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タグ:憲法改正

リヴァイアサン
1. コロナ禍で緊急事態宣言がでても国民の私権を制限できないのは憲法に緊急事態条項がないからか?
新型コロナの感染拡大が続くなか、最近、一部の論者から、「日本が欧米のようなロックダウンを実施できないのは憲法にその根拠となる緊急事態条項がないからである。だから日本も早急に憲法改正を行い、緊急事態条項を設置すべきだ」という意見が主張されているのをみかけます。例えば、菅内閣の元内閣官房参与で経済学者の高橋洋一・嘉悦大学教授は、5月のインタビューでつぎのようにコメントしています。

緊急事態宣言をして私権制限できないのは日本くらいです。」「憲法上の戒厳令や非常事態宣言などという規定がないから、私権制限ができないのです。」(「コロナ禍で痛感した「憲法改正の必要性」」2021年5月12日ニッポン放送)
・コロナ禍で痛感した「憲法改正の必要性」|ニッポン放送

しかし、結論を先取りしてしまうと、高橋教授などのこの主張は憲法や法律的に正しくありません。

2.憲法上の基本的人権の制約根拠としての「公共の福祉」
日本を含む西側自由主義諸国の18世紀以降の近代憲法は、国民の個人の尊重と基本的人権の確立を国家の目的としています(日本国憲法11条、97条)。

そのため国民の基本的人権は極めて重要なものです。とはいえ国民の基本的人権も無制限なものではありません。国民・人間は社会で生活するものであるので、ある国民の人権と他の国民の人権がぶつかりあうときに、それぞれの人権の調整が必要となります。この、ぶつかりあう人権を制限して調整するための根拠が「公共の福祉」です。

この点、国民の基本的人権が制約される根拠としての「公共の福祉」を、わが国の憲法は、基本的人権に関する条文に置いています。具体的には、憲法12条、13条、22条1項、29条2項に、人権の制約の根拠である「公共の福祉」の文言が置かれています。
日本国憲法
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

このように、わが国の憲法には、ある国民と別の国民との人権がぶつかりあい、矛盾・衝突することを調整するために、国民の人権(私権)を制限する根拠として「公共の福祉」が置かれています。さらに今日の憲法学の通説では、この「公共の福祉」は、憲法12条、13条、22条、29条だけでなく、すべての人権に内在していると考えられています(一元的内在制約説、最高裁41年10月26日判決など)。

そのため、コロナ対応のためにロックダウン(外出禁止令)などを実施して、国・自治体が飲食店やホテル、鉄道などの営業の自由(憲法22条1項、29条1項)を制限することや、同じく国・自治体が一般の国民の移動の自由(22条1項)などを制限するための「公共の福祉」の制度は、日本の現行憲法にすでに存在し、憲法上の問題はクリアされています。

なお、欧米などの世界の主要国も、コロナ対応に関して、自国の憲法に緊急事態条項があればそれを自動的に発動しているかというとそうではありません。憲法に緊急事態条項が存在し、かつコロナ対策に発動している国としては、イタリア、スイス、スペインなどがある一方で、憲法に緊急事態条項があるが、コロナ対策には発動せず法律で対応している国としては、アメリカ、フランス、ドイツ、韓国、中国、インドなどがあげられます。憲法に緊急事態条項の規定が存在せず、法律の規定でコロナ対応を行っている国はイギリス、カナダ、日本などがあげられています(国立国会図書館「COVID-19と緊急事態宣言・行動規制措置―各国の法制を中心に―」『調査と情報』1100号(2020年6月)より)。

したがって、「憲法に戒厳令や非常事態宣言などの規定がないから、私権制限ができない」、「憲法に緊急事態条項がないのは日本くらい」という高橋教授らの主張は正しくありません。

(なお、憲法25条2項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定し、「公衆衛生」を国の任務に明記し、それを受けて厚生労働省設置法3条1項、4条4号、19号などが「公衆衛生」「感染症の発生及びまん延の防止」を厚労省の任務に掲げています。そのため、公衆衛生やコロナ対策を国の任務に加える目的での憲法改正も不要です。)

