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アメリカ・日本のプライバシーに関する自己情報コントロール権に対応する欧州の「情報自己決定権」は、アメリカで生まれた自己情報コントロール権をもとにドイツの1983年の国勢調査判決で「新しい基本権」(新しい人権)として生まれました(国勢調査法違憲判決・1983年12月15日連邦憲法裁判所第1法定判決・BVerfGE 65,1, Urteil v.15.12.1983)。
このブログ記事では、国勢調査事件判決と欧州の情報自己決定権、日本の自己情報コントロール権の発展と、これらの権利への高木浩光先生の批判などについて簡単に説明したいと思います。
1.ドイツ国勢調査事件の事案の概要
ドイツの1982年の国勢調査法に基づき、1983年4月に実施が予定されていた人口、職業、住宅、事業所の国勢調査について、原告は、国勢調査法は西ドイツ基本法1条1項(人間の尊厳)に関連づけられた2条1項(人格の自由な発展の権利)などの基本権(人権)を侵害しているとして、連邦憲法裁判所に対して憲法異議の申し立てを行った。
主な争点となった、国勢調査法9条は、国勢調査の調査事項の利用について規定していたが、同法9条1項は届出記録簿(=日本の住民票に相当する)との照合を認め、同法同条2項は連邦およびラント(州)の所管の最上級行政庁への提供を可能とし、同法同条3項は一定の行政執行上の利用目的のために市町村等の利用を認める規定となっていた。
これに対して連邦憲法裁判所は、1983年12月15日に本判決を出した。
2.判旨
(1)一般的人格権について
(a)まず、審査の基準となるのは、基本法1条1項に関係づけられた2条1項によって保護された一般的人格権である。基本法的秩序の中核となるのは、自由な社会の要としての自由な自己決定において作用する個人の価値と尊厳である。これまでの判例によって具体化されてきた人格権の内容は、完結的ではない。それは、これまでの判決が示しているように、自己決定の思想から引き出される、個人的生活実態をいつ、どこまで公開するかを、基本的に自身で決定する個人の権能を含むのである。
個人の自己決定は、現代の情報処理技術の諸条件の下でも、個人にこれから行うか中止しようとしている行動について、実際にその決定に従って行動する可能性を含めて、決定の自由が与えられていることが前提となる。自己に関するどのような情報が自分を取り巻く一定範囲の社会的環境において知られているのかについて十分な確実性をもって見通すことができない者や、コミュニケーションの相手方となりうる者がどのような知識を持っているかをある程度評価査定することができない者は、自分自身の自己決定を基にして計画を立て、判断を下す自己の自由を著しく阻まれることもある。逸脱した行動が、常に記録され、情報として永続的に蓄積され、利用され、伝達されることに不安を抱く者は、そのような行動によって目立つことを控えようとするであろう。このことは、個人のそれぞれの発展の機会を妨げるだけでなく、公共の福祉をも害する。なぜなら、自己決定は、市民の行動及び協業能力に基づく自由で民主的な国家共同体の基本的な機能条件であるからである。
(b)この情報自己決定権は、無制限に保障されているのではない。個人は、共同体の中で発展し、コミュニケーションに依存している人格である。情報は、個人に関係していても、社会的事実の描写であり、当該個人だけのものではない。基本法は、個人の共同関係性及び共同体被拘束性という意味において個人対共同体の緊張関係について決定してきたのであるから、個人は、その情報自己決定権について、原則として優越する公益による制限を受忍しなければならない。 この制限は、基本法2条1項に従い、その制限の要件と範囲が明らかで市民が認識することができ、それにより規範の明確性という法治国家の要請に応える(憲法に適合した)法律の根拠を必要とする。その規制に際して、立法者は、さらに比例原則を遵守しなければならない。このような憲法上の原則は、基本権が国家に対する市民の一般的自由権の表現として、公益を保護するための不可欠な限度においてのみ、その都度公権力によって制限できるという、基本権自体の本質から引き出されるものである。
自動的データ処理の利用による既述の危険に鑑み、立法者は、人格権の侵害の危険に対抗できる組織的及び手続的な予防措置を講じなければならない。データが人格権法上有する意味を確認するためには、その利用可能性に関する知識を必要とする。申告が何の目的のために要求され、どんな結合及び利用の可能性があるのかが明らかになって初めて、許容しうる情報自己決定権の制限の問題に答えることができる。その際、個別化され、匿名化されていない形式で調査され、処理される個人に関連するデータと、統計目的用に確定されたそれとの間の区別が必要である。
