なか2656のblog

とある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

タグ:自民党

1.はじめに
4月12日(日)に都内で開催された自民党大会で、陸上自衛隊中央音楽隊の鶫真衣3等陸曹が自衛隊の儀礼用の礼服を着て登壇し、国歌を斉唱したことが自衛隊法などが規定する自衛隊員や公務員の政治的中立に反するのではないかと話題となっています。

自衛官国歌斉唱2
自衛官国歌斉唱1
(上は毎日新聞、下はTwitterより)

このような批判の声に対して、小泉防衛大臣や高市首相などは、「私人としての行為であるから法律的に問題ない」と主張しているようです。

結論を先取りすると、本件自衛官の自民党大会での行為は、自衛隊法・自衛隊法施行令や憲法15条2項に抵触する、違法・違憲なものである可能性が高く、本件自衛官がもし刑事裁判にかけられた場合は、3年以下の拘禁刑の罰則が科される可能性があると考えられますが、この問題をどのように考えるべきなのでしょうか。憲法や判例からみてみたいと思います。

2.公務員の政治活動の自由
(1)公務員の政治活動の自由

自衛隊法61条1項は自衛隊員の政治的活動を制限しておりその規定には罰則が存在します(119条1項)。このような問題は、「公務員の政治活動の自由」として憲法学上の著名な論点の一つとなっています。
本件の自衛官が自民党の党大会に出席した等の行為は政治的行為(政治的表現行為)といえます。このような行為は表現の自由により国民に保障されています(憲法21条1項)。表現の自由は自己実現に資するとともに、民主主義にも資するので基本的人権のなかでも特に重要です。自衛官・公務員も国民の一人である以上はこの表現の自由を持っています。

しかし一方、行政・国・自治体が公平・中立な行政を運営し(憲法15条2項)、国民からの公平・中立への信頼にこたえるために、行政や公務員の政治活動には一定の制約を課すこともやむを得ないと解されています。あるいは、憲法が公務員関係の自律性を憲法的秩序の構成要素として認めていることから、公務員の政治活動の自由への制約も一定程度求められると解されています。

(2)猿払事件
裁判においても、昭和40年代の郵便局員(当時は国家公務員)が、勤務時間外にある政党のポスターを掲示板に掲示した行為が、国家公務員法および人事院規則の定める政治活動の制限に抵触したとして刑事裁判にかけられた事件において、最高裁は国家公務員の全面一律の政治行為の禁止を定める国家公務員法および人事院規則を合憲として、この郵便局員を有罪としています(猿払事件・最高裁昭和49年11月6日判決)。

(3)堀越事件
その後、平成24年には、社会保険事務所の管理職でない年金審査官(国家公務員)が勤務時間外に同事務所とは関係のない場所である政党のビラを配ったことが、これも国家公務員法および人事院規則の定める政治活動の制限に抵触したとして刑事裁判にかけられた事件において、最高裁はつぎのように判示した上で、本件の年金審査官の行為は国家公務員法違反ではないとして無罪としています(堀越事件・最高裁平成24年12月7日判決)。

「国家公務員法102条1項は,…行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することをその趣旨とするものと解される。すなわち,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,国民の信託に基づく国政の運営のために行われる公務は,国民の一部でなく,その全体の利益のために行われるべきものであることが要請されている。その中で,国の行政機関における公務は,憲法の定める我が国の統治機構の仕組みの下で,議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策を忠実に遂行するため,国民全体に対する奉仕を旨として,政治的に中立に運営されるべきものといえる。そして,このような行政の中立的運営が確保されるためには,公務員が,政治的に公正かつ中立的な立場に立って職務の遂行に当たることが必要となるものである。このように,本法102条1項は,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することを目的とするものと解される。

他方,国民は,憲法上,表現の自由(21条1項)としての政治活動の自由を保障されており,この精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって,民主主義社会を基礎付ける重要な権利であることに鑑みると,上記の目的に基づく法令による公務員に対する政治的行為の禁止は,国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべきものである。

このような本法102条1項の文言,趣旨,目的や規制される政治活動の自由の重要性に加え,同項の規定が刑罰法規の構成要件となることを考慮すると,同項にいう「政治的行為」とは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが,観念的なものにとどまらず,現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものを指し,同項はそのような行為の類型の具体的な定めを人事院規則に委任したものと解するのが相当である。…そして,上記のような規制の目的やその対象となる政治的行為の内容等に鑑みると,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるかどうかは,当該公務員の地位,その職務の内容や権限等,当該公務員がした行為の性質,態様,目的,内容等の諸般の事情を総合して判断するのが相当である。具体的には,当該公務員につき,指揮命令や指導監督等を通じて他の職員の職務の遂行に一定の影響を及ぼし得る地位(管理職的地位)の有無,職務の内容や権限における裁量の有無,当該行為につき,勤務時間の内外,国ないし職場の施設の利用の有無,公務員の地位の利用の有無,公務員により組織される団体の活動としての性格の有無,公務員による行為と直接認識され得る態様の有無,行政の中立的運営と直接相反する目的や内容の有無等が考慮の対象となるものと解される。(後略)」
すなわち、最高裁は、猿払事件判決を踏襲し、「国の行政機関における公務は,憲法の定める我が国の統治機構の仕組みの下で,議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策を忠実に遂行するため,国民全体に対する奉仕を旨として,政治的に中立に運営されるべきもの」であるため、国家公務員法102条の公務員の政治的自由制限規定は「行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することをその趣旨」として規定されているとしつつ、公務員を含む国民は議会制民主主義を支える表現の自由を持つため、「公務員に対する政治的行為の禁止は,国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべき」としています。

