1.はじめに
自民党憲法改正推進本部は2月21日の全体会合で、いわゆる「教育無償化」をめぐる憲法改正の条文素案を大筋了承したとのことです。自民党の改正案はつぎのとおりです。
(「教育「無償」、文言盛らず 条文案を大筋了承 自民改憲本部」朝日新聞を元に作成)
2.自民党案26条について
(1)国の教育環境整備義務
自民党案は、26条に3項を新設し、「国は、教育環境の整備に努めなければならない」と、努力義務ながらも、国側の義務として「教育環境設備義務」を設けました。
しかし、かりに憲法にこの教育環境整備義務が盛り込まれた場合、教育環境の整備を名目に、国が現在よりもより強く教育の場に介入し、国に都合のよい思想を押し付けてくるおそれがあります。また、教育を受ける権利に関連する学問の自由や大学の自治(憲法23条)が侵害されるおそれもあります。
そもそも教育を受ける権利は子どもにありますが(憲法26条1項)、その権利に対応する教育内容の決定や整備について誰が責任を負うかについては、国が関与・決定するという考え(国家教育権説)と、親つまり国民とその付託を受けた教師という考え(国民教育権説)と二つに分かれるところですが、判例(旭川学テ事件、最判昭和51年5月21日)は両説の折衷説をとっているとされています。そしてそのうえで通説は、国は教育の全国的水準の維持の必要に基づいて、科目、授業時間等の教育の大綱を決定できるが、国の過度の教育内容への介入は教育の自主性を害し許されないとしています(芦部信喜『憲法 第6版』275頁)。
したがって、憲法26条に国の教育環境設備義務を創設しようとする自民党案は、判例・学説に反しています。
(2)「国の未来を切り拓く」
自民党案は26条3項で、「教育」について、「国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないもの」とし、さらに「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担う」と定義しています。
しかし、わが国は全体主義国家や王朝ではなく、近代自由主義国つまり近代立憲主義国家です。憲法も個人の尊重と基本的人権の確立が目的であり、国などの統治機構はその実現のための手段であるという構造をとっています(憲法11条、13条、97条等)。
したがって、憲法26条において教育に関して「国の未来を切り拓く」ためのものと定義し、子どもに対して「国の未来を切り拓く」ように生きろ、「お国のために生きろ」と教育を行うことは、自民党の戦前回帰的な思想の押し付けであり、立憲主義の観点から間違っています。
また、もしこのような文言が26条に置かれた場合、学校教育の教科や教育内容から「国の未来を切り拓く」ためにふさわしくないと政府・自民党が考えるものが除外されるとしたら、それも立憲主義の観点から間違っています。
3.自民党案89条
また、自民党案は、憲法89条を改正し、「国の監督にない」団体・組織以外には国の予算を投入できるように要件を緩和しようとしています。
しかし、憲法89条は20条とセットで財政の観点からわが国の厳格な政教分離原則を支えている条文です。この89条の要件が緩和されてしまうと、たとえば安易に神道の団体・組織に国の予算を流すことができてしまいます。
わが国の憲法が厳格な政教分離の制度をとっているのは、戦前の国家神道への反省のためです。“教育無償化”を名目として、厳格な政教分離原則を安易に変更することには大いに疑問が残ります。
■関連するブログ記事
・自民党憲法改正推進本部が憲法9条について2案を示すー安保関連法制
・自民党改憲推進本部「47条改憲で参院の合区解消」は憲法上許されるのか?…一人一票の原則
・自民党憲法改正草案の緊急事態条項について考える
・片山さつき氏の天賦人権説否定ツイートに対する小林節慶大名誉教授の批判
■参考文献
・芦部信喜『憲法 第6版』275頁
・伊藤真『赤ペンチェック自民党憲法改正草案 増補版』57頁、64頁、65頁
自民党憲法改正推進本部は2月21日の全体会合で、いわゆる「教育無償化」をめぐる憲法改正の条文素案を大筋了承したとのことです。自民党の改正案はつぎのとおりです。
(「教育「無償」、文言盛らず 条文案を大筋了承 自民改憲本部」朝日新聞を元に作成)
2.自民党案26条について
(1)国の教育環境整備義務
自民党案は、26条に3項を新設し、「国は、教育環境の整備に努めなければならない」と、努力義務ながらも、国側の義務として「教育環境設備義務」を設けました。
しかし、かりに憲法にこの教育環境整備義務が盛り込まれた場合、教育環境の整備を名目に、国が現在よりもより強く教育の場に介入し、国に都合のよい思想を押し付けてくるおそれがあります。また、教育を受ける権利に関連する学問の自由や大学の自治(憲法23条)が侵害されるおそれもあります。
そもそも教育を受ける権利は子どもにありますが(憲法26条1項)、その権利に対応する教育内容の決定や整備について誰が責任を負うかについては、国が関与・決定するという考え(国家教育権説)と、親つまり国民とその付託を受けた教師という考え(国民教育権説)と二つに分かれるところですが、判例(旭川学テ事件、最判昭和51年5月21日)は両説の折衷説をとっているとされています。そしてそのうえで通説は、国は教育の全国的水準の維持の必要に基づいて、科目、授業時間等の教育の大綱を決定できるが、国の過度の教育内容への介入は教育の自主性を害し許されないとしています(芦部信喜『憲法 第6版』275頁)。
したがって、憲法26条に国の教育環境設備義務を創設しようとする自民党案は、判例・学説に反しています。
(2)「国の未来を切り拓く」
自民党案は26条3項で、「教育」について、「国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないもの」とし、さらに「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担う」と定義しています。
しかし、わが国は全体主義国家や王朝ではなく、近代自由主義国つまり近代立憲主義国家です。憲法も個人の尊重と基本的人権の確立が目的であり、国などの統治機構はその実現のための手段であるという構造をとっています(憲法11条、13条、97条等)。
したがって、憲法26条において教育に関して「国の未来を切り拓く」ためのものと定義し、子どもに対して「国の未来を切り拓く」ように生きろ、「お国のために生きろ」と教育を行うことは、自民党の戦前回帰的な思想の押し付けであり、立憲主義の観点から間違っています。
また、もしこのような文言が26条に置かれた場合、学校教育の教科や教育内容から「国の未来を切り拓く」ためにふさわしくないと政府・自民党が考えるものが除外されるとしたら、それも立憲主義の観点から間違っています。
3.自民党案89条
また、自民党案は、憲法89条を改正し、「国の監督にない」団体・組織以外には国の予算を投入できるように要件を緩和しようとしています。
しかし、憲法89条は20条とセットで財政の観点からわが国の厳格な政教分離原則を支えている条文です。この89条の要件が緩和されてしまうと、たとえば安易に神道の団体・組織に国の予算を流すことができてしまいます。
わが国の憲法が厳格な政教分離の制度をとっているのは、戦前の国家神道への反省のためです。“教育無償化”を名目として、厳格な政教分離原則を安易に変更することには大いに疑問が残ります。
■関連するブログ記事
・自民党憲法改正推進本部が憲法9条について2案を示すー安保関連法制
・自民党改憲推進本部「47条改憲で参院の合区解消」は憲法上許されるのか?…一人一票の原則
・自民党憲法改正草案の緊急事態条項について考える
・片山さつき氏の天賦人権説否定ツイートに対する小林節慶大名誉教授の批判
■参考文献
・芦部信喜『憲法 第6版』275頁
・伊藤真『赤ペンチェック自民党憲法改正草案 増補版』57頁、64頁、65頁