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タグ:裁判

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(日本経済新聞の「月曜日のたわわ」の宣伝広告)

1.日経新聞のマンガ「月曜日のたわわ」宣伝広告が炎上
4月4日(月)の日本経済新聞のマンガ「月曜日のたわわ」の宣伝広告が、Twitterなどのネット上で、「「公共の場所」としての新聞広告にこのような表現はけしからん」とフェミニスト・社会学者などの方々から大きな批判が起き、賛否両論の「炎上」となっています。

ところで、電車の中の宣伝アナウンス(車内広告)が、そのような宣伝を聞きたくない乗客の自由(権利)を侵害するものか否かが争われた著名な憲法訴訟の「とらわれの聴衆」事件判決に照らしても、この日経の「日曜日のたわわ」の宣伝広告を批判している人々の主張は法律論としては、あまり正しくないように思われます。

2.「とらわれの聴衆」事件判決
「とらわれの聴衆」事件判決(最高裁昭和63年12月20日判決)は、大阪市の市営地下鉄の電車内の「次は〇〇前です」「〇〇へお越しの方は次でお降りください」という商業宣伝広告が、そのような商業宣伝広告を聞きたくない個人の人格権の侵害であるとして争われたものです。最高裁は、市営地下鉄の宣伝広告は不法行為または債務不履行との関係で違法とはいえないとしてこの訴えを退けています。

・最高裁判所第三小法廷昭和63年12月20日判決(昭和58(オ)1022 商業宣伝放送差止等請求事件)|裁判所

本判決にはパブリック・フォーラム論などで有名な伊藤正己裁判官の補足意見がつけられていますが、この補足意見によると、最高裁はいわゆる受忍限度論(「社会生活を営む上で我慢するべき限度」が受忍限度(我慢すべき限度)であり、これを超えると加害者側が違法となるが、これを超えない場合、被害者側は受忍をしなければならないとする考え方)で本件訴えを退けたようです。

そしてこの伊藤裁判官の補足意見は、「日常生活において、見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由(権利)」について論じていることが、今回の日経の新聞広告との関係で参考になります。

3.伊藤正己裁判官の補足意見
「とらわれの聴衆」事件判決の伊藤正己裁判官の補足意見(概要)
『人は日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由を有している。これは、個人が他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない法的な利益であり、広い意味でのプライバシー権であり、人格的利益として幸福追求権(憲法13条)に含まれる。

『しかし、他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない権利も、社会に存在する他の利益との調整が図られなければならず、対立する利益(そこには経済的自由権も当然含まれる)との比較考量により、その侵害を受忍しなければならないこともありうる。

『すでにみたように、他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない権利は広義のプライバシーの権利と考えられるが、プライバシーは個人の居宅などと異なり、公共の場所においてはその保護が希薄とならざるを得ず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。したがって、一般の公共の場所にあっては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生じるとはいえない。』

このように伊藤裁判官の補足意見は、「日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由」は、「個人が他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない法的な権利(自由)」であり、「広い意味でのプライバシー権」であって、「人格的利益」として幸福追求権(憲法13条)に含まれるとしています。

しかし同補足意見は、この他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない権利も社会の対立する他の利益(権利)との比較衡量による調整が図られなければならないとし、この権利がプライバシー権の一種であることから、個人の居宅などと異なり、公共の場所ではその保護が希薄とならざるを得ず、受忍すべき範囲は広くなるとしています。

3.日経新聞の「月曜日のたわわ」の新聞広告を考える
この最高裁にかんがみると、日経新聞の「月曜日のたわわ」の新聞広告については、フェミニストや社会学者などの人々が、そのような新聞広告を見たくないと考え、そのような新聞広告は自らの人格権の侵害であるとすることは、「日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない権利」の一つに含まれ、「個人が他者から自己の欲しない刺激によって心の静謐を乱されない法的な権利(自由)」であり、「広い意味でのプライバシー権」であって、「人格的利益」として幸福追求権(憲法13条)に含まれると解される余地があります。

しかし、この「日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない権利」(憲法13条)も無制限なものではなく、社会に存在する他の権利との比較衡量による調整が必要となります。

「とらわれの聴衆」事件は市営地下鉄という公的機関による宣伝広告でしたが、日経新聞の件は、日経新聞は民間企業であり日経新聞を購読するか否かは個人の判断に委ねられており、マンガ「月曜日のたわわ」の漫画家も出版社も民間人であり民間企業であるので、これらの民間人・民間企業の営業の自由(憲法22条、29条)や表現の自由(営利的な表現の自由、憲法21条1項)もより重要な人権(経済的自由権・精神的自由権)となります。(なおそのため、フェミニスト等の人々の日経新聞の宣伝広告は「公共の場所」であるとの議論の前提にもやや疑問が残ります。)