そしてその「必要やむを得ない限度」の判断基準としては、「当該公務員の地位,その職務の内容や権限等,当該公務員がした行為の性質,態様,目的,内容等の諸般の事情を総合して判断するのが相当である。具体的には,当該公務員につき,指揮命令や指導監督等を通じて他の職員の職務の遂行に一定の影響を及ぼし得る地位(管理職的地位)の有無,職務の内容や権限における裁量の有無,当該行為につき,勤務時間の内外,国ないし職場の施設の利用の有無,公務員の地位の利用の有無,公務員により組織される団体の活動としての性格の有無,公務員による行為と直接認識され得る態様の有無,行政の中立的運営と直接相反する目的や内容の有無等が考慮の対象となるものと解される。」としています。その上で、本件公務員は非管理職であること、ビラの配布の行為が年金事務所の公務とは関係のない態様で行われていたこと、等を認定した上で、本件公務員は国家公務員法等が規定する公務員の政治活動の制限に抵触していないとして無罪としています。

3.本事案を考える
(1)自衛隊法等

まず条文を確認すると、自衛隊法61条1項はつぎのように規定し、同条の違反に対しては同119条1項は罰則(3年以下の拘禁刑)を規定しています。

自衛隊法
第61条1項

 隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない。

第119条1項
次の各号のいずれかに該当する者は、三年以下の拘禁刑に処する。
一 第六十一条第一項の規定に違反した者
この自衛隊法61条1項の「政令で定める政治的行為」について、自衛隊法施行規則87条1項1号はつぎのように規定しています。

自衛隊法施行令
(政治的行為の定義)
第八十七条
 法第六十一条第一項に規定する政令で定める政治的行為は、次の各号に掲げるものとする。
一 政治的目的のために官職、職権その他公私の影響力を利用すること。
すなわち、自衛隊法61条1項および自衛隊法施行令87条をよむと、「自衛隊員は、政党のために、政治的目的のために官職、職権その他公私の影響力を利用することを行ってはならない」と規定されていることがわかります。

ここで、公務員の政治的行為についてはこれまで最高裁が猿払事件、堀越事件などについて判断していることを踏まえると、今回の自衛官の事案についてももし刑事裁判になれば、裁判所は猿払事件、堀越事件の判断枠ぐみを踏襲して判断する可能性が高いでしょう。

(2)本事案へのあてはめ
ここで本件の自衛官の自民党大会での国家斉唱について考えると、本件自衛官の鶫真衣氏は「3等陸曹」という下士官つまり非管理職です。しかしその一方、その職務は陸上自衛隊の「中央音楽隊」という儀式・儀礼に関するものであり、一般自衛官とは異なりその職務は行為の態様によっては政治的色彩を帯びやすいものであるといえます。党大会で国歌斉唱を行うという行為は、少なくとも当該政党への反対の意思表示とはみられないことを考えると、当該政党を支持・応援している意思表示とみられると思われ支持・応援の政治的意図つまり政治的目的があるといえます。

また、本件自衛官は、自民党がある商社を通じて依頼したところ、「党大会での独唱」には、法違反のおそれがあったため、本件自衛官は防衛省に事前に問い合わせを行い「問題なし」の回答をえて、上司とともに党大会に臨んだとのことです。つまり本件自衛官の行為は自衛隊・防衛省の公認の行為つまり「組織ぐるみ」の行為であり、当日は日曜日ではありますが、本件自衛官は職務として本件行為を行っていたといえます。さらに、本件行為は自民党という特定政党の党大会で衆人の前で国歌斉唱を行うというという態様の行為であり、その際に本件自衛官は私服ではなく、自衛隊の陸上自衛隊中央音楽隊の特別な儀礼・式典の際にしか着用を許されない礼服を着用して斉唱を行ったとのことであり、これを見聞きした一般国民としては、「自衛隊と自民党は一体の関係なのだ」と感じるものといえます。

そのため、本件自衛官の自民党大会での行為は、「当該公務員の地位,その職務の内容や権限等,当該公務員がした行為の性質,態様,目的,内容等の諸般の事情を総合考慮すると、自衛隊・国の政治的中立性を侵害するものといえます。

4.結論
したがって、本件自衛官の自民党大会での行為は、猿払事件・堀越事件などの判例に照らすと、自衛隊法・自衛隊法施行令や憲法15条2項の公務員の政治活動の自由の制限に抵触する、違法・違憲なものである可能性があり、本件自衛官がもし刑事裁判にかけられた場合は、3年以下の拘禁刑の罰則が科されるおそれがあるのではないでしょうか。

本件事案について本件自衛官が刑事告訴・告発されて刑事事件にかけれれるか不明ですが、政府幹部は「私人の行為だから法的に問題ない」等と主張するのではなく、本件について調査を行い、関係者を処分等し、再発防止策を策定し実行する等の不祥事対応を行うべきと考えられます。そうでなくては、一般国民の自衛隊や公務員への公平性・中立性への信頼の失墜を回復することができません。それでは自衛隊や国・自治体が公平中立な行政運営を行うことができません。

※本ブログ記事については、専修大学名誉教授の石村修先生(憲法学)、同名誉教授の晴山一穂先生(行政法学)のご教示をいただきました。石村先生、晴山先生、どうもありがとうございました。

■追記(4月29日)
ある方より、小泉防衛大臣や高市首相などが「私人の行為だから法的に問題ない」と主張していることについてはどう考えるのかとご指摘をいただきました。

この点については、上記でもふれたとおり、本件自衛官は自民党大会において、特別な儀式用の自衛隊の礼服を着ており、また防衛省にあらかじめ照会を行い、上司とともに自民党大会に臨んでおり、これらを勘案すると本件自衛官の行為は「私人としての行為」ではないと考えられます。そもそも上であげた猿払事件判決は、「公務員は24時間365日公務員」というスタンスをとっており、堀越事件判決もこの点を否定しているわけではありません。