(c)個別化され、匿名化されていない個人に関連するデータの申告を強制するには、立法者が、領域を特定し、かつ、正確にその利用目的を規定すること、この目的のために申告項目が適切かつ必要であることが前提となる。匿名化されないデータを、不特定の又は特定することができない目的のために取集し、蓄積することは、このことと相いれないであろう。データの利用は、法律で規定された目的に制限される。自動データ処理の危険に関しては、伝達禁止及び利用禁止により、目的転用に対する保護が必要である。手続的予防措置としては、説明義務、情報提供義務及び消去義務が必要である。
(d)統計目的のためのデータの調査と処理は、憲法判断にとって軽視することができない特殊性を有する。データが様々な、予め規定することができない任務のために利用されることは、統計の本質に属する。統計の性質上、様々な利用及び結合の可能性を予め特定することができない以上、情報システムの内部において、情報の調査及び処理に、これを保障するだけの制限を設けなければならない。個人に関する申告の自動的な調査及び処理については、個人が、単なる情報客体として扱われないようにするための明確に定義された処理要件が定められなければならない。データ処理の多機能性に鑑み、あらゆる申告が求められてはならず、公的任務を充足する補助としてのみなされなければならない。立法者は、申請義務を定めるに際しても、それが該当者に社会的なレッテル(例えば、麻薬常習者、前科者、精神病者、はみだし人間)を貼ることにならないか、調査の目的が、匿名の調査によって達成することができないかどうかを吟味しなければならない。(後略)
(2)1983年国勢調査法9条の違憲性
(a)1983年国勢調査法9条1項は「2条1号及び2号に基づく国勢調査の申告は、届出記録簿と照合し、その訂正に利用することができる。この申告から得られる知識は、個々の申告義務者への対抗措置のために利用してはならない」とし、市町村にそのような利用権限を認めているが、この規定は、基本法1条1項に関連付けられた2条1項で保障される情報自己決定権を侵害する。なぜなら、1983年国勢調査から選び出される個人データは、統計目的だけでなく、具体的な目的拘束を受けない行政執行のためにも利用することができるし、さらに届出記録と照合する官庁は、届出法大綱法などによってその任務上、そうしたデータを他の官庁に伝達することができるから、どの官庁がどんな目的のためにデータを利用するかを予測することができないからである。(後略)
(b)国勢調査法9条2項も、基本法1条1項に関係づけられた2条1項に違反している。この規定は、個人に関係する個別的申告を連邦及び州の統計局から専門的権限を有する最上級の連邦及び州官庁並びにそれらに指定された機関に、これらの機関がその権限に属する任務を合法的に遂行するために必要である限り、伝達することを認めている。この規定は、連邦統計法11条5項(匿名化された個別事項の伝達を許容している)・6項を逸脱している。なぜなら、この規定によると、データは、単に氏名と9条2項2文による宗教団体への所属・非所属を削除すれば伝達することができるから、当該者を容易に識別することができるからである。伝達は単に統計目的のためにだけなのか、それとも行政執行のためにも許されるのかを、規定から認識することができない。この規定から、行政目的のための伝達が予定されているのか、匿名化されていないデータが提供される場合に必要なように、どのような具体的に明確に定義された目的が問題となるのかを、明確に認識することができない以上、それは市民の情報自己決定権を侵害している。
(c)国勢調査法9条3項は、基本法1条1項に関係づけられた2条1項に違反している。9条3項1文によれば、市町村の助けを借りて調査された個人関係項目は、名前を付すことなく、地方自治体の領域において特定の行政目的のために利用することができる。すなわち所得の額と宗教法人への所属・非所属を除く、国勢調査法2条ないし4条によって把握された個人に関係する個々の申告は、広域地方計画、測量業務、市町村の計画及び環境保護の目的のために、伝達することができる。しかしデータがどのような具体的目的のために伝達されるのか、特に統計目的のためだけなのか、行政執行目的も含まれるのか、その場合どのような具体的に明確に定義された目的が問題となるのかを、十分に認識することができない。規定された目的の不明瞭性についていえば、連邦及び州の統計庁も、それぞれの目的を達するための市町村又は市町村連合への伝達が、匿名化された項目でも十分でないのかどうかも確定することができない。(後略)
