を求めていると思われ、この点も今回の公選法改正は違憲のおそれがあります。政府・与党は都道府県による選挙区割りにこだわらない選挙制度を検討すべきです。

なお、自民党はこの合区解消を憲法的に合憲とするために、憲法47条を改正する意向のようです。しかし、上でみたように憲法14条の平等原則の形式的平等に抵触するような憲法改正は、仮に成立したとしても、「憲法改正の限界」の問題に衝突するものと思われます。

■参考文献
・上野妙実子・石村修など『基本法コンメンタール憲法 第5版』92頁、96頁、97頁、270頁
・長谷部恭男『憲法 第7版』179頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』303頁

憲法 (新法学ライブラリ)

憲法1 第5版

新基本法コンメンタール憲法―平成22年までの法改正に対応 (別冊法学セミナー no. 210)

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