また、「とらわれの聴衆」事件で問題となったのは、電車内の車内アナウンスから逃れられない「とらわれの聴衆」の乗客でしたが、日経新聞の件では、読者はもしその宣伝広告が不快であると感じたのなら、その紙面の該当部分を閉じて見なければよいだけの話です。(あるいは日経新聞の購読を止めるなど。)

4.まとめ
したがって、日経新聞の「月曜日のたわわ」の新聞広告を「公共の場所である新聞広告にふさわしくない」と批判しているフェミニストや社会学者などの方々には「日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない権利」(憲法13条)があるとしても、日経新聞や「月曜日のたわわ」の漫画家や出版社などの権利との比較衡量をすると、受忍限度の範囲内にとどまり、「月曜日のたわわ」の新聞広告は不法行為および債務不履行との関係で違法でないということになると思われます。

■追記-マンガ・アニメ等の表現の自由と「見たくないものを見ない自由」・SDGs
なお近年、とくにフェミニストや社会学者の人々が、女性の「見たくないものを見たくない権利」を主張し、街の宣伝広告やポスターなどを規制する条項を東京都の条例などに盛り込むべきであるとの議論がなされているとの話もあります。

あるいは2010年頃にはマンガ・アニメ等の表現規制のために、東京都の青少年保護条例に「非実在少年」の条項を盛り込もうという議論も行われ、2021年の衆院選挙においては、日本共産党が「非実在児童ポルノ」という概念を持ち出して、マンガ・アニメなどの表現の自由規制を行うことを公約に掲げ議論を巻き起こしました。さらに近年、コンビニで成年向けの雑誌などがコンビニの「自主規制」により撤去されている問題も発生しています。

このような問題に関しては、表現の自由(憲法21条1項)だけでなく、この「とらわれの聴衆」事件最高裁判決の「見たくないものを見ない自由」の伊藤正己裁判官の補足意見も大いに参考になるものと思われます。フェミニズムの人々は女性の「見たくないものを見ない自由」を声高に主張しますが、それは法的権利(憲法13条)であるとしても絶対無制限なものではなく、例えば漫画家や出版社、読者などの表現の自由や情報を受け取る自由(21条1項)、営業の自由(22条、29条)などとの調整が重要なのです。(これはフェミニズムや社会学者の人々が主張する平等(憲法14条1項)についても同様です。)

なお、フェミニズムや社会学者の方々は、しばしばSDGs(Sustainable Development Goals)を根拠としてジェンダー平等などの主張を行いますが、SDGsは2015年に国連総会で採択された2035年までの国際的な「目標」であり法的義務を持つものではありません。仮にSDGsが国際条約的な意味を持つとしても、国際条約は憲法(日本国憲法など)より下位の法規範です(憲法98条1項、2項)。そのため、SDGsの掲げるジェンダー平等等が憲法の定める表現の自由や営業の自由などの基本的人権より優越する価値理念だという考え方は間違っています。また、SDGsの目標16(平和と公平)のなかのターゲット16-3には「法令遵守」が盛り込まれています。そのためジェンダー平等などの理念のためには表現の自由や営業の自由、平等などの憲法の定める基本的人権は制限されるとのフェミニズムや社会学者等の方々の主張はやはり正しくありません。

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■参考文献
・渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法1基本権』278頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法1 第5版』273頁
・紙谷雅子「車内広告放送と「とらわれの聴衆」」『憲法判例百選1 第7版』44頁
・最高裁判所第三小法廷昭和63年12月20日判決(昭和58(オ)1022 商業宣伝放送差止等請求事件)|裁判所
・SDGsとは?|外務省

■関連する記事
・日本共産党の衆院選公約の「非実在児童ポルノ」政策は憲法的に間違っている
・「幸福追求権は基本的人権ではない」/香川県ゲーム規制条例訴訟の香川県側の主張が憲法的にひどいことを考えた
・「表現の不自由展かんさい」実行委員会の会場の利用承認の取消処分の提訴とその後を憲法的に考えた-泉佐野市民会館事件・思想の自由市場論・近代立憲主義
・デジタル庁「教育データ利活用ロードマップ」は個人情報保護法・憲法的に大丈夫なのか?
・スーパーシティ構想・デジタル田園都市構想はマイナンバー法・個人情報保護法や憲法から大丈夫なのか?-プロファイリング拒否権・「デジタル・ファシズム」



















