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1.はじめに
名誉棄損的なTwitterのツイートを「いいね」する行為に初めて不法行為責任が認められた興味深い裁判例(東京高裁令和4年10月20日判決)が判例タイムズ1511号(2023年10月号)138頁に掲載されていたので読んでみました。

2.事案の概要
ツイッター(現「X」)に2018年にユーザーBから控訴人X(伊藤詩織氏)を侮辱する内容の複数のツイートが投稿され、被控訴人Y(杉田水脈氏)がこれらのツイートに対して「いいね」を押した。(合計25件。)それに対してXがYに対して名誉棄損による損害賠償を求めたのが本件訴訟である。第一審(東京地裁令和4年3月25日)はXの請求を棄却したのでXが控訴。

3.高裁判決の判旨(請求認容・上告中)
人の名誉感情を侵害する行為は、それが社会通念上許される限度を超える侮辱行為であると認められる場合には、その人の人格的利益を侵害するものとして不法行為が成立すると解するのが相当である。


『「いいね」を押す行為は、その行為をした者が当該対象ツイートに関する好意的・肯定的な感情を示したものと一般的に理解されているとしても、前記…のとおり、ツイッターにおける「いいね」ボタンは、押すか押さないかの二者択一とされているから、仮に「いいね」が押されたとしても、対象ツイートのどの部分に好意的・肯定的な評価をしているかが当然に明確になるというものではない。また、「いいね」を押すことは、ブックマークとして使用する場合もあるなど、対象ツイートに対する好意的・肯定的な評価をするため以外の目的で使用することがあることも認められる。
 そうすると、当該「いいね」を押す行為が、対象ツイートに対して好意的・肯定的な感情を示したものと認めることができるかを判断するためには、対象ツイートの記載内容等から、「いいね」を押すことによって対象ツイートのどの部分に好意的・肯定的な評価をしていると理解することができるかを検討する必要があるし、また、「いいね」を押した者と対象ツイートで取り上げられた者との関係や「いいね」が押されるまでの経緯も検討する必要がある。


『以上で検討したとおり、本件対象ツイートは、いずれも、XやXを擁護するツイートをした「B」を揶揄、中傷し、あるいはXらの人格を貶めるものである。そしてYは、インターネットで放送された番組やBBC放送の番組の中で、更には自身のブログやツイッターに投稿したツイートで、本件性被害に関し、Xを揶揄したり、Xには落ち度があるか、Xは嘘の主張をしていると批判したり、…していたところ、Yツイート1及び2を契機に本件対象ツイートがされるや、「いいね」を押した(本件各押下行為)ものである。また、Yは、本件対象ツイートのほかにも、Xや「B」を批判、中傷する多数のツイートについて「いいね」を押している一方で、Yに批判的なツイートについては「いいね」を押していなかった。
 これらの事実に照らせば、本件各押下行為は、Xや「B」を侮辱する内容の本件対象ツイートに好意的・肯定的な感情を示すために行われたものであることが優に認められる。同時に、Xに対する揶揄や批判等を繰り返してきたYがXらを侮辱する内容の本件対象ツイートに賛意を示すことは、Xの名誉感情を侵害するものと認めることができる。』

『本件各押下行為は社会通念上許される限度を超える侮辱行為に当たるか否かについて
  本件各押下行為は、合計25回と多数回に及んでいる。また、このことに加え、Yは、本件各押下行為をするまでにもXに対する揶揄や批判等を繰り返していたことなどに照らせば、Yは、単なる故意にとどまらず、Xの名誉感情を害する意図をもって、本件各押下行為を行ったものと認められる。すなわち、一般的には、「いいね」を押す行為は、その行為をした者が当該対象ツイートに関して好意的・肯定的な感情を示すものにとどまるとしても、Yは、上記…のようなXらを侮辱する内容の本件対象ツイートを利用して、積極的にXの名誉感情を害する意図の下に本件各押下行為を行ったものというべきである。
 さらに、本件各押下行為は、約11万人ものフォロワーを擁するYのツイッターで行われたものである上、Yは国会議員であり、その発言等には一般人とは容易に比較し得ない影響力があるところ、このことは本件各押下行為についても同様と認められる。
 これらの事情に照らすと、本件各押下行為は、社会通念上許される限度を超える侮辱行為であることを認めることができるから、Xの名誉感情を違法に侵害するものとして、Xに対する不法行為を構成する。

東京高裁はこのように判示して、Yに対して慰謝料55万円の損害賠償責任を認めた。
4.検討
(1)名誉棄損
名誉とは、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的な評価であると解されています。この社会的評価を低下させる行為がインターネット上で行われた場合には、報道・出版などマスメディアによる表現行為の場合と同様に、名誉棄損として不法行為が成立する可能性があります(民法709条、710条、2ちゃんねる動物病院事件・東京地裁平成14年6月26日判決など、TMI総合法律事務所『IT・インターネットの法律相談』62頁)。

(2)ツイッターにおける名誉棄損
このインターネット上の名誉棄損の考え方はツイッターにおいても同様であり、また名誉棄損など違法性のあるツイートをリツイートする行為が名誉棄損による不法行為に該当するとした裁判例も現れています(東京地裁令和3年11月30日判決など)。本判決はツイッターの「いいね」も名誉棄損による不法行為に該当する場合があることを認めた初めての裁判例であると思われます。

(3)本判決について
第一審判決はBのツイート内容やYの「いいね」についてのみ限定的な解釈を行って請求棄却の判断を下していますが、本判決はツイート内容や「いいね」の様態だけでなく、YのXに対する他のインターネット放送やBBC放送の番組上での言動や、Yの社会的地位・社会的影響力なども総合考慮して名誉棄損による不法行為責任を認めていることが注目されます。

すなわち、本判決は「そうすると、当該「いいね」を押す行為が、対象ツイートに対して好意的・肯定的な感情を示したものと認めることができるかを判断するためには、対象ツイートの記載内容等から、「いいね」を押すことによって対象ツイートのどの部分に好意的・肯定的な評価をしていると理解することができるかを検討する必要があるし、また、「いいね」を押した者と対象ツイートで取り上げられた者との関係や「いいね」が押されるまでの経緯も検討する必要がある。」と判断枠組みを示しています。

