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1.はじめに
ネット上のウェブサイト(Googleの口コミ)への投稿記事を第三者が本人に「なりすまし」て行ったものであると認定し、当該ウェブサイトの管理・運営者(Google)への当該投稿記事の削除請求を認めた興味深い裁判例(大阪地裁令和2年9月18日判決)が、『判例時報』2505号(2022年3月1日号)69頁に掲載されていました。

2.事案の概要
被告Y(Google)は、Googleアカウントを有する者であれば誰でも自由に店舗、施設等についての感想や評価等の口コミを投稿できる機能(Googleの口コミ)を提供・運営している。アカウント名はアカウントを有する者(ユーザー)が自由に設定でき、本件サイトではアカウント名が口コミの投稿者として表示される。

原告Xは、本件整骨院に通院している患者であり、河野花子という名前の患者は本件記事が投稿された前後の時期においてXのみである。本件投稿は遅くとも平成30年12月13日になされた。その後、Xは、本件投稿を閲覧した近隣住民から、「本件整骨院の悪口を書き込んでいるのではないか」と言われ本件投稿を知った。Xは自宅を一歩でれば近所の住民から何を言われるかと恐れながら生活する状況に陥り精神的苦痛を受けた。

Xは平成31年2月8日に本件投稿記事についてYに対して発信者情報開示の仮処分命令申立てを行った(別件保全事件)。これに対して東京地裁は令和元年5月7日、発信者情報を仮に開示することを命じる仮処分決定を行った。しかしYは同年同月29日にXに対して「開示を命じられた発信者情報が確認できない」との回答を行った。これに対してXは別件保全事件を取り下げ、本件投稿記事の削除と損害賠償の請求をYに対して求めて提訴したのが本件訴訟である。

3.判旨
本判決は、つぎのように判示して、本件投稿記事の削除請求を認める一方で、損害賠償責任は認めなかった。

(1)争点1(人格権に基づく本件投稿記事の削除請求権が認められるか)
『氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する権利を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきであるから、人は、その氏名を他人に冒用されない権利を有するところ、かかる権利は、不法行為上、強固なものとして保護されると解される(最高裁判所昭和63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照)。』(略)

『以上によれば、Xは、他人に氏名を冒用されない権利を違法に侵害されたといえるから、利用規約により本件サイトに投稿された記事につき一定の削除権限を有するYに対し、人格権に基づき本件投稿記事の削除を請求できる。』

(2)争点2(Yは不法行為に基づく損害賠償責任を負うか)
『Yが、別件申立てにより、本件投稿記事の存在を認識し、Xが氏名を冒用されない権利を侵害されている可能性を認識しえたとしても、本件投稿記事がXのなりすましによるものであることをYにおいて最終的に判断し得る情報が提供されたとまでは言えないから、その時点でXが他人に氏名を冒用されて本件投稿記事が投稿されたことを認識できたとはいえない。』『Yが…本件投稿記事を削除する条理上の義務を負っていたと認めることはでき(ない)。』

4.検討
氏名を他人に冒用されない権利は人格権(憲法13条)の一つであり、この権利に基づいて侵害行為の排除請求権が認められると本判決が引用している最高裁昭和63年2月16日判決はしています。また最高裁平成18年1月20日判決は、侵害行為の差止請求も認めています。

ところで、人格権としての氏名を他人に冒用されない権利が侵害された場合に、どのような判断基準で削除請求権などを認めるかについては、裁判例は、①氏名を他人に冒用されない権利は強固な権利であるので、氏名を冒用されたことを直ちに認めて、侵害行為の排除等を認める考え方と、②プライバシーに関する事項や名誉棄損に関する事項などと同様に、比較衡量で判断する考え方(最高裁平成29年1月31日判決・判例時報2328号10頁)の二つに分かれるようです。そして本判決は①をとっています。

この点、民法の通説は、人格権を理由とする差止等について、「人格権は生命・身体とともにきわめて重大な保護法益であり、物権の場合と同様に排他性を有する権利である」として、例えば看板の撤去、図書販売の差止めなどの排除などを命じる救済が認められるとしています(潮見佳男『基本講義 債権各論Ⅱ不法行為法 第3版』216頁)。つまり民法の通説は①を採用しているようです。(なおこの差止などの請求権が表現の自由などと衝突する場合には、その調整が必要となりますが、保護法益がプライバシー権などの場合には、現在の判例・多数説はプライバシー権を軽視しすぎであると潮見教授は指摘しています(潮見・前掲)。)

なお、ネット上の「なりすまし」による投稿の問題は、Googleの口コミだけでなく、TwitterやFacebookなどのSNSや、食べログなどの飲食店の情報サイトや人材会社の転職サイトなどでも同様に発生し得る問題であると思われます。これらのSNSなどにおいても、「氏名を冒用」されるような投稿が行われた場合、裁判所に当該投稿の削除等が認められる可能性があるものと思われます。

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■参考文献
・『判例時報』2505号(2022年3月1日号)69頁
・潮見佳男『基本講義 債権各論Ⅱ不法行為法 第3版』216頁















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河野太郎Twitterトップ画面
(河野太郎氏のTwitterより)

1.河野太郎大臣がTwitter上で批判的な国民にブロックを多用していることが話題
河野太郎行政改革担当相はTwitterで237万人を超えるフォロワー数がおり、熱狂的な支持層がいる一方で、Twitterブロック機能を多用することでも知られています。河野大臣がTwitterのブロックを多用することについては9月7日に記者会見で記者から質問が出され、河野大臣は「Twitter上でも礼節を求めることは当然」で問題ないとの回答をしたとのことです。(なお、安倍前首相や立憲民主党の蓮舫議員なども、Twitterでブロックを多用することで有名です。)

しかし、アメリカにおいては2019年にトランプ氏Twitter上で批判的なユーザーをブロックすることが争われた裁判において、トランプ氏のブロックは米合衆国憲法の規定する「言論の自由」の侵害であり違憲との興味深い判決が出されているところです。このブログ記事では、政治家がTwitter上でユーザーをブロックすることについて、主に憲法から考えてみたいと思います。
・河野大臣、ツイッターのブロック「問題ない」SNS上でも礼節求める|朝日新聞

