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とある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

タグ:表現の自由

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本日(2024年4月3日)、岡口基一判事の弾劾裁判所において岡口判事の罷免が言い渡されました。
・岡口判事に裁判官を辞めさせる「罷免」判決、戦後8人目 弾劾裁判|朝日新聞

岡口判事の投稿が「著しい非違行為」にあたるとはとても思えません。この弾劾判決は裁判官や公務員に公平中立どころか無色透明を求めるものであまりにも不当だと思われます。無色透明がよいというのなら、人間でなく生成AIに裁判をやらせるべきとなってしまうのではないでしょうか。「けしからん投稿だ」「不謹慎」だけでは裁判官を罷免とする理由にはなりません。裁判官、全国の公務員や弁護士の方々の表現行為(憲法21条1項)に萎縮効果が働くことが強く懸念されます。

またこのレベルの投稿で裁判官の免職の判決を出すことは、独立性を有する司法に対する政府・行政の不当な干渉で三権分立に反すると思います(憲法76条3項)。

憲法
第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
さらに弾劾裁判所は裁判官も表現の自由など基本的人権を有する国民の一人であることを失念しているのではないでしょうか。むしろこのような「けしからん」レベルで弾劾裁判の訴追を行った訴追者のクレーマーぶりが強く非難されるべきです。被害者の遺族の方には同情しますが、しかし弾劾裁判が当該遺族のお気持ちに寄り添うばかりでは裁判とは言えません。

加えて、裁判官・裁判所には司法の独立が憲法上規定されているにもかかわらず、岡口判事を守ろうとせず、「けしからん」との一部世論に迎合した裁判所上層部も厳しく批判されるべきだと思われます。

なお、立命館大の市川正人特任教授(憲法)の時事通信の記事つぎのコメントが大変参考になります。
立命館大の市川正人特任教授(憲法)は「投稿の意図よりも遺族感情を傷つけたという結果を過大に重視した判断だ」と分析。裁判官としての威信を著しく失うほどの非行に当たるかの説明が尽くされておらず、「国会議員が胸三寸で裁判官を追放できることになってしまいかねない」と懸念を示した。

「裁判官、罷免に慎重意見 識者「萎縮効果与える」 岡口判事弾劾」時事通信より)

■関連するブログ記事
・裁判官はツイッターの投稿内容で懲戒処分を受けるのか?-岡口基一裁判官の分限裁判

■追記
岡口判事の弾劾裁判に至る経緯については、つぎの相馬獄長氏のnoteが参考になります。
岡口裁判官の訴追までの経緯
岡口裁判官の民事裁判の経緯・その1

■追記(2024年4月5日)
憲法学者で専修大学名誉教授の石村修先生より、本ブログ記事に関してつぎのようなコメントをいただいたので共有させていただきます。石村先生どうもありがとうございました。

 弾劾の訴えは相当の件数があり、裁判に敗訴した人たちが裁判官を訴えるパターンがあるのは困った現象である。
 弾劾制度については、日本は裁判官だけだが、本来はアメリカのように、大統領の弾劾があってしかるべきだ。また、裁判官を、国会が弾劾するという制度が「権力分立、又は司法権の独立、裁判官の独立」と符合するかも考えなければならないところだ。
 かつての「鬼頭判事」事件も同じく罷免になった。しかし、実際は復権し、弁護士としての資格を得ている。
 今回の岡口氏のケースも実体はどうなのか。マスコミは正確には報道していないようだ。投稿癖があるようだが、市民として自分の意見をいえるかどうか、とくに、自分の関わった事件での守秘義務をまもる限りで、一般に事例に対して意見を主張する自由はあると思う。

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このブログ記事の概要
埼玉県および共産党の対応は、埼玉県都市公園条例9条2項、都市公園法3条、憲法21条1項に照らして違法のおそれがある。

1.「都市公園法第1条に反する」?
日本共産党が埼玉県の公営プール(しらこばと水上公園)での水着撮影会を中止させた件が炎上しています。炎上の端緒は、日本共産党埼玉県議会議員団のTwitterアカウントが6月6日に「埼玉県営公園で女性の水着撮影会が行われます。未成年も出演するという情報については調査中です。城下のり子・伊藤はつみ・山﨑すなお県議は、本日、都市公園法第1条に反するとして、貸し出しを禁止するよう県に申し入れました。」とツイートしたことでした。

共産党埼玉県議員団
(日本共産党埼玉県議会議員団のTwitterより)

・「開催2日前にいきなり電話で言われ…」共産党の申し入れで「水着撮影会」が中止に 騒動の裏側に迫る|デイリー新潮

都市計画法1条はこの法律の趣旨・目的を「都市計画の健全性」「公共の福祉」などと定めていますが、集会の自由・表現の自由は憲法21条1項が定める基本的人権の一つです。それを「都市公園法1条」で中止を求めることはあまりに大雑把すぎます。

都市公園法
(目的)
第1条 この法律は、都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。

これに対しては憲法学者の玉蟲先生や弁護士の先生方などからさっそくTwitter上でツッコミがなされていました。

玉蟲由樹・日大教授(憲法学)のツイート
玉蟲先生ツイート

戸舘圭之弁護士のツイート
戸館弁護士ツイート

2.都市計画法・埼玉県都市公園条例
しかし、いくら共産党の申し出がおおざっぱすぎで酷いとしても、それを受けた埼玉県が都市公園法1条のみでこの水着撮影会を中止させたとは思えないので調べてみました。すると、都市公園法3条は「地方公共団体が都市公園を設置する場合においては、政令で定める都市公園の配置及び規模に関する技術的基準を参酌して条例で定める基準に適合するように行うものとする。」と規定し、法律が定めていない基準などは自治体の条例で定めることとしています。

そこで埼玉県都市公園条例9条をみるとつぎのように利用(行為)の許可基準が規定されています。

埼玉県都市公園条例9条

つまり、埼玉県都市公園条例9条2項は、「都市公園の管理上支障があると認められるとき」(1号)、「公共の福祉を阻害するおそれがあると認められるとき」(2号)、「その他都市公園の設置の目的に反すると認められるとき」(3号)のいずれかに該当する場合は、埼玉県は都市公園の利用の許可をしないと規定しています。