(4)まとめ
このように、本判決は元となったツイートの内容や、「いいね」の回数等だけでなく、「いいね」をした者の他の媒体での言動、社会的地位や社会的影響力、フォロワー数などを総合的に判断して不法行為が成立するか否かを検討しています。

そのため、同じツイッターの「いいね」であっても、一般人に比べて、いわゆる「粘着的」にある人物や団体を批判する言動を行っている人物や、あるいは社会的地位や影響力の高い人物(国会議員、政治家、芸能人、インフルエンサーなど)の「いいね」は場合によっては名誉棄損による不法行為が成立する可能性が高まるかもしれないと思われます。

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■参考文献
判例タイムズ1511号(2023年10月号)138頁
TMI総合法律事務所『IT・インターネットの法律相談』62頁

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本ブログ記事の概要
憲法82条は「裁判の公開」を規定しているが、これも無制限ではなく、法廷における公正・円滑な訴訟運営の重要性、被告人や訴訟関係者の名誉・プライバシーの保護の重要性から、本事件のようなTwitter等による裁判の無断放送は許されない。

1.はじめに
岡山地裁で7月5日に行われた刑事裁判の法廷内の音声が、傍聴人の何者かによりツイッターの音声会議機能「スペース」を使って、無許可でネット中継されていたことが発覚したとのことです。一時は350人以上が中継を聴いていたとのことです。憲法は「裁判の公開」を規定していますが(82条)、この事件をどのように考えたらよいのでしょうか。
・ツイッターで刑事裁判の法廷音声を中継、被告人質問でのやりとりを350人以上聴く…岡山地裁|読売新聞

2.「裁判の公開」の趣旨
憲法82条1項は「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。」と規定しています。

日本国憲法
第82条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
この「裁判の公開」の趣旨・目的は、対審・判決を公開することにより、裁判を国民の監視の下に置き裁判の公正な運用を確保することにあるとされています。(柏崎敏義「新基本法コンメンタール憲法」438頁)

この点、裁判の傍聴席でのメモをとる自由について争われたレペタ事件(最高裁平成元年3月8日判決)で最高裁は、「裁判を一般に公開して裁判が構成に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとする」と判示しているのはこの意味であるとされています。

そのため学説は、憲法82条の「公開」は、「広く一般国民に傍聴を認める」趣旨であると解しています(傍聴の自由)(柏崎・前掲)。

3.「裁判の公開」の限界
とはいえ、この裁判の公開も無制限に認められるわけではありません。裁判所には法廷警察権があるとされており(裁判所法71条、刑訴法288条)、例えば法廷での裁判官の職務を妨げた者に対する退廷命令(裁判所法71条)などを出すことができるとされています。また、刑事訴訟規則215条は「公法廷における写真の撮影、録音又は放送は、裁判所の許可を得なければこれをすることができない」と規定しています。(民事訴訟規則77条はさらに速記、録画も裁判所の許可が必要であると規定している。)

刑事訴訟規則
第215条 公法廷における写真の撮影、録音又は放送は、裁判所の許可を得なければこれをすることができない。但し、特別の定のある場合は、この限りでない。
この点、刑事裁判において裁判所の許可なく被告人の写真をとった記者の行為が争われた北海タイムス事件(最高裁昭和33年2月17日判決)において最高裁は、「たとい公判廷の状況を一般に報道するための取材活動であっても、その活動が公判廷における審判の秩序を乱し、被告人その他訴訟関係者の正当な利益を不当に害するがごときものは、もとより許されない」と判示しています。

この判決について学説は、「裁判の公正の確保、被告人・訴訟関係者の名誉・プライバシー保護の観点から報道の自由に対する制約には合理性がある。」としています(柏崎・前掲)。

また、上述のレペタ事件について学説は、「法廷における公正かつ円滑な訴訟運営が法廷でのメモ行為よりもはるかに優越する法益であると裁判所は考えている。」と評価しています(西土彰一郎「新・判例ハンドブック憲法」132頁)。

なお、昭和57年6月には、最高裁事務総長と日本新聞協会編集委員会との懇談会が開催されていますが、最高裁側は、①写真を撮られたくないという被告人の心情や人権は裁判所としては最大限保護しなくてはならない②法廷内にカメラがあるだけで裁判官は心理的な緊張を受け、審理に影響を及ぼす恐れがある、等の点から無制限な裁判の写真撮影等には反対の立場を主張しています(堀部政男「メディア判例百選」9頁)。

とくに刑事裁判においては国(検察)から訴追を受けた被告人の防御権の確保がなにより重要であり、法廷における公正・円滑な訴訟運営が要請されますが、裁判官ですらカメラがあるだけで心理的な緊張を受けるというのに、被告人はさらに緊張や萎縮感を受けるであろうと思われ、もしカメラやスマホ等による無制限な撮影・録音があった場合、自由な弁論や真実の探求が十分に達成できない危険性があるのではないでしょうか。

この点学説は、大衆は興味本位に傾きやすく、人民裁判のおそれがあること。被告人の公判廷での惨めな姿を「恥」とする心理も否定できない。等の理由から、無制限な傍聴を戒める見解もあります(君塚正臣「メディア判例百選(第二版)」7頁)。

4.まとめ
このように、「裁判の公開」は裁判を国民の監視の下に置き裁判の公正な運用を確保するために非常に重要ですが、その一方で裁判の公開や傍聴する自由も無制限に許容されるのではなく、法廷における公正・円滑な訴訟運営がまずは重要であると考えられます。また、被告人や訴訟関係者の名誉・プライバシーの保護も重要であり、いわゆる週刊誌報道などのような興味本位の人民裁判的な傍聴や報道なども許されません。

そのため、本事件のような裁判所の許可を受けないTwitterのスペース機能による刑事裁判の「放送」は憲法82条の「裁判の公開」の限界を超えるものとして許されないものと思われます。