また、ある方より、本件は「高度に政治的な問題」であるので刑事罰は科されないのではないかとのご指摘をいただきました。

たしかに裁判所は砂川事件判決(最高裁昭和34年12月16日判決)などで、「高度に政治的な行為」については判断を回避しています(統治行為論)。しかし、このようなことは安全保障や外交の問題などまさに高度に政治的な問題に限定されるべきです。そうでなければ、基本的人権の確立や統治機構の維持、憲法的秩序の維持などの裁判所の任務の責任放棄となってしまいます。本件は刑事告発されたそうですが、裁判所は政治的圧力などに負けずに、自衛隊法や判例などに従って冷静な判断を行うことが望まれます。万が一、「社会党のポスター(猿払事件)や共産党のビラ(堀越事件・世田谷事件)に関しては嬉々として判断を行い場合によっては有罪判決を出すのに、自民党の党大会への自衛官の出席等に関する事案については判断を回避する」ということがあっては、裁判所の政治的中立性や独立性(憲法76条3項)に重大なクエスチョンマークがついてしまうのではないでしょうか。

(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について

■参考文献
・芦部信喜・高橋和之『憲法 第8版』304頁
・渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ基本権 第2版』47頁
・長谷部恭男「公務員による政党機関紙の配布-堀越事件」『憲法判例百選Ⅰ 第6版』32頁
・高橋和之『新・判例ハンドブック憲法』44頁、46頁

憲法 第八版
芦部 信喜
岩波書店
2023-09-28

憲法Ⅰ [第2版] 基本権
工藤 達朗
日本評論社
2023-03-27



人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1.はじめに
自民党は、①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消、④教育充実、の4点を憲法改正すべき項目に掲げています。そこで、本ブログ記事では、「教育拡充」の部分を見てみたいと思います。

「教育の充実を憲法に書き込むべきだ」
  
この主張は、一見すると誰も反対しづらい“善い提案”のように聞こえます。しかし、憲法に理念的な文言を追加することは、教育の自由や国家の役割を大きく変える可能性を秘めています。自民党案の条文を丁寧に読むと、その影響は決して小さくありません。

(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について

2.自民党の「教育充実」に関する改正案および説明
自民党の「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」2頁によると、「教育充実」の条文案はつぎのようになっています。
自民党改憲案26条
(自民党「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」2頁より)

条文案について自民党は「日本国憲法の改正実現に向けて(解説)」9頁で、つぎのように説明しています(抜粋)。
・日本国憲法26条は、教育を受ける権利・教育を受けさせる義務・義務教育の無償化を規定している。戦後直後、国民生活が混乱を極める中で、教育こそ国家再建の基礎であり、せめて義務教育は無償化するという国家の基本政策を規定したものである。一方、教育に関する理念は盛り込まれていない。
・そこで、教育を取り巻く環境の変化に応じた教育の理念を規定する必要がある。
・「教育」については、現在では、従来の初等・中東・高等教育という区分けのみならず、学び直し(リカレント教育)や、年齢にかかわらず生涯を通じて学ぶことが出来る「生涯学習」が必要とされる時代になっている。
・また、「教育格差による社会的な格差の固定化」などと言われるように、経済状況や収入の多寡にかかわらず、全ての国民がそれぞれに合った教育を受けることが必要とされている。さらに、現代においては、デジタル化の進展とともに、教育のリモート化も進められるべきである。
・このような多様な教育の在り方は、日々の国民生活に直結するものであると同時に、将来の日本を背負う個性豊かな国民を育てることにも通じるものである。
・教育のデジタル化を含め、あらゆる方々に一生を通じて教育の機会を保障する理念を国家の基本法である憲法に規定することは、極めて重要なことである。
(自民党「日本国憲法の改正実現に向けて(解説)」9頁より(抜粋))
3.「国の未来を切り開く」ための教育
(1)自民党憲法改正案26条3項の構造
上記にあるように、自民党の説明は、現行憲法26条には「教育の理念」の規定がないとしてその規定を主張しています。その上で、「生涯学習」の必要性、教育の「デジタル化・リモート化」の必要性などの多様な教育の在り方は、「将来の日本を背負う個性豊かな国民を育てる」ことに通じるとしています。

そして、自民党憲法改正案26条3項は、「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」としています。

すなわち、自民党憲法改正案26条3項は、「教育の理念」として、

①教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであること
②国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものである
ことの2つを掲げ、国は、「各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め(=無償教育の拡大)、教育環境の整備に努め」ると規定しています。

すなわち、自民党憲法改正案26条3項は、国民の①人格完成や幸福追求のため、および②「国の未来を切り開く」ため、の2点を「教育の理念」として憲法に書き込もうとしているわけですが、これは妥当なのでしょうか。とくに2番目の「国の未来を切り開く」が問題となります。

(2)国はどこまで教育に介入すべきなのか
この点、憲法26条の「教育を受ける権利」に関する重要な論点は、教育を受ける権利に応えるべきなのは、もっぱら国なのか、あるいは親、教師などの国民なのかという問題です。

すなわち、教育内容についてはもっぱら国が関与・決定をする権限を有しているとする考え方(国家教育権説)と、子どもの教育について責任を負うのは、親およびその付託を受けた教師を中心とした国民であり、国は教育の環境整備の任務を負うにとどまるとする考え方(国民教育権説)との対立があります。

この問題が争われた、旭川学テ事件(最高裁昭和51年5月21日判決)において、最高裁は、国家教育権説も国民教育権説のどちらも「極端かつ一方的」であるとして、その折衷的な立場をとるべきであるとしました。

すなわち、教師に一定の範囲で教育の自由が認められると同時に、国も一定の範囲で教育内容を決定する権能を有するとします。とはいえその際、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、たとえば誤った知識や一方的な観念・思想を子どもに植えつけるような内容の教育をほどこすことを強いるようなことは憲法26条、13条から許されないと判断しています。

この点、憲法学説は、国は教科、授業時間等の教育の大綱を決定することはできるが、国の教育内容への過度な介入は教育の自主性を害し許されないとしています(芦部信喜『憲法 第8版』296頁)。

ところが、この自民党憲法改正案26条3項は、「国の未来を切り開く」ことを教育理念の一つとし、そのため国は教育の環境整備を行うとしています。

「国の未来を切り拓く」という文言が憲法に入ることのリスクは、抽象的な将来の危険ではなく、すでに現実に起きたことの延長線上にあります。2006年の安倍政権下の教育基本法改正では、教育の目標として「愛国心」の涵養が明文化されました(「我が国と郷土を愛する……態度を養う」、教育基本法2条5号)。これは、国家が教育理念を法律レベルで定め、教育内容に介入した現実の例です。