3.災害対策基本法、国民保護法、警察法などの法律
そしてこのように憲法上は人権制約の問題はクリアされているのですから、あとは国会でコロナ対策のための法改正や立法などを迅速に行い、政府・自治体などはそれらの法律に基づいて行政を実施すればよいのです。

この点、例えば伊勢湾台風の災害を受けて1961年に制定された災害対策基本法は、災害時や災害のおそれがあるときは、市町村長は住民に対して「避難のための立退きを指示」することや、住民に「屋内での待避」を指示することができるとされています(法60条1項、3項)。また災害時や災害のおそれがあるときには、自治体の長は、消防機関や警察などに出動を要請し(法58条)、「犯罪の予防、交通の規制その他災害地における社会秩序の維持に関する事項」や、「緊急輸送の確保に関する事項」などを行わせることができると規定されています。

また、戦争やテロが発生した場合に備えて2004年に制定された国民保護法(武力攻撃国民保護法)や、警察法の第6章の「緊急事態の特別措置」の部分も、戦争やテロなどが発生した際に、自治体の長や警察などは、国民に避難の指示を出したり、治安維持のための活動を行うことができると規定しています(国民保護法11条1項、警察法71条1項など)。

もし「憲法に戒厳令や非常事態宣言などの規定がないから、私権制限ができない」という高橋教授らの主張が正しいのであれば、この災害時や戦争・テロなどの緊急事態の際に、国民のさまざまな人権を制限する規定が設けられている災害対策基本法、国民保護法、警察法などは憲法違反であるとして無効となってしまうのではないでしょうか?

4.感染症法、新型インフルエンザ特別措置法など
現在のコロナ対策のための緊急事態宣言などは、新型コロナに対応した新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)などに基づいて実施されています。具体的には、特措法32条1項に基づき国が緊急事態宣言を発出し、それを受けて都道府県の長は、同法24条9号に基づいて民間企業や公的機関、個人などに要請を行うことができると規定されています。

しかしこの特措法24条9項の条文はつぎのようになっており、非常におおざっぱです。

新型インフルエンザ等対策特別措置法
第24条
第9項 都道府県対策本部長は、当該都道府県の区域に係る新型インフルエンザ等対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る新型インフルエンザ等対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。
この条文には、自治体の長は、新型インフルエンザ等対策のために「公私の団体又は個人に対し」、「必要な協力の要請をすることができる」と非常にばくぜんとしたことしか規定されていません。

7月上旬には、西村大臣らが、酒類販売事業者や金融機関に対して、休業要請に応じない飲食店に酒を提供するなとか、金融機関から国・自治体の要請に従わない飲食店に対して融資をストップするなどして国・自治体の要請に従えと指導せよ、等の法治主義から乖離した無茶苦茶な要請の方針が出され、大きな社会的非難を受けて西村大臣らはこの方針をあっという間に撤回しました。

7月の西村大臣らのこの無茶苦茶な要請は、特措法などの根拠となる法律の規定が非常に漠然としていることに原因の一つがあります。つまり、法治主義や「法律による行政の原則」(憲法41条、65条など)は、主権者である国民の選挙で選ばれた国会議員により国会で法律が作成され、政府・国などの行政は法律にしたがって行政を行うことにより、行政を民主的に国民がコントロールし、もって国民の人権保障を行おうという原則です。しかし行政の行為の根拠となる法律があいまいでは、法治主義や「法律による行政の原則」は達成されません。

そのため、国会は特措法などを、コロナ対策のために国・自治体が何をすべきなのか等を個別具体的に明示するように法改正を行うべきです。そして国・自治体などは法治主義や法律による行政の原則の観点から、それらの法律を順守した行政を行うべきです。

5.まとめ
このように見てみると、日本の国・自治体のコロナ対応に必要なのは憲法改正を実施して緊急事態条項を新設することではなく、国会でコロナ対策を必要十分に実施できるように特措法や感染症法などの法律を改正したり新たな立法を行ったり、必要な予算を準備することです。