なお、IT技術の発展は非常に早く、個人が保有するスマホですらこのような行為が可能な時代となり、近い将来には裁判の公開がネット配信なども検討されるようになるかもしれません。しかし上述のとおり、裁判においては法廷における公正・円滑な訴訟運営や被告人や訴訟関係者の名誉・プライバシーの保護など諸般の事情を検討し、慎重な議論が必要であると思われます。

※本ブログ記事を書くにあたっては、7月9日の法律系VTuberのじゃこにゃー様と弁護士VTuberのながの先生のYouTube配信を参考にさせていただきました。じゃこにゃー様、ながの先生ありがとうございます。
・【 法律 】ツイッターで刑事裁判の法廷音声を中継!? 裁判の公開はどこまでするべきなのか?|YouTube

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■参考文献
・柏崎敏義「新基本法コンメンタール憲法」438頁
・西土彰一郎「新・判例ハンドブック憲法」132頁
・堀部政男「メディア判例百選」9頁
・君塚正臣「メディア判例百選(第二版)」7頁

■関連するブログ記事
・「リモート国会」を考えるー物理的な「出席」は必要なのか?―ガーシー議員

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1.はじめに
Twitterでツイートする際に他人のツイートのスクリーンショット(スクショ)画像を添付したことが 適法な「引用」ではないと判断された裁判例(東京地判令和4.2.10)が出され批判が大きいところ、今般別件で、ツイートに他人のツイートのスクショ画像を添付することは適法な引用であるとする興味深い知財高裁判決(知財高裁令和4.11.2)が出されていたので紹介します。

2.事案の概要
本件は、氏名不詳者によりTwitterにおいて、本件ツイート1および2が投稿されたことにより、同各ツイートに添付された本件投稿画像1または2に含まれる本件控訴人プロフィール画像に係る控訴人X1の著作権および控訴人X2の原著作者の権利が侵害されたこと並びに控訴人X1の名誉権が侵害されたとして、控訴人らが経由プロバイダである被控訴人に対して、プロバイダ責任制限法に基づき発信者情報の開示を求めた事案である。

本件投稿画像1および2は、控訴人X1が投稿したツイートをそれぞれスクリーンショット(スクショ)により撮影したものであり、ツイートには投稿者を示すアイコンとして、控訴人X1のプロフィール画像が付されていた。本件控訴人プロフィール画像は、控訴人X1が自らのアカウントにおいてプロフィール画像として用いていたものであり、控訴人X2が撮影した控訴人X1の写真の顔部分に控訴人X1がイラストを付して加工したものであった。本知財高裁判決はスクショ画像の添付によるツイートを適法な引用と認めた。(ただし名誉棄損などを認定して発信者情報の開示を認めた。)

3.判決の判旨
『イ  本件では、本件ツイート1の投稿者が、本件アカウントにおいて、控訴人らの許諾を得ることなく本件ツイート1を投稿しており、これにより、本件控訴人プロフィール画像をツイッターのサーバに複製し、送信可能化したとい える。

ウ  被控訴人は、上記イの本件控訴人プロフィール画像の利用について、「引用」に当たり適法であると主張するので検討するに、適法な「引用」に当たるには、①公正な慣行に合致し、②報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない(著作権法32条1項)。

エ(ア)  本件についてみると、本件ツイート1においては、「X1’ さん」「DM画像捏造してまで友人を悪人に仕立てあげるのやめてくれませんかね?」との文言と共に本件投稿画像1が投稿されているところ、「X1’」は控訴人X1の旧姓であるから、同ツイートは、控訴人X1 が「DM画像を捏造した」という行為を批判するために、控訴人X1 が捏造した画像として、本件投稿画像1を合わせて示したものと推認され、本件投稿画像1を付した目的は、控訴人 X1が「DM画像を捏造」してこれをツイートした行為を批評することにあると認められる。

(イ) 上記控訴人X1 の行為を批評するために、控訴人X1 のツイートに手を加えることなくそのまま示すことは、客観性が担保されているということができ、本件ツイート1の読者をして、批評の対象となったツイートが、誰の投稿によるものであるか、また、その内容を正確に理解することができるから、批評の妥当性を検討するために資するといえる。また、本件控訴人プロフィール画像は、ツイートにアイコンとして付されているものであるところ、本件ツイート1において、控訴人X1 のツイートをそのまま示す目的を超えて本件控訴人プロフィール画像が利用されているものではない。そうすると、控訴人X1 のツイートを、アイコン画像を含めてそのままスクリーンショットに撮影して示すことは、批評の目的上正当な範囲内での利用であるということができる。

(ウ) 次に、証拠によると、画像をキャプチャしてシェアするという手法が、情報を共有する際に一般に行われている手法であると認められることに照らすと、本件ツイート1における本件控訴人プロフィール画像の利用は、公正な慣行に合致するものと認めるのが相当である。

オ(ア)  控訴人らは、本件投稿画像1の分量が本件ツイート1の本文の分量と同等であり、主従関係にないから、引用に当たらないと主張するが、仮に「引用」に該当するために主従関係があることを要すると解したとしても、主従関係の有無は分量のみをもって確定されるものではなく、分量や内容を総合的に考慮して判断するべきである。本件では、本件投稿画像1ではなく、本件控訴人プロフィール画像と本件ツイート1の本文の分量を比較すべきである上、本件投稿画像1は、本件ツイート1の本文の内容を補足説明する性質を有するものとして利用されているといえることから、控訴人らの上記主張は採用できない。

(イ)  控訴人らは、引用リツイートではなくスクリーンショットによることは、ツイッター社の方針に反するものであって、公正な慣行に反すると主張する。しかしながら、そもそもツイッターの運営者の方針によって直ちに引用の適法性が左右されるものではない上、スクリーンショットの投稿がツイッターの利用規約に違反するなどの事情はうかがえない。