3.検討
(1)情報自己決定権
当時の西ドイツ基本法(現在のドイツ基本法)の2条1項(人格の自由な発展の権利)は、「何人も、…自らの人格の自由な発展を求める権利を有する。」と日本の憲法13条後段の幸福追求権のような規定を置いています。この基本権2条1項により、国民は他人の権利を侵害せず、憲法的秩序(=基本権(=基本的人権)など、憲法に適合した法秩序)または道徳律に違反しない限り、国民は一般的行動の自由を保障されるという「一般的行動の自由」が認められてきました。
ドイツ基本法
第1条 [人間の尊厳、基本権による国家権力の拘束]
(1) 人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である。
第2条 [人格の自由]
(1) 何人も、他人の権利を侵害せず、かつ憲法的秩序または道徳律に違反しない限り、自らの人格の自由な発展を求める権利を有する。
日本国憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
また、基本法1条1項(人間の尊厳)は「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護することは、すべての国家権力の義務である。」と日本の憲法13条前段の「すべて国民は個人として尊重される」に似た規定を置いています。そしてドイツ連邦憲法裁判所は、基本権1条1項の価値内容(人間の尊厳)を2条1項(人格の自由な発展の権利)で補充することにより、一般の行動の自由とは区別された、より限定された人格領域を「一般的人格権」として保障しているとしました。
一般的人格権の具体的な保障対象は、私的・秘密・内密領域、個人の名誉、個人の人格的表現、自己の肖像・発言に関する権利などであるとされています。個人はその私的な問題を自分で決定することができますが、これが一般的人格権に由来する「自己決定権」です。国勢調査事件判決は、この自己決定権と一般的人格権から、個人に自己の個人情報に対する自己決定権を「情報自己決定権」として認めたものです。
この情報自己決定権において重要なのは、個人情報の有用性と利用可能性であり、これらが永続性を有し、同質的に組み立てられた情報の集積として処理される点です。本判決はこの点を「些末な情報はもはや存在しない」と表現しています。そのため、個人情報保護の目的は、これまでなかった方法で個人の行動が監視・観察され、影響を与えられる方法が拡大されたことによる心理的圧迫を阻止することであるとされています。
(2)情報自己決定権の内容やその制約
この国勢調査判決においてドイツ連邦憲法裁判所は、情報自己決定権を「自己の個人データの放棄および使用について、原則として自ら決定する権限」と定義し、その制約については、①優越した一般的利益、②規範の明確性の要請を満たした法律上の根拠、③比例原則、④人格権侵害を予防するための組織的・手続的予防措置を要求しました。また、⑤統計目的のデータ取得については、統計目的で取得したデータを法執行目的で利用する場合には、限定的で具体的な利用目的による拘束が不可欠であり、規範の明確性の要請が特に重要であるとしました。
ドイツ憲法裁判所は国勢調査判決において、個人情報・個人データについて「(公権力からの)申告の性質だけに照準を合わせることはできない。決定的であるのは、(個人情報・個人データの)その有用性や利用可能性である。これらは、一方における取得の目的、他方における情報技術に固有の処理可能性および結合可能性に左右される。それにより、それだけを見れば些末な情報が、新たな位置・価値を取得する。その限りで、自動化されたデータ処理という前提のもとでは、「些末な」情報はもはや存在しない。」と述べ、情報自己決定権の必要性を説明しています(小山剛「なぜ「情報自己決定権」か」『日本国憲法の継承と発展』320頁)。
日米の自己情報コントロール権とヨーロッパの情報自己決定権との違いは、情報自己決定権に対する公権力などからの制約には、上の①から⑤までの要件・歯止めがある一方で、自己情報コントロール権にはそのような公権力からの制約に関する要件・歯止めが不十分であることにあるとされています。
例えば、警察のNシステムによる自動車のナンバープレート情報や、公道に設置された防犯カメラ・監視カメラによる人の容貌や顔などの情報など、それ自体は外部に公開されている情報の、法的強制を伴わない取得・保存・利用において顕著に表れるとされています。
