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とある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

タグ:刑法

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1.阿武町4630万円誤振込事件の代理人弁護士が記者会見で無罪を主張
2022年5月に、山口県阿武町が国の新型コロナに関する臨時特別給付金4630万円を同町の24歳の男性の銀行口座に誤って振込み、男性が当該金銭をネットバンキングで複数のオンラインカジノの決済代行業者に振込んだ事件については、9月22日に男性が阿武町に解決金約340万円を支払うことで民事裁判上の和解が成立しました。

また、阿武町は男性を電子計算機使用詐欺罪で刑事告訴しているところ、10月に初公判が行われることを受けて、男性の弁護人の山田大輔弁護士が9月29日に記者会見を行い、「男性は無罪である」との訴訟方針を明らかにしたとのことです。

・4630万円誤振込・弁護士が会見で無罪主張「事実はあったが、違法ではない」|テレビ山口

本事件は4630万円もの金銭を町役場から誤振込で受け取った男性が、それを奇禍として当該金銭をオンラインカジノに使ってしまい、非常に大きな社会的非難を招きました。たしかにこの男性のふるまいは道徳的に問題であると思われますが、しかしこの男性の行為は電子計算機使用詐欺罪などの刑罰の適用が妥当といえるのでしょうか?

結論を先取りすると、本事件で電子計算機使用詐欺罪は成立しないと思われます。以下見てみたいと思います。

2.電子計算機使用詐欺罪
刑法
(電子計算機使用詐欺)
第246条の2 前条に規定するもののほか、人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作り、又は財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供して、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者は、十年以下の懲役に処する。

(1)行為
本事件が問題となる電子計算機使用罪(刑法246条の2)の前段部分は、銀行等のコンピュータに「虚偽の情報」または「不正な指令」を与えて「財産権の得喪もしくは変更に係る不実の電磁的記録」を作成し、これによって自己または第三者に財産上の利益を得せしめる行為です。

ここでいう「不実の電磁的記録」とは、銀行等の顧客元帳ファイルにおける預金残高記録などが該当するとされています。「不正な指令」とは改変されたプログラムなどを指します。

(2)「虚偽の情報」
またここでいう「虚偽の情報」とは、銀行等のコンピュータ・システムにおいて予定されている事務処理の目的に照らしその内容が真実に反する情報をいうとされています。言い換えれば、入金等の入力処理の原因となる経済的・資金的な実態を伴わないか、それに符合しない情報を指します(園田寿「誤入金4630万円を使い込み それでも罪に問うのは極めて難しい」論座・朝日新聞2022年5月26日)。例えば架空の入金データの入力等がこれに該当します。

一方、銀行等の役職員が金融機関名義で不良貸付のためにコンピュータ端末を操作して貸付先の口座へ貸付金を入金処理するなどの行為は本罪にあたりません。

なぜなら、たとえこのような行為が背任罪になりうるとしても、貸付行為自体は民事法上は有効とされる結果、電子計算機に与えられた情報も虚偽のものとはいえず、作出された電磁的記録も不実のものとはいえないからです(東京高裁平成5年6月29日・神田信金事件、西田典之・橋爪隆補訂『刑法各論第7版』235頁)。

同様に、インターネット・バンキング等を利用した架空の振替送金データの入力は「虚偽の情報」に該当し、その結果改変された銀行等の顧客元帳ファイル上の口座残高記録は「不実の電磁的記録」にあたり本罪が成立することになります。あるいはネット・バンキングの他人のID番号とパスワードを無断で利用し銀行等の顧客元帳ファイル上のデータを変化させ、自らの利用代金などの請求を免れる行為も本罪が成立します。(西田・前掲236頁)

3.本事件の検討
ここで本事件をみると、誤振込であるとはいえ、阿武町から本件の男性に4630万円は民事上有効に振込まれ、男性の銀行口座には4630万円が有効に存在します(ただし民事上の不当利得返還請求の問題が発生する(民法703条、704条)。)。

そして男性はその自らの銀行口座の4630万円の金銭に対して、ネットバンキングから複数のオンラインカジノの決済代行業者の口座に振込の入力を行っています。この男性の振込入力は原因関係として民事上有効に存在する金銭に対するものであり、また他人のIDやパスワードを入力などしているわけではなく、さらに不正なコンピュータ・プログラムをネット・バンキングのシステムに導入している等の事情もないので、2.(2)の金融機関の不良貸付の事例と同様に、電子計算機使用詐欺罪は成立しないことになると考えられます。

