7月23日の東京オリンピック開催まであと3日の20日、菅義偉首相はウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のインタビューで、「東京オリンピックをやめるのは簡単」だが、「挑戦するのが政府の役割だ」と語ったとのことです。
・菅首相「五輪やめるのは簡単」「挑戦するのが政府の役割だ」、WSJに語る|WSJ・Yahoo!ニュース
これまで国会で、「新型コロナの感染拡大のなかの東京オリンピック開催は危険だから中止や延期すべきだ」と何度問われてても、「安心・安全な東京オリンピックを開催する」と主張していた菅首相ですが、開催まで数日ということで、とうとう本音が出たようです。
菅義偉首相はやはりヒトラーと同じ国家主義者・全体主義者・ファシストです。
「挑戦するのが国家の役割」などと一見かっこいいことを言っていますが、その「国家の挑戦」のために犠牲となるのは、菅首相など政府与党の幹部達の生命や健康ではなく、一般の日本や世界の国民の生命や健康です。
一般の国民の生命・健康を犠牲にして自分の独りよがりな「国家の挑戦」という目的を追求しようとしていますが、これはナチスドイツや現在の中国のような国家主義・全体主義・ファシズムであって、国民の生命・健康や基本的人権の確立が一番重要であるとする、日本の憲法が定める自由主義・民主主義に明確に反しています。
日本は中国・北朝鮮や旧ソ連などの国家主義国・全体主義国と違って、菅首相などの政府与党の幹部が主権者なのではなく、国民が主権者の自由主義・民主主義の国家です(憲法1条)。そして近代民主主義国家においては、国民の命と健康は一番大事なものであり(13条)、国民の命や健康などの基本的人権を守るために国・自治体などの機関は存在します(11条、97条)。
菅首相など政府与党が国民の命や健康を犠牲にして自分達の野心を実現するために権力を行使することは許されません。「日本のコロナの死者が他の国に比べて多い少ない」はこの場合、関係がない問題です。国民はたとえたった一人であっても、個人として尊く、国から個人として尊重される存在なのですから(憲法13条)。国にはたった一人の国民に対しても、生命や健康を守る責務があります(13条、25条など)。
もはや「国家のために国民は犠牲となれ」との本音をさらした菅首相は、日本や世界の国民と、自由主義・民主主義、個人の尊重を掲げる近代立憲主義憲法の敵です。
日本や西側世界の個人・法人は、敵である菅首相ら政府与党から、国民・法人の個人の尊重や基本的人権を守るために、「不断の努力」を行わなければなりません(憲法12条)。
■追記(7月22日)
東京オリンピックの開会式が明日にせまるなか、開会式のディレクターで開会式の演出のトップの元お笑い芸人の小林賢太郎氏が、お笑い芸人時代にナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を笑いの対象としたコントをしていたことに対し、ユダヤ人団体のサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が同氏を非難する声明を公表したことを受け、組織委員会は本日、小林賢太郎氏を解任したとのことです。もはや東京オリンピックは開会を前に、完全にレイムダック、「死に体」の状況に陥っているように思われます。
障害者へのいじめ加害で小山田圭吾氏が辞任となったばかりですが、今度は開会式の演出のトップが、ナチスドイツのユダヤ人大虐殺を笑いの対象としていたことでSWCから非難され解任というのは、もはや東京オリンピックと菅政権は、五輪の開会を前に完全に「死に体」、レイムダックの状況といえます。
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