教育基本法という法律レベルでもそのような介入が起きたのであれば、「国の未来を切り拓く」という理念が憲法に明記された場合、政府は「憲法上の要請」として愛国心教育や国家貢献型の教育をより強力に推進する根拠を得ることになります。法律より憲法のほうが規範として上位にあるため、介入の根拠がより強固になります。

そのような憲法上の根拠に基づく教育介入は、上記の旭川学テ判決が警戒した「一方的な観念・思想を子どもに植えつけるような国家的介入」に該当するおそれが高まります。

歴史を振り返ってみても、戦前・戦中には「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。(=もし国の緊急事態があれば、国民は国に尽くし天皇に身を捧げよ)」との教育勅語による国家主義的・軍国主義的な思想教育がわが国では行われてきました。

教育勅語による国家主義的・軍国主義的な思想教育は、まさにこのような『子どもに一方的な観念・思想を植えつける国家的介入』の典型でした。自民党憲法改正案26条3項が『国の未来を切り拓く』という理念を憲法に明記することは、最近の教育基本法改正における愛国心条項の例が示すように、このような歴史の轍を踏む危険性を否定できません。したがって、同改正案は旭川学テ判決および憲法学説の立場に照らしても、妥当でないと考えられます。

(3)立憲主義
そもそも近代的な憲法とは、中世の教会や王室、さまざまなギルドなどからの市民への支配を打破してゆく過程でできてきたものです。そのような精神はアメリカ独立戦争やフランス人権宣言にも受け継がれ、世界の現代の憲法もその流れのなかにあり、わが国の現在の憲法もそのなかのひとつです。つまり、「国家権力の専横を制限することにより国民の自由や人権を保障する」という考え方である立憲主義が近代的な意味の憲法の基本原則です。

つまり、近代的な、立憲的な意味での憲法においては、国民の人権や、個人の尊重が守るべき「目的」であり、国家はそのための「手段」です。

そのことは、現行憲法の前文第1段の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」という一文に現れています。

すなわち、国家は国民の「福利」つまり自由や人権のための手段であること、それは人類普遍の原理であること、その原理に反する一切の憲法、法令は排除されるべきであるという立憲主義を宣言しています。

そして、立憲主義の観点からは、憲法とは国家権力に歯止めをかける法であって、その名宛人は国家であることから、憲法において、国民を名宛人として「国の未来を切り開く」義務を課すことは立憲主義に反し筋違いです。

「国の未来を切り開く」ために働くこと自体は倫理的には素晴らしいことだと思われますが、しかし、個人がどのような事柄を学び、どのような分野で働くのか、自分は国家に尽くすのか等の問題は、政府が上から押し付けるのではなく、国民の間の自由な議論を経て、最終的には個人の内心と自己決定にゆだねるべき事柄です。

したがって、自民党憲法改正案26条3項は妥当ではありません。

なお、自民党は「憲法26条には教育理念がない」と主張していますが、現行憲法26条1項は「教育の平等」という教育理念だけを既に規定しています。これは「国家を繁栄させる義務」等を国民に課しておらず、立憲主義の観点から極めて正しい姿勢だと思われます。

4.「無償教育」の拡大?
また、上記でみたように、自民党憲法改正案26条3項は、「各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」と規定しています。

これは、現行憲法26条2項の「義務教育は、これを無償とする。」を拡大し、保育園・幼稚園、高校や大学等も無償とするためであるように読めます。しかし、高校や大学の無償化はわざわざ憲法に書き込まないと実現できないものなのでしょうか。

現行憲法26条2項は「義務教育は、これを無償とする」と規定していますが、保育園・幼稚園、高校や大学等の無償化を禁止する文言が規定されているわけではありません。

この点、最近、「高校無償化」の政策が推進されていますが、これは2014年に「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」が「高等学校等就学支援金の支給に関する法律」に改正されて実現したものです。すなわち、保育園・幼稚園、高校や大学等の無償化はわざわざ憲法改正は必要ではなく、法律の制定や改正で十分実現可能なものです。

したがって、「教育の無償化」の観点からも、憲法改正を実施する必要はありません。

5.憲法89条の改正
さらに、自民党憲法改正案89条は、現行憲法の「公の支配」を「公の監督」に変更するとしています。この改正案は2012年の自民党憲法改正草案にも存在しており、その趣旨を自民党は「私学助成が憲法上禁止されているのではとの疑念を解消するため」としています。つまりこの改正は、「規制緩和」のための改正であるようです。

しかし、この条文は、「慈善、教育若しくは博愛の事業」、つまり今風に言えばNPOやNGOに対して国が野放図に財政支援を行うことで国の放漫財政を防ぐことや、国のNPOやNGOへの不適切な介入を防ぐことです。国の放漫財政の防止や、国のNPOやNGOへの不適切な介入防止は重要な事柄であると思われますので、これも「規制緩和」するのではなく、現行どおりのままでよいように思われます。

また、憲法89条は憲法20条の規定する「政教分離」を財政面から支える条文です。その89条の歯止めを緩めてしまうことは、わが国の政教分離を緩めてしまうおそれがあります。つまり、自民党と懇意な宗教団体(旧統一教会など)に対して歯止めが緩まることで支出の余地が拡大するおそれがあり、わが国の政教分離がゆがめられてしまうおそれがあります。この点からも、自民党憲法改正案89条は妥当でないように思われます。

6.まとめ
このように、「国の未来を切り開くための教育」を憲法に盛り込むことは立憲主義や、教育の自由に関する判例・学説の考え方、個人の内心の自由や自己決定の観点から妥当ではありません。また、「教育の無償化」についても、これをわざわざ憲法に盛り込まなくても教育の無償化は実現できます。したがって、自民党は憲法改正案26条についても見直し・撤回をすべきと考えられます。