2.表現の自由
日本の憲法21条1項は国民の基本的人権として「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」表現の自由を規定しています。この表現の自由は、意見や表現などを表明するだけでなく、情報をコミュニケーションする自由ですので、意見などの情報を受け取る自由、議論をする自由、国民の「知る権利」なども含まれます。

日本国憲法
第21条
第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

この表現の自由は、国民個人が表現活動を通じて自己実現や自己の人格を発展させるという個人的な価値(自己実現の価値があるだけでなく、表現活動によって国民が政治的意思決定に関与するという民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値の二つの価値があり、とりわけ後者の、国民が議論により民主政治に参加するために不可欠な基本的人権であるという、民主主義国家の前提をなす基本的人権として極めて重要な人権です(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』180頁)。

3.プライバシー権・自己決定権・自己情報コントロール権
その一方で、国民個人には、例えば①子どもをもうけるかどうかなど家族のあり方を決める自由、②服装・髪型など身じまいなどのライフスタイルを決める権利、③尊厳死・医療拒否なぞ自分の生命のあり方を決める自由など、個人の人格的な生存にかかわる重要な私的事項を個人が公権力や他人から干渉されずに自律的に決定する自己決定権という基本的人権が存在します。この自己決定権はもともとアメリカの判例で形成された「一人でほっておいてもらう権利」として発展してきたプライバシー権(古典的プライバシー権・狭義のプライバシー権、東京地裁昭和39年9月28日判決・「宴のあと」事件)と並んで形成された、「広義のプライバシー権」とされ、個人の尊重幸福追求権を規定する憲法13条の保障のもとにあるとされています。

この「個人の人格的な生存にかかわる重要な私的事項を個人が公権力や他人から干渉されずに自律的に決定する権利・自由」としての自己決定権には、国民個人が誰と友人・知人や会話や議論の相手となるか/ならないかという他社との私的な関係性を自己決定する権利も含まれるといえるのではないでしょうか。つまり、河野大臣がTwitter上で批判的なユーザーをブロックすることは、自己決定権から一応説明が可能とも考えられます。

4.基本的人権の限界
とはいえ国民の基本的人権も無制限ではありません。憲法12条、13条、22条、29条は、国民の基本的人権は「公共の福祉」により制約を受けることがあると規定していますが、この「公共の福祉」とは、ある個人の基本的人権が他の個人の基本的人権と衝突した際に、その基本的人権を制約し衝突を抑えるものであり(内在的制約)、現代ではこの基本的人権に内在する制約は、上でみた憲法の4つの条文に関する基本的人権だけでなく、すべての基本的人権に該当すると考えられています(芦部・高橋・前掲111頁)。

そのため、河野大臣がTwitterで批判的なユーザーをブロックすることが表現の自由、自己決定権や自己情報コントロール権などに基づく人権であるとしても、それは無制限に許されるわけではなく、他の国民、とくに批判的な国民・ユーザーの表現の自由などとの関係で一定の制約を受けることになります。

5.憲法の私人や民間企業への適用の問題-間接適用説
ところで18世紀以降の西側自由主義諸国の近代憲法における基本的人権は、国家など公権力との関係で国民の人権などの権利・自由を保護することが重視されます(立憲主義)。Twitterは民間企業であるTwitter社が運営するサービスであるため、憲法の人権条項は適用されないのではないか?との問題があり得ます。

しかし現代社会においては大企業などの社会的権力による国民の権利自由の侵害が大きな問題となっています。そのため現代においては、憲法の基本的人権にかかわる条文は、民間企業と国家との関係や、国民の私人同士の関係においても、例えば公序良俗違反や権利の濫用は無効であるとする民法90条、同1条3項などの法律の一般条項の適用において、憲法の人権条項の趣旨を取り込んで法律の解釈・適用を行うという考え方が判例・通説となっています(間接適用説・最高裁昭和56年3月24日判決・日産自動車事件など)。そのため河野大臣のTwitter上のブロックの問題は、やはり憲法の基本的人権の問題でもあるわけです。

6.トランプ前アメリカ大統領のTwitter上のブロックに関するアメリカの裁判例
この点、アメリカでは、2019年に当時のアメリカ大統領ドナルド・トランプ氏Twitter上で批判的なユーザーをブロックすることは米合衆国憲法修正1条の定める「言論の自由」の侵害であり違憲であるとの2018年の第一審判決(ニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所)を支持した興味深い連邦巡回控訴審判決が出されています(米連邦第2巡回控訴審2019年7月9日判決)。
・Twitterでのトランプ大統領の批判ブロックは違憲--米裁判所|C-NET Japan

このC-NET Japanの報道によると、大統領にブロックされた複数のTwitterユーザーを代表してコロンビア大学のナイト憲法修正第1条研究所がトランプ大統領に対して提起したこの裁判では、同研究所は、トランプ氏がユーザーをブロックする行為について、「指定されたパブリック・フォーラム」への参加に対して、違憲状態の制限を強要するものだ」と主張したとのことです。

これに対して2019年7月9日の米連邦第2巡回区控訴裁判所は、「米憲法修正第1条は、あらゆる種類の公的目的にソーシャルメディアアカウントを利用する政治家・官僚は、開かれたオンライン上の会話となるはずの場から、政治家・官僚が同意しない意見を表明したからという理由で、ユーザーを排除することを許可しない」として、トランプ氏のTwitter上の反対派ユーザーのブロックは米合衆国憲法修正1条の言論の自由に反して違憲であるとし、第一審判決を支持する興味深い判決を出しています。

アメリカ合衆国憲法
修正第1条(信教・言論・出版・集会の自由、請願権)
連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、 ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。

7.「パブリック・フォーラム」論
ここで登場するパブリック・フォーラムとは、道路・広場・公園などのように、交通や憩いの場というだけでなく、人々が自由に交流し会話や表現などを行う場所のことです。表現のためにはこのような表現の空間の確保は不可欠であり、このような場所を、その場所・施設などの管理者の管理権などを理由に安易に国民の利用を制限することは、表現の自由への規制につながります。

この点、アメリカの判例は、政府の所有・管理する施設①道路・広場・公園などの「伝統的なパブリック・フォーラム」②表現のために特に設置された公会堂等の「指定されたパブリック・フォーラム」③上記いずれにも該当しない場所である「非パブリック・フォーラム」、の3つに分類しています。