そのため、本事件においては、埼玉県は共産党の申し出などを受けて、この1号から3号のいずれか(おそらく2号)に該当するとして、プールの利用の許可の取消または撤回を行ったものと思われます。このように法律や条例の規定を読んでいくと、「都市公園法1条」によりプールの利用の中止を求めたとしている共産党の主張は法的には正しくないと思われます。

3.憲法から考えるー泉佐野市民会館事件
ところで憲法からこの事件を考えると、公共施設における集会の自由(憲法21条1項)が問題となります。

集会の自由を含む表現の自由は①自己実現に資する価値と②自己統治に資する価値(民主主義に資する価値)の二つの面があり、その後者の価値により、基本的人権のなかでもとくに重要であるとされています。つまり、集会の自由・表現の自由は、自由な言論やデモなどを保障する人権であり、民主主義国における民主政治(憲法1条)の前提となるものなので極めて重要であると考えられているのです(渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ基本権』214頁、芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』180頁)。

そのため、公民館などの公共施設における集会の自由・表現の自由が争われた泉佐野市民会館事件判決(最高裁平成7年3月7日判決)は、公共施設の利用を許可しないことが許される判断枠組みについて、「集会の自由の保障の重要性よりも…集会が開かれることによって人の生命、身体または財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し防止する必要性が優越する場合に限られる」とし、その危険性の程度は「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されること」と非常に厳しい判断枠組みを示しています。

この泉佐野市民会館事件判決の判断枠組みに照らすと、「集会が開かれることによって人の生命、身体または財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し防止する必要性が優越する場合」でなければ埼玉県はプールの利用の不許可は許されないわけですが、本事件においてはしらこばと水上公園で開催予定だったのはただの水着撮影会だったそうであり、およそ「人の生命・身体・財産が侵害され公共の安全が損なわれる危険」が発生するとは思えません。

したがって泉佐野市民会館事件判決に照らすと、本事件で埼玉県がプールの利用を不許可としたこと、また共産党が埼玉県に不許可をするように申し出たことは違法ということになると思われます(埼玉県都市公園条例9条2項、都市公園法3条、憲法21条1項)。

4.まとめ
このように、本事件で埼玉県が水着撮影会のためのしらこばと水上公園の利用を不許可としたこと、共産党がそのような申し出を行ったことは、埼玉県都市公園条例9条2項、都市公園法3条、憲法21条1項と泉佐野市民会館事件判決に照らして違法であると思われます。

上でもみたとおり、集会の自由・表現の自由(憲法21条1項)は民主主義政治(同1条)のために重要であり、基本的人権のなかでも特に重要です。もしこのようなことがまかり通ってしまえば、冒頭であげた戸舘圭之弁護士のツイートのとおり、メーデーのための集会や、国会前のデモなども安易に政府等によって禁止とされてしまうのではないでしょうか。

近年、共産党やその支持者達は「非実在児童ポルノ」政策の主張などにみられるように、女性の権利向上のために表現の自由を規制すべきであることを強く主張しておりますが(いわゆる「キャンセルカルチャー」)、それは表現の自由や民主主義の価値を軽視するものであり大きな疑問が残ります。「護憲」を掲げる政党が安易に表現の自由を規制せよと主張することには大きな違和感があります。またそのような主張は、「表現の不自由展」の際のリベラル・左派の人々の「あらゆる表現は守られるべきだ」との主張と矛盾するのではないかと気になります。

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■参考文献
・渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ基本権』214頁
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』180頁、224頁

■関連するブログ記事
・日本共産党の衆院選公約の「非実在児童ポルノ」政策は憲法的に間違っているので撤回を求める
・「月曜日のたわわ」の日経新聞の広告と「見たくないものを見ない自由」を法的に考えた-「とらわれの聴衆」事件判決
・「表現の不自由展かんさい」実行委員会の会場の利用承認の取消処分の提訴とその後を憲法的に考えた

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Twitterのロゴ
1.マスク氏がTwitter社を買収
マスメディア各社の報道によると、「Twitterの言論の自由」を掲げるイーロン・マスク氏が4月25日、Twitter社を約5.6兆円(440億ドル)で買収したとのことです。そして今後はTwitter社は非公開会社になるとのことです。ここで気になるのは、今後のTwitterで言論の自由など表現の自由がどうなるか、ユーザーの個人データの取扱がどうなるか等でしょう。
・Twitter、マスク氏による買収に合意 440億ドル(約5.6兆円)で非公開企業に|ITmediaNEWS

少し前まで、Twitter社の言論の自由には問題が多いと主張するマスク氏はTwitter社の大株主となり取締役として同社の経営に参画し、同社の改革を行う姿勢を示していました。しかしマスク氏はそれを撤回し、Twitter社を丸ごと買収するとともに同社を非公開化することとしてしまいました。

これではオーナーとなったマスク氏が、その地位をよいことにそれまでいた株主や、Twitterのユーザーなどの声を聞かず、自分自身の理念の「言論の自由」を振り回してワンマン経営を行うリスクがあります。

現実に、マスク氏のテスラ社では人種差別やセクハラが横行し訴訟が提起されており、また、同じくマスク氏のスペースX社のブロードバンド事業「スターリンク」は、既に1800機もの人工衛星システムを軌道上に構築し、多くの天文学者から「光害問題」を批判されているにもかかわらず、さらに同システムを拡大する方針のようです。
・テスラ、セクハラ問題で女性6人が提訴--SpaceXにもセクハラ批判|CNET Japan
・スペースXのスターリンクが成長を続ける一方、光害問題も深刻化しかねない|WIRED

このようにマスク氏はITベンチャー企業の典型的な経営者であり、自己の野心や正義のために驀進するタイプの人物で、必ずしも清廉潔白な人物、あるいはコンプライアンス意識の高い人物というわけではありません。そのため、今後のTwitterにおける表現の自由や、ユーザーの個人データの取扱などがますます気になります。