また、憲法改正案89条も放漫財政の防止や、政教分離をゆがめないために、現行どおりのままのほうが良いように思われます。

■関連するブログ記事
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法前文~憲法24条まで)
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法25条~憲法102条まで)

■参考文献
・芦部信喜『憲法 第8版』296頁
・木村草太『増補版 自衛隊と憲法』189頁
・伊藤真『増補版 赤ペンチェック自民党憲法改正草案』60頁、65頁

自衛隊と憲法 第3版
木村草太
晶文社
2026-04-24




人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1.はじめに
自民党は、①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消、④教育充実、の4点を憲法改正すべき項目に掲げています。そこで、本ブログ記事では、「合区解消」(一票の格差(合区解消・地方公共団体))の部分を見てみたいと思います。


「地方の声が届かないから、合区をやめるべきだ」  

そう言われると、たしかに合区解消は必要な改革のように思えます。
しかし、選挙制度は“誰の一票も同じ価値を持つべきだ”という憲法の大原則の上に成り立っています。自民党案は、この原則とどのように関わるのでしょうか。

(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について

2.自民党の改憲案
自民党の「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」2頁によると、「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」の条文案はつぎのようになっています。

条文案
(自民党「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」2頁より)

条文案について自民党は「日本国憲法の改正実現に向けて(解説)」8頁で、つぎのように説明しています(抜粋)。

「一票の格差をできるだけ少なくすることは憲法14条の「法の下の平等」の要請だが、これを徹底すると、過疎化の進展による人口減少が著しい地域では、選挙区が広域となり身近な議員を出せなくなってしまう。これは衆議院・参議院に共通する問題である。この問題が大きく表れたのが現在、参議院議員選挙に導入されている合区であり、身近な代表を出せないことで地域の民意の反映が著しく阻害される。」

「そこで、一票の格差の問題については、投票価値の平等の確保に偏ってしまっている現在のアンバランスを解消するため、国会の章(第4章)の選挙に関する事項を定める規定(47条)において、人口を基本としつつも、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案する旨、明記し、地域の民意を適切に反映できる選挙制度が構築できるようにする。特に、参議院議員の選挙については合区を解消できるよう憲法上、担保する。併せて、地方自治の章(第8章)において、基礎自治体と広域自治体を明確に位置付ける。これにより、地域の民意の基盤として広域自治体を位置付け、広域自治体を参議院の選挙区と定める根拠とする。」
(「日本国憲法の改正実現に向けて(解説)」8頁より(抜粋))

この条文案および説明についてはどのように考えるべきなのでしょうか。

3.一人一票の原則
(1)憲法学説
自民党の改憲案は、合区解消などのために選挙における一人一票の原則を撤廃しようというものですが、これは平等原則に反する非常に問題のある改憲案です。

憲法学説は、選挙権の平等は、表現の自由と同様に民主政を支える重要な権利であることから、選挙権の平等の原則には投票価値の平等(=投票が選挙の結果に対して持つ影響力の平等)も含まれること、そのため、この投票価値の平等の意味は、一般の平等原則の場合の「平等」よりもはるかに形式化されたものであるとしています。

すなわち、投票価値の平等の意味は、結果の平等・実質的意味の平等ではなく、機会の平等・形式的意味の平等が非常に重視されるべき場面であり、そのため、国民の意思を公正かつ効果的に代表するために考慮される非人口的要素(例えば、行政区画を一応の前提として定められる選挙区制)は、定数配分が人口数に比例していなければならないという大原則の範囲内で認められるにすぎないとしています。そのため学説は、衆議院選挙においては1票の格差が2対1を超えることは一人一票の原則に反するとしています。(芦部信喜『憲法 第8版』149頁)

(2)判例
このような学説の考え方を受けて、最高裁は一票の格差に関する訴訟において、衆議院選挙については1対2.079の格差を合憲と判断しています(最大判令和5年1月25日)。

参議院選挙については、約1対5の格差を「違憲状態」と判断した最高裁判決(最大判平成26年11月26日)を受け、国は鳥取県と島根県、徳島県と高知県を一つの選挙区とする各選挙区とする仕組み(いわゆる「合区」)を導入したところ、格差は1対3.08となったため、最高裁はこれを合憲と判断しています(最大判平成29年9月27日)。

このように、学説だけでなく裁判所も、衆議院選挙・参議院選挙において選挙権の平等原則を非常に重視する判断を示しています。

(3)自民党の改憲案
上でみたように、選挙権の平等は、表現の自由と同様に民主政を支える重要な権利であることから、選挙権の平等・投票価値の平等の意味は、一般の平等原則の場合の「平等」よりもはるかに形式化されたものであり、つまり結果の平等(実質的平等)ではなく例えば大学入試等のような機会の平等(形式的平等)が重視されるものです。

そのため、例えば、行政区画を一応の前提として定められる選挙区制などの非人口的要素は、定数配分が人口数に比例していなければならないという大原則の範囲内で認められるにすぎないと考えられるのです。

この点、自民党の改憲案は、憲法の条文に、「行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案」という文言を盛り込み、また、「広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも一人を選挙すべきものとする」との文言を盛り込んで「合区解消」を主張する等していますが、これは、結果の平等・実質的平等を追求して、選挙権の平等において何より重視されるべき機会の平等・形式的平等を軽視するものであり、非常に問題であり妥当でないと考えられます。

4.「全国民の代表」
(1)議会の「代表」
憲法43条1項は、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定し、国会議員は「全国民の代表」であるとしており、自民党の改憲案は、地域の「選挙区の民意を国政に反映させる」ことばかりを重視して、国会議員が「全国民の代表」であることを軽視しすぎなのではないかと考えられます。

憲法43条1項の「全国民の代表」の意味、つまり議会の「代表」については、憲法学上、つぎの3つの考え方があるとされています。

「代表」

すなわち、「法的代表」とは、議員は選挙母体や選挙区の意見に拘束されるという近代以前的な考え方です。しかしわが国の憲法は議員は「全国民の代表」と規定しているので、この「法的代表」の考え方はとれません。