そしてアメリカの判例は、①の「伝統的なパブリック・フォーラム」における表現の自由の法律などによる規制・制限は裁判所の厳格な審査が適用され、②の「指定されたパブリック・フォーラム」については設置・維持については管理者の裁量であるが、設置した場合には①の伝統的なパブリック・フォーラムと同様に裁判所の厳格な審査が適用されるとしています。また、③の「非パブリック・フォーラム」については国民の表現のために利用させるか否かは管理者の裁量であるが、しかしその「見解」や表現内容による差別を管理者はしてはならないとアメリカの判例はしています。

さらに、例えば自治体の掲示板や広報誌などのコラム欄を市民に開放する場合などは、当該場所・空間は「指定されたパブリック・フォーラム」に該当すると解されています(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第5版』252頁)。

トランプ氏のTwitterのブロックに関する本判決は、本来は政府の施設などに関するパブリック・フォーラム論を民間企業であるTwitter社に援用し、政治家・官僚などが「あらゆる種類の公的目的にソーシャルメディアアカウントを利用する」場合には、当該SNSのアカウントは「開かれたオンライン上の会話の場」(パブリック・フォーラム)となり、「政治家・官僚が同意しない意見を表明したからという理由で、ユーザーを排除すること」つまり政治家・官僚SNSにおける「ブロック」は、憲米合衆国憲法修正1条の「言論の自由」を侵害する違憲なものであると判断したものであり、非常に画期的な判決であるといえます。

(なお、このアメリカのトランプ氏の裁判は、米合衆国最高裁判所において、トランプ氏が2021年に大統領でなくなったことを受けて訴えの利益が失われたとして却下されています。)

この表現の自由に関するパブリック・フォーラム論は、日本でも京王電鉄の吉祥寺駅構内において、京王電鉄の許可なしに市民がビラ配布などを行った表現行為が鉄道営業法35条(無許可の演説)、刑法130条(不退去罪)に該当するか否かが争われた事件において、1984年の最高裁判決は憲法21条1項の表現の自由も無制約ではないとして当該市民への鉄道営業法、刑法の適用を認めたものの、伊藤正己裁判官補足意見においてパブリック・フォーラム論に言及したことが大いに社会的注目を集めました(最高裁昭和59年12月18日判決)。

すなわち、伊藤裁判官の補足意見はつぎのように述べています。

「道路、公園、広場などの「一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくなく…これを「パブリック・フォーラム」と呼ぶことができよう。このパブリック・フォーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるを得ないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要がある。」

もとより、道路のような公共用物と…(私鉄の鉄道会社の敷地などの)私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあっても、パブリック・フォーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、…前述の考量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうる。

このように、アメリカの判例のパブリック・フォーラム論は、政府・公的機関の所有・管理する場所での表現の自由に関するものであるのに対して、日本の伊藤裁判官の補足意見のパブリック・フォーラム論は、国・自治体や公的機関の所有・管理する場所であるかどうかではなく、表現が行われる場所・空間が「公開された場所・空間」かどうかという性質に着目し、表現の自由や集会の自由の制約に関する比較衡量を行おうとしている点に大きな意義があるといえます(平地秀哉「駅構内でのビラ配布と表現の自由」『憲法判例百選Ⅰ 第7版』126頁)。

·この伊藤裁判官のパブリック・フォーラム論は、京都府の勤労会館における集会の自由が争われた京都地裁平成2年2月20日判決(京都府勤労会館事件)でも採用され、その後、同じく公民館における集会の自由に関する泉佐野市民会館事件(最高裁平成7年3月7日判決)上尾市福祉会館事件(最高裁平成8年3月15日判決)や、公共施設だけでなく民間企業のホテルにおける集会の自由に関するプリンスホテル日教組会場使用拒否事件(東京高裁平成22年11月25日判決)など、公的施設だけでなく民間の私的な開かれた場所・空間における集会の自由・表現の自由をできるだけ保障しようとする日本の判例のスタンスに受け継がれています(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』365頁、367頁)。

8.まとめ
このような日本やアメリカの憲法、とくにアメリカのトランプ氏のTwitterのブロックに関する控訴審判決などを見てみると、もし日本でも河野太郎大臣などに対してブロックされたユーザー・国民から同様の訴訟が裁判所に提起された場合に、日本の裁判所がどのような判断を行うのか多いに気になるところです。

従来、パブリック・フォーラム論については政府・公的機関の施設・場所などを対象にしてきたアメリカの裁判所ですら、Twitter社などの民間企業のSNSにおける政治家・官僚のアカウントについてはパブリック・フォーラムに該当するとして、政治家・官僚が反対派のユーザーのブロックを表現の自由の侵害で違憲との判断をしたのであり、パブリック・フォーラム論について政府・公的機関の施設・場所なのか民間の施設・場所なのかの違いを重視せず、公開された場所における表現の自由などを保障しようとする日本の裁判所では、より河野大臣などに不利な判決がでる可能性も無きにしもあらずなのではないでしょうか。

上でも見たように、表現の自由、言論の自由は憲法が保障する基本権人権のなかでも、国民が政治に参画するための前提の人権という点で、民主主義国家において特に重要な人権です。そして、河野太郎氏は行政のトップの内閣の大臣であり、河野氏のTwitterアカウントは国民に開かれた議論の場であるだけでなく、行政や政治に関する国民の「知る権利」からも極めて重要な場所・空間であるからです。

日本の憲法や情報法などに関する法律学の学者や法律家の先生方や、SNSの運営などを行うIT企業の実務家の方々、政治家・官僚などの方々などの、今後のこの問題に関するご見解・コメントなどにも大いに注目したいと思います。

■追記(9月9日)
このブログ記事に対しては、情報法、知的財産権法やITがご専門の弁護士の足立昌聰先生(@MasatoshiAdachi)などから、民間企業であるTwitterなどSNSにおける表現の自由の問題の難しさなどに関して、8日夜に貴重なご教示・ご感想をいただきました。足立先生、誠にありがとうございました。

トランプ氏とSNSの問題に関しては、2021年1月の米議会襲撃事件を受けて、TwitterやFacebookなどは相次いでトランプ氏のアカウントをBANして永久追放としました。このようなSNS各社の動きに対しては、ドイツのメルケル首相が「表現の自由はとても重要で、それを規制できるのは議会の立法だ。」と述べたことが社会的に注目されました。