2.「思想の自由市場論」vs「闘う民主主義」
マスク氏の主張する「言論の自由」とは、おそらくアメリカや日本の憲法学の背景にある「思想の自由市場論」に近いものであると思われます。これは、多くの表現や意見が自由に表明され議論されれば、よりよい結論や真理に到達できるであろうとする考え方であり、18世紀のフランス革命やアメリカ独立戦争などの市民革命を経た近代社会の表現の自由に関する近代憲法の前提となる考え方です。これに対して、第二次世界大戦におけるナチズムの反省に立つ欧州では、さらに一歩進んで「自由主義・民主主義に反する者には基本的人権を与えない」という、いわゆる「闘う民主主義」とのポスト近代憲法(脱近代憲法)の考え方をとっています。

もしマスク氏が「Twitterの言論の自由を改革する」とワンマン・オーナーぶりを発揮したら、マスク氏の好む言論や表現の許される範囲は拡大するかもしれませんが、その一方で、テスラ社やスペースX社への批判や、マスク氏などへの批判などは規制されるようになってしまうかもしれません。

表現への規制には公権力や国民の多数派による濫用の危険がつきまといます。例えば2014年には、当時の自民党は「ヘイトスピーチとセットで国会デモを法規制すること」を提言し、議論を巻き起こしました。

あるいは、仮にマスク氏が欧州の「闘う民主主義」的な規制の多い表現空間ではなく、アメリカ・日本などの「思想の自由市場論」的な規制の少ない表現空間を目指すとしたら、表現の自由との関係でそれは一般論としては望ましいものの、例えば、2021年1月のアメリカ議会襲撃事件をネット上で扇動したとされるドナルド・トランプ氏の現在「凍結」されているアカウントをどうするのか?という困難な問題が浮上することになると思われます。

このように言論の自由、表現の自由の規制の問題は非常に困難が多いものですが、とくにTwitterなどのSNSは、国・自治体ではなく一民間企業にすぎないTwitter社が同社のシステム上の言論や表現、あるいは個人データの取扱を管理・運営しているため、ますます難解なものとなります。

(なお、憲法は原則として国を規制するための法ですが、Twitter社などの民間企業に対しても、憲法は法律の一般条項(民法1条2項、90条など)を通じて間接的に適用されるとするのが判例であり憲法学の通説的な見解です。)

3.「デジタル荘園」
この点、2020年1月の日本経済新聞の山本龍彦・慶大教授(憲法・情報法)の「プラットフォーマーと消費者(下) 「デジタル封建制」統制を」とのインタビュー記事などが参考になると思われます。(山本教授は講演会などでも「デジタル荘園」の考え方を講義されておられます。)
・プラットフォーマーと消費者(下) 「デジタル封建制」統制を|日本経済新聞

「デジタル荘園」とは元々経済学者の提唱した概念のようですが、TwitterやFacebook、Googleなどの巨大IT企業のGAFAは、まるで中世の「荘園」のように、ユーザーを自社のプラットフォームに「領民」・「農奴」として囲い込み、各種のサービスを提供・管理・運営し、マルウェアなどからユーザーを守る代わりに、「年貢」としてユーザーから個人データ等を徴収するということを表した考え方です。

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(中世ヨーロッパの荘園。Wikipediaより)

この「デジタル荘園」としてのTwitter等は、民主主義国家ではなく、あくまでも民間企業のサービスであり、われわれユーザーは国民ではなく消費者つまり「領民」や「農奴」に過ぎません。そのため、われわれユーザーは、仮にTwitter社のサービスや、「領主」のマスク氏や経営陣の経営に問題があるとしても、選挙権や被選挙権、リコール制度などは存在しないため、国民が民主主義国家の政府・議会に対してできることに比べて、Twitter社やマスク氏へ異議申し出や是正の要求を行うことが極めて困難になってしまいます。

18世紀の市民革命は荘園や教会などの「中間団体」を排除し、国家を国民と直接つなぎ、国民自身が国家に参画して自らを統治する近代民主主義国家が生まれたはずなのに、21世紀の現在、デジタル・プラットフォームであるGAFAなどの巨大IT企業が、再び中間団体としての「デジタル荘園」として、国民と国家とを分断しつつある状況です。

4.まとめ
このような「デジタル荘園」や、もしマスク氏がTwitter社をワンマン経営した場合のリスクに対しては、最近は日本・欧州などはデジタル・プラットフォーマー規制法(日本)・デジタルサービス法(EU)などを相次いで立法化していますが、そのような法的手当をより強化し、GAFAなど巨大IT企業を、国民の信託を受けた国会の立法による民主的なコントロールを行うことが必要なのかもしれません。

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■関連する記事
・メルケル独首相のツイッター社等のトランプ氏追放への「苦言」を考える-表現の自由
・「表現の不自由展かんさい」実行委員会の会場の利用承認の取消処分の提訴とその後を憲法的に考えた-泉佐野市民会館事件・思想の自由市場論・近代立憲主義

■参考文献
・水谷瑛嗣郎「AIと民主主義」『AIと憲法』(山本龍彦編)285頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法1 第5版』312頁、352頁











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(日本経済新聞の「月曜日のたわわ」の宣伝広告)

1.日経新聞のマンガ「月曜日のたわわ」宣伝広告が炎上
4月4日(月)の日本経済新聞のマンガ「月曜日のたわわ」の宣伝広告が、Twitterなどのネット上で、「「公共の場所」としての新聞広告にこのような表現はけしからん」とフェミニスト・社会学者などの方々から大きな批判が起き、賛否両論の「炎上」となっています。

ところで、電車の中の宣伝アナウンス(車内広告)が、そのような宣伝を聞きたくない乗客の自由(権利)を侵害するものか否かが争われた著名な憲法訴訟の「とらわれの聴衆」事件判決に照らしても、この日経の「日曜日のたわわ」の宣伝広告を批判している人々の主張は法律論としては、あまり正しくないように思われます。