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1.はじめに
ネット上のウェブサイト(Googleの口コミ)への投稿記事を第三者が本人に「なりすまし」て行ったものであると認定し、当該ウェブサイトの管理・運営者(Google)への当該投稿記事の削除請求を認めた興味深い裁判例(大阪地裁令和2年9月18日判決)が、『判例時報』2505号(2022年3月1日号)69頁に掲載されていました。

2.事案の概要
被告Y(Google)は、Googleアカウントを有する者であれば誰でも自由に店舗、施設等についての感想や評価等の口コミを投稿できる機能(Googleの口コミ)を提供・運営している。アカウント名はアカウントを有する者(ユーザー)が自由に設定でき、本件サイトではアカウント名が口コミの投稿者として表示される。

原告Xは、本件整骨院に通院している患者であり、河野花子という名前の患者は本件記事が投稿された前後の時期においてXのみである。本件投稿は遅くとも平成30年12月13日になされた。その後、Xは、本件投稿を閲覧した近隣住民から、「本件整骨院の悪口を書き込んでいるのではないか」と言われ本件投稿を知った。Xは自宅を一歩でれば近所の住民から何を言われるかと恐れながら生活する状況に陥り精神的苦痛を受けた。

Xは平成31年2月8日に本件投稿記事についてYに対して発信者情報開示の仮処分命令申立てを行った(別件保全事件)。これに対して東京地裁は令和元年5月7日、発信者情報を仮に開示することを命じる仮処分決定を行った。しかしYは同年同月29日にXに対して「開示を命じられた発信者情報が確認できない」との回答を行った。これに対してXは別件保全事件を取り下げ、本件投稿記事の削除と損害賠償の請求をYに対して求めて提訴したのが本件訴訟である。

3.判旨
本判決は、つぎのように判示して、本件投稿記事の削除請求を認める一方で、損害賠償責任は認めなかった。

(1)争点1(人格権に基づく本件投稿記事の削除請求権が認められるか)
『氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する権利を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきであるから、人は、その氏名を他人に冒用されない権利を有するところ、かかる権利は、不法行為上、強固なものとして保護されると解される(最高裁判所昭和63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照)。』(略)

『以上によれば、Xは、他人に氏名を冒用されない権利を違法に侵害されたといえるから、利用規約により本件サイトに投稿された記事につき一定の削除権限を有するYに対し、人格権に基づき本件投稿記事の削除を請求できる。』

(2)争点2(Yは不法行為に基づく損害賠償責任を負うか)
『Yが、別件申立てにより、本件投稿記事の存在を認識し、Xが氏名を冒用されない権利を侵害されている可能性を認識しえたとしても、本件投稿記事がXのなりすましによるものであることをYにおいて最終的に判断し得る情報が提供されたとまでは言えないから、その時点でXが他人に氏名を冒用されて本件投稿記事が投稿されたことを認識できたとはいえない。』『Yが…本件投稿記事を削除する条理上の義務を負っていたと認めることはでき(ない)。』

4.検討
氏名を他人に冒用されない権利は人格権(憲法13条)の一つであり、この権利に基づいて侵害行為の排除請求権が認められると本判決が引用している最高裁昭和63年2月16日判決はしています。また最高裁平成18年1月20日判決は、侵害行為の差止請求も認めています。

ところで、人格権としての氏名を他人に冒用されない権利が侵害された場合に、どのような判断基準で削除請求権などを認めるかについては、裁判例は、①氏名を他人に冒用されない権利は強固な権利であるので、氏名を冒用されたことを直ちに認めて、侵害行為の排除等を認める考え方と、②プライバシーに関する事項や名誉棄損に関する事項などと同様に、比較衡量で判断する考え方(最高裁平成29年1月31日判決・判例時報2328号10頁)の二つに分かれるようです。そして本判決は①をとっています。

この点、民法の通説は、人格権を理由とする差止等について、「人格権は生命・身体とともにきわめて重大な保護法益であり、物権の場合と同様に排他性を有する権利である」として、例えば看板の撤去、図書販売の差止めなどの排除などを命じる救済が認められるとしています(潮見佳男『基本講義 債権各論Ⅱ不法行為法 第3版』216頁)。つまり民法の通説は①を採用しているようです。(なおこの差止などの請求権が表現の自由などと衝突する場合には、その調整が必要となりますが、保護法益がプライバシー権などの場合には、現在の判例・多数説はプライバシー権を軽視しすぎであると潮見教授は指摘しています(潮見・前掲)。)