つぎに、「政治的代表」は、「議員は自己の信念に基づいてのみ発言・表決し、選挙母体の意見に拘束されない。(自由委任)」というものですが、この考え方が通説的な見解であるとされています。

さらに、第二次世界大戦以降においては、「政治的代表に加えて、国民の多様な意思をできるかぎり国会に反映する選挙制度」も重要であるとする「社会学的代表」の考え方も有力説であるとされています。(ここでいう「国民の多様な意思」とは、性別、職業、世代などであるとされています。)(芦部・前掲316頁)

(2)自民党の改憲案
ここで自民党の改憲案をみると、説明にあるように自民党改憲案は、「身近な代表を選出して地域の民意を反映させる」ことを非常に重視しています。そして、参院選挙においては合区を解消し、広域地方自治体(=都道府県と思われる)ごとに1人以上の国会議員を選出するとしていますが、これは上の3類型でみた「法的代表(命令委任)」に類似するものであり、議員は選挙母体や選挙区の意見に拘束されず、国民や国全体のことを考えて自由に意見し討論・表決を行うべきであるとする通説の「政治的代表」や有力説の「社会学的代表」の考え方に反しています。

したがって、憲法47条、92条の自民党改憲案は妥当ではないと考えられます。

5.まとめ
上でみてきたように、一票の格差(合区解消・地方公共団体)に関する自民党の改憲案は、一人一票の原則・投票価値平等の原則の観点から非常に問題であり、また、「全国民の代表」の考え方からも問題です。したがって、一票の格差に関する改憲案は妥当ではなく、自民党はこれを撤回すべきです。

(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法前文~憲法24条まで)
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法25条~憲法102条まで)

■参考文献
・芦部信喜『憲法 第8版』149頁、316頁
・木村草太『増補版 自衛隊と憲法』193頁
・伊藤真『増補版 赤ペンチェック自民党憲法改正草案』71頁

自衛隊と憲法 第3版
木村草太
晶文社
2026-04-24




人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1.はじめに
自民党ウェブサイトの憲法改正実現本部のページをみると、自民党は、①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消、④教育充実、の4点を憲法改正すべき項目に掲げています。そこで、本ブログ記事では、「緊急事態対応」の部分を見てみたいと思います。

(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について

「緊急事態条項があれば、災害対応が迅速になる」 
 
この主張は一見もっともらしく聞こえます。
しかし、憲法に“例外的な権限”を新設することは、国の仕組み(統治構造)そのものを変える行為です。自民党案の条文を読み解くと、非常時だけでなく平時にも影響を及ぼしうる仕組みが見えてきます。

2.自民党の緊急事態条項
自民党の2025年の憲法改正案の緊急事態条項はつぎのようになっています。
第73条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別な事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。
② 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。
   (※内閣の事務を定める第73条の次に追加)

第64条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特定を定めることができる。
   (※国会の章の末尾に特定規定として追加)
自民党緊急事態条項
(自民党「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」より)

3.自民党憲法改正案の緊急事態条項について
(1)「緊急事態」の要件
緊急事態の要件が、条文上、「大地震その他の異常かつ大規模な災害により」と、大地震その他の災害に限定されています(73条の2第1項)。

しかし、自民党憲法改正推進本部の「日本国憲法の改正実現に向けて(解説)」7頁は、「対象とする緊急事態の範囲について、従来は東日本大震災の経験を踏まえて「大規模自然災害事態」としてきた。しかし、その後に生じたコロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻などを経て、現在では、①大規模自然災害事態、②テロ・内乱辞退、③感染症まん延辞退、④国家有事・安全保障事態、⑤その他これらに匹敵する事態、とすべきと考えている。」と解説しており、2012年の自民党憲法改正草案の内容にかなり戻っているようです。

この点、緊急事態の要件が、「⑤その他これらに匹敵する事態」と、バスケット条項を置いているのは、時の内閣の恣意的判断で緊急事態の発動ができてしまい、濫用のおそれがあります。

また、緊急事態の発出については国会・裁判所など第三者機関によるチェックがなされないことも、緊急事態の濫用の危険があります。

73条の2第2項は、内閣が政令を作成したときは、事後に国会の承認が必要としていますが、事前の承認が不要なことも、緊急政令の濫用のおそれがあります。

(2)緊急事態の効果
(ア)「国民の生命、身体及び財産を保護するための政令」
いったん緊急事態が開始されると、内閣は、「国民の生命、身体及び財産を保護するため(の)政令」の制定が可能となります。

しかし、「国民の生命、身体及び財産を保護するため」の政令というのは、非常に漠然としており、どのような内容の政令も作成が可能となってしまうのではないでしょうか。このような憲法の規定は「漠然ゆえに無効」であるとして、無効となるのではないでしょうか。

また、2012年の自民党憲法改正草案の緊急事態条項の条文における緊急政令は、法律と同様のものを内閣のみで作成できるとしていました。しかし2024年の自民党の緊急事態条項における「政令」はどのような法的レベルのものであるかが明記されていません。この点も漠然としていて問題が大きいと考えられます。自民党は細目は法律に委ねると考えているのかもしれませんが、何でもかんでも法律や国会に委ねてしまうことは、国民の基本的人権を守ることや立憲主義との関係で大きな問題があります。

(イ)「「有事モード」に切り替える」
加えて、自民党憲法改正推進本部の「日本国憲法の改正実現に向けて」4頁は、「緊急事態に際し、国家の責務と権限を明確にし、国民を守り抜くための最大機能を発揮させるためには、国家の体制を「有事モード」に切り替える概念を憲法に定めておくことが必要不可欠」。として、「「有事モード」への切り替えが必要」であることが強調されています。