2.「とらわれの聴衆」事件判決
「とらわれの聴衆」事件判決(最高裁昭和63年12月20日判決)は、大阪市の市営地下鉄の電車内の「次は〇〇前です」「〇〇へお越しの方は次でお降りください」という商業宣伝広告が、そのような商業宣伝広告を聞きたくない個人の人格権の侵害であるとして争われたものです。最高裁は、市営地下鉄の宣伝広告は不法行為または債務不履行との関係で違法とはいえないとしてこの訴えを退けています。

・最高裁判所第三小法廷昭和63年12月20日判決(昭和58(オ)1022 商業宣伝放送差止等請求事件)|裁判所

本判決にはパブリック・フォーラム論などで有名な伊藤正己裁判官の補足意見がつけられていますが、この補足意見によると、最高裁はいわゆる受忍限度論(「社会生活を営む上で我慢するべき限度」が受忍限度(我慢すべき限度)であり、これを超えると加害者側が違法となるが、これを超えない場合、被害者側は受忍をしなければならないとする考え方)で本件訴えを退けたようです。

そしてこの伊藤裁判官の補足意見は、「日常生活において、見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由(権利)」について論じていることが、今回の日経の新聞広告との関係で参考になります。

3.伊藤正己裁判官の補足意見
「とらわれの聴衆」事件判決の伊藤正己裁判官の補足意見(概要)
『人は日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由を有している。これは、個人が他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない法的な利益であり、広い意味でのプライバシー権であり、人格的利益として幸福追求権(憲法13条)に含まれる。

『しかし、他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない権利も、社会に存在する他の利益との調整が図られなければならず、対立する利益(そこには経済的自由権も当然含まれる)との比較考量により、その侵害を受忍しなければならないこともありうる。

『すでにみたように、他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない権利は広義のプライバシーの権利と考えられるが、プライバシーは個人の居宅などと異なり、公共の場所においてはその保護が希薄とならざるを得ず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。したがって、一般の公共の場所にあっては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生じるとはいえない。』

このように伊藤裁判官の補足意見は、「日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由」は、「個人が他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない法的な権利(自由)」であり、「広い意味でのプライバシー権」であって、「人格的利益」として幸福追求権(憲法13条)に含まれるとしています。

しかし同補足意見は、この他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない権利も社会の対立する他の利益(権利)との比較衡量による調整が図られなければならないとし、この権利がプライバシー権の一種であることから、個人の居宅などと異なり、公共の場所ではその保護が希薄とならざるを得ず、受忍すべき範囲は広くなるとしています。

3.日経新聞の「月曜日のたわわ」の新聞広告を考える
この最高裁にかんがみると、日経新聞の「月曜日のたわわ」の新聞広告については、フェミニストや社会学者などの人々が、そのような新聞広告を見たくないと考え、そのような新聞広告は自らの人格権の侵害であるとすることは、「日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない権利」の一つに含まれ、「個人が他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない法的な権利(自由)」であり、「広い意味でのプライバシー権」であって、「人格的利益」として幸福追求権(憲法13条)に含まれると解される余地があります。

しかし、この「日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない権利」(憲法13条)も無制限なものではなく、社会に存在する他の権利との比較衡量による調整が必要となります。

「とらわれの聴衆」事件は市営地下鉄という公的機関による宣伝広告でしたが、日経新聞の件は、日経新聞は民間企業であり日経新聞を購読するか否かは個人の判断に委ねられており、マンガ「月曜日のたわわ」の漫画家も出版社も民間人であり民間企業であるので、これらの民間人・民間企業の営業の自由(憲法22条、29条)や表現の自由(営利的な表現の自由、憲法21条1項)もより重要な人権(経済的自由権・精神的自由権)となります。(なおそのため、フェミニスト等の人々の日経新聞の宣伝広告は「公共の場所」であるとの議論の前提にもやや疑問が残ります。)

また、「とらわれの聴衆」事件で問題となったのは、電車内の車内アナウンスから逃れられない「とらわれの聴衆」の乗客でしたが、日経新聞の件では、読者はもしその宣伝広告が不快であると感じたのなら、その紙面の該当部分を閉じて見なければよいだけの話です。(あるいは日経新聞の購読を止めるなど。)

4.まとめ
したがって、日経新聞の「月曜日のたわわ」の新聞広告を「公共の場所である新聞広告にふさわしくない」と批判しているフェミニストや社会学者などの方々には「日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない権利」(憲法13条)があるとしても、日経新聞や「月曜日のたわわ」の漫画家や出版社などの権利との比較衡量をすると、受忍限度の範囲内にとどまり、「月曜日のたわわ」の新聞広告は不法行為および債務不履行との関係で違法でないということになると思われます。

■追記-マンガ・アニメ等の表現の自由と「見たくないものを見ない自由」・SDGs
なお近年、とくにフェミニストや社会学者の人々が、女性の「見たくないものを見たくない権利」を主張し、街の宣伝広告やポスターなどを規制する条項を東京都の条例などに盛り込むべきであるとの議論がなされているとの話もあります。

あるいは2010年頃にはマンガ・アニメ等の表現規制のために、東京都の青少年保護条例に「非実在少年」の条項を盛り込もうという議論も行われ、2021年の衆院選挙においては、日本共産党が「非実在児童ポルノ」という概念を持ち出して、マンガ・アニメなどの表現の自由規制を行うことを公約に掲げ議論を巻き起こしました。さらに近年、コンビニで成年向けの雑誌などがコンビニの「自主規制」により撤去されている問題も発生しています。

このような問題に関しては、表現の自由(憲法21条1項)だけでなく、この「とらわれの聴衆」事件最高裁判決の「見たくないものを見ない自由」の伊藤正己裁判官の補足意見も大いに参考になるものと思われます。フェミニズムの人々は女性の「見たくないものを見ない自由」を声高に主張しますが、それは法的権利(憲法13条)であるとしても絶対無制限なものではなく、例えば漫画家や出版社、読者などの表現の自由や情報を受け取る自由(21条1項)、営業の自由(22条、29条)などとの調整が重要なのです。(これはフェミニズムや社会学者の人々が主張する平等(憲法14条1項)についても同様です。)