したがって、「日本の憲法には緊急事態条項などの規定がないから、私権制限ができない」「コロナ対策のために憲法改正が必要」という高橋教授らの主張は、憲法や法律的に正しくありません。

緊急事態条項とは、非常に強大な力を持つ国家権力の暴走を抑えるための憲法や法律などの制限を、災害などの緊急事態の場合に一時的にはずすものであり、国家権力の暴走を許してしまう危険性があります。憲法に緊急事態条項を新設するかどうかは、慎重に慎重な議論が必要です。

今回のコロナ禍においては、政府与党は、国民の生命・健康のためのコロナ対応ではなく、国策である東京オリンピック・パラリンピック開催を優先して暴走しました。

このことは、国民の人権保障のために国・自治体などはサービス機関として存在するという、18世紀以降の西側自由主義諸国の近代立憲主義憲法の基本理念が、日本の政府与党にはまったく根付いていないことをまざまざと示しています。

このような日本においては、憲法改正を行い緊急事態条項を設置した場合、それが政府与党によって「国家の暴走」のために利用されてしまう危険が非常に大きいのではないでしょうか。そのため、憲法改正により緊急事態条項を新設することは慎重に考えるべきと思われます。


(このブログ記事の冒頭の図は16世紀の思想家ホッブスの『リヴァイアサン』より。リヴァイアサンは旧約聖書に登場する海の怪物です。ホッブスは、国家が存在しない「自然状態」は、「万人の万人に対する闘争」の状態にあるとして、この闘争を終わらせるために市民各人の契約(社会契約)に基づく、統治のための強い権力を持つ国家(リヴァイアサン)が必要であるとしました。これに対して18世紀の思想家ルソーの『社会契約論』は、人間社会はほっておくと強者が弱者を支配する弱肉強食の社会になってしまうとし、人間各人が「一般意思」(=利己的な意思でなく、市民の共通の利益を求める意思)に基づき、市民が等しく権利・自由を享受できる民主主義の「共和国」を社会契約に基づき設立すべきであるとしました。そしてルソーは、市民はこの共和国が利己的な意思に陥り暴走しないようにチェックを怠ってはならないとしました。)

■関連する記事
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■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』99頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』256頁
・樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』101頁
・国立国会図書館「COVID-19と緊急事態宣言・行動規制措置―各国の法制を中心に―」『調査と情報』1100号(2020年6月)















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(「ゲリマンダー」Wikipediaより)

1.「合区解消」のための公選法改正が成立
参院の“合区問題”解消のための公選法改正法が本年7月18日に衆議院で成立しました。この改正は、比例代表の定員を96から100にして、比例代表には拘束名簿式の「特定枠」を新設するものです。特定枠は政党が決めた順位に従って当選者が決まる拘束名簿式を一部に導入できるようにしたものであり、自民党は特定枠の新設で、隣接県を1つの選挙区にした「合区」の対象県から出馬できない候補者を救済することを目的としています。 (「参院6増法が成立 来夏から適用 比例代表に「特定枠」」日経新聞2018年7月19日付)

今回の制度改正については、「あまりに党利党略」という批判が野党だけでなく与党の一部や有識者から出されています。このように選挙制度を与党が自党に有利に設定することは、歴史的・政治学的にも「ゲリマンダー」との呼称で批判されているところでありますが、憲法学的にはどのように考えるべきでしょうか。

2.選挙権の要件
国民の国政選挙の選挙権については、つぎの5つの要件を満たす必要があります。すなわち、①普通選挙(憲法15条3項)、②平等選挙(同14条1項、44条)、④秘密選挙(同15条4項)、の4つです。また、衆議院・参議院の国会議員はともに「全国民の代表」(同43条1項)です。

この4つの要件のなかで、今回の「合区解消」については、とくに平等選挙(同14条1項、44条)の要件とともに、参議院議員も「全国民の代表」(同43条)であることが問題となると思われます。