・メルケル独首相のツイッター社等のトランプ氏追放への「苦言」を考える-表現の自由・憲法の構造

Twitterなど民間企業であるSNSにおける表現の自由、情報社会におけるSNSと政治の問題などは、今日的な非常に難しい問題であると思われます。

■追記(9月15日・河野大臣のTwitter上のブロックを憲法の統治の部分から考える)
ネット上で、この私のブログについて、ある方より、「憲法43条1項など、憲法の統治の部分からもこの問題を論じてみては」との貴重なご指摘をいただきました。

憲法の統治の部分から考えても、河野大臣は衆議院議員でもありますが、国会議員は「全国民の代表」です(憲法43条1項)。つまり選挙で当選して一度国会議員になったのであれば、支持者達の意見ばかりでなく、反対派や批判的な国民の意見にも十分耳を傾け、国会議員として少数意見にも配慮した熟議を行い、全国民のためになるような国会議員としての活動を行わなければなりません。そのため、河野大臣が大臣としてTwitter社から公認マークを受けているTwitterアカウントにおいて、自分に批判的な意見の国民を大量にブロックすることは憲法43条1項の「全国民の代表」にも違反しています。

また、河野大臣は大臣ですので公務員ですが、「すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」憲法15条2項、国家公務員法96条1項)と規定されているとおり、その公務には公平性・中立性が憲法レベルで要求されるので、河野大臣が大臣としてのTwitterアカウントにおいて批判的意見の国民を大量にブロックすることは、これも大臣としての公務に要求される公平性・中立性を遵守しておらず、自身の支持者の国民に対してのみ「一部の奉仕者」として職務を行っているものであり、これも憲法15条2項、国家公務員法96条1項に違反しているものと思われます。

このように、河野大臣がTwitterで自身に批判的な国民を大量にブロックしていることは、憲法43条1項、15条2項に違反しているなど、日本国憲法の統治に関する部分からも大きな問題をはらんでいるといえます。

■関連する記事
・「幸福追求権は基本的人権ではない」/香川県ゲーム規制条例訴訟の香川県側の主張が憲法的にひどいことを考えた
・東京医科大学の一般入試で不正な女性差別が発覚-憲法14条、26条、日産自動車事件
・懐風館高校の頭髪黒染め訴訟についてー校則と憲法13条・自己決定権
・コロナ下のテレワーク等におけるPCなどを利用した従業員のモニタリング・監視を考えた(追記あり)-個人情報・プライバシー・労働法・GDPR・プロファイリング
・欧州の情報自己決定権・コンピュータ基本権と日米の自己情報コントロール権

■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』111頁、180頁
・高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第5版』252頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』365頁、367頁
・山本龍彦・横大道聡『憲法学の現在地』139頁
・安西文雄・巻美矢紀・宍戸常寿『憲法学読本』93頁
・平地秀哉「駅構内でのビラ配布と表現の自由」『憲法判例百選Ⅰ 第7版』126頁

























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1.警察庁がSNSをAI解析して人物相関図を作成する捜査システムを導入
2021年5月29日の共同通信などの報道によると、警察庁がSNSをAI解析して人物相関図を作成する捜査システムを導入することを決定したとのことです。年内に警察庁と警視庁などの5都府県警で運用を始め、全国の警察に広げる方針とのことです。SNSを利用して行われる特殊詐欺などの犯罪を捜査するためのAIシステムの導入と警察関係者は説明しているようです。

・警察庁SNS解析システム導入へ AI捜査で人物相関図作成|共同通信・ヤフージャパン

しかしこのような捜査は、特殊詐欺の捜査のためという必要性が肯定されるとしても、国民のプライバシーやSNSなどにおける国民の表現の自由などとの関係、あるいは、憲法や刑事訴訟法の定める令状主義や強制処分法定主義との関係で、法的に許容されるものなのでしょうか?

以下、①プライバシー権、②表現の自由、③刑事訴訟法(とくにGPS捜査)、④個人情報保護法制における「自動処理決定拒否権」などの観点から検討してみてみたいと思います。

2.プライバシー権
警察庁のSNSをAI解析して人物相関図を作成する捜査システムにおいて、警察当局がもっとも取得しようと考えているのは、SNSの利用者・ユーザーの人物相関図であるようです。つまり、利用者のSNS上における友人関係(あるいは友人でない関係、ブロックしている関係など)、SNS上の社会関係のようです。

この「個人の自律的な社会関係」は、憲法上、プライバシー権あるいは自己情報コントロール権(憲法13条)の保障のもとにあります。

つまり、憲法の基本原理のひとつである、「すべての国民は(それぞれ個性を持った人間として)個人として尊重される」という「個人の尊重」原理(憲法13条)から、国や企業、第三者などに対して個人の自律的な社会関係は、尊重することが要求されてるものです。

すなわち、国民個人が自律的に形成する社会関係などの私的な領域は、個人の尊重原理に基づいて、国などの公権力や企業、第三者などによって干渉されてはならない領域であるため、国民個人の自律的な社会関係などの私的領域の情報については、国などは立入が許されないということになります。これが現代の情報化社会におけるプライバシー権であり、あるいは「自己に関する情報をコントロールする権利」(自己情報コントロール権)として憲法の学説上、通説として説明されるものです(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』275頁)。

日本の裁判例も、1964年の「宴のあと」事件判決が「私生活をみだりに公開されない権利」として認めたことを始まりとして(東京地裁昭和39年9月28日)、プライバシーの権利が判例により認められています(最高裁平成15年9月12日・早大講演会名簿提出事件など)。

3.表現の自由などの問題
また、国民のSNSなどのインターネット上の書き込みなどの情報発信などの表現行為も、憲法の表現の自由(憲法21条1項)の保障のもとにあります。また、国民がSNSなどのインターネットによりさまざまな情報を受け取る自由も、国民の「知る権利」として表現の自由の保障のもとにあります(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』194頁)。

4.精神的自由と刑事法との関係
このように、SNSなどネット上の国民個人の社会関係・人間関係・人物相関図は、プライバシー権あるいは自己情報コントロール権(憲法13条)による保障のもとにあり、また、SNSなどネット上の国民の情報の発信や情報の授受なども表現の自由(21条1項)の保障のもとにあるわけですが、これらの精神的自由(人権)と、警察当局や刑罰法規がぶつかり合う場合に、それをどう解決するかが問題となります。