そして、批評対象となったツイートを示す手段として引用リツイートのみによったのでは、元のツイートが変更されたり削除された場合には、引用リツイートにおいて表示される内容も変更されたり削除されることから、読者をして、批評の妥当性を検討することができなくなるおそれがあるところ、スクリーンショットを添付することで、このような場合を回避することができる。(略)そうすると、スクリーンショットにより引用をすることは、批評という引用の目的に照らし必要性があるというべきであり、その余の本件に顕れた事情に照らしても公正な慣行に反するとはいえないから、控訴人らの上記主張は採用できない。』

4.検討
(1)「引用」 著作者の権利(著作権および著作者人格権)の享有にはいかなる方式の履行も要しないとされています(著作権法17条2項)。しかし著作権はさまざまな形で制約されます(法30条以下)。本件で問題となるのは「引用」です(法32条)。

著作権法
(引用)
第32条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

この著作権法32条1項の条文が示すように、適法な引用といえるためには、①公表されていること、②公正な慣行に合致すること、③報道、批評、研究その他の引用の正当な範囲内であること、が必要となります。ここで①は明確な要件ですが、②③は必ずしも明確ではないので、裁判例は判断基準として④明瞭区別性、⑤主従関係の要件をとることが一般的です(最高裁昭和55.3.28・パロディ=モンタージュ事件)。

(2)本判決の検討
(a)批評の引用の正当な範囲内であること
そこで本判決をみると、「エ(ア)」の部分で裁判所は、本件投稿画像(スクショ画像)の添付された本件ツイートは控訴人X1が「DM画像を捏造」してこれをツイートしたことを「批判」する目的のものであると認定しています。

そして「エ(イ)」の部分で裁判所は、X1のツイートを批評するためにスクショ画像でX1のツイートをそのまま示すことは、「客観性が担保」され、「誰の投稿によるものであるか明らか」であり、また「その内容を正確に理解できる」ので、「批評の妥当性を検討するに資する」と評価しています。そのため裁判所はスクショ画像をツイートに添付することは「批評の目的上正当な範囲内での利用ということができる」と結論付けています。

(b)公正な慣行・主従関係
また裁判所は「エ(ウ)」の部分で、「証拠によると、画像をキャプチャしてシェアするという手法が、情報を共有する際に一般に行われている手法であると認められていることに照らすと」、本件控訴人プロフィール画像の利用は「公正な慣行に合致」していると判断しています。

この点について控訴人は、本件投稿画像1の分量が本件ツイート1の本文の分量と同等であり主従関係にないと争っていますが、裁判所は、「主従関係の有無は分量のみをもって確定されるものではなく、分量や内容を総合的に考慮して判断すべきである」と判示し、控訴人らの主張を退けており注目されます。

(c)Twitterの利用規約-引用ツイートとスクショ・オーバーライド問題
さらに控訴人らは、Twitterの利用規約は他のツイートを引用する際には引用ツイートの手法のみを認めており、スクリーンショットによる手法を認めていないので、本件のスクショ画像は「公正な慣行」に反すると争っています。

この点に関しては、冒頭であげた東京地裁令和4.2.10は、スクショ画像の添付は"Twitterの利用規約に違反しており公正な慣行に合致しておらず適法な引用といえない"と判断してしまっておりますが、この東京地裁判決に対しては、「スクリーンショット画像の添付による引用がツイッター社の規約に違反するとしても、規約違反が「公正な慣行」という媒介を通じて直ちに32条1項の適法引用を否定することになるかについては、別個の検討が必要であろう(略)。さもなければ、SNS等のサービス運営者がその利用規約等をもって著作権法の定める適法引用要件を事実上修正できることになりかねない。」との批判(いわゆる「オーバーライド問題」への批判)がなされているところでした(小林利明「ツイッターにおけるスクリーンショット画像の添付と適法引用の成否」『ジュリスト』1572号9頁)。

これに対して本知財高裁判決は、「しかしながら、そもそもツイッターの運営者の方針によって直ちに引用の適法性が左右されるものではない」とし、さらに「批判対象となったツイートを示す手段として引用リツイートのみによったのでは、元のツイートが変更されたり削除された場合には、引用リツイートにおいて表示される内容も変更されたり削除されることから、読者をして、批評の妥当性を検討することができなくなるおそれがあるところ、スクリーンショットを添付することで、このような場合を回避することができる」と指摘し、その上で「そうすると、スクリーンショットによる引用をすることは、批評という引用の目的に照らし必要性があるというべきであり…公正な慣行に反するとはいえない」と結論付けています。

このように知財高裁が引用リツイートとスクショ画像とを比較検討し、スクショ画像のメリットを指摘し、その上でツイッター社の利用規約が引用リツイートしか認めていないからといってスクショ画像の添付が公正な慣行に反することにはならないと判示したことは極めて正当であると思われます。本知財高裁判決をもって、上述の東京地裁令和4.2.10の判旨は否定されたといえるのではないかと思われます。

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■参考文献
・知財高裁令和4年11月2日判決 令和4(ネ)10044 著作権侵害等に基づく発信者情報開示請求控訴事件|裁判所
・小林利明「ツイッターにおけるスクリーンショット画像の添付と適法引用の成否」『ジュリスト』1572号8頁
・中山信弘『著作権法 第2版』320頁
・高林龍『標準著作権法 第5版』181頁



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Twitterのロゴ
1.マスク氏がTwitter社を買収
マスメディア各社の報道によると、「Twitterの言論の自由」を掲げるイーロン・マスク氏が4月25日、Twitter社を約5.6兆円(440億ドル)で買収したとのことです。そして今後はTwitter社は非公開会社になるとのことです。ここで気になるのは、今後のTwitterで言論の自由など表現の自由がどうなるか、ユーザーの個人データの取扱がどうなるか等でしょう。
・Twitter、マスク氏による買収に合意 440億ドル(約5.6兆円)で非公開企業に|ITmediaNEWS

少し前まで、Twitter社の言論の自由には問題が多いと主張するマスク氏はTwitter社の大株主となり取締役として同社の経営に参画し、同社の改革を行う姿勢を示していました。しかしマスク氏はそれを撤回し、Twitter社を丸ごと買収するとともに同社を非公開化することとしてしまいました。