なお、フェミニズムや社会学者の方々は、しばしばSDGs(Sustainable Development Goals)を根拠としてジェンダー平等などの主張を行いますが、SDGsは2015年に国連総会で採択された2035年までの国際的な「目標」であり法的義務を持つものではありません。仮にSDGsが国際条約的な意味を持つとしても、国際条約は憲法(日本国憲法など)より下位の法規範です(憲法98条1項、2項)。そのため、SDGsの掲げるジェンダー平等等が憲法の定める表現の自由や営業の自由などの基本的人権より優越する価値理念だという考え方は間違っています。また、SDGsの目標16(平和と公平)のなかのターゲット16-3には「法令遵守」が盛り込まれています。そのためジェンダー平等などの理念のためには表現の自由や営業の自由、平等などの憲法の定める基本的人権は制限されるとのフェミニズムや社会学者等の方々の主張はやはり正しくありません。

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■参考文献
・渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法1基本権』278頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法1 第5版』273頁
・紙谷雅子「車内広告放送と「とらわれの聴衆」」『憲法判例百選1 第7版』44頁
・最高裁判所第三小法廷昭和63年12月20日判決(昭和58(オ)1022 商業宣伝放送差止等請求事件)|裁判所
・SDGsとは?|外務省

■関連する記事
・日本共産党の衆院選公約の「非実在児童ポルノ」政策は憲法的に間違っている
・「幸福追求権は基本的人権ではない」/香川県ゲーム規制条例訴訟の香川県側の主張が憲法的にひどいことを考えた
・「表現の不自由展かんさい」実行委員会の会場の利用承認の取消処分の提訴とその後を憲法的に考えた-泉佐野市民会館事件・思想の自由市場論・近代立憲主義
・デジタル庁「教育データ利活用ロードマップ」は個人情報保護法・憲法的に大丈夫なのか?
・スーパーシティ構想・デジタル田園都市構想はマイナンバー法・個人情報保護法や憲法から大丈夫なのか?-プロファイリング拒否権・「デジタル・ファシズム」



















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共産党サイト
(日本共産党サイトより)

1.日本共産党の「非実在児童ポルノ」に関する選挙公約
日本共産党の2021年衆議院選挙の各政策の「7、女性とジェンダー」「非実在児童ポルノ」に関する記述を読みました。
・「7、女性とジェンダー」|日本共産党

私はマンガ・アニメ・ゲームなどの表現規制に反対の立場であるので、「非実在児童ポルノ」の法規制のために「社会的合意」を作ってゆくという日本共産党のこの政策に反対であり、この政策の撤回を求めます。

日本共産党の2021年衆議院選挙の各政策の「7、女性とジェンダー」の「非実在児童ポルノ」に関する政策はつぎのように記述しています。

現行法は、漫画やアニメ、ゲームなどのいわゆる「非実在児童ポルノ」については規制の対象としていませんが、日本は、極端に暴力的な子どもポルノを描いた漫画やアニメ、CG、ビデオ、オンライン・ゲーム等の主要な制作国として国際的にも名指しされており、これらを適切に規制するためのより踏み込んだ対策を国連人権理事会の特別報告者などから勧告されています(2016年)。

非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。「表現の自由」やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会的な合意をつくっていくために、幅広い関係者と力をあわせて取り組みます。

この政策を読むと、「日本は、極端に暴力的な子どもポルノを描いた漫画やアニメ、CG、ビデオ、オンライン・ゲーム等の主要な制作国として国際的にも名指しされており」、国連人権理事会からも勧告を受けているとした上で、「非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。」とし、「子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会的な合意をつくっていく」としています。

この記述を素直に読むと、「子どもポルノを描いた漫画やアニメ、CG、ビデオ、オンライン・ゲーム等」の「非実在児童ポルト」は「子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つける」ので、「非実在児童ポルノ」を法規制するための「社会的合意」を作ってゆく、つまり、日本共産党は、マンガ・アニメ・ゲームなどにおける「非実在児童ポルノ」法規制するために「社会的合意」を作ってゆくとなっています。

2.日本共産党の10月18日付の釈明文書
この点、ネット上で日本共産党が「非実在児童ポルノ」の法規制、つまり表現の自由の規制推進に舵を切ったとの大きな批判を受け、日本共産党は10月18日付で「「共産党は表現規制の容認に舵を切ったのですか」とのご質問に答えて」との釈明文書を公表しました。
・「共産党は表現規制の容認に舵を切ったのですか」とのご質問に答えて|日本共産党

しかしこの釈明文書も、「日本の現状への国際的な指摘があることを踏まえ、幅広い関係者で大いに議論し、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さないための社会的な合意をつくっていくことを呼びかけたものです。」と記しているとおり、「子どもポルノを描いた漫画やアニメ、CG、ビデオ、オンライン・ゲーム等」の「非実在児童ポルト」は「子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つける」ので、「非実在児童ポルノ」を法規制するための「社会的合意」を「呼びかけてゆく」と書かれているので、つまり、「「非実在児童ポルト」は「子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つける」ので、法規制するための「社会的合意」を作ってゆくとされており、結局、日本共産党が「非実在児童ポルノ」を法規制するための「社会的合意」を形成する方針、つまり日本共産党は表現規制推進派に舵を切ったことに変わりはありません。

私はマンガ・アニメ・ゲームなどの表現規制に反対の立場であるので、「非実在児童ポルノ」の法規制のために「社会的合意」を作ってゆくという日本共産党のこの政策に反対です。

2.表現の自由について憲法から考える
(1)表現の自由(憲法21条1項)

言うまでもないことながら、18世紀のフランス革命やアメリカ独立戦争以降の西側近代社会においては、表現の自由は、国民が自らの表現行為を行うことにより自らの人格を成長させるという自己実現の価値があるとともに、国民がさまざまな意見や見解を授受して議論を行い、民主政治に参加するための前提の人権という民主主義の価値(自己統治の価値)という二つの価値があります。そして特に後者の民主主義の価値のため、民主主義国家においては表現の自由はとりわけ重要な基本的人権です(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』180頁)。