なお、ネット上の「なりすまし」による投稿の問題は、Googleの口コミだけでなく、TwitterやFacebookなどのSNSや、食べログなどの飲食店の情報サイトや人材会社の転職サイトなどでも同様に発生し得る問題であると思われます。これらのSNSなどにおいても、「氏名を冒用」されるような投稿が行われた場合、裁判所に当該投稿の削除等が認められる可能性があるものと思われます。

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■参考文献
・『判例時報』2505号(2022年3月1日号)69頁
・潮見佳男『基本講義 債権各論Ⅱ不法行為法 第3版』216頁















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1.はじめに
片側二車線道路の中央分離帯付近を歩いていた被保険者の交通事故が、生命保険会社の災害入院給付金等の約款条項の重過失免責に該当しないとした興味深い裁判例(福岡高裁令和2年8月27日判決(確定))が判例時報2505号(2022年3月1日号)56頁に掲載されていました。

2.事案の概要
(1)保険契約
A(本件交通事故当時33歳)はY生命保険会社(住友生命保険)との間で、平成27年4月1日付でAを保険契約者兼被保険者、Yを保険者とする最低保証利率付3年ごと利差変動積立保険契約(本件保険契約)を締結した。本件保険契約には、総合医療特約(180日型・災害入院給付金日額6000円)、入院保障充実特約および障害損傷特約が付加されていた。Aの指定代理請求人はAの母Xが指定されていた(本件訴訟の原告・控訴人)。

(2)交通事故の概要
福岡県に在住するAは、平成28年12月13日午後7時から午後11時まで職場の忘年会に出席して飲酒し、その後同僚とカラオケ店で翌14日午前3時半頃まで滞在して飲酒した。さらにAは同僚とラーメン店でラーメンを食べ、同日午前4時半頃、自宅まで徒歩で帰宅をはじめた。Aは紺のスーツに黒いコートを着て12月14日午前5時頃、まだ冬の夜の暗い時間帯、福岡県春日市の方々二車線の県道の第二車線(制限速度50キロメートル)の中央付近(中央分離帯寄り)を東側の歩道から西側の歩道に向けて県道に沿って歩行していたところ、同県道の第二車線を約50キロメートルで運転していたBの自動車に追突され、頭蓋骨骨折、硬膜下血腫などの傷害を負ったものである。事故当時、Aの血中アルコール濃度は1.25ミリグラム/1ミリリットルであり、これは酩酊度としては第一度(発揚期・微酔)に分類される濃度であり、「へべれけ」に酔っている状態ではなかった。

20220315現場見取り図
(本件訴訟の交通事故現場見取図。判例時報2505号67頁より)

(3)保険金・給付金の請求と保険会社の対応
Aの指定代理人XはY生命保険に対して本件保険契約に基づき、災害入院給付金、手術給付金、入院保障充実特約給付金および障害損傷特約給付金の合計160万円の保険金等を請求したところ、Yは本件交通事故はAの重過失に該当するとして約款所定の重過失免責条項に基づいて保険金の支払いを拒んだ。この点、住友生命保険の最低保証利率付3年ごと利率変動型積立保険普通保険約款の総合医療特約12条1号は「被保険者または保険契約者の故意または重大な過失」の場合には給付金を支払わないと免責条項を置いており、入院保障充実特約、障害損傷特約にも同様の免責規定が置かれている。

住友生命約款
(住友生命保険・総合医療特約12条。住友生命保険サイトより)

これに対してXが保険金・給付金の支払いを求めて訴訟を提起。第一審(福岡地裁令和2年1月16日判決)はYに対して重過失免責を認めたのでXが控訴したところ、第二審(福岡高裁令和2年8月27日判決(確定))はAの重過失を認めず、Yに対して保険金の支払いを命じたのが本件訴訟である。本件訴訟の争点は、Aが二車線道路の中央分離帯寄りを歩行していたことが保険約款の定める重過失に該当するか否かである。

3.判旨
(1)第二審・福岡高裁令和2年8月27日判決(確定)の判旨 (ア)「重大な過失」の意義
『本件免責条項にいう「重大な過失」とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見過ごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すものと解すべきである(最高裁昭和27年(オ)第884号同32年7月9日第三小法廷判決・民集11巻7号1203頁、同昭和56年(オ)第111号同57年7月15日第一小法廷・民集36巻6号1188頁参照)。そうであるならば、「重大な過失」を基礎づけるに足りる被保険者等の行為(作為又は不作為)は、故意に保険事故を招致した疑いのあるものである必要はないが、保険事故発生の認識又は認容があれば故意に保険事故を招致したともいえるようなものである必要があるというべきであり、被保険者等の行為がそのようなものであることの立証責任は、保険者にあるというべきである。』