これではオーナーとなったマスク氏が、その地位をよいことにそれまでいた株主や、Twitterのユーザーなどの声を聞かず、自分自身の理念の「言論の自由」を振り回してワンマン経営を行うリスクがあります。

現実に、マスク氏のテスラ社では人種差別やセクハラが横行し訴訟が提起されており、また、同じくマスク氏のスペースX社のブロードバンド事業「スターリンク」は、既に1800機もの人工衛星システムを軌道上に構築し、多くの天文学者から「光害問題」を批判されているにもかかわらず、さらに同システムを拡大する方針のようです。
・テスラ、セクハラ問題で女性6人が提訴--SpaceXにもセクハラ批判|CNET Japan
・スペースXのスターリンクが成長を続ける一方、光害問題も深刻化しかねない|WIRED

このようにマスク氏はITベンチャー企業の典型的な経営者であり、自己の野心や正義のために驀進するタイプの人物で、必ずしも清廉潔白な人物、あるいはコンプライアンス意識の高い人物というわけではありません。そのため、今後のTwitterにおける表現の自由や、ユーザーの個人データの取扱などがますます気になります。

2.「思想の自由市場論」vs「闘う民主主義」
マスク氏の主張する「言論の自由」とは、おそらくアメリカや日本の憲法学の背景にある「思想の自由市場論」に近いものであると思われます。これは、多くの表現や意見が自由に表明され議論されれば、よりよい結論や真理に到達できるであろうとする考え方であり、18世紀のフランス革命やアメリカ独立戦争などの市民革命を経た近代社会の表現の自由に関する近代憲法の前提となる考え方です。これに対して、第二次世界大戦におけるナチズムの反省に立つ欧州では、さらに一歩進んで「自由主義・民主主義に反する者には基本的人権を与えない」という、いわゆる「闘う民主主義」とのポスト近代憲法(脱近代憲法)の考え方をとっています。

もしマスク氏が「Twitterの言論の自由を改革する」とワンマン・オーナーぶりを発揮したら、マスク氏の好む言論や表現の許される範囲は拡大するかもしれませんが、その一方で、テスラ社やスペースX社への批判や、マスク氏などへの批判などは規制されるようになってしまうかもしれません。

表現への規制には公権力や国民の多数派による濫用の危険がつきまといます。例えば2014年には、当時の自民党は「ヘイトスピーチとセットで国会デモを法規制すること」を提言し、議論を巻き起こしました。

あるいは、仮にマスク氏が欧州の「闘う民主主義」的な規制の多い表現空間ではなく、アメリカ・日本などの「思想の自由市場論」的な規制の少ない表現空間を目指すとしたら、表現の自由との関係でそれは一般論としては望ましいものの、例えば、2021年1月のアメリカ議会襲撃事件をネット上で扇動したとされるドナルド・トランプ氏の現在「凍結」されているアカウントをどうするのか?という困難な問題が浮上することになると思われます。

このように言論の自由、表現の自由の規制の問題は非常に困難が多いものですが、とくにTwitterなどのSNSは、国・自治体ではなく一民間企業にすぎないTwitter社が同社のシステム上の言論や表現、あるいは個人データの取扱を管理・運営しているため、ますます難解なものとなります。

(なお、憲法は原則として国を規制するための法ですが、Twitter社などの民間企業に対しても、憲法は法律の一般条項(民法1条2項、90条など)を通じて間接的に適用されるとするのが判例であり憲法学の通説的な見解です。)

3.「デジタル荘園」
この点、2020年1月の日本経済新聞の山本龍彦・慶大教授(憲法・情報法)の「プラットフォーマーと消費者(下) 「デジタル封建制」統制を」とのインタビュー記事などが参考になると思われます。(山本教授は講演会などでも「デジタル荘園」の考え方を講義されておられます。)
・プラットフォーマーと消費者(下) 「デジタル封建制」統制を|日本経済新聞

「デジタル荘園」とは元々経済学者の提唱した概念のようですが、TwitterやFacebook、Googleなどの巨大IT企業のGAFAは、まるで中世の「荘園」のように、ユーザーを自社のプラットフォームに「領民」・「農奴」として囲い込み、各種のサービスを提供・管理・運営し、マルウェアなどからユーザーを守る代わりに、「年貢」としてユーザーから個人データ等を徴収するということを表した考え方です。

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(中世ヨーロッパの荘園。Wikipediaより)

この「デジタル荘園」としてのTwitter等は、民主主義国家ではなく、あくまでも民間企業のサービスであり、われわれユーザーは国民ではなく消費者つまり「領民」や「農奴」に過ぎません。そのため、われわれユーザーは、仮にTwitter社のサービスや、「領主」のマスク氏や経営陣の経営に問題があるとしても、選挙権や被選挙権、リコール制度などは存在しないため、国民が民主主義国家の政府・議会に対してできることに比べて、Twitter社やマスク氏へ異議申し出や是正の要求を行うことが極めて困難になってしまいます。

18世紀の市民革命は荘園や教会などの「中間団体」を排除し、国家を国民と直接つなぎ、国民自身が国家に参画して自らを統治する近代民主主義国家が生まれたはずなのに、21世紀の現在、デジタル・プラットフォームであるGAFAなどの巨大IT企業が、再び中間団体としての「デジタル荘園」として、国民と国家とを分断しつつある状況です。

4.まとめ
このような「デジタル荘園」や、もしマスク氏がTwitter社をワンマン経営した場合のリスクに対しては、最近は日本・欧州などはデジタル・プラットフォーマー規制法(日本)・デジタルサービス法(EU)などを相次いで立法化していますが、そのような法的手当をより強化し、GAFAなど巨大IT企業を、国民の信託を受けた国会の立法による民主的なコントロールを行うことが必要なのかもしれません。

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■関連する記事
・メルケル独首相のツイッター社等のトランプ氏追放への「苦言」を考える-表現の自由
・「表現の不自由展かんさい」実行委員会の会場の利用承認の取消処分の提訴とその後を憲法的に考えた-泉佐野市民会館事件・思想の自由市場論・近代立憲主義