3.平等原則
わが国の憲法が自由を認め、経済的自由主義と民主主義によって立つ近代憲法の一つであることは、平等をその枠のなかでとらえることを要請するものです。そのため、自由主義諸国における近代立憲主義の平等が、特権の廃止、身分による差別の禁止、市民社会への自由で平等な立場からの参加を考えるものであったことから、その基本は、まずは形式的平等(=機会の平等)であり、実質的平等(=結果の平等)ではないとされています(上野妙実子・石村修など『基本法コンメンタール憲法 第5版』92頁)。選挙における平等は、この憲法14条が要請する形式的平等の典型例であるため、選挙における平等原則は憲法上強く要請されるものです。

この点、学説からは、参議院と衆議院との二院制を採用しながら、この両院に際立った違いが憲法上設定されていないのに、参議院に対しては投票価値(=一票の価値)の平等の要請が甘いということは、国会議員選挙が唯一の国政の方向性を定めるという観点から納得しがたいとの批判がなされています(上野・前掲97頁)。

4.参議院選挙に関する最高裁判決の変遷
この点、初期の最高裁は、参議院選挙について、その半数改選制(同46条)および地域代表的性質などに「特殊性」を見出し、「投票価値の平等の要求は、人口比例主義を基本とする選挙制度の場合と比較して一定の譲歩を免れない」と判断しました(最高裁昭和58年4月27日判決)。

しかしその後、最高裁は、2010年7月に行われた参議院議員選挙(最大格差5.0)について、“違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態が生じていた”とし、また、“都道府県を単位として各選挙区の定員を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるべき”などと現行の選挙制度の立法的対応を求める判決を出すに至りました(最高裁平成24年10月17日判決、最高裁平成26年11月26日判決)。

このような最高裁判決を受けて、国会は平成27年に公職選挙法の一部改正を行い、4県の2つの選挙区の合区(島根県+鳥取県、徳島県+高知県)の改正を行いました(長谷部恭男『憲法 第7版』179頁)。

ところが本年7月に、国会は学説や最高裁判決の時代の流れに逆行する合区解消の公選法改正を行ってしまいました。

5.本年7月の合区解消のための公選法改正について考える
本年7月の合区解消のための公選法改正においては、比例代表選挙の部分において「特定枠」が設けられました。参院選挙前に各政党は特定枠に登録する候補を自由に設定できます。そして、比例選挙部分において、特定枠に登録された候補者は優先的に当選となるという仕組みです。政府・与党はこの特定枠に合区で立候補できなかった候補者を登録する方針とのことです。

しかしこのように制度改正を行ってしまうと、例えば自民党の比例区の候補者の中においても、特定枠と非特定枠の候補者との間で、当選しやすさの点で平等原則が破られています。特定枠の候補者を擁する地区の国民・住民とそうでない地区の国民・住民との間でも平等原則が破られます。また、現在のように自民党が圧倒的に優位であるわが国で、このように技巧的な選挙制度を設定することは、極めて「ゲリマンダー」なやり口であると考えられます。憲法14条、44条との関係で違憲のおそれのある法改正であると思われます。

また、憲法43条は国会議員は「全国民の代表」と定めるところ、参議院議員も地域の利益の代表者ではなく、いったん国会議員となったからには、国民全体・国全体のことを考える代表(社会学的代表)となると考えられます。平成24年・26年の最高裁判決もこの考え方に立ち、選挙制度の立法的措置を求めていると思われ、この点も今回の公選法改正は違憲のおそれがあります。政府・与党は都道府県による選挙区割りにこだわらない選挙制度を検討すべきです。

なお、自民党はこの合区解消を憲法的に合憲とするために、憲法47条を改正する意向のようです。しかし、上でみたように憲法14条の平等原則の形式的平等に抵触するような憲法改正は、仮に成立したとしても、「憲法改正の限界」の問題に衝突するものと思われます。

■参考文献
・上野妙実子・石村修など『基本法コンメンタール憲法 第5版』92頁、96頁、97頁、270頁
・長谷部恭男『憲法 第7版』179頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』303頁

憲法 (新法学ライブラリ)