(イ)本件へのあてはめ
『確かに、車道は、車両の通行の用に供するためのものであり(道路交通法2条1項3号)、本件事故現場付近のように両側に歩道がある道路においては、歩行者は、横断等をする場合を除き、歩道を通行することを求められており(道路交通法10条2項)、車道を歩行することは予定されていない上、本件事故が発生したのは、本件事故現場周辺がまだ暗い時間帯であり、そのような中、暗い着衣で本件車道を歩行したAに過失があったこと自体は、否定することができない。

しかし、前記認定事実によれば、本件事故現場は、見通しの良い片側2車線の一般道路上の地点であり、本件事故発生当時の交通は、その直後に行われた実況見分と同様に、閑散としていた可能性が高いと考えられる。

そして、本件防護柵は全長130mほどであって、仮にAが本件防護柵のc3丁目側の端に近い地点で本件車道を横断したとしても、中央分離帯に沿って2分程度も歩けば、本件防護柵のd1丁目の端に到達することが可能であったことになる。

これに加えて、前記認定のとおり、Aが本件車道の第2車線の中央分離帯寄りを歩行していた可能性が高いと推認されることをも併せて考えると、Aにおいて、前記のような道路状況の下でAの後方から接近して来る車両の運転者が、前方を注視して走行することにより、Aの存在を認識し、僅かのハンドル操作により容易にAを回避して、その側方を通過するものときたいすることにも、一定の客観的合理性があったものということができる。

(略)

そうすると、Aには、本件事故の発生について、重大な過失があったということはでき(ない)。

4.検討
(1)旧商法下における被保険者の重過失
保険に関しては従来、商法第2編第10章に保険に関する規定が置かれていたところ、それを元に平成20年(2008年)に独立の法律として保険法が制定され、平成22年(2010年)4月から施行されています。なお、海上保険については現在も商法の第3編第6章に条文が置かれています。

旧商法下においては、損害保険について、旧商法641条に「保険契約者若クハ被保険者ノ悪意若クハ重大ナル過失ニ因リテ生シタル損害ハ保険者之ヲ塡補スル責ニ任セス」と保険契約者または被保険者の故意・重過失を免責とする規定が置かれており、同様に海上保険に関する旧商法829条(現商法826条2号)も同様の規定を置いています。

それに対して生命保険の保険者(=保険会社)の免責事由について定める旧商法680条は被保険者の自殺、犯罪行為など(同1号)や保険契約者の被保険者の故意による殺人(同3号)などを規定していましたが、保険契約者または被保険者の重過失については規定していないものの、生命保険会社の傷害保険特約や災害割増保険特約などの約款条項には保険契約者または被保険者の重過失を免責とする条項が置かれているのが一般的でした。

そのようななか、生命共済に加入していた被保険者が5、6合の酒を飲酒したあとに制限速度40キロメートルの屈曲した道路を時速70キロメートル以上の速度で自動車を運転し、レッカー車と衝突して死亡した事案について、最高裁昭和57年7月15日判決は「本件共済約款における災害給付金…の免責事由である「重大な過失」とは、…商法641条及び829条にいう「重大な過失」と同趣旨のものと解すべき」と判示し、生命共済、生命保険についても重過失免責を認める判断をしています。

この旧商法641条等の保険契約者・被保険者の故意・重過失を免責とする規定の趣旨は信義則または公序良俗を守るためであるとするのが判例・多数説です(大森忠夫『保険法 増補版』148頁)。

(2)保険法17条、80条の制定
2008年に成立した保険法の第17条は、損害保険について旧商法641条を原則として引き継ぐ内容となっています。また、傷害疾病定額保険について同80条1号は「被保険者が故意又は重大な過失により給付事由を発生させたとき」を免責事由としており、災害関係特約の被保険者の重過失の解釈問題は立法的に解決されています。この点、保険法制定のための平成19年8月8日法制審保険法部会「保険法の見直しに関する中間試案」第2-3(9)注3、別冊商事法務321号「保険法立案関係資料」)155頁において、保険法の立案担当者は、上の最高裁昭和57年7月15日判決を引用し、旧商法641条と同趣旨で傷害疾病定額保険についても被保険者の重過失を法定したと説明しています。

(3)保険法17条、80条の重過失免責の判断基準
保険法17条、80条の重過失免責の判断基準は解釈にゆだねられていますが、大審院大正2年12月20日判決は、積荷保険契約に関して、重過失を「容易ニ違法有害ノ結果ヲ予見シ回避スルコトヲ得ヘカリシ場合ニ於テ漫然意ハス之ヲ看過シテ回避防止セサリシガ如キ殆ト故意ニ近似スル注意欠如ノ状態」と判示しています。