■参考文献
・水谷瑛嗣郎「AIと民主主義」『AIと憲法』(山本龍彦編)285頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法1 第5版』312頁、352頁











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河野太郎Twitterトップ画面
(河野太郎氏のTwitterより)

1.河野太郎大臣がTwitter上で批判的な国民にブロックを多用していることが話題
河野太郎行政改革担当相はTwitterで237万人を超えるフォロワー数がおり、熱狂的な支持層がいる一方で、Twitterブロック機能を多用することでも知られています。河野大臣がTwitterのブロックを多用することについては9月7日に記者会見で記者から質問が出され、河野大臣は「Twitter上でも礼節を求めることは当然」で問題ないとの回答をしたとのことです。(なお、安倍前首相や立憲民主党の蓮舫議員なども、Twitterでブロックを多用することで有名です。)

しかし、アメリカにおいては2019年にトランプ氏Twitter上で批判的なユーザーをブロックすることが争われた裁判において、トランプ氏のブロックは米合衆国憲法の規定する「言論の自由」の侵害であり違憲との興味深い判決が出されているところです。このブログ記事では、政治家がTwitter上でユーザーをブロックすることについて、主に憲法から考えてみたいと思います。
・河野大臣、ツイッターのブロック「問題ない」SNS上でも礼節求める|朝日新聞

2.表現の自由
日本の憲法21条1項は国民の基本的人権として「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」表現の自由を規定しています。この表現の自由は、意見や表現などを表明するだけでなく、情報をコミュニケーションする自由ですので、意見などの情報を受け取る自由、議論をする自由、国民の「知る権利」なども含まれます。

日本国憲法
第21条
第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

この表現の自由は、国民個人が表現活動を通じて自己実現や自己の人格を発展させるという個人的な価値(自己実現の価値があるだけでなく、表現活動によって国民が政治的意思決定に関与するという民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値の二つの価値があり、とりわけ後者の、国民が議論により民主政治に参加するために不可欠な基本的人権であるという、民主主義国家の前提をなす基本的人権として極めて重要な人権です(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』180頁)。

3.プライバシー権・自己決定権・自己情報コントロール権
その一方で、国民個人には、例えば①子どもをもうけるかどうかなど家族のあり方を決める自由、②服装・髪型など身じまいなどのライフスタイルを決める権利、③尊厳死・医療拒否なぞ自分の生命のあり方を決める自由など、個人の人格的な生存にかかわる重要な私的事項を個人が公権力や他人から干渉されずに自律的に決定する自己決定権という基本的人権が存在します。この自己決定権はもともとアメリカの判例で形成された「一人でほっておいてもらう権利」として発展してきたプライバシー権(古典的プライバシー権・狭義のプライバシー権、東京地裁昭和39年9月28日判決・「宴のあと」事件)と並んで形成された、「広義のプライバシー権」とされ、個人の尊重幸福追求権を規定する憲法13条の保障のもとにあるとされています。

この「個人の人格的な生存にかかわる重要な私的事項を個人が公権力や他人から干渉されずに自律的に決定する権利・自由」としての自己決定権には、国民個人が誰と友人・知人や会話や議論の相手となるか/ならないかという他社との私的な関係性を自己決定する権利も含まれるといえるのではないでしょうか。つまり、河野大臣がTwitter上で批判的なユーザーをブロックすることは、自己決定権から一応説明が可能とも考えられます。

4.基本的人権の限界
とはいえ国民の基本的人権も無制限ではありません。憲法12条、13条、22条、29条は、国民の基本的人権は「公共の福祉」により制約を受けることがあると規定していますが、この「公共の福祉」とは、ある個人の基本的人権が他の個人の基本的人権と衝突した際に、その基本的人権を制約し衝突を抑えるものであり(内在的制約)、現代ではこの基本的人権に内在する制約は、上でみた憲法の4つの条文に関する基本的人権だけでなく、すべての基本的人権に該当すると考えられています(芦部・高橋・前掲111頁)。

そのため、河野大臣がTwitterで批判的なユーザーをブロックすることが表現の自由、自己決定権や自己情報コントロール権などに基づく人権であるとしても、それは無制限に許されるわけではなく、他の国民、とくに批判的な国民・ユーザーの表現の自由などとの関係で一定の制約を受けることになります。

5.憲法の私人や民間企業への適用の問題-間接適用説
ところで18世紀以降の西側自由主義諸国の近代憲法における基本的人権は、国家など公権力との関係で国民の人権などの権利・自由を保護することが重視されます(立憲主義)。Twitterは民間企業であるTwitter社が運営するサービスであるため、憲法の人権条項は適用されないのではないか?との問題があり得ます。

しかし現代社会においては大企業などの社会的権力による国民の権利自由の侵害が大きな問題となっています。そのため現代においては、憲法の基本的人権にかかわる条文は、民間企業と国家との関係や、国民の私人同士の関係においても、例えば公序良俗違反や権利の濫用は無効であるとする民法90条、同1条3項などの法律の一般条項の適用において、憲法の人権条項の趣旨を取り込んで法律の解釈・適用を行うという考え方が判例・通説となっています(間接適用説・最高裁昭和56年3月24日判決・日産自動車事件など)。そのため河野大臣のTwitter上のブロックの問題は、やはり憲法の基本的人権の問題でもあるわけです。

6.トランプ前アメリカ大統領のTwitter上のブロックに関するアメリカの裁判例
この点、アメリカでは、2019年に当時のアメリカ大統領ドナルド・トランプ氏Twitter上で批判的なユーザーをブロックすることは米合衆国憲法修正1条の定める「言論の自由」の侵害であり違憲であるとの2018年の第一審判決(ニューヨーク州南部地区連邦地方裁判所)を支持した興味深い連邦巡回控訴審判決が出されています(米連邦第2巡回控訴審2019年7月9日判決)。
・Twitterでのトランプ大統領の批判ブロックは違憲--米裁判所|C-NET Japan