この点、裁判例は、国民の表現行為を規制・侵害する刑罰法規が「通常の判断能力を有する一般人の理解」において、具体的場合に当該表現行為がその刑罰法規の適用を受けるかどうかの基準が読み取れないような場合には、その刑罰法規は漠然とした不明確な法令であり違憲・無効となるとしています(「明確性の基準」「適正手続きの原則」(憲法31条)・最高裁昭和50年9月10日判決・徳島市公安条例事件)。

今回問題となっている、警察庁のSNSをAI解析して人物相関図を作成する捜査システムは、報道をみるかぎり、従来、捜査員が目や手をもとに行っていた捜査手法をAIシステムに置き換えるだけであると警察庁は考えているようであって、警察庁の内部規則があるとしても、そもそも法律上の根拠なしに警察当局が導入し使用を開始するようです。

つまり、この明確性の基準を適用する法律すら存在しないようなので、そのような捜査システムを使用して国民のプライバシー権や表現の自由などを侵害することは、それだけで違憲・無効となると思われます(13条、21条1項、31条)。

5.刑事訴訟法
防犯カメラ、電話の盗聴、GPS捜査など、新しい科学技術を用いた警察の捜査は、刑事訴訟法の分野で裁判で争われてきました。つまり、そのような新しい捜査手法により収集した証拠などが、刑事裁判において有効な証拠となるかが争われてきました(違法収集証拠排除の原則)。

このなかで、従来、警察の捜査員が見張りや尾行などを行っていたところ、それに代えて、警察が令状をとらずに被疑者・容疑者の自動車などにひそかにGPS機器を取り付け、その被疑者の位置情報・移動履歴を収集する手法が裁判で争われ、最高裁はそのような捜査手法は令状主義や強制処分法定主義(憲法35条、刑事訴訟法197条1項)に違反するものであり、また、GPS捜査については国会で立法を行うべきであると判示しています(最高裁平成29年3月15日判決、宍戸常寿『新・判例ハンドブック情報法』231頁)。

すなわち、最高裁は、GPS捜査は①公道上だけでなくプライバシーが保護されるべき場所・空間をも捜査対象としており、②個人の行動を継続的・網羅的把握しプライバシーを侵害すること、③個人に秘密で機器を着けて行う点で公道上の見張りや尾行などと異なるため、令状が不要な任意捜査の限界を超えており、強制捜査というべきであり、違法な捜査であるとしています。

また、最高裁は、現行の刑事訴訟法上の検証などの令状でGPS捜査を適切に限定することは困難であり、また、裁判官が多様な選択肢のなかから実施条件を選んで令状を交付することは強制処分法定主義に反するとして、GPS捜査について、国会立法を行うべきであると判示しています。

■GPS捜査事件最高裁判決について詳しくはこちら
・【最高裁】令状なしのGPS捜査は違法で立法的措置が必要とされた判決(最大判平成29年3月15日)

この判決を警察庁のSNSをAI解析して人物相関図を作成する捜査システムについてあてはめると、 上でみたように、SNS上の友好関係・社会関係などの人物相関図などは、利用者個人のプライバシーあるいは自己情報コントロール権による保障の対象であるので、①のプライバシーが保護されるべき空間などに該当します。また、AIによる分析というその捜査手法の性質上、利用者個人のSNS上の表現・行動などを継続的・網羅的に把握し、大量の個人データ・プライバシーに関する情報を迅速に収集してしまうことから、②のように継続的・網羅的に利用者のプライバシーに関する膨大な情報を収集してしまうことに該当します。

加えて、SNSの利用者には秘密裡にAI捜査が行われると思われ、さらに、AIによる人物相関図の分析という捜査の性質上、その捜査対象がSNSの利用者全員におよぶおそれがあり、たとえば日本のTwitterの利用者が約4500万人、LINEの利用者が約8600万人、Facebookの利用者が約2600万人などとされていることから(echoes「2021年2月更新 データからみるTwitterユーザー実態まとめ」)、単純に計算しても日本の国民の大多数が警察庁のAI捜査システムの捜査対象となってしまう危険性があるため、③のように令状なしに警察等が実施できる任意捜査の限界を大きく超えています。

AIやコンピュータなどによるこのようなネット上の網羅的・継続的な捜査により収集された大量の個人データなどによれば、友好関係だけでなく、利用者・個人の思想・信条、政治的見解、趣味・嗜好、性的嗜好、病歴、犯罪歴などを把握することにより、「国家の前で国民が丸裸になる」状況が生み出されてしまいます。

これは国家による国民の監視・モニタリングであり、しかも上でみたように、その警察によるモニタリング・監視の対象が国民の大多数におよぶ危険があることから、これは国民の個人の尊重や基本的人権の確立という目的のために国などの統治機構は手段として存在する(憲法11条、97条)というわが国の近代立憲主義憲法の根幹すら揺るがしなけない、極めて深刻な状況であるといえます。

したがって、GPS捜査事件について最高裁判決が判示するように、警察庁のSNSをAI解析システムについては、国会で慎重な議論を行い、そのような捜査手法が本当に許容されるのか、許容されるとしてどのような基準をもとに警察が実施・運用するのか等を検討し、本当に必要であれば立法を行うべきです。

6.AI・コンピュータの自動処理による人間の選別
1960年代からのコンピュータの発展による人権侵害のおそれを受けて、世界で個人情報保護法(個人データ保護法)が検討されてきています。

さまざまな目的で収集されたさまざまな個人データが国などに収集され、それがコンピュータなどにより迅速に機械的に処理されるようになると、それぞれの個人データがある目的のためには適切であるとしても、別の目的のためには利用することが適切でない個人データが名寄せにより連結され、コンピュータが極端な結果や間違った結果を生み出してしまうおそれがあります。

また、データの誤りの混入によっても間違った結論が出されてしまうおそれがあります。これらの極端な結論や間違った結論について、人間がチェックすればその結論に疑問を持ち再確認が行えるはずなのに、コンピュータであるとその間違い等に気が付けないリスクが存在します。

さらに近年急速に発展しているAIは、大量のデータを自ら学習することにより自らを高度化させてゆきますが、その機械学習が進んでいくと、AIの専門家ですら、AIがどのような理由でそのような結論を導き出したか説明できないとされています(ブラックボックス化)。しかも人間は、人間よりも機械やコンピュータなどを過信してしまう傾向があります(自動化バイアス)。(山本龍彦『AIと憲法』63頁。)