つぎに、明治32年に制定された失火責任法は失火の場合は民法709条は適用しないと規定しつつ、但し書で「重大ナル過失」の場合はそれを否定しています。そして失火責任法但し書の「重大な過失」が争われた最高裁昭和32年7月9日判決は「重大な過失」について上の大審院大正2年12月20日判決を承継することを明らかにしています。また、上の最高裁昭和57年7月15日判決の調査官解説は、同判決はこの最高裁昭和32年7月9日判決を承継しているとしています(伊藤瑩子「最高裁判例解説民事編昭和57年度」639頁)。

(4)被保険者の重過失に関する裁判例
しかし被保険者の重過失について判例・学説の争いは決着したとは言い難い状況のようです。裁判例においては、①「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」(大阪高裁平成18年11月29日判決など)や、①-2「わずかに注意さえ払えば、違法有害な結果を予見することができたのにそうしなったもの」(東京地裁平成17年10月17日判決など)等、昭和32年の最高裁判決、昭和57年の最高裁判決の立場に立つものがある一方で、②注意義務の程度のみならず、信義則・公序良俗の趣旨、行為の社会的非難可能性等についても総合考慮するものが存在します(秋田地裁昭和31年5月22日判決、仙台地裁平成5年5月11日判決など)。

なお保険法の立案担当者は被保険者の重過失について、旧商法641条と同趣旨であり、重過失の判断基準は大審院大正2年12月20日判決のものであると考えています(萩本修『別冊商事法務321号 保険法立案関係資料』155頁、115頁、斉藤真紀「傷害保険契約における免責事由としての「被保険者の重大な過失」の意義」『保険法判例百選』210頁)。

まとめ3

(5)被保険者の重過失に関する学説
学説においては、重過失の解釈基準について、最高裁の昭和32年判決、昭和57年判決などのように「ほとんど故意に近い注意義務違反」と厳格に解釈する多数説と「著しい注意義務違反」とする少数説に分かれています。

厳格に解釈する多数説は、訴訟の攻撃防御において、保険会社側が故意を立証するのが困難であるため、故意の立証の困難を救済するために故意と重過失を並べて主張することに注目して、重過失を故意の代替概念ととらえているとされています(石田満『商法Ⅳ保険法 改訂版』194頁、江頭憲治郎『商取引法 第5版』450頁、竹濱修「生命保険契約および傷害疾病保険契約特有の事項」『ジュリスト』1364号48頁、潘阿憲『保険法解説』(山下友信・米山高生編)438頁)。

これに対して、訴訟上の実務を認めつつも、「一般人を基準とすれば甚だしい不注意で足り、故意が高度に疑われる場合に限るべきではない」とする有力説も存在します(山下友信『保険法』(2005年)368頁)。

山下教授のこの学説は、保険約款による保険契約などの符合契約においては、多数の契約を画一的に規律するために、個々の顧客の理解を基準に解釈するのではなく、画一的な解釈つまり客観的解釈をすべきであり、それはつまり平均的あるいは合理的な保険契約者の理解、あるいは保険契約者の合理的な利益を考慮した合理的な意思により約款は解釈されるべきであるとの符合契約における原則的な考え方に基づくものであると思われます(山下・前掲117頁)。

まとめ4

(6)本件高裁判決について
本件高裁判決は保険法80条および保険約款の「被保険者の重過失」の解釈について、最高裁昭和32年7月9日判決、最高裁昭和57年7月15日判決などと同様に「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」であるとして、被保険者の保険事故時の状況を検討し、「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」の状態ではなかったとして保険会社側の免責を認めず、給付金の支払いを命じています。

しかし、本件訴訟の第一審判決(福岡地裁令和2年1月16日判決・判例時報2505号62頁以下)は、重過失の解釈基準を「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」であるとしつつも、Aが相応の飲酒をした上で午前5時という周囲がまだ暗い時間帯に、片道2車線の県道の第2車線の中央付近を歩行または佇立していたこと、そのときの服装は紺のスーツに黒のコートであり自動車の運転者から発見が困難なものであったこと等から、被保険者には「ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態」であったと認定し、保険会社側の免責を認めています。

生命保険の元支払査定担当者として考えると、少なくとも本件訴訟のような事案は支払いあるいは不払いがあっさりと決まるものではなく、事実の確認(事項の確認、調査)を実施し、報告書などを基に慎重な判断を行うものであると思われます。