このC-NET Japanの報道によると、大統領にブロックされた複数のTwitterユーザーを代表してコロンビア大学のナイト憲法修正第1条研究所がトランプ大統領に対して提起したこの裁判では、同研究所は、トランプ氏がユーザーをブロックする行為について、「指定されたパブリック・フォーラム」への参加に対して、違憲状態の制限を強要するものだ」と主張したとのことです。

これに対して2019年7月9日の米連邦第2巡回区控訴裁判所は、「米憲法修正第1条は、あらゆる種類の公的目的にソーシャルメディアアカウントを利用する政治家・官僚は、開かれたオンライン上の会話となるはずの場から、政治家・官僚が同意しない意見を表明したからという理由で、ユーザーを排除することを許可しない」として、トランプ氏のTwitter上の反対派ユーザーのブロックは米合衆国憲法修正1条の言論の自由に反して違憲であるとし、第一審判決を支持する興味深い判決を出しています。

アメリカ合衆国憲法
修正第1条(信教・言論・出版・集会の自由、請願権)
連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、 ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。

7.「パブリック・フォーラム」論
ここで登場するパブリック・フォーラムとは、道路・広場・公園などのように、交通や憩いの場というだけでなく、人々が自由に交流し会話や表現などを行う場所のことです。表現のためにはこのような表現の空間の確保は不可欠であり、このような場所を、その場所・施設などの管理者の管理権などを理由に安易に国民の利用を制限することは、表現の自由への規制につながります。

この点、アメリカの判例は、政府の所有・管理する施設①道路・広場・公園などの「伝統的なパブリック・フォーラム」②表現のために特に設置された公会堂等の「指定されたパブリック・フォーラム」③上記いずれにも該当しない場所である「非パブリック・フォーラム」、の3つに分類しています。

そしてアメリカの判例は、①の「伝統的なパブリック・フォーラム」における表現の自由の法律などによる規制・制限は裁判所の厳格な審査が適用され、②の「指定されたパブリック・フォーラム」については設置・維持については管理者の裁量であるが、設置した場合には①の伝統的なパブリック・フォーラムと同様に裁判所の厳格な審査が適用されるとしています。また、③の「非パブリック・フォーラム」については国民の表現のために利用させるか否かは管理者の裁量であるが、しかしその「見解」や表現内容による差別を管理者はしてはならないとアメリカの判例はしています。

さらに、例えば自治体の掲示板や広報誌などのコラム欄を市民に開放する場合などは、当該場所・空間は「指定されたパブリック・フォーラム」に該当すると解されています(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第5版』252頁)。

トランプ氏のTwitterのブロックに関する本判決は、本来は政府の施設などに関するパブリック・フォーラム論を民間企業であるTwitter社に援用し、政治家・官僚などが「あらゆる種類の公的目的にソーシャルメディアアカウントを利用する」場合には、当該SNSのアカウントは「開かれたオンライン上の会話の場」(パブリック・フォーラム)となり、「政治家・官僚が同意しない意見を表明したからという理由で、ユーザーを排除すること」つまり政治家・官僚SNSにおける「ブロック」は、憲米合衆国憲法修正1条の「言論の自由」を侵害する違憲なものであると判断したものであり、非常に画期的な判決であるといえます。

(なお、このアメリカのトランプ氏の裁判は、米合衆国最高裁判所において、トランプ氏が2021年に大統領でなくなったことを受けて訴えの利益が失われたとして却下されています。)

この表現の自由に関するパブリック・フォーラム論は、日本でも京王電鉄の吉祥寺駅構内において、京王電鉄の許可なしに市民がビラ配布などを行った表現行為が鉄道営業法35条(無許可の演説)、刑法130条(不退去罪)に該当するか否かが争われた事件において、1984年の最高裁判決は憲法21条1項の表現の自由も無制約ではないとして当該市民への鉄道営業法、刑法の適用を認めたものの、伊藤正己裁判官補足意見においてパブリック・フォーラム論に言及したことが大いに社会的注目を集めました(最高裁昭和59年12月18日判決)。

すなわち、伊藤裁判官の補足意見はつぎのように述べています。

「道路、公園、広場などの「一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくなく…これを「パブリック・フォーラム」と呼ぶことができよう。このパブリック・フォーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるを得ないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要がある。」

もとより、道路のような公共用物と…(私鉄の鉄道会社の敷地などの)私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあっても、パブリック・フォーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、…前述の考量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうる。

このように、アメリカの判例のパブリック・フォーラム論は、政府・公的機関の所有・管理する場所での表現の自由に関するものであるのに対して、日本の伊藤裁判官の補足意見のパブリック・フォーラム論は、国・自治体や公的機関の所有・管理する場所であるかどうかではなく、表現が行われる場所・空間が「公開された場所・空間」かどうかという性質に着目し、表現の自由や集会の自由の制約に関する比較衡量を行おうとしている点に大きな意義があるといえます(平地秀哉「駅構内でのビラ配布と表現の自由」『憲法判例百選Ⅰ 第7版』126頁)。

·この伊藤裁判官のパブリック・フォーラム論は、京都府の勤労会館における集会の自由が争われた京都地裁平成2年2月20日判決(京都府勤労会館事件)でも採用され、その後、同じく公民館における集会の自由に関する泉佐野市民会館事件(最高裁平成7年3月7日判決)上尾市福祉会館事件(最高裁平成8年3月15日判決)や、公共施設だけでなく民間企業のホテルにおける集会の自由に関するプリンスホテル日教組会場使用拒否事件(東京高裁平成22年11月25日判決)など、公的施設だけでなく民間の私的な開かれた場所・空間における集会の自由・表現の自由をできるだけ保障しようとする日本の判例のスタンスに受け継がれています(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』365頁、367頁)。

8.まとめ
このような日本やアメリカの憲法、とくにアメリカのトランプ氏のTwitterのブロックに関する控訴審判決などを見てみると、もし日本でも河野太郎大臣などに対してブロックされたユーザー・国民から同様の訴訟が裁判所に提起された場合に、日本の裁判所がどのような判断を行うのか多いに気になるところです。