日本国憲法
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

そのため、かりに表現規制をするとしてもできるだけ表現内容には踏み込まず、時・場所などの面から規制したり(表現内容中立規制)、表現規制の基準はあいまい・漠然としたものであってはならない(明確性の原則)とするのが憲法学の基本的な考え方です。

にもかかわらず、ネット上でのある方の日本共産党への電話での問い合わせによると、日本共産党は「手塚治虫は法規制しない」等と回答しているとのことで、マンガ・アニメなどの表現内容に踏み込んで自分達の好き嫌いや恣意的な判断でマンガ・アニメなどを表現内容から規制する意図を隠そうともしていないとのことであり、これは2010年に「非実在青少年」なる概念を掲げてマンガ・アニメなどの表現規制を行おうとした東京都自民党などと何ら変わるところはありません。

・『日本共産党中央委員会への電凸記』|ヒトシンカ
・問い合わせの結果、共産党は表現規制派に転向したことが確定。共産党は”議論なしの法規制”に反対なだけで、”議論の上での法規制”には反対しない。|togetter
・【表現規制】日本共産党・吉良よし子参議院議員「“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」|togetter
・共産党が規制対象としてコミケを名指し。”規制を求めるべき、子供を性的に虐待したり搾取したりする漫画やアニメがコミックマーケットで沢山売られている”|togetter

共産党吉良よし子
(「こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」等と「非実在児童ポルノ」政策を説明する共産党の吉良よし子議員。ABEMA NEWSより)

共産党手塚治虫は法規制しない
(松田未来氏のTwitterより)
https://twitter.com/macchiMC72/status/1450651084377055238

しかもその表現規制の理由が、「非実在児童ポルト」は「子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広める」という真偽不明な、あいまいで漠然としたものであり、その規制の基準も「手塚治虫は法規制しない」等という日本共産党の恣意的な判断で規制を行おうということも非常に漠然としてあいまいなものであり、表現の自由など精神的人権はその重要性から、その法規制は明確でなければならないという明確性の原則「漠然性ゆえに無効」「過度の広範性ゆえに無効」)に反しているので、日本共産党の「非実在児童ポルノ」政策憲法21条1項に反して違法・違憲で無効なものです(最高裁昭和50年9月10日判決・徳島市公安条例事件、芦部・高橋・前掲213頁)。

さらに、いったん表現の規制立法ができてしまうと、その表現規制立法について公権力による濫用のおそれの危険が発生します。つまり表現の規制法ができてしまうと、政府に規制対象の認定権をゆだねることになり、その恣意的な適用が懸念されることになります(渋谷秀樹『憲法 第2版』380頁)。

例えば最初はマンガ・アニメなどの「非実在児童ポルノ」だけが法規制の対象だったものが、いつのまにか同性愛などの内容をも禁止の対象が拡大するであるとか、国・政府や政治政党等を批判することが禁止の対象にされるなど、政府の恣意的な判断で表現の自由の規制の対象範囲がどんどん拡大してしまう危険があります。

実際にも、2014年8月には、国会でヘイトスピーチ規制法の議論が行われた際に、自民党の高市早苗政調会長(当時)は、「ヘイトスピーチとセットで国会前デモも規制する立法を検討する」との見解を公表しました(「国会周辺の大音量デモ規制も検討 自民ヘイトスピーチPT」産経ニュース2014年8月28日付より)。表現の自由規制立法の公権力による濫用の危険は机上の空論ではないのです。

(2)検閲・事前抑制の禁止(憲法21条2項)
憲法21条2項は「検閲」を禁止しています。これは戦前の日本の政府や軍部、特高警察などのファシズムによる表現弾圧・思想弾圧・学問弾圧への反省を踏まえたものです。

検閲とは、「公権力が外に発表されるべき思想の内容をあらかじめ審査し、不適当と認めるときには、その発表を禁止する行為」です。この「公権力」とは行政権のことであり、国や自治体などが該当します。また、検閲の対象広く表現内容を指します。さらに検閲の時期については思想・情報の発表前とするのが判例ですが、憲法学の通説は、現代社会では表現の自由について国民の「知る権利」が重要であることから、思想・情報の国民の受領時を基準として、思想・情報の発表に重大な抑止効果をおよぼすような規制も検閲に該当するとしています(最高裁昭和59年12月12日判決・税関検査事件、最高裁平成元年9月19日判決・岐阜県青少年保護条例事件、芦部・高橋・前掲207頁)。

そのため、もし日本共産党の主張する「非実在児童ポルノ」を規制するとの「社会的合意」が社会に形成され、それに基づいて国会で「非実在児童ポルノ規制法」などが制定され、当該法律に基づいて法務省などの行政機関や自治体、あるいは立憲民主党の主張する「人権機関」などの行政権が「非実在児童ポルノ」を公表前に審査し発表を禁止すると憲法の禁止する「検閲」に該当し憲法21条2項違反となります(判例)。

あるいは「非実在児童ポルノ」が書店やコミケ(コミックマーケット)等で書店の顧客やコミケ参加者が当該図書等を手にとる前に国・自治体などが当該図書の販売を禁止したり、ネットやSNS上で「非実在児童ポルノ」が公表された後に国・自治体などが当該表現物の公表をSNS等の運営会社に停止させること等は、憲法学の通説の「検閲」に該当し憲法21条2項違反となります。

3.憲法の基本構造から考える
また、日本共産党は国連人権委員会の意見を錦の御旗のように掲げていますが、戦後の欧州がナチズムへの反省から、自由主義・民主主義に反する者には表現の自由や集会の自由などの基本的人権を与えないと憲法に明記し(ドイツ基本法18条など)、特別刑法で民衆扇動罪などを準備する「闘う民主主義」という「国家による人権保障」「ポスト近代憲法」のスタンスをとるのに対して、アメリカの憲法や、アメリカの憲法をもとに現行憲法を制定した日本は、戦前の言論弾圧・表現弾圧・思想弾圧が戦争を招いた反省を踏まえ、「さまざまな意見を自由に発言させて議論させれば、よりよい結論を得られるだろう」という「思想の自由市場論」(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』352頁)を基本とする、表現の自由などの国民の精神的自由に関して「国家からの自由」を重視する、伝統的な「近代憲法」の国です。