したがって、本事件の男性の代理人の山田弁護士の「無罪である」との訴訟方針は正しいと思われます。

4.まとめ
このように本事件では電子計算機使用詐欺罪は成立せず、男性は無罪になる可能性が高いと思われます。たしかにこの男性の行為は道徳的には問題でありますが、この問題に関しては民事上、不当利得返還請求権が阿武町には発生し、民事上解決が可能です。現に本事件は9月に裁判上の和解が成立しています。それをさらに刑法をもってこの男性を処罰するというのは、刑罰の謙抑性や「法律なくして刑罰なし」の罪刑法定主義(憲法31条、39条)の観点からも妥当でないと思われます。

本事件は報道によると、阿武町の町役場では職員がコロナの臨時特別給付金の振込の事務作業をたった一人で行っていたことがこの4630万円もの巨額の誤振込につながったとのことであり、むしろ町役場の給付金支払いの事務作業を適切に行う体制整備を怠っていた阿武町役場の幹部や花田憲彦町長などの方こそ大きな社会的責任・政治的責任を負うべきなのではないでしょうか。

とはいえ、銀行や保険などの金融機関や行政機関などにおいて誤振込、誤払いは残念ながら多く発生しているところ、そのような誤振込を受けた人間がその金銭をネットバンキングなどで使用してしまったような場合に電子計算機使用詐欺罪は成立するのかという本事件の事例は先例となる裁判例がないようであり、本事件について裁判所が司法判断を示すことは、金融機関などの実務上、非常に有益であると思われます。

■参考文献
・西田典之・橋爪隆『刑法各論 第7版』233頁
・大塚裕史・十河太郎・塩谷毅・豊田兼彦『基本刑法Ⅱ各論 第2版』263頁
・畑中龍太郎・中務嗣治郎・神田秀樹・深山卓也「振込の誤入金と預金の成立」『銀行窓口の法務対策4500講Ⅰ』957頁
・園田寿「誤入金4630万円を使い込み それでも罪に問うのは極めて難しい」論座・朝日新聞2022年5月26日



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1.茨城県のコロナ接触確認システムに県民の登録が法的義務化!?
新聞報道などによると、茨城県は新型コロナに関する県独自の感染確認システム(「いばらきアマビエちゃん」)において、同県の事業者・店舗だけでなく、県民に対しても条例を制定し同システムへの登録を法的義務とする方針であるとのことです。住民・国民への法的義務付けはわが国初だそうです。
・【8月18日発表】「茨城県新型コロナウイルス感染症の発生の予防又はまん延の防止と社会経済活動との両立を図るための措置を定める条例」案について|茨城県
・「いばらきアマビエちゃん」について|茨城県

そこで、茨城県サイトをみると、同システムは個人のスマホ側でなく茨城県のシステム側に個人のメルアドを集めて管理する中央集権型システムのようです。

ところで、県サイトのQAをみると、「氏名、住所などは収集しない。」「位置情報は収集しない」となっています。

しかし、◯月◯日に登録した個人がどの企業・店舗にいたかとの位置情報は県システムは把握してるはずだが…?そうでないと通知のメールを登録をした県民に送れなくなってしまいます。

また、県サイト上の同条例案の説明資料を読むと、県民側の権利利益としては、「コロナ差別が問題となるが、それは本条例案で『コロナ差別禁止』条項を盛り込むので問題ない」、という整理になっているようです。県民の個人情報保護やプライバシー権・自己決定権などはスルーなのでしょうか…?