このような問題意識をもとに、とくに西側自由主義諸国(近代立憲主義的憲法をもつ諸国)の個人情報保護法(個人データ保護法)においては、プライバシー権、自己情報コントロール権と並んで、「コンピュータ・AIによる人間の選別・差別を拒否する権利」(自動処理決定拒否権)がその重要な立法目的とされてきています。

つまり、「コンピュータ・AIによる人間の選別・差別を拒否する権利」(自動処理決定拒否権)とは、上でみたようなさまざまなリスクのあるコンピュータ・AIによる個人データの自動処理のみによる法的決定・重要な決定を個人・国民が拒否する権利であり、言ってみれば人間について、工場などのベルトコンベアーに載せられたモノではなく、人間による人間らしい対応を求める権利であり、つまり、個人の尊重人格権に基づく権利であるといえます(憲法13条、山本・前掲101頁)。

この「コンピュータ・AIによる人間の選別・差別を拒否する権利」は、1996年のILO「労働者の労働者の個人情報保護に関する行動準則」で明文化され、欧州では1995年のEUデータ保護指令15条から2018年のGDPR22条に受け継がれています。そして、EUでは本年4月に「AI規制法案」が公表されました。

この自動処理決定拒否権は、日本でも2000年の労働省「労働者に関する個人情報の保護に関する行動指針」第2(個人情報の収集)6(6)に、「使用者は、原則として、個人情報のコンピュータ等による自動処理又はビデオ等によるモニタリングの結果のみに基づいて労働者に対する評価又は雇用上の決定を行ってはならない。」と明文規定があるとおり、日本の個人情報保護・個人データ保護法制にも存在する考え方です。

そして、EUのAI規制法案は、AIの人間に対する危険度から①禁止②高リスク③限定的なリスク④最小限のリスクと、4つのカテゴリに分類しています。

このうち、①禁止のカテゴリには、AIによる信用スコア事業や、公共の場所における警察などによる防犯カメラの顔認証などによる国民の常時監視・モニタリングが該当するとされ、また、②高リスクのカテゴリには、AIを利用した運輸・ガス・水道などのインフラ、教育、医療、企業などの採用・人事考査、公的部門の移民・難民の審査、司法、社会保障など公共機関におけるAIの利用などが該当するとされています。

そのため、今回報道された警察庁のAIを利用したSNSの捜査システムは、「司法」に準じた警察・検察の行政作用であるという点で少なくとも②高リスクに該当しそうですし、AIによる国民の常時監視・モニタリングという行為を考えると、①禁止のカテゴリに該当してしまいそうです。

したがって、日本を含む西側自由主義諸国(近代立憲主義憲法を持つ諸国)の個人データ保護の基本的な考え方の一つの「コンピュータ・AIによる人間の選別・差別を拒否する権利」からは、警察庁のAIを利用したSNSの捜査システムは、①禁止、あるいは②高リスクのカテゴリに該当するとして、平成11年の通信傍受法などのように、警察の捜査システムとして本当に必要であるのか、必要であるとしてどのような基準で実施すべきなのか等を国会で慎重に審議して、必要であれば新しい法律を制定した上で実施すべきなのではないでしょうか(法律による行政の原則)。

■関連する記事
・コロナ下のテレワーク等におけるPCなどを利用した従業員のモニタリング・監視を考えた-個人情報・プライバシー・労働法・GDPR
・【最高裁】令状なしのGPS捜査は違法で立法的措置が必要とされた判決(最大判平成29年3月15日)
・デジタル庁のプライバシーポリシーが個人情報保護法的にいろいろとひどい件-個人情報・公務の民間化

■参考文献
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』275頁
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』194頁
・宍戸常寿『新・判例ハンドブック情報法』231頁
・山本龍彦『AIと憲法』63頁
・田口守一『刑事訴訟法 第4版補正版』46頁
・小向太郎・石井夏生利『概説GDPR』94頁
・高木浩光「個人情報保護から個人データ保護へ―民間部門と公的部門の規定統合に向けた検討」『情報法制研究』2巻75頁
・EUのAI規制案、リスク4段階に分類 産業界は負担増警戒|日経新聞














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1.はじめに
少し前、くら寿司のあるアルバイトが店舗で悪ふざけを行い、その様子をSNSに投稿したところ、その投稿が「炎上」したことが大きく社会の耳目を集めました。くら寿司本社は、当該アルバイトを懲戒解雇するだけでなく、当該社員に対して民事上・刑事上の責任も追及する厳しい方針で臨むとのことです。同時期に、ファミリーマートなどでも同様の事件が発生しました。

ところでこのような事件の契機はSNSへの投稿という従業員の私的な行為であるところ、当該従業員に対して懲戒解雇の処分を課してよいのか、そして刑事上・民事上の責任を追及することが許されるのかどうかが問題となります。

2.就業規則の規定はあるか
使用者が懲戒処分を行い、それが有効となるためには、まずは労働契約法15条の「使用者が労働者を懲戒することができる場合」に該当しなくてはなりません。つまり、就業規則に懲戒事由、懲戒の種類・程度が明記されている必要があります。

この点、懲戒事由については、多くの会社の就業規則には、「不名誉な行為をして会社の体面を汚したとき」等という条項(体面汚損条項)があるのが普通であり、この条項を根拠に懲戒処分が行われることになります。

3.従業員の私生活上の行為
しかし、労働契約に基づく服務規律は、労働者の私生活に対して一般的な支配をおよぼすものではなく、会社の業務活動を円滑に遂行するのに必要かつ合理性がある範囲でのみおよぶとするのが判例の考え方です(国鉄中国支社事件・最高裁昭和49年2月28日判決)。そのため、懲戒処分が裁判で争われた場合、就業規則の規定などは限定的に解釈されることになります。

4.客観的・合理的な理由はあるか
つぎに、懲戒処分が有効となるためには、労働契約法15条の「客観的に合理的な理由」があることが必要です。つまり、客観的・合理的な理由として、労働者に非行があることが必要です。