このような欧州のポスト近代憲法と日米の近代憲法との違いの検討を欠いたままで、欧州の「国家による人権保障」「法律による人権保障」を安易に志向することには大きな問題があります(辻村みよ子『比較憲法 新版』126頁)。

国連人権委員会は、「国家による人権保障」を重視する欧州型の「ポスト近代憲法」のスタンスに立って「非実在児童ポルノの禁止」を日本に要求していると思われますが、そもそも日本は思想の自由市場論や「国家からの自由」を重視する伝統的な「近代憲法」を国の基盤とする国家なので、憲法的な基盤の異なる国連人権委員会の主張を唯々諾々と受け入れる日本共産党の姿勢は憲法学的に間違っています。日本共産党はフェミニストや社会学者、反差別活動家、人権活動家などに乗っ取られ、憲法学や法律学に詳しい人材がいなくなってしまったのでしょうか?

4.思想・良心の自由(憲法19条)
さらに、日本共産党は、「非実在児童ポルノ」は「子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広める」と主張していますが、それは日本共産党の高齢の女性幹部達の恣意的な思想や判断、決めつけの国民への押し付けなのではないでしょうか。

「非実在児童ポルノ」を見た国民が「「子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念」を持つということについて、日本共産党は何らかの科学的・医学的なエビデンスを持っているのでしょうか?

日本共産党の高齢の女性幹部の方々が、「こういうわいせつなアニメ・マンガ・ゲームを見たら、日本の若い男性は、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を持つ」と考えたとしても、現実の日本の若い国民がそう思わないことのほうが多いように思われます。

例えば、本年9月には、日本共産党や社民党の女性政治家達の全国フェミニスト議員連盟が、千葉県警の交通安全を啓発するための動画に千葉県松戸市の女性VTuber「戸定梨香」氏を起用したところ、戸定梨香氏の3Dのキャラクターが「女性を性的に搾取している」と、全国フェミニスト議連が千葉県警に当該交通安全啓発の動画を削除させた事件が起こりました。

vtuberアベマニュース
(ABEMA NEWSより)
・「女性の権利や社会進出を訴えたいという思いは同じだと思う」松戸市のVTuber「戸定梨香」の動画削除で、運営会社社長が全国フェミニスト議員連盟に呼びかけ|ABEMA TIMES

この事件で問題となった戸定梨香氏の3Dキャラクターを私も見ましたが、ごく普通のキャラクターでした。日本共産党などの全国フェミニスト議員連盟は、単に「自分達、高齢女性にはよく分からない表現で何だか気にくわないから、「性的搾取」という理由で弾圧してやれ」と思っているとしか思えませんでした。全国フェミニスト議員連盟のやっていることは、「焚書」や、中国の文化大革命などと同様の文化・文明を破壊する表現弾圧や思想弾圧の蛮行であると思われます。

同様に、今回の「非実在児童ポルノ」についても、日本共産党の幹部達は、「自分達にはよく理解できない表現だから若者がそういう表現を好むことはけしからん、このような表現は「子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念」を招くとして法規制のための「社会的合意」を形成しようと考えていると思われます。

それは、国家が国民の言論を監視・検閲し、国民に特定の思想を強制し、国家が特定の思想や表現を弾圧する中国北朝鮮ロシアジョージ・オーウェルの小説「1984」のようなファシズム国家、監視国家などと同じです。

さらに、そもそも国民が心のなかで何を思うか、どのような思想や良心を持つか自体は、憲法が思想・信条や良心、内心の自由として絶対的に保障しているところです(憲法19条)。個人の思想や良心がその個人の内心にとどまっている限りは、他人の人権と衝突しないので、それは絶対的に保障されます。政治政党として公権力の一部である日本共産党が、国民の思想や良心に介入することは憲法19条に違反する違法・違憲な行為です。

日本国憲法

第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


にもかかわらず、日本共産党が「子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念」を招くから「非実在児童ポルノ」を「社会的合意」のもとに法規制を行おうとすることは、自民党が2012年に公表した憲法改正草案で示したような、「経済を発展させ国を成長させる義務」「家族助け合い義務」などの特定の価値観や考え方、思想などを公権力が国民に強制するものと同様の行為であり、内心の自由を定める憲法19条違反であるとともに、国民の自由意思を重んじる、個人の尊重と基本的人権の確立を国家の目的とする近代憲法である日本国憲法の趣旨・目的(憲法11条、97条)そのものに反しています。

このように、日本共産党の「非実在児童ポルノ」に関する政策は、表現の自由(憲法21条1項)に関する基本的理解を誤っており、また、日本共産党という政治政党が「社会的合意」により法改正などにより国民の表現の自由を規制し、また、国民に政治政党である日本共産党が立法などを通じて自分達の好む思想を国民に強制しようとしている点で、国民の内心の自由(憲法19条)を侵害し、国民の自由意思に基づく自由な民主主義という日本の憲法の趣旨そのものに違反しています(憲法11条、13条、97条)。

日本共産党の国会議員や地方議員達は、政府・与党の議員や官僚などと同様に、憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負っていますが、日本共産党はそのことを失念しているのではないでしょうか?