この点はまさか、茨城県としては、「氏名、住所などを県民に入力させていないから『個人情報』は収集していない。」という化石のような理解なのでしょうか!?もしそうなら唖然としてしまいますが。

世界の自由主義諸国の18世紀以降の近代憲法は、自由主義つまり国民の自由を最大限尊重することを理念とするものです。そして、国民の個人情報保護やプライバシー権・自己決定権は国民の精神的な人権の根本にかかわる基本的人権の問題です。とくに傷病に係る情報はセンシティブな個人情報です。

とはいえコロナの感染拡大は世界的に非常に深刻な問題です。そのため、両者のバランスをとるために、WHOなどは、”原則、コロナの接触確認アプリ等は、国が開発・運営し、インストールや利用はそれぞれの国民の任意に委ねるべき”との見解を出しており、また、それを受ける形で、GoogleやAppleもほぼ同様の考え方のもとに接触確認アプリのプラットフォームを提供しています。

県独自の取り組みとはいえ、茨城県も接触確認アプリ類似の制度として本システムを開発・運用しているのですから、本システムを開発・運用する上では、県民の個人情報やプライバシーについて十分検討を行った上で開発・運用を実施すべきです。

にもかかわらず、少なくとも県サイトに掲載されている資料上からは、そのような検討がまったくないままに県民への本システムへの強制が条例化されることには、大きな違和感があります。

2.県民の協力義務
また、本条例案は、「県民の協力義務」という条項がギラギラしています。感染や濃厚接触が県にばれたら、県職員などが県民の居宅や勤務先に乗り込んできて、身柄確保の上での取り調べや捜査・押収を始めるのでしょうか?

それはさすがに、憲法の定める令状主義(憲法31条、35条)や強制処分法定主義などの刑事訴訟法等に反してないかと不安になります。

戦前の治安維持法のようなノリと空気を感じますが、茨城県はいろいろと大丈夫なのでしょうか?


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2020年個人情報保護法改正と実務対応

ニッポンの個人情報 「個人を特定する情報が個人情報である」と信じているすべての方へ

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1.はじめに
7月6日にオウム真理教の松本死刑囚ら7人の死刑が執行されました。これに対して、ネット上では死刑制度を廃止すべきとの意見が思いのほか出されているように思います。私自身は死刑制度を存置すべきと考えていますが、最近、廃止すべきとのお考えの方とやりとりをしたので、簡単に要点をまとめてみたいと思います。

2.憲法から考える
憲法36条は、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と規定しています。そこで、死刑が憲法36条の禁止する「残虐な刑罰」に該当するか否かが問題となります。

この点、判例は、「残虐な刑罰」とは「不必要な精神的、肉体的苦痛を内容とする人道上残酷と認められる刑罰」であるとし、また、憲法には刑罰として死刑の存在を是認する条文があること(憲法13条後段「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」、憲法31条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」)ことを指摘しています。

そして、刑の執行方法が火あぶり、はりつけなど「その時代と環境において人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合」はさておき、現行の絞首刑による死刑そのものは残虐な刑罰に該当せず合憲としています。

加えて、この判例は、「死刑の威力によって一般予防をなし、死刑の執行によって特殊な社会悪の根源を断ち、これをもって社会を防衛せんとしたもの」という死刑の機能を重視しています(最高裁昭和23年3月12日大法廷判決)。(なお、「一般予防」とは社会の一般人が犯罪を侵すことを思いとどまらせる刑法の機能のことであり、「特別予防」とは犯罪を侵した者が再び犯罪を侵さないようにする機能のことです。)

このように、判例は死刑制度を肯定しています。

3.刑法から考える
(1)反対派・存置派のそれぞれの見解
刑法からは、死刑制度存置への賛否の見解はつぎのように分かれます。

死刑制度存廃の論点整理

(2)争点①国が犯人を殺してよいのかについて
たしかに現行憲法は他の自由主義国同様に国民の基本的人権の尊重を究極の目的とし、国家はそれを実現するための手段であるという構造をとっており、国民の生命・身体や人権は最大限尊重されるべきです(憲法11条、13条、97条など参照)。しかし、国民の人権は無制限ではなく、公共の福祉という制約に服します(憲法12条、13条など)。

また、現代の刑法は、刑罰の本質を「目には目を歯には歯を」の応報刑(正義)とする古典学派と、目的刑(一般予防・特別予防)を刑罰の本質とする近代学派の折衷であり、他人の生命を奪うという殺人などを侵した犯人には応報刑として死刑が科せられるべきです。

しかし、犯罪被害者・遺族や一般国民が正義を求めて犯人を勝手に殺害することは、自力救済の禁止という近代の法治国家の大原則に反するだけでなく、遺族や一般国民が今度は加害者として罪を問われる事態になってしまいます。