憲法1 第5版

新基本法コンメンタール憲法―平成22年までの法改正に対応 (別冊法学セミナー no. 210)

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1.はじめに
自民党憲法改正推進本部は2月21日の全体会合で、いわゆる「教育無償化」をめぐる憲法改正の条文素案を大筋了承したとのことです。自民党の改正案はつぎのとおりです。
憲法26条89条新旧対照表
「教育「無償」、文言盛らず 条文案を大筋了承 自民改憲本部」朝日新聞を元に作成)

2.自民党案26条について
(1)国の教育環境整備義務
自民党案は、26条に3項を新設し、「国は、教育環境の整備に努めなければならない」と、努力義務ながらも、国側の義務として「教育環境設備義務」を設けました。

しかし、かりに憲法にこの教育環境整備義務が盛り込まれた場合、教育環境の整備を名目に、国が現在よりもより強く教育の場に介入し、国に都合のよい思想を押し付けてくるおそれがあります。また、教育を受ける権利に関連する学問の自由や大学の自治(憲法23条)が侵害されるおそれもあります。

そもそも教育を受ける権利は子どもにありますが(憲法26条1項)、その権利に対応する教育内容の決定や整備について誰が責任を負うかについては、国が関与・決定するという考え(国家教育権説)と、親つまり国民とその付託を受けた教師という考え(国民教育権説)と二つに分かれるところですが、判例(旭川学テ事件、最判昭和51年5月21日)は両説の折衷説をとっているとされています。そしてそのうえで通説は、国は教育の全国的水準の維持の必要に基づいて、科目、授業時間等の教育の大綱を決定できるが、国の過度の教育内容への介入は教育の自主性を害し許されないとしています(芦部信喜『憲法 第6版』275頁)。

したがって、憲法26条に国の教育環境設備義務を創設しようとする自民党案は、判例・学説に反しています。

(2)「国の未来を切り拓く」
自民党案は26条3項で、「教育」について、「国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないもの」とし、さらに「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担う」と定義しています。

しかし、わが国は全体主義国家や王朝ではなく、近代自由主義国つまり近代立憲主義国家です。憲法も個人の尊重と基本的人権の確立が目的であり、国などの統治機構はその実現のための手段であるという構造をとっています(憲法11条、13条、97条等)。

したがって、憲法26条において教育に関して「国の未来を切り拓く」ためのものと定義し、子どもに対して「国の未来を切り拓く」ように生きろ、「お国のために生きろ」と教育を行うことは、自民党の戦前回帰的な思想の押し付けであり、立憲主義の観点から間違っています。

また、もしこのような文言が26条に置かれた場合、学校教育の教科や教育内容から「国の未来を切り拓く」ためにふさわしくないと政府・自民党が考えるものが除外されるとしたら、それも立憲主義の観点から間違っています。

3.自民党案89条
また、自民党案は、憲法89条を改正し、「国の監督にない」団体・組織以外には国の予算を投入できるように要件を緩和しようとしています。

しかし、憲法89条は20条とセットで財政の観点からわが国の厳格な政教分離原則を支えている条文です。この89条の要件が緩和されてしまうと、たとえば安易に神道の団体・組織に国の予算を流すことができてしまいます。

わが国の憲法が厳格な政教分離の制度をとっているのは、戦前の国家神道への反省のためです。“教育無償化”を名目として、厳格な政教分離原則を安易に変更することには大いに疑問が残ります。

■関連するブログ記事
・自民党憲法改正推進本部が憲法9条について2案を示すー安保関連法制

・自民党改憲推進本部「47条改憲で参院の合区解消」は憲法上許されるのか?…一人一票の原則

・自民党憲法改正草案の緊急事態条項について考える

・片山さつき氏の天賦人権説否定ツイートに対する小林節慶大名誉教授の批判

■参考文献
・芦部信喜『憲法 第6版』275頁
・伊藤真『赤ペンチェック自民党憲法改正草案 増補版』57頁、64頁、65頁

憲法 第六版

増補版 赤ペンチェック 自民党憲法改正草案

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