この「「有事モード」に切り替える」とは、言ってみれば、「国民の意識を切り替え、国民に対して政府・国家に従うことを命令する」ということなのではないでしょうか。

しかし、国家主義的・全体主義的な明治憲法下の戦前の日本とは異なり、現在の日本は近代立憲主義の憲法を持つ国家です。近代立憲主義においては憲法の意味は、憲法や法律によって国家の権力を縛り国民の基本的人権や自由を保障するものであり、また、政府など統治機構は国民の基本的人権や個人の尊重という目的のための手段です。

そのため、自民党の主張する「「有事モード」への切り替え」は、近代立憲主義や、近代立憲主義における国家・統治機構の目的に反する戦前のような国家主義・全体主義的なものであり、許容されないものです。

(ウ)緊急事態の期間が規定されていない
2025年の自民党の改憲案をみると、緊急事態の日数の規定が存在しません。この点、2012年の自民党憲法改正草案では緊急事態の期間は「100日」と規定されていたのですが、これは大きなレベルダウンです。内閣に国家の権限を集中させるという、国民の人権制約の危険の高い緊急事態なのですから、その期間はできるだけ短くあるべきですし、その日数については憲法の条文に明記すべきです。

4.緊急事態条項の濫用の問題
(1)緊急事態条項の濫用のおそれ

このように、ざっとみただけでも、自民党憲法改正草案の緊急事態条項は、内閣以外の機関によるチェックとコントロールによる歯止めが乏しく、時の内閣、政府与党による濫用、つまり国家の暴走の危険が非常に高いものとなっています。

世界的にも、緊急事態条項は時の政治権力者に濫用されてきた歴史があります。たとえば戦前のドイツのヒトラーは、250回も緊急事態条項を乱発したとされています。また、フランスのド・ゴールは、1961年のアルジェリア独立紛争の際に、自らへの批判を封じるために緊急事態条項を発動し、紛争は約1週間で終結したにもかかわらず、5か月も間緊急事態を解除しなかったとされています。

戦前の日本でも、1905年の日露戦争終結後に戒厳令が発令されるなど、戒厳令が政治権力者により濫用されています。現行憲法が緊急事態条項を持たないのは、不備なのではなく、日本や世界における濫用への反省から、あえて置かなかったとされています。

この点、憲法の教科書においては、「戦争・内乱などの非常事態において、国家の存立を維持するために国家権力が立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限を国家緊急権という。」「立憲的な憲法秩序を一時的にせよ停止し、執行権への権力の集中と強化を図って危機を乗り切ろうとするものだから、立憲主義を破壊する大きな危険性をもっている。」

としたうえで、西欧諸国の憲法では、①緊急権発動の条件・手続き・効果を詳細に定めておく方式と、②その大綱を定めるにとどめ、特定の国家機関に包括的な権限を授権する方式、の二つがあるが、「とくに②は、(戦前のドイツの)ワイマール憲法の例など、濫用の危険が大きい」としています(芦部信喜『憲法[第6版]』376頁)。

自民党の憲法改正案の緊急事態条項は、まさに②の方式であり、濫用の危険が大きいといえます。

(2)本当に緊急事態条項は必要なのか
自民党は、東日本大震災を例に出して、憲法に緊急事態条項は必要であるとしています。しかし、現地で弁護活動に従事した弁護士を含め、各方面の学識者が、東日本大震災で発生したさまざまな問題に対しては、災害対策基本法、大規模地震対策特別措置法、原子力災害対策特別措置法などの各種の法律はすでに準備されていたものの、当時の内閣や政府が機能不全となり、その各種の法律を使いこなすことができなかった行政側の準備に問題があり、緊急事態条項は不要との指摘があります。

また、戦争などに関しては、戦争やテロが発生した場合に備えて2004年に制定された国民保護法(武力攻撃国民保護法)や、警察法の第6章の「緊急事態の特別措置」の部分も、戦争やテロなどが発生した際に、自治体の長や警察などは、国民に避難の指示を出したり、治安維持のための活動を行うことができると規定しています(国民保護法11条1項、警察法71条1項など)。そのため、立憲主義を危険にさらしてまで緊急事態条項を新設すべきなのかについてはやはり大きな疑問が残ります。

(3)ドイツの緊急事態条項
なお、ドイツは冷戦の状況下でNATO軍に加入するにあたり、1968年のボン基本法(憲法)の改正の際に、緊急事態条項を新設しました。

しかし、戦前の濫用の反省から、緊急事態条項にさまざまな制限を課しています。たとえば、詳細な規定を置いているので条文は10条となっており、また、少人数の国会議員により構成される「合同委員会」が、事前承認を行うこととし、内閣による発動をチェックおよびコントロールする仕組みとなっています。

そういった意味で、かりにわが国の憲法に緊急事態条項を新設するとしても、自民党の改憲案のものはあまりにも大ざっぱで乱暴すぎると考えられます。

なお、わが国の憲法も、54条に参議院の緊急集会の規定を置いており、いわゆる緊急事態に対する備えとしては十分と思われます。

(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について
・コロナ禍の緊急事態宣言で国民の私権制限をできないのは憲法に緊急事態条項がないからとの主張を考えた
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法前文~憲法24条まで)
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法25条~憲法102条まで)

(参考文献)
・芦部信喜『憲法 第6版』376頁
・伊藤真『赤ペンチェック自民党憲法改正草案』85頁
・小林節・伊藤真『自民党憲法改正草案にダメ出しくらわす』122頁
・伊藤真『憲法問題』202頁
・木村草太『増補版 自衛隊と憲法』169頁

自衛隊と憲法 第3版
木村草太
晶文社
2026-04-24


人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1.はじめに
2026年2月8日の衆議院選挙の大勝を受けて、高市氏は憲法改正を推進する意向を示しています。自民党ウェブサイトの憲法改正実現本部のページをみると、自民党は、①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消、④教育充実、の4点を憲法改正すべき項目に掲げています。そこで、本ブログ記事では、まずは「自衛隊の明記」の部分を見てみたいと思います。

「自衛隊を憲法に明記するだけなら、何も変わらない」  

そう主張する自民党の政治家は少なくありません。  
しかし、本当に“何も変わらない”のでしょうか?
条文構造、立憲主義、そして改憲限界論の観点から見ると、自民党案がもたらす変化は決して小さくありません。