5.フェミニズム・ジェンダー平等
たしかにあらゆる差別の禁止、男女平等という平等原則・法の下の平等は重要な基本的人権(憲法14条1項)であり、私も男女平等や「女性の権利の向上」には大賛成です。しかし平等原則も人権である以上無制限に認められるものではなく、他の人権と衝突した場合にはその調整が必要となります(「公共の福祉」・憲法12条、13条、22条、29条)。

女性の平等権を侵害する表現等があった場合は、上でみたように表現の自由の重要性に鑑み、そのような表現行為は、現在の判例・通説上そうであるように、名誉棄損やわいせつ罪などの観点から裁判所で判断され事後的に救済されるべきです(最高裁昭和44年6月25日判決など)。

そのため、近年、日本共産党をはじめとする野党各党やフェミニスト、社会学者などは、「女性の権利の向上」「ジェンダー平等」などの主張を錦の御旗のように掲げ、それと異なる主張や価値観や、マンガ・アニメ・ゲーム等を激しく攻撃していますが、それは「フェミニズム・ファシズム」あるいは「女性至上主義」とでも呼ぶべきものであり、男女の平等を定める憲法14条1項違反であって、憲法学・法律学の観点から明らかに間違っています。

また、最近の日本共産党や立憲民主党などは、「フェミニズム」「ジェンダー平等」を憲法の掲げる個人の尊重と基本的人権よりも上位の価値理念であるかのような主張をしています。

たしかに最近、「ジェンダー平等」は日本でも社会的注目を集めている理念ですが、法的にみると、これは2015年の国連総会で採択された「持続可能な開発目標」・SDGs(Sustainable Development Goals)が17の目標を掲げているところ、その5番目に「ジェンダー平等」が掲げられているものです。
・持続可能な開発目標・SDGsとは|外務省

SDGS
(SDGsの17の目標。外務省サイトより)

つまり、「ジェンダー平等」を目標の一つに掲げるSDGsは、国連で採択された条約の一種であり、憲法学の通説は、条約と憲法との上下関係について、憲法98条は憲法が最高法規であり、法律や国の政策、処分などに優先すると規定していることから、憲法が条約に優越するとしています(98条)。

したがって、共産党や立憲民主党、フェミニストや社会学者などが、ジェンダー平等やフェミニズムなどの価値理念を憲法の定める表現の自由、法の下の平等、内心の自由などの基本的人権より優越する価値理念であるかのように主張することは憲法98条に違反しています。

さらに、上でみたように、共産党や立憲民主党などは国会議員等で構成される政治政党なので、共産党や立憲民主党などは憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負っており、「非実在児童ポルノ」政策などの憲法違反の政策を主張する共産党や立憲民主党などは尊重擁護義務違反でもあります。(共産党・立憲民主党などは、憲法尊重擁護義務を負うのは政府与党だけだと勘違いをしているのでしょうか?)

従来、共産党や立憲民主党などは、「憲法を守れ」と主張する「護憲政党」であったはずですが、フェミニズムやジェンダー平等等を憲法の規定する表現の自由や法の下の平等より優越する価値理念であると憲法違反の主張を行っている共産党・立憲民主党等には「護憲政党」を名乗り「憲法を守れ」と主張する資格はもはやありません。

6.まとめ-日本共産党は「非実在児童ポルノ」政策の撤回を
戦前、特高警察に拷問で殺されたプロレタリア文学の小林多喜二が党員であった日本共産党は、公権力の暴走や、公権力の表現規制と闘うことがアイデンティティの政党だと思っていたのですが、表現規制推進に転換したことは信じられません。

小林多喜二
(特高警察により拷問で殺された小林多喜二の遺体を囲む遺族や文学者達。日本共産党サイトより)

戦前の日本は軍国主義・ファシズムが台頭し、その考え方の「社会的合意」に基づいて議会で治安維持法、翼賛体制などが立法化され、滝川事件などの学問弾圧や思想弾圧公立図書館などにおける「思想善導」などが行われ、第二次世界大戦に突入してしまいました。このような公権力による思想や価値観の強制や、表現の自由規制などがいかに間違ったものであるかは、第二次世界大戦の無残な戦禍の結果を見れば歴史的に明らかです。

表現の自由や内心の自由は民主主義の基盤であり、自民党などと同様に、表現規制推進派、つまりファシズムや国家主義、検閲を是とする監視国家的価値観に転換した日本共産党は、自由な民主主義や表現の自由、内心の自由を掲げる日本国憲法について、「憲法を守れ」と主張する資格や「護憲政党」を名乗る資格はありません。また、自民党・公明党や維新等を全体主義・国家主義と批判する資格ももはやありません。

このような理由から、私は日本共産党の2021年衆議院選挙の各政策の「7、女性とジェンダー」の「非実在児童ポルノ」の政策に反対であり、この政策の撤回を求めます。

(なお今回の衆院選の公約において、「インターネット上の誹謗中傷を含む、性別・部落・民族・障がい・国籍、あらゆる差別の解消を目指すとともに、差別を防止し、差別に対応するため国内人権機関を設置します。」としている立憲民主党の主張も、日本共産党の「非実在児童ポルノ」政策と同様に、国民の表現行為などを国(人権機関)が監視・検閲し、特定の表現行為や思想を弾圧し、立憲などが好む表現や思想を国民に強制する点で、中国や北朝鮮などのファシズム国家・超監視国家と同様であり、「反差別ファシズム」、「人権ファシズム」とでも呼ぶべきものであり、憲法の規定する表現の自由(憲法21条1項)や思想・良心の自由(憲法19条)に違反し、また自由主義と民主主義を掲げる日本国憲法の趣旨・目的そのものに反する考え方であり、私は反対であり撤回を求めます。)
・人権政策の抜本強化|立憲民主党

■追記(2021年11月2日)
報道によると、10月31日の衆議院選挙の大敗を受けて、立憲民主党の枝野幸男氏が党首を辞任するとのことです。衆院選の大敗もさることながら、「立憲民主党」という「立憲」を冠した党名の政党でありながら、国民の現実やネット上のあらゆる表現行為を検閲・規制する「人権機関」という近代立憲主義憲法に反するファシズム的な公約を掲げた立憲民主党の枝野氏が辞任するのは当然のことです。

同様に、「非実在児童ポルノ」というこれも近代立憲主義憲法に反するファシズム的な公約を掲げて衆院選で敗北した日本共産党の志位和夫委員長や、同政策の責任者の吉良よし子氏池内さおり氏なども責任をとって辞任更迭されるべきです。

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■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』180頁、213頁
・渋谷秀樹『憲法 第2版』380頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』352頁
・辻村みよ子『比較憲法 新版』126頁
・樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』90頁

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