5.あてはめ
そこで今回の事案を検討する前に、かりに炎上したのが、従業員の個人的なSNSやブログなどであり、その内容も職場とは無関係なものであった場合は、その炎上により職場の業務運営に支障がでたとしても、それをもって安易に非行にあたるとして懲戒処分を行うべきではないと考えられています。なぜなら労働者が業務時間外に私的な表現行為を行うことは、労働者の私生活上の自由(憲法13条)、とりわけ表現の自由(憲法21条)に属する事柄であり、会社が安易に懲戒処分をもって介入すべきではないからです(労働行政研究所『新・労働法実務相談 第2版』194頁)。

その一方、職場の業務内容に関することであったり、その表現内容が非常に悪質な場合、あるいは勤務先などを明らかにして表現行為を行うことにより、会社の社会的信用が棄損されるような場合には、体面汚損条項により懲戒処分を課す場合もあると考えられます(労働行政研究所・前掲)。

この点、今回のくら寿司のアルバイトの投稿は、私的な投稿ではありますが、当該アルバイトが職場の制服を着て、職場内で撮影したものであり、その表現内容も顧客に食の安全性に不安を持たせるかなり悪質なものです。この投稿により、くら寿司の社会的信用は大きく棄損されたものと思われ、したがって、体面汚損条項により懲戒処分を課すことも許容されると思われます。

6.民事上・刑事上の責任追及
会社が非行により民事上の損害賠償を労働者に請求することはできるのでしょうか(民法709条)。この点、原則として、私的なSNS等の投稿の炎上が、勤務先の職場におよび、苦情などが職場の業務運営に影響を与えるということは、通常は予見できないため、損害賠償請求は認められないことが一般的ではないかと思われます。

損害賠償請求が認められるのは、投稿した表現内容が著しく不適切で、職場の業務運営を困難にさせることが容易に予見できる場合に限られるものと考えられます(労働行政研究所・前掲)。

しかし、今回のくら寿司の事件は、アルバイトの投稿した表現内容が著しく不適切で、会社の業務運営を著しく困難にすることが容易に予見できる場合にあたるといえるので、民事上の損害賠償請求を行うことは可能であると考えられます。

また、くら寿司は刑事告訴も行う方針とのことですが、この場合、くら寿司は信用棄損罪(刑法233条)または業務妨害罪(同234条)を検討することになると思われます。

7.会社側が取り組むべきこと
なお、このような不祥事を未然に防止するために、会社はSNS規定、SNSガイドラインなどの制定を行い、就業規則にもSNSに関する事項を条文化し、さらに社内において定期的に社員教育を行うことなどが必要です(東京弁護士会インターネット法律研究部『Q&Aインターネットの法的論点と実務対応 第2版』198頁)。

■参考文献
・労働行政研究所『新・労働法実務相談 第2版』193頁
・東京弁護士会インターネット法律研究部『Q&Aインターネットの法的論点と実務対応 第2版』198頁、217頁
・高井・岡芹法律事務所『SNSをめぐるトラブルと労務管理』43頁

新版 新・労働法実務相談(第2版) (労政時報選書)

Q&A インターネットの法的論点と実務対応 第2版

SNSをめぐるトラブルと労務管理―事前予防と事後対策・書式付き

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1.はじめに
朝日新聞の9月7日付記事によると、個人名義によるツイッターの投稿で、ある訴訟の当事者の感情を傷つけたとして、東京高裁民事部の岡口基一裁判官を懲戒処分とすべきかを判断する分限裁判の審問手続きが9月11日に最高裁の大法廷で行われるとのことです。

■追記(10月17日)
・ツイッター上の投稿に関して東京高裁民事部の岡口基一裁判官に戒告処分が出される

現職の裁判官でツイッターをしているのはおそらく岡口裁判官のみと思われ、裁判例や法令などに関するフランクな語り口のツイートが興味深いので私も岡口裁判官のツイッターアカウントをフォローしていました。

それを置いても、民間企業あるいは官庁などの職場は従業員等の個人のツイッターやFacebook等のSNSをどこまで管理・監督することが許容されるのかという問題は比較的最近の問題です。今回の最高裁のしかも大法廷の判断は、これらの問題の貴重なリーディングケースとなることは間違いありません。全国の官民の職場の人事・労務部門や法務部門等の担当者がこの大法廷の判断を注目していると思われます。

2.職場の情報管理の観点から
ツイッターなどのSNSでの炎上などの不祥事を受けて、近年、民間企業の情報管理・情報セキュリティ部門は従業員のSNSの利用について対応をはじめています。

つまり、民間各社は、SNSポリシー・SNSガイドラインなどを策定し、社員研修を行っています。このSNSポリシー等は、職場の業務用パソコン・業務用携帯などの私的利用・私的なSNS利用を禁止することはできますが、勤務時間外の従業員の私物PCなどによるプライベートなSNS利用を規制することは原則としてできません。そのようなSNS利用は従業員個人の表現の自由に属する事柄であり、またプライバシーに関する事柄であるからです(憲法21条1項、13条)。

しかし従業員の私的なSNSの投稿であっても、それが炎上するなどして、職場に具体的な損害が発生したり、あるいは営業秘密等が漏洩した場合には、当該従業員は使用者からSNSポリシーなどの違反あるいは就業規則等(とくに「体面汚損」条項)により懲戒処分を受ける可能性があります(藤田晶子・東京弁護士会インターネット法律研究部『Q&Aインターネットの法的論点と実務対応 第2版』198頁、217頁)。

このように、本事案はツイッターの投稿という現代的な問題でありつつ、従業員の私的行為への懲戒処分の是非という古くからある論点に帰着するように思われます。

3.従業員の私的行為を理由とする懲戒処分
使用者側にとっては懲戒処分は組織内の秩序を保つために必須の手段ですが、従業員にとっては懲戒処分は重大な不利益処分です。このバランスをとるため、判例は懲戒処分が就業規則に則っていることを要求し、就業規則の合理的解釈と、懲戒権濫用法理の適用を行うことにより事案の判断を行っています。

そしてとくに従業員の私生活上の行為については、一般的に判例は就業規則を限定解釈し、私生活上の行為に対する懲戒権発動を厳しくチェックしているとされています(菅野和夫『労働法 第11補訂版』670頁)。

ところで、従業員の私生活上の行為に対する懲戒処分が問題となった著名な判例は、ある会社の従業員が深夜に他人の居宅に忍び込もうとしたところ住居侵入罪で逮捕され、罰金2500円の罰金に処されたところ、会社が就業規則の体面汚損条項違反であるとして懲戒解雇をしたことが訴訟となったものです。