Nシステムについて2009年の日本の裁判例(東京高裁平成21年1月29日判決)は、「わが国においては警察法2条1項の規定により任意の捜査は許容されており、公道上の何人でも確認し得る車両データを収集・利用することは適法」としています。
一方、ドイツ連邦裁判所は「自動車ナンバープレートの自動記録に関する法律は、法律による授権の特定性および明確性という法治国家の要請を充足しなければならない。」「不特定の広範さゆえに、この法律の規定は憲法上の比例原則の要請も満たしていない」として違憲としています(2008年3月11日ドイツ連邦憲法裁判所第一法廷判決・BVerfGE 120.378[407.427]、小山・前掲)。
このドイツをはじめとするヨーロッパの情報自己決定権は、アメリカの自己情報コントロール権に影響されてドイツ等で生み出されたものとされています(藤原静雄「「西ドイツの国勢調査判決における「情報の自己決定権」」一橋論叢94巻5号728頁)。
(3)欧州基本権憲章・GDPRなど
欧州の基本権憲章(いわゆるEU憲法)は、欧州各国の2007年のリスボン条約批准で成立し、2009年より発効し法的拘束力を持つものとなっています。この欧州基本権憲章は7条で古典的プライバシー権や通信の秘密などについて規定し、8条は個人情報保護に関する規定を置いています。この8条の個人情報保護の土台となるのが上でみた情報自己決定権であり、欧州は個人情報保護の問題について、古典的プライバシー権と情報自己決定権を組み合わせて問題を処理しているとされています。そして情報自己決定権、欧州基本権憲章7条・8条を土台としてGDPR(EU一般データ保護規則)などが制定されています。
(4)日本の自己情報コントロール権の状況
日本においては、プライバシー権と個人情報保護法(個人データ保護法)については、アメリカで「ひとりで放っておいてもらう権利」として生まれた従来からの古典的なプライバシー権を包含する形で自己情報コントロール権が生まれ、佐藤幸治教授などにより日本に輸入され、日本においては自己情報コントロール権が通説的な見解とされています。
つまり、個人の私的領域に他者を無断で立ち入らせないという自由権的なプライバシー権は、情報化社会の進展に伴い、「自己に関する情報をコントロールする権利」(自己情報コントロール権)としてとらえられ、自由権的側面だけでなく、プライバシーの保護を公権力に対して積極的に要求してゆく側面が重視されるようになってきているとされています。すなわち、個人に関する情報(個人情報)が行政機関などに集中的に管理されるようになった現代社会においては、個人が自己に関する情報を自らコントロールし、自己に関する情報についての閲覧・訂正ないし抹消請求を求めることが必要であると考えられています(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』123頁)。そしてこの考え方は、棟居快行教授の「自己イメージコントロール権」や、山本龍彦教授の「構造審査とコミュニケーションの相手方や媒体などにより自己の情報を出し入れする自己情報コントロール権」などに発展しています。
このような日本の自己情報コントロール権に状況について、宍戸常寿教授らの『憲法1基本権』121頁は、自己情報コントロール権は「漠然としている」などの問題点を指摘しつつも、個人情報の開示・訂正等の請求権は基本権(人権)であるとしています。
一方、情報セキュリティやITの専門家である情報法制研究所の高木浩光氏(工学博士)は、個人情報保護法の立法目的は「データによる人の選別」を防ぐことであるとして、日米の自己情報コントロール権や欧州の情報自己決定権を批判しています。
・高木浩光さんに訊く、個人データ保護の真髄 ——いま解き明かされる半世紀の経緯と混乱|JILIS
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■参考文献
・平松毅「自己情報決定権と国勢調査-国勢調査法一部違憲判決」『ドイツの憲法判例(第2版)』60頁
・小山剛「なぜ「情報自己決定権」か」『日本国憲法の継承と発展』320頁
・藤原静雄「西ドイツ国勢調査判決における「情報の自己決定権」」『一橋論叢第』94巻第5号728頁
・渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達郎『憲法1基本権』121頁
・山本龍彦・横大道聡『憲法学の現在地』139頁
・曽我部真裕「自己情報コントロールは基本権か?」『憲法研究』2018年11月号71頁
・高木浩光さんに訊く、個人データ保護の真髄 ——いま解き明かされる半世紀の経緯と混乱|JILIS