保険契約の締結時期から保険事故発生まで約1年しか経過していない早期の保険事故であることを考えると、自殺免責の可能性、あるいはいわゆる「当たり屋」などのモラルリスク(不正な保険金詐取)の危険を念頭に、管理職あるいはさらにその上が慎重な判断や決済を行うべき事案であると思われます。

一般論としては、冬のまだ夜の明けていない午前5時頃に片側2車線の県道において、飲酒をした上で黒色系の服装で第2車線の中央部分を歩行する行為は、一般人の合理的な理解としても非常に危険な行為であり、「ほとんど故意と同視すべき著しい注意欠如」との判例の重過失の判断基準に立つとしても被保険者の重過失に該当すると考える余地があるように思われます。個人的には、保険会社は給付金支払いを免責されるとの第一審判決のほうが妥当であったように思われます。

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■参考文献
・判例時報2505号(2022年3月1日号)56頁
・山下友信・米山高生編『保険法解説』(潘阿憲執筆)427頁、437頁
・山下友信『保険法』(2005年)117頁、367頁
・斉藤真紀「傷害保険契約における免責事由としての「被保険者の重大な過失」の意義」『保険法判例百選』210頁
・萩本修『別冊商事法務321号 保険法立案関係資料』155頁、115頁
・長谷川仁彦・竹内拓・岡田洋介『生命・傷害疾病保険法の基礎知識』269頁
・塩崎勤・山下丈・山野嘉朗『専門訴訟講座3 保険関係訴訟』432頁
・塩崎勤・山下丈編『新・裁判実務体系19 保険関係訴訟法』(福田弥夫執筆)394頁















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香川県ネット・ゲーム規制条例に関する訴訟の第3回目の口頭弁論が6月15日に高松地裁で行われたとのことです。

■関連記事
・香川県ネット・ゲーム依存症対策条例素案を法的に考えた-自己決定権・条例の限界・憲法94条・ゲーム規制条例

ところで、この第3回目の口頭弁論の毎日新聞の記事における、原告の住民側と被告の香川県との主張の争点に関する図がネット上で話題となっています。つまり、香川県側は何と、「幸福追求権は基本的人権ではない」と主張しているとのことです。
・ゲーム条例訴訟 「依存症は予防が必要」 原告主張に県反論 地裁口答弁論 /香川|毎日新聞

毎日新聞香川県ゲーム規制条例訴訟の図
(毎日新聞より)

この点、弁護士の足立昌聰先生(@MasatoshiAdachi)が、この訴訟の原告である、香川県の大学生のわたるさん(@n1U5E6Gw119ZjGI)経由で原告代理人の作花知志弁護士に照会したところ、わたるさんより「この毎日新聞の要約であってます。被告側第一準備書面82項に書いてあります。」との回答がTwitterであったとのことです。これには非常に驚いてしまいました。香川県や香川県側の弁護士は憲法13条の条文をみたことがないのでしょうか?

わたるさんのツイート
(わたる氏のTwitterより)
https://twitter.com/n1U5E6Gw119ZjGI/status/1405413264364687363


そもそも日本の憲法13条の条文はつぎのようになっています。

日本国憲法

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法13条の条文

この憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」「幸福追求権」です。

わが国の憲法は、14条以下に詳細な人権規定を置いていますが、これは歴史的に国家権力により侵害されることの多かった重要な権利・自由を列挙したものであって、すべての人権を網羅的に掲げるものではないとされています。

そして、社会の変化に伴い、人権として保護に値すると考えられるものは、「新しい人権」として憲法上保障される人権の一つであると考えられるようになっています。そしてこの「新しい人権」の根拠となる条文が憲法13条の幸福追求権です。

すなわち、幸福追求権とは、憲法に個別・具体的に列挙されていない「新しい人権」の根拠となる一般的かつ包括的な権利であり、この幸福追求権で基礎づけられる個々の「新しい人権」は、裁判上の救済を受けることができる具体的権利であると憲法の通説は解しています(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』120頁)

この憲法13条の幸福追求権により基礎づけられる「新しい人権」について、裁判例や学説が認める具体例は、プライバシー権や肖像権(東京地裁昭和39年9月28日判決・「宴のあと」事件、最高裁昭和44年12月24日・京都府学連事件など)、自らの家族のあり方や身じまい・身だしなみ等や自らの医療に関する自己決定権(最高裁平成12年2月29日・輸血拒否事件)などがあります。

また、個人の趣味・嗜好に関するものとしては、喫煙をする自由酒を造る自由を憲法13条の幸福追求権から認めた裁判例が存在します( 高松高裁昭和45年9月16日・監獄未決拘禁者喫煙訴訟、最高裁平成元年12月24日・どぶろく裁判事件)。

喫煙権やどぶろくなどのような酒を造る権利・自由すら幸福追求権(憲法13条)から裁判例・学説上、「新しい人権」として認められているのに、スマホやネット・ゲームをすることについて、「人権でない」という香川県側の弁護士の主張は法的に正しくないのではないでしょうか?