そのため、国民の人権や福祉に奉仕すべき存在である国が、遺族や一般国民に代わって死刑を執行すべきであると考えられます。

(3)争点②死刑の効果について
たしかに死刑の一般予防(=一般国民への抑止効果)については効果がない・効果が薄いと批判が多いところです。

しかし死刑の特別予防(=犯人本人への抑止効果)として、当該犯人を死刑により殺害し、わが国の社会から排除することにより、社会の安全を保つ効果はあるといえます。例えば、犯人が最初に母親を殺害したものの少年法により死刑にならず、その後、他人の女性2名を殺害した大阪姉妹殺害事件・山口母親殺害事件(大阪地裁平成18年12月13日判決)などは、最初の犯罪の時点で犯人を死刑にできていれば、後の2名の人命は害されずに済んだ典型例であると思われます。

また、死刑存置派が指摘するとおり、わが国の世論調査においては、死刑存置の意見は増加しつつあり、平成26年の内閣府の世論調査においては、「死刑はやむを得ない」と考える国民は80.3%に達し、「死刑は廃止すべき」という国民は9.7%に過ぎません。

内閣府死刑存廃世論調査平成23年
(内閣府サイトより)

・死刑制度に関する意識|内閣府

わが国が国民主権国家である以上は、主権者たる国民の8割以上が死刑制度の存置を望んでいることを軽視すべきではないでしょう。

(4)争点④誤判の問題
これも死刑存置派の主張が正しいように思われます。国民の生命・身体・財産に対して重大な侵害を伴う判断・処分を国・自治体などは日々行っています。そして神でない人間が行うそのような処分は間違いがどうしても発生します。例えば、ある国民に対して生活保護の支給を開始する、あるいは停止する、ある国民に障害年金の支給を開始する、あるいは停止する、ある地方の村を潰して大規模なダムを造る、等々、国民の生命や人生に重大な影響を与える判断や処分を日々、国家権力は行っています。そして間違いも発生してしまっています。

にもかかわらず、もし死刑廃止派のいうように、ある国民の生命に重大な影響を与える判断や処分をやめろというのなら、現代の福祉国家のわが国社会において、国・自治体などがストップすることにより、わが国の社会は近代以前の原始時代に戻ってしまうのではないでしょうか。死刑廃止派の主張は現実的とは思えません。

4.まとめ
このように、死刑制度の存廃に関しては、私は存置すべきと考えます。私もかつては漠然と死刑制度廃止派だったのですが、約20年前の一連のオウム真理教の事件で考えを改めました。

なお、死刑存置の考え方にたつとしても、死刑執行の方法については、時代の時流に応じて改正すべきと考えます。廃止派が主張するとおり、残虐な刑罰は憲法が禁止するところですので、例えば薬物を死刑囚に投与するなど、より苦痛の少ない方法で死刑を執行する手法は検討されるべきと思われます。

また、死刑判決が出た死刑囚を5年も10年も重度の精神的苦痛を強いながら拘置所で生き永らえさせることはまさに「残虐な刑罰」に該当してしまうので、裁判で死刑が確定した場合、法務省は速やかに当該死刑囚に死刑を執行すべきです。何年間もかけて「明日死刑執行かもしれない」と重度の精神的苦痛を与えることは刑法の定める死刑の趣旨ではありません。

さらに、冤罪が発生してはならないことは当然なので、警察・検察の業務のレベルアップや取り調べの可視化、GPS捜査など科学的捜査の手続きの法制化などの推進が望まれます。

■追記
先日、この話題につきある医者の方と会話をする機会がありました。アメリカの処刑方法は注射により筋弛緩剤を死刑囚に投与するものであり、処刑時には死刑囚は心臓と肺が停止し激しい苦痛を感じるのに対して、日本のような絞首刑は、頸椎を引き抜くのでそれほど苦痛はないとのことでした。死後の遺体が痙攣する等して、一見、日本の処刑方法が”残虐”なようですが、死刑囚の苦痛という点では、アメリカの方式のほうが”残虐”であるそうです。

■参考文献
・大塚裕史・十河太朗など『基本刑法Ⅰ総論 第2版』424頁
・大塚仁『刑法概説(総論) 第4版』519頁
・芦部信喜『憲法 第6版』254頁
・中村英『憲法判例百選Ⅱ 第6版』260頁

基本刑法I―総論[第2版]

憲法 第六版

死刑廃止論

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