この事案に対して判例は、

「右賞罰規則の規定の趣旨とするところに照らして考えるに、問題となるXの右行為は、会社の組織、業務等に関係のないいわば私生活の範囲内で行われたものであること(略)を勘案すれば、Xの右行為がY会社の体面を著しく汚したとまで評価するのは、当たらないというのほかはない。」

と判示し、Y会社の懲戒処分を無効としています(横浜ゴム事件・最高裁昭和45年7月28日判決)。

4.岡口裁判官の事案を考える
ここで本事案を考えるに、まず最高裁判所が策定した裁判官の就業規則は少なくともネット上では公開されていないようでした。しかし裁判所法49条はつぎのように、民間企業の就業規則の体面汚損条項のような規定を設けています。

裁判所法
第49条(懲戒) 裁判官は、職務上の義務に違反し、若しくは職務を怠り、又は品位を辱める行状があつたときは、別に法律で定めるところにより裁判によつて懲戒される。

つまり本事案に対する懲戒処分の根拠規定は一応存在することになります。

ところで、岡口裁判官の本事案は、今回問題となっているのは、

「岡口氏は拾われた犬の所有権が、元の飼い主と拾った人のどちらにあるかが争われた裁判を取り上げたネット上の記事のリンクとあわせて「公園に放置された犬を保護したら、元の飼い主が名乗り出て『返して下さい』 え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?3か月も放置しながら…… 裁判の結果は……」と投稿した。」(朝日新聞9月7日付記事より)

というツイートのようです。

このツイートに対して、元原告側の方が裁判所に抗議を行ったそうですが、当該原告側の方はちょっとナイーブすぎるのではないでしょうか。あるいは「クレーマー」とすら評価しうるのではないでしょうか。(後述する司法権の独立の観点からは、東京高裁は岡口裁判官を懲戒する方向を考えるのではなく、むしろ司法権の独立のためにクレーマーと断固戦うべきだったのではないでしょうか。)

岡口裁判官はこの訴訟の担当者などではなく、業務に関連したツイートではないのですから、これは私人としての私生活上の行為です。また、このツイートの内容も、原告の人物を名誉棄損するレベルとは思えません。単に社会問題・時事問題への意見・評論をツイートしているようにしか思えません。

そして、名誉棄損が違法性を阻却されるためには表現行為の公共性・真実性の証明が必要なのに対して、意見評論が違法性を阻却されるためには、表現者において右事実を事実と認めるに相当の理由があれば足りるとされています(最高裁平成9年9月9日判決、プロバイダ責任制限法実務研究会『最新プロバイダ責任制限法判例集』80頁)。

岡口裁判官は新聞記事のリンクを貼ったうえでツイートを行っているのですから、岡口裁判官には事実を事実と認めるに相当の理由があるといえるので、当該ツイートには違法性がないことになります。

そして上でみた横浜ゴム事件のように、判例は従業員の私生活上の行為への懲戒処分について、就業規則などを限定解釈し、私生活上の行為に対する懲戒権発動を厳しくチェックしているのです。

住居侵入罪で罰金刑を科された従業員ですら懲戒処分を無効とする判例があるのに、ツイッターで違法でも何でもない意見評論を投稿しただけで裁判官が懲戒処分に科されるとは、著しく法的バランスを欠くのではないでしょうか。

今回の岡口裁判官の事例だけ、これらの判例の対象外として懲戒処分を科すのは法的に、あるいは判例との関係で無理があります。

5.司法権の独立
岡口裁判官は取材に対して「これはパワハラである」と述べているそうです。心痛は察して余りありますが、パワハラの問題と同時に、この岡口裁判官への処分騒動が司法権の独立(憲法76条3項)を侵害しているのではないかと庶民としては気になります。

裁判が公正に行われ、少数者の人権が保障されるために司法権の独立は必要不可欠です。

憲法
第76条
3項 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

そして司法権の独立の核心部分は、個々の裁判官の職権の独立であるとされています。つまり、他者や他の組織から指示・命令を受けたり、事実上の影響を受けては、裁判官は公平な裁判を行えないからです。

ここでいう他の機関や他者とは、国会や行政府に限られません。教科書に載っている著名な事例は大津事件です。ロシアの皇太子を受傷させた警官についてときの政府は司法府に死刑判決をだすよう圧力をかけ、ときの大審院長児島椎謙は政府の圧力と戦い、この点は評価されています。しかし同時に児島大審院長が担当の裁判官に圧力をかけて無期刑の判決を書かせたことは、司法権の独立に反すると批判されています。

今回の岡口裁判官の事案は、司法権の独立の観点から、東京高裁が自分で自分の首をしめているように思われます。最高裁大法廷の理性のある判断が望まれます。

■追記(寺西判事補懲戒事件)
この事件に関連するものとして、ある判事補が通信傍受法案に反対する集会に一般の聴衆として参加し聴衆の席から、壇上のパネリストからの発言に対して「仮に反対の立場で発言しても積極的政治運動に当たるとは考えないが、パネリストとしての発言は辞退する」と発言したことが政治的な活動を行う行為であるとして戒告処分とされたことを争った事件について、最高裁は積極的な政治活動であり本発言は個人の意見の表明の域を超えているとして戒告処分を違法でないとした事件があります(寺西判事補懲戒事件・最高裁大法廷平成10年12月1日決定、芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』293頁)。

しかしこの最高裁判決に対しては5人の裁判官が反対意見を書いており、また憲法の学説からも表現の自由を不当に軽んじるものとの批判が多い事件です。

また、公務員と表現の自由に関する問題については、1974年に”公務員は24時間365日公務員である”とするような猿払事件判決(最高裁昭和49年11月6日判決)が出されていますが、その後の2012年の厚生労働省職員国家公務員法違反事件(最高裁平成24年12月07日判決)などは公務員の表現の自由にも配慮した判断を示しており、公務員と表現の自由の問題について、判例も変化を見せています。

■参考文献
・藤田晶子・東京弁護士会インターネット法律研究部『Q&Aインターネットの法的論点と実務対応 第2版』198頁、217頁
・菅野和夫『労働法 第11補訂版』670頁
・プロバイダ責任制限法実務研究会『最新プロバイダ責任制限法判例集』80頁
・芦部信喜『憲法 第6版』358頁













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