このように幸福追求権や「新しい人権」に関する裁判例や学説をみてみると、「幸福追求権は人権ではない」という、香川県および香川県側の弁護士の主張はさすがにちょっと法律論として無理があると思われます。

裁判における攻撃・防御のやり方、つまり裁判上の主張やそれに対する反論のやり方として、「「スマホやネット・ゲームをする権利は幸福追及権(憲法13条)から導き出される「新しい人権 」である余地があるとしても、いまだ憲法上保障される具体的な人権とはいえない」という主張・反論ならありだと思います。

しかし、「幸福追求権は基本的人権ではない」という主張はいろいろと端折りすぎであるというか、香川県のゲーム規制条例の代理人となっている弁護士の方は、本当に司法試験に合格しているのでしょうか?そのあたりからして心配になってきてしまいます。(あるいは「新しい人権」が憲法の教科書に載る前の、1960年代、70年代より前に司法試験に合格した弁護士の先生なのでしょうか・・・?)

(なお、西側の自由主義・民主主義諸国の「近代」は、18世紀のフランス革命やアメリカ独立戦争から始まったものですが、1776年のアメリカ独立宣言も国民の「生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利」を明記しており、日本の憲法もこの西側の近代立憲主義憲法の一つです。そのため、「幸福追求権は基本的人権ではない」という主張はやはりちょっと無理ではないでしょうか。)

そもそも、スマホやPCにより、ネット上に情報を発信し情報を受け取ることは、表現の自由(憲法21条1項)の保障の対象です。また、ゲームをする権利も上でみたように幸福追求権(13条)により保障される権利であると思われます。この点、日本も批准している「子どもの権利条約」(児童の権利条約)13条1項は、「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由」として、表現の自由・情報の授受の自由を子どもは有していることを規定しています(荒牧重人『新基本法コンメンタール教育関係法』408頁)。

また子ども本人が、一日どのくらいスマホやゲームなどをするかどうか等は、これもライフスタイルに関する自己決定権(13条)に含まれるといえるのではないでしょうか。さらに、には子どもを教育したりしつけたりする権利としての自己決定権教育権があります(13条、26条)。香川県ゲーム条例はこれらの子どもおよび親の人権を侵害しているように思われます。

さらに、この「ゲームをする権利」「スマホやネットをする権利」や子供などの自己決定権に対して、例えば酒やタバコを未成年者に対して法律で禁止するなど、国などが子どもの心身の健全な成長のため必要最低限の制約を法律等で課すことは、「限定的なパターナリスティックな制約」(パターナリズム)として認められるものですが、香川県ゲーム規制条例のように「ゲームは1日1時間」との制限は、許容される必要最低限の限度を大きく超えており、やはり違法であると思われます(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第4版』122頁)。

(さらに最近のいわゆるヘイトスピーチに関する訴訟においては、裁判所はもともとは刑事手続きに関する憲法35条の「住居の不可侵」から、「住居における平穏な生活」の権利を導きだし、この権利に対する侵害を認めており、香川県ゲーム条例の公権力による家庭への介入は、この「住居の不可侵」(憲法35条)をも侵害しているのではないでしょうか(横浜地裁平成28年6月2日判決)。)

このように幸福追求権や「新しい人権」に関する裁判例や学説をみてみると、「幸福追求権は人権ではない」という、香川県および香川県側の弁護士の主張はさまざまな面で法的に正しくないといえます。

憲法や法律学、医学・科学、教育などに関する誤った知識や不正確な知識に基づいて、香川県の偉い人々がゲーム規制条例などの条例の制定や行政を行っていることは、国民・住民にとっては恐ろしいものがあります。香川県は、憲法・法令や医学・科学、教育などに関して正しい知識や理解に基づいて条例制定や行政を実施すべきです。

■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』120頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』270頁
・高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第4版』122頁
・荒牧重人など『新基本法コンメンタール教育関係法』408頁

■関連する記事
・香川県ネット・ゲーム依存症対策条例素案を法的に考えた-自己決定権・条例の限界・憲法94条・ゲーム規制条例
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・東京医科大学の一般入試で不正な女性差別が発覚-憲法14条、26条、日産自動車事件
・懐風館高校の頭髪黒染め訴訟についてー校則と憲法13条・自己決定権
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