従来、パブリック・フォーラム論については政府・公的機関の施設・場所などを対象にしてきたアメリカの裁判所ですら、Twitter社などの民間企業のSNSにおける政治家・官僚のアカウントについてはパブリック・フォーラムに該当するとして、政治家・官僚が反対派のユーザーのブロックを表現の自由の侵害で違憲との判断をしたのであり、パブリック・フォーラム論について政府・公的機関の施設・場所なのか民間の施設・場所なのかの違いを重視せず、公開された場所における表現の自由などを保障しようとする日本の裁判所では、より河野大臣などに不利な判決がでる可能性も無きにしもあらずなのではないでしょうか。

上でも見たように、表現の自由、言論の自由は憲法が保障する基本権人権のなかでも、国民が政治に参画するための前提の人権という点で、民主主義国家において特に重要な人権です。そして、河野太郎氏は行政のトップの内閣の大臣であり、河野氏のTwitterアカウントは国民に開かれた議論の場であるだけでなく、行政や政治に関する国民の「知る権利」からも極めて重要な場所・空間であるからです。

日本の憲法や情報法などに関する法律学の学者や法律家の先生方や、SNSの運営などを行うIT企業の実務家の方々、政治家・官僚などの方々などの、今後のこの問題に関するご見解・コメントなどにも大いに注目したいと思います。

■追記(9月9日)
このブログ記事に対しては、情報法、知的財産権法やITがご専門の弁護士の足立昌聰先生(@MasatoshiAdachi)などから、民間企業であるTwitterなどSNSにおける表現の自由の問題の難しさなどに関して、8日夜に貴重なご教示・ご感想をいただきました。足立先生、誠にありがとうございました。

トランプ氏とSNSの問題に関しては、2021年1月の米議会襲撃事件を受けて、TwitterやFacebookなどは相次いでトランプ氏のアカウントをBANして永久追放としました。このようなSNS各社の動きに対しては、ドイツのメルケル首相が「表現の自由はとても重要で、それを規制できるのは議会の立法だ。」と述べたことが社会的に注目されました。

・メルケル独首相のツイッター社等のトランプ氏追放への「苦言」を考える-表現の自由・憲法の構造

Twitterなど民間企業であるSNSにおける表現の自由、情報社会におけるSNSと政治の問題などは、今日的な非常に難しい問題であると思われます。

■追記(9月15日・河野大臣のTwitter上のブロックを憲法の統治の部分から考える)
ネット上で、この私のブログについて、ある方より、「憲法43条1項など、憲法の統治の部分からもこの問題を論じてみては」との貴重なご指摘をいただきました。

憲法の統治の部分から考えても、河野大臣は衆議院議員でもありますが、国会議員は「全国民の代表」です(憲法43条1項)。つまり選挙で当選して一度国会議員になったのであれば、支持者達の意見ばかりでなく、反対派や批判的な国民の意見にも十分耳を傾け、国会議員として少数意見にも配慮した熟議を行い、全国民のためになるような国会議員としての活動を行わなければなりません。そのため、河野大臣が大臣としてTwitter社から公認マークを受けているTwitterアカウントにおいて、自分に批判的な意見の国民を大量にブロックすることは憲法43条1項の「全国民の代表」にも違反しています。

また、河野大臣は大臣ですので公務員ですが、「すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」憲法15条2項、国家公務員法96条1項)と規定されているとおり、その公務には公平性・中立性が憲法レベルで要求されるので、河野大臣が大臣としてのTwitterアカウントにおいて批判的意見の国民を大量にブロックすることは、これも大臣としての公務に要求される公平性・中立性を遵守しておらず、自身の支持者の国民に対してのみ「一部の奉仕者」として職務を行っているものであり、これも憲法15条2項、国家公務員法96条1項に違反しているものと思われます。

このように、河野大臣がTwitterで自身に批判的な国民を大量にブロックしていることは、憲法43条1項、15条2項に違反しているなど、日本国憲法の統治に関する部分からも大きな問題をはらんでいるといえます。

■追記(2024年3月18日)
この問題に関連して興味深い記事に接しました。
・「政治家がソーシャルメディアで一般人をブロックすると違憲になる可能性がある」と合衆国最高裁判所が認める|Gigazin
・公務員のSNSブロック「違憲可能性」 コメント制限巡り、米最高裁|毎日新聞

この記事によると、アメリカの連邦最高裁が、公務員による市民に対するSNS上のブロックについて違憲となる可能性があることを認めたとのことです。

アカウントが「特定の問題について国家を代表して発言する実際の権限」を有しており、「ソーシャルメディアに投稿する際にその権限を行使すると主張している場合」に、一般ユーザーのブロックが違憲になる可能性があるとされています。これらの権限やその行使が明文化されていなくても、「ソーシャルメディアアカウントが自治体や省庁のオフィスによって管理されている場合」「政府職員が代理として政治家個人のアカウントに投稿している場合」「任期が終了した時にアカウントが別の役人に引き継がれている場合」など、国家の代表としての実態があれば公的なアカウントとして認められる可能性があるそうです。
(「「政治家がソーシャルメディアで一般人をブロックすると違憲になる可能性がある」と合衆国最高裁判所が認める」Gigazinより)

もし河野太郎氏がアメリカの政治家であったら、この連邦最高裁判決に照らすと、河野氏のSNS上の一般人のブロックはやはり憲法違反の可能性があるのかもしれません。

■関連する記事
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・欧州の情報自己決定権・コンピュータ基本権と日米の自己情報コントロール権

■参考文献
・芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第7版』111頁、180頁
・高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第5版』252頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法Ⅰ 第5版』365頁、367頁
・山本龍彦・横大道聡『憲法学の現在地』139頁
・安西文雄・巻美矢紀・宍戸常寿『憲法学読本』93頁
・平地秀哉「駅構内でのビラ配布と表現の自由」『憲法判例百選Ⅰ 第7版』126頁



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