(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について

2.自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」
上記の自民党憲法改正実現本部ページの「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」によると、「自衛隊の明記」について、自民党は、憲法9条全体を維持したまま、「9条の2」として以下の条文を付け加えるとしています。

9条の2
1項 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
9条の2
(自民党「日本国憲法の改正実現に向けて(資料編)」より)

3.自民党の自衛隊追記案の検討
(1)この自民党の自衛隊追記案は、以下見ていくようにさまざま問題点があると思われます。

まず、9条の2第1項の前半は、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」となっており、つまり、「前条の規定は…自衛の措置をとることを妨げず」となっています。

現行の憲法9条は、1項で戦争・武力行使が禁じられ、2項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定されています。しかし、次の条文の9条の2で、「前条の規定は…自衛の措置をとることを妨げず」と規定されることは、9条の条文の空文化・死文化を招くことになりますが、これは憲法前文および9条が掲げる平和主義の廃止をもたらすことになり、現行憲法の原則の一つである平和主義に反します。

この点、憲法改正手続(憲法96条)を経たとしても、憲法の根本原理を根本から覆すような改正は、法的に正当化されず無効であるとする考え方が憲法学の通説です(「憲法改正の限界」)。そしてこの「憲法の根本原理」には、国民主権、基本的人権の尊重だけでなく平和主義も含まれると解されています。そのため、このように憲法9条の次に憲法9条の2の規定を置き、「前条の規定は、自衛の措置をとることを妨げず」と規定することは、憲法改正の限界を超えるものとして無効となる可能性があります。

(2)また、9条の2第1項後半の「自衛隊」については、どのような任務と権限を持った組織であるかが規定されていません。しかし、この「自衛隊」の意味する内容が条文上明確にされなくては、何をどう統制・コントロールしてよいのかが明確ではなく、立憲主義(国民の基本的人権を保障するために、憲法によって国家権力を制限し法に基づいて統治を行う考え方)の観点から大きな問題があります。

(3)さらに、9条の2第1項前半の「必要な自衛の措置」についても、その内容が条文上明確でなく立憲主義の観点から問題があります。

また、従来の政府見解は、9条2項の「戦力」の解釈として、自衛隊について「必要最小限度」の実力は許容されるとし、個別的自衛権は認容されるとの見解を採用していました。その後、2015年の安保関連法の制定により、政府は最小限度の集団的自衛権も認容されるとして現在に至っています。そのため、安保関連法の存在する現在では、自民党のこの自衛隊追記案の「必要な自衛の措置」とは、最小限の集団的自衛権を含む自衛権、あるいは制約のない集団的自衛権を含む自衛権(いわゆるフルセットの自衛権)を指すのであろうと思われます。

しかし、9条に関する憲法学においては、自衛隊を合憲とする学説においても、従来の政府見解の「必要最小限度の実力」すなわち個別的自衛権を認容するに止まるのであり、最小限の集団的自衛権を含む自衛権、あるいは制約のない集団的自衛権を含む自衛権は違憲と考えられています(長谷部恭男教授、木村草太教授など)。

したがって、9条の2第1項前半の「必要な自衛の措置」についても、憲法前文および9条の規定する平和主義の観点から大きな問題があります。

(4)加えて、9条の2第2項は、「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」と規定しています。しかし、国会の承認を得る手続きや、その時期(「行動」の前なのか後なのか等)、承認の対象となる事項や、「その他の統制」とは何なのか等についても条文上まったく規定がありません。これでは自衛隊を実効的に統制・コントロールすることができず、時の政権によって濫用されてしまう危険があり、これも立憲主義の観点から大きな問題があります。(「法律の定めるところにより」との文言により、憲法で規定すべき事項を法律および国会にまるごと委ねてしまうことは、立憲主義の観点から大きな問題があります。)

(また、一般の行政組織とは異なる軍事組織を新設するのですから、憲法の条文上、国会、内閣、司法の次に「自衛隊」等の章を新設し、自衛隊をどのようにコントロールしてゆくのか等を規定してゆく必要があると思われますが、自民党の資料にはその点の記述がありません。)

4.まとめ
このように、自民党の憲法改正案の自衛隊追記案の9条の2は、同1項が、現行憲法9条を「前条の規定にかかわらず」と打ち消している点で平和主義に反しており、また「自衛隊」がどのような組織であるかが明確化されておらず立憲主義に反しており、さらに「必要な自衛の措置」についても明確に条文化されておらず、立憲主義・平和主義に反しています。加えて同2項は、自衛隊がどのように統制されるのかについても明確に規定されておらず、これも立憲主義に反しています。

したがって、自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」は、平和主義・立憲主義に反し、また「憲法改正の限界」をも超える可能性があるものであり、政府・自民党は憲法改正の是非を含め、再検討すべきであると考えられます。

(関連するブログ記事)
・自民党の憲法改正案の「自衛隊の明記」について
・自民党の憲法改正案の「緊急事態対応」について
・自民党の憲法改正案の「一票の格差(合区解消・地方公共団体)」について
・自民党の憲法改正案の「教育充実」について
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法前文~憲法24条まで)
・自民党憲法改正草案を読んでみた(憲法25条~憲法102条まで)

(参考文献)
・徳島弁護士会「憲法改正問題について、9条の2を創設し自衛隊を明記する案に問題点があることを指摘し、憲法9条の改正の要否並びに改正の必要がある場合にその具体的内容について国民に熟議を促すとともに、国会に対し憲法改正手続法の見直しを求める決議」
・安倍首相の言う「自衛隊明記改憲」をまじめにシミュレーションしてみる 木村草太『自衛隊と憲法』|じんぶん堂
・木村草太『自衛隊と憲法』
・伊藤真『赤ペンチェック自民党憲法改正草案』
・小林節・伊藤真『自民党憲法改正草案にダメ出しくらわす』

自衛隊と憲法 第3版
木村草太
晶文社
2